町家再生の論理

宗田好史 著

内容紹介

京都の町家再生は、単なる建物の保存・利用ではない。古さの中に宿る伝統や文化に新たな価値を見出し、創造の場を育み、分断されていた市民をつなぐ、まちづくりの転換だった。町家の良さを再発見した住み手、経済価値を見出した事業者、都市計画を変えた景観政策、町家を支えた市民活動に焦点をあて、まちの活性化を考える。

体 裁 A5・232頁・定価 本体2500円+税
ISBN 978-4-7615-2451-7
発行日 2009/02/25
装 丁 KOTO DESIGN Inc.

目次著者紹介試し読みあとがき読者レビュー

序章 京町家との出会い

町家住民、小島さんが訪ねてきた
町家がまちづくりの新しい流れを創る
町家再生が開いた住まいの新しい形
都市の創造力を伸ばす町家再生
未来の都市を拓く町家再生

第1部 町家とその住民、誰が町家を守ってきたか─診察

1章 町家の実像

1 町家調査・都心部と町家
2 町家の数と規模
3 町家の姿、外観の類型
4 建築年代と保存状態、建物状態
5 京都の街と京町家、地域別に見る町家の様子

2章 町家の住民とその暮らし

1 都心人口と町家住民の動向
2 町家の住民の実像─町家住民アンケート調査から
3 町家と思わない町家住民
4 町家暮らしは満足だが、難しい
5 町家を守るまちづくりへの期待
6 町家への誇りとその継承

3章 町家と住民の多様性

1 多様な町家の現状を整理する
2 多様な町家をピラミッドで捉える
3 多様な町家住民とその暮らしの変化
4 町家住民の気持ちの変化を探る

第2部 なぜ京都は町家を残せないのか─診断

4章 町家を守らない理由、住み続けにくい理由

1 町家はなぜ残らないのか? 残らなかったのか
2 煽られた新しい住宅への憧れ
3 大家も住民も手を出せない老朽借家
4 手入れが難しい小規模持家
5 追い打ちをかけた街の変化

5章 町家という建物が維持できない理由─お出入大工の喪失

1 町家はどのように維持されていたのか
2 町家管理の専門家、お出入大工がいた時代
3 大店の旦那が支えた大工と町家の町並み
4 京都の大工、工務店の実情
5 町家を認めない建築基準法

6章 町家が残らないもう一つの理由─町家事業者の窮状

1 町家を事業に使う人々とは
2 町家事業者の実像、老舗が多い町家事業者
3 京都の伝統産業の衰退と町家
4 都心商業の衰退と町家

7章 町家が残らない都市計画制度の問題

1 日本の都市計画制度の様々な限界─3つの問題
2 なぜ町家に不利益をもたらす高いビルが建てられるのか
3 地元合意への過度な期待

第3部 京町家再生の方途─治療と治癒

8章 何が流れを変えたのか

1 町家の再生にむけた取組みが始まった
2 町家再生の道筋、行政・民間・市民の役割を示す

9章 町家の美しさを発見した人々

1 最初に声を上げた町家の美と理想像を模索する人々
2 町家の美を見出した住まい手と写真家
3 家族が戻ってきた、町家は家族を守る
4 伝統文化の中の町家、町家の文化的評価
5 町家の守り人、カストーディアン

10章 町家再生店舗を始めた事業者の実像

1 町家を再生する事業者の登場
2 町家ブームと町家再生店舗の登場
3 町家の活かし方
4 町家再生店舗の経営指標
5 町家再生店舗は起業のインキュベーター

11章 新景観政策を後押しした市民

1 市民が認めた京都市のリーダーシップ
2 大転換の端緒を開いたまちなみ審議会
3 新景観政策の概要
4 市民・事業者が参加する町並みづくりの出発点
5 町家支援メニューも整った

12章 町家の絆を再生した市民活動

1 社会との絆を取戻した京町家─町家再生の市民活動
2 京町家ネットの発展
3 町家で活動するアーティスト、なぜ町家に人は集まるのか
4 町家好きが集った京町家まちづくり調査
5 京町家証券化と京町家まちづくりファンド
6 町家を支える市民社会
7 残された課題、活動の先にあるもの

終章 京町家から明日が見える

1 我々は何を再生したいのか?
2 町家再生から日本の都市再生の論理へ

宗田好史

京都府立大学人間環境学部准教授。1956年浜松市生まれ。法政大学工学部建築学科、同大学院を経て、イタリア・ピサ大学・ローマ大学大学院にて都市・地域計画学専攻、歴史都市再生政策の研究で工学博士(京都大学)。著書『にぎわいを呼ぶイタリアのまちづくり』『中心市街地の創造力』ほか

序章―京町家との出会い

町家住民、小島さんが訪ねてきた

私の京町家への取組みは、中京の町家にお住まいの一人の女性と出会ったことから始まった。小島冨佐江さんである。直ぐに、そのお住まい、立派な京町家を見せていただいた。そして、京都の町家を守る相談を受けた。

小島さんと会って、ある女性を思い出した。イタリアの自然・歴史環境保護の国民協会「イタリア・ノストラ」で活躍したテレーザ・フォスカリ・フォスコロ伯爵夫人である。ヴェネツィア元首の家柄、カナル・グランデ沿いの「カ・フォスカリ」邸に名前が残り、その横の邸宅に住んでいた。彼女は人々の尊敬を集めていた。この協会が守る歴史文化の重みを、他の誰よりも彼女がしっかりと担っていることを皆知っていたからである。

この思いを強くしたのは、早速見せていただいたその町家が美しかったからである。美しいだけではない。ご主人の設計だという町家の内部は、私がイタリアで見た数々の建築修復のセオリーそのままであった。そして、その美しい歴史的建造物を末長く生き続けさせるために、住み手と建物に対する細やかな配慮がなされていた。日本人の私には、それが数々のイタリア建築の修復以上に細やかに美しく見えたことに、驚き、ワクワクしたことをよく憶えている。

その小島さんが私の研究室に来られた。町家を守る研究助成を受けたいという。幸い、小島さんの運の強さと関係者のご理解でトヨタ財団の助成を受けることができた。この研究で取組んだことは二つ。まず、ご一緒にイタリアに行ったこと。伯爵夫人とその家を見せるためである。立派な町家に住み続ければ、それだけで尊敬を受けること、そしてそれは人生を掛けるに相応しい価値を持つことを実感して欲しかった。

次に、京町家を数えた。数えて、住民の皆さんにアンケートをお願いし、また約250軒のお宅でお話を伺った。小島さんは事務局長として私たちの研究を支えるとともに、ご自身の糧とされ、私が想像した以上に活動の領域を広げ、京町家再生をリードしてこられた。

町家がまちづくりの新しい流れを創る

一方、私は町家のある京都の街を調べた。建築の立場から京町家を研究したのではない。だからこれは京町家の本ではない。京都の街を語り、町家とその住民をどう元気にしたかを語る本である。そして、私のイタリア研究の出発点である、恩師陣内秀信先生の『イタリア都市再生の論理』に帰り着こうとした。この本を持ち出したのは、ここに私の都市保存研究の出発点があるからだが、もう一つ、現在の日本はイタリアの1970年代に似ていると感じるからでもある。

日本の人口は現在ピークを終え、戦後毎年100万人ほどの増加が続いたが、逆に70万人ずつ減少する時代になる。一方、他のEU諸国同様に、イタリアは一足早く1960年代後半に人口増加が緩やかになり、1980年の5,650万人がピークで、閉塞感が広がっていた。

イタリアの1970年代の都市再生論とは、それまでの急速な郊外開発を抑え、老朽化した歴史的都心部の町並み再生住宅を整備し、都市の社会経済と市民生活を活性化することで閉塞した状況を脱しようというものであった。地方都市で、特に効果的だったこともあって、現在のイタリアでは、大都市に人口が集中する時代は終わり、地方都市に分散し、元気が戻ってきた。

ただ、今の日本には1970年代のイタリアのような地方分権や歴史都市を巡る熱い雰囲気はない。熱意はあるが70年代とは違う。当時のイタリアのようにビジョンを語る指導者もいない。しかし、地方都市を再生するためには、「過去の建築・都市文化を継承しながら、人間の生活を包みこむ豊かな都市環境をいかに形成するか」が大切という意識が広がっている。それは、まず創造的な仕事をする人々から始まり、次に町家の住民の静かな意識変革につながった。そして一部の商業者が気付き、やがて市民一般に静かに広がっている。その意味で、京町家再生は市民運動でなく、新しい市民の暮らしの知恵であると思う。

さらに、「都市再生の論理」を持ち出すのは、半世紀に及ぶ日本の歴史的建造物や町並み保存の流れが、景観法や歴史まちづくり法により新たな段階を迎えたからでもある。文化財の「伝統的建造物群」として町や村の一画を保存するだけでなく、都市全体を歴史・文化・景観というコンセプトで計画する。つまり、「文化的アリバイ」として単体の建造物や都市の一部だけを保存する時代は終わったのである。
とはいっても、何も変わらないと思う人は多いだろう。法律ができたからといって、日本の都市は簡単に変わらないと私も思う。しかし、景観法の背後には確かな現実もある。その一つが町家再生である。景観法を知らない市民でも、その意味を実感して暮らしている。文化的アリバイではなく、京都では町家の景観に暮らしの文化が息づいている。

そして、今日の京都では町家は文化財としてだけではなく、不動産としても評価されるようになった。2005年には長屋再生の「御所東団地」が特別優良賃貸住宅として貸し出された。そして、空前の町家ブームの中、店舗や住まいとして町家を求める人々が市内の不動産屋に列を成している。

町家再生が開いた住まいの新しい形

町家に暮らす多くの人々は大分元気になってきた。新たに町家を手に入れて住み始める人が増え、町家で事業を始めた人はもっと多い。老舗も頑張っている。その町家は、伝統的であるだけではない。新たに手が加えられ、いきいきと輝いている。
これを保存と区別して町家再生という。古い町家に手を加え、その美しさを理解した上で、それを損なうことなく、元より美しくする。町家で暮らし、働く住民の必要を新たに満たすだけでなく、町家だからこそ可能な機能とその高い質、美しさを備えた改造をし、次の100年の風雪に耐える強さを補う。この新しい建築行為が京都で急速に発展してきた。

再生町家の住民は、単に保存しようとしてはいないから、義務感で我慢して住んでいるのではない。いつ手離してもいい。その方が金銭的には楽なことも知っている。伝統の仕事の都合があるわけでもない。だから、薄暗く寒い古家の不便な暮らしを悲しんではいない。多少の我慢があっても、自ら誇り、皆が憧れ、羨む町家ゆえの個性的な生き方や仕事を見出している。町家の薄暗さや多少の不便さを、むしろ住まいのメリットとして快く感じ、品格のある暮らしを選んだのである。だから、そんな人々の住む町家は、もはや時代からとり残されてなどいない。むしろ、時代をリードしているように見える。

そんな住民・事業者を支える建築家・大工による町家再生の取組みも、研究・実践を超え、事業として普及した。家族の手を離れた町家も、不動産業者が市場に流通させる仕組みを整えた。町家住民の輪が広がり、それぞれに多様な取組みを続ける数々の市民組織の活動によって町家の魅力は新しい住まいの文化として定着しつつある。そして、町家レストランは、市民はもとより観光客にもすっかりお馴染みになった。町家ホテルも増えた。町家は、見るだけの歴史的建造物ではなく、是非住んでみたいと思う、未来の住まいの一つの選択肢になってきた。
だからまちづくりも変わってきた。2007年から京都市は新しい景観政策を始め、地域特性に沿った景観形成を目指すとした。旧市街地全体を「歴史的市街地」とし、中でも京町家の町並みがある中心地区を「歴史的都心地区」と定義した。そこでは、まず京町家と調和する新しい建築物の高さを15mとし、従来の31m規制を一気に強化した。加えて町並みを整えるデザイン・ルールや「歴史的景観再生事業」に真剣に取り組み始めている。

また、2003年の「京町家再生プラン」により、市民組織・京町家ネットなどと「京町家ネットワーク」を持ちつつ、(財)京都市景観・まちづくりセンターが様々な町家支援事業を続けている。また、京都不動産投資顧問業協会と京町家ネットなどが中心になり、「京町家証券化事業」も実施された。町家に住み続けたい、住みたい人の期待に応える制度である。

施策は急速に整えられた。こうして、できることは一通り出揃ったかに見える。しかし、まだできていないことはもちろん多い。住民も生業も付き合いも変わってしまい、町並みを支える地域社会の維持は困難である。町家再生は広がったが、準防火地域である京都の街中で、現在の建築基準法で既存不適格とされる町家の再生には様々な障害がある。一方で、進みすぎた町家ブームによって、町家をよく知らない人までがブームに乗って、町家を壊すような改造を進めている。だから、まだこの先やることは多い。

そうはいうものの、町家再生を進めた人々は、もっと先を見据えている。日本人の暮らしと住宅、街のあり方を根本から変えなければ、町家再生の狙いは達成できない。大量生産・大量消費・大量廃棄される住宅は、環境にも大きな負荷を与える。そして、便利になりすぎた住宅での暮らしは、人や家族の生活能力を脆弱化し、住宅の集まりとしての地域社会の絆を弱め、町や村の力を内側から衰退させているようにも見える。

現代人は家への関心を失った。傷んだ箇所を直すことも知らず、嵐の備えも寒暖の設えも関心の外にあり、災害にも弱い。それに対して、町家で暮らすことは、自然素材の家で手づくりの建具や家具の手入れを続けながら、寒さや暑さに備える暮らしである。家を中心に力を合わせる家族のつながりがある。だから、町家再生を進める人々は、住まいのあり方から自らの暮らしを見直したいと思っている。京町家の保存とか、歴史都市・京都の景観づくりでは満足しない。京都の経験を通じて、これまでのわが国の建築と都市のあり方に新たな提案をしようとしている。

都市の創造力を伸ばす町家再生

「都市は古い建物の必要を痛切に感じている」といったのはJ. ジェイコブスである。新しい建物との混在は、街に活気をもたらし、新しい事業の孵卵器にもなるといった。この主張は、その後半世紀を経て世界中で認められた。現在の高齢社会では、様々な意味で身近な古い建物の必要性を痛切に感じる人がさらに増えてきた。高齢者は郷愁を感じるからかもしれない。しかし、創造的な若い人々は逆に古い建物に未来を見出している。そして多くの市民も町家の様な古い建物が創造的な仕事や生き方を伸ばすのではないかと気付き始めた。

40年経ってイタリアの都市再生の論理も変わった。全面的な保存をめざして都市計画的な介入方法の是非を議論している間に、現実の都市は大きく変容していた。何とか形は残ったが中身は変わった。しかし、それはよく変わったのだろうと思われている。イタリアの都市にとって「伝統とは成功した革新である」ということになる。

今でも、京都では町家ブームを一過性と見るむきが多い。しかし、イタリア都市再生の論理の40年の歴史を振り返る時、私は町家再生の流れの中に、今後の日本の都市のあり方を問い直す革命的な変化が読み取れるのではないかと思っている。「都市の思想の転換点としての保存」である。

未来の都市を拓く町家再生

町家再生もいち早く始めた人はすでに20年、小島さんや私が参加しているNPO法人京町家再生研究会も16年間活動を続けてきた。活動は町家を守るだけでなく、生き続けることへと広がり、もう一度町家を創りたいとも思っている。また、町家再生活動は多くの住民を知ることで、その新しいライフスタイルを受入れ、暮らしの創造を支援するまでになった。市民運動としても、京都の都市開発圧力に抗うことから、都市の未来を提案することに発展した。しかし、その根底は町家の住民の視点から離れてはいない。

これは京都という都市の未来を、幻想の中にではなく、過去の蓄積の延長に求める都市計画論である。人々が記憶の集積によって文化的に生きることと同様、都市は過去の集積の上にこそ、個性ある文化的に豊かな未来を創り得る。市民の身近な暮らしや事業の中に町家を位置づけることが、よりよい未来を拓く方途になるという主張である。そして一連の問いかけ、「どんな家に住むか考えてください。それはあなたがどんな人生を送るかの問題です」「新しい家に慣れるより、古い家の快さを知る方が幸せです」「古いってお洒落なことですね」「古い家ではアートが事業になりますよ」として、京都から全国の地方都市に発信している。

町家再生には、住まいと暮らしを「守りたい」、子供から高齢者までが幸せに暮らす家のあり方を「伝えたい」、よりよい住まいを求める住民と、住まいを生産する大工職人を「支えたい」という3つの願いがこめられている。これらの願いを着実に果たすことで、都市に未来をみる次世代の人々の創造力を育む孵卵器としての町家であって欲しいと思うのである。言うまでもなく、全国の多くの町でも、町家は地域性豊かな伝統的都市住宅であり、その町の人々の記憶を伝えている。だから、町家とその町並みを守ることで、各地で消えてゆく恐れのある地域固有の暮らしと生業を取り戻すことができる。これが、現代社会が求める地域社会の再生、地方都市の復権でもある。

これを、本書では「町家再生の論理」と捉え、京都での町家再生の取組みから著者が学んだこと、町家再生に取り組む人々が教えてくれたことを述べる。町家はなぜ失われ、また残ったかについての実態、町家にはどんな人々が暮らしているのか、そして町家の町並みが壊れた原因を探り、町家再生を阻む数々の問題点を明らかにしていく。そして、町家再生を始めた人々が、何に気づき、何を始めたかを述べる。

第1部は、町家の実態を捉える「診察」である。1章で町家調査に基づく実態と数を、2章でアンケートとヒアリングから住民の皆さんの意識を紹介し、3章ではその多様な全体像を整理して示す。これらの章では、京都市による都心4区全体の調査と、その前に我々が調べた都心田の字地区調査の両方の結果を照らし合わせて述べる。

第2部は、第1部をもとに町家が残らない原因を見極める「診断」である。4章では住まいづくりと借家の問題、5章では大工と町家の関係と、建築基準法の問題、6章では町家事業者の問題、そして7章では都市計画の問題として検討する。
最後の第3部は「治療と治癒」である。これらの問題を克服しつつ、京都の皆さんが進めてきた町家再生の方途について述べる。8章で取組みの全体像を示した後、技術的・具体的施策だけではなく、人々の意識を変え大きく世の中を動かす基底となった取り組みを紹介する。 9章で町家の価値を見出した人々の話を、10章で町家事業者の動きを、11章で景観政策とその背景となった市民意識の変化を、そして12章で市民の力強い活動の数々を述べていく。

町家が守れないという病を克服した町家再生論を通じて、この京都の経験が、多くの日本の都市に広がる可能性を示したい。それは、町家再生が、日本の都市を、そこに暮らす人々が望む形につくりかえる方途になると思うからである。

私が京都に来て15年がたった。この間どうしたら京町家が残せるかを考え続けてきた。そして、京町家に関わる多くの方々と様々な活動を続けてきた。その中心は京町家再生研究会の皆さんであり、町家に関わる様々な団体の皆さん、そして町家に暮らし、ご商売をする皆さんである。活動の都度、私が学んだ都市計画の視点から、私なりの方法ではあるが、どうすれば町家が残り、町家の町並みづくりができるかを提案してきた。

最近、皆さんの活動の成果はようやく形になってきたと思う。それは、私自身が思ったよりも速く進んでいると密かに喜んでいる。だから、それをちょっとばかり誇りに思う気持ちになることもあって、この経緯を本にまとめようと思った。

京都との出会いは、恩師、京都大学名誉教授三村浩史先生のお陰である。1990年に先生の主宰する「チェントロ・ストリコ研究会」で京都の研究に加えていただいた。研究の中心をリム・ボン先生(現・立命館大学)が支えていた。イタリア語で「歴史的都心部」(Centro Storico)と題されたことからも、先生の大きな狙いが分る。その後、私はイタリア都市の歴史的都心部の保存と再生に関する学位論文をご指導いただき、今日に至った。先生は今や、京都市景観・まちづくりセンターの理事長として京町家再生全体を率いている。京町家再生研究会顧問でもある。やはり、三村先生のご紹介で、当時勤務していた国際連合地域開発センター研修事業の一環で、インドネシア・ジョグジャカルタ州の3人の専門家と見学に訪ねた吉田孝次郎氏の町家が「生活工藝館・無名舎」である。吉田先生も再生研顧問である。三村先生とご一門の皆さんは、その後もインドネシアでチェントロ・ストリコ研究を続けておられる。

小島冨佐江さんを私に紹介してくれたのは、京都市の寺田敏紀氏である。元助役の木下博夫氏の勉強会の席であった。場所は、百足屋、黒竹節人氏の店である。その後、寺田氏の紹介で京都市都市計画局の「職住共存地区ガイドプラン」、「京町家まちづくりプラン」の策定に加わり、「まちなみ審議会」の委員も務めた。京都市景観・まちづくりセンターの創設にもかかわり、現在も評議員を続けている。寺田氏は今や京都市景観創生監の要職にある。そして、都市計画局と景観・まちづくりセンターの歴代の多くの皆さんと長くご一緒できた機会が大きな糧になっていることは言うまでもない。今も、センターの皆さんとは町家に関するお仕事を続けている。深く感謝する。

その後、京都府立大学学長(当時)広原盛明先生のご厚意で、念願の京都の大学に職を得た。そして、小島さんのご紹介で京町家再生研究会に加わる幸運を得た。設立の翌年である。顧問で前会長の望月秀祐氏、現会長の大谷孝彦氏を始め、幹事の皆さん、会員の皆さんの厚いご支援で、本書で述べた調査、研究を続けてきた。

トヨタ財団の研究助成による調査では、実に多くの町家住民の皆さんのご協力をいただいた。貴重なお時間をいただき、アンケートにお答え下さった。また多くのお宅が、学生と共に私たちを受け入れて下さった。お書きいただいたこと、お話いただいたことの一つ一つを今も読み返している。残念ながら、そのすべてを本書に記すことはできなかった。何人かの方とは今もお付き合いがある。また、お宅の前を通るたびに思い出す。しかし、250軒に及ぶ皆さんにはたいへん失礼ながら、失念している方がいる。時々お声を掛けていただくたびに恐縮する。とても懐かしく、うれしく思う。もちろん、記録は大切に保管している。本文でも記したが、建物調査について、京都市のデータベースは随分進歩した。

また、京都市の町家まちづくり調査でご一緒したボランティアの皆さん600名がいる。ほとんどの皆さんがお元気でご活躍であるが、鬼籍に入られた方がいる。時が経つのは早い。しかし、皆さんの思いは少しずつ形になった。

そして、この研究の中心を支えて下さったのは、私の研究室の学生さんたちである。最初、金本玉美さんと一緒に奈良町の調査をした。京町家は鳥山由紀さんが最初であった。その後、中川史子さん、岡村こず恵さん、惣司めぐみさん、山野高広君、天野久美子さん、萩原麗子さんが、次々と京町家に関する優れた卒論、修論をまとめた。そのために、町々を歩き、写真を撮り、アンケートを解析し、頻繁に訪問ヒアリングに出かけ、膨大な記録をとった。特に、鳥山さんは都心田の字地区の町家悉皆調査、中川さんは町家住民ヒアリング、岡村さんは大工工務店、天野さんは再生店舗、萩原さんは西陣での調査に、それぞれ膨大な時間と労力を費やした。決して十分ではないが、その成果を本書に活用させていただいた。今も時折、きつかった町家調査を語り合いながら、成長した彼女たちと酒を酌むのは、私の最も幸せな時間である。山野君と私を除いて、なぜか皆女性、やはり町家は女性のものらしい。いつも敬服し、感謝している。

京町家の悉皆調査は、学生時代に都市計画の指導を受け、前任の国際連合地域開発センター所長の佐々波秀彦先生が東京区部で手がけた「木造賃貸住宅悉皆調査」の方法に倣った。都市計画とは歩いて調べ、数えて地図にすることだと教わった。学生さんには迷惑だっただろう。私は、佐々波流の教育を今も受継いでいる。そして、役に立つと思っている。

西陣の京町家倶楽部の皆さんには、彼女たちの一人、西陣出身の萩原麗子さんが事務局のお手伝いをしたことで、師弟ともども大変お世話になった。古材文化の会、関西木造住文化研究会、京都府建築工業協同組合、京都府不動産業協会、京都府建築士会の皆さんとは、今も一緒に活動を続けている。

町家調査には鳥取環境大学(当時は京都大学)の東樋口護教授とその助手(当時)の橋本清勇先生(現・広島国際大学)が共同研究者だった。トヨタ財団の研究助成の研究代表としてご指導いただいた。小島さんが事務局長、やはり再生研の仲間である西巻優氏とともに、当時はお洒落な町家暮らし調査と呼んでいた活動を発展させてきた。

東樋口先生方の研究室の皆さんも町家調査に従事され、その成果を本書でも活用させていただいている。また、同研究室の山口君は、都心田の字地区の優れたグラフを作ってくれた。その後、京都市の調査では、京都工芸繊維大学河邊研究室(当時)、京都造形芸術大学葉山研究室、立命館大学産業社会学部乾ゼミの皆さんにお世話になった。

最後にもう一度、この本は京町家と題しながら、町家建築の本でも町家の歴史の本でもない。ほとんど京町家のことを語っていないことをお詫びする。その私も、もちろん京町家には強く魅かれている。街中にひっそりと残る町家の内部を見たいからこそ、250軒ものお宅にお邪魔した。それぞれのお宅で町家の魅力を恥じることもなくしゃべり続けた。さぞご迷惑だっただろう。でも、その感動はここでは書かなかった。読者の皆さんと町家まちづくり調査の仲間の皆さん方のほうがよくご存じだと思う。そしてそれは、私が都市計画から京町家とその住民の皆さんを見たためで、歴史的都市を創るための計画論だからでもある。イタリアで学んだ私は、現代京都の社会と建築・都市計画が抱える問題を明らかにし、その再生を目指そうとした。領域を超えた町家と都市の再生を示したかった。

これは、町家調査で知り得た現状から京都の将来像を描く試みでもある。だから、多くの皆さんの京町家への思いとは違う形で本にした。京町家について実に多くの教えを受けながら、その成果を十分にまとめられなかったことを心からお詫びする。

半世紀も前のことだが、大正生れの古風な父は、私の研究を見て「曲学阿世の徒だ」と一喝した。今でもそうかもしれない。再生研との最初の出会いの日、静岡県立浜松工業高校で、その父に教わったと京町家作事組理事長の梶山秀一郎氏が話して下さった。建築家、梶山氏の京町家への真剣なまなざしの中に、私はいつも父を感じている。その梶山氏はいつも私を御用学者だと笑う。

小島さんたちが訪ねたイタリアで古い邸宅のご主人と詳しく語り合えたのは、菅野琴・アルフェオ・トネッロットご夫妻のご厚意だった。長年ユネスコで文化遺産の仕事をされた。今はビチェンツァにお住まいで、時々小島家に応援に来る。また、武蔵野美術大学の長尾重武先生とは、ローマでお会いし、その後町家再生のご支援をいただいた。

イタリア都市研究の恩師には、建築家・河原一郎先生がおられる。法政大学のコミュニティ計画論の講義で、イタリア都市を語られる時、建築よりもイタリア人について多く語っておられた。人々の生き様に眼を向ける都市計画論は河原先生に学んだ。前著『中心市街地の創造力』をお送りしたが、宗田君は研究の方向を変えたのかと言われたと聞いた。そうではない。だから、この町家の本こそ、まず河原先生に読んでいただきたかった。先生が亡くなられた昨年6月には脱稿していた。しかし、その後の道が長かった。

時間はかかったが、学芸出版社の町家本の一冊になった。京極社長が隅々まで読んで下さり、担当の前田裕資氏、中木保代さんには、長い期間いろいろご迷惑をおかけした。また、社員の皆さんには、京町家再生研のニューズレター、ブックレットで日頃からたいへんお世話になっている。重ねて感謝申し上げる。

さて、再三述べたように、この本は恩師陣内秀信先生の『イタリア都市再生の論理』を出発点にしている。書き終わってみると至らない点が多いことに気づく。その最たるものは、先生の情熱的な語り口である。京町家再生の論理が広がることを切に願っているが、かつて私が感動した力強さを本書に込めることはついにできなかった。不肖を恥じつつ、陣内先生に深く感謝したい。

皆さんにお詫びすることは多い。そして、あまりに多くの皆さんに感謝しつくせない思いでいる。

2009年立春、下鴨にて

この10年程の京都の町家再生の動きには、まさに目をみはらされる。本書は、京町家の再生がいかなる背景で、どのように実現されてきたか、その全体像を見事に描き出す。感動のドラマの記録でもある。京都の町家に関しては、建築の空間やデザインの特徴、人々の伝統的な暮らし方など、繰り返し論じられてきた。この本は、こうした認識のレベルを大きく突き破り新時代を切り開く、待望のアクティブな町家論といえる。

著者は、若き日にイタリアに長い間、留学した経験をもつ。歴史都市が現代のセンスで蘇り、生活の場として、また文化を創造・発信する場として輝きをもってきたイタリア都市の状況を、克明に調べ、その仕組みを研究してきた。

その眼には、京都の開発と保存という難しい問題を解くための方法が、従来とは違う形で予感できた。ゼミの学生達と膨大なエネルギーをかけて行った町家への訪問ヒヤリング調査が、出発点となっている。名も無い質素な町家にも価値を見出す。住み手の意識が変わり、調査に600人もがボランティアで参加したという。町家再評価、そして再生へと展開する運動をまさに著者自身がつくりあげた。

著者は、町家の所有者・住み手、大工職人、大学研究者、行政の方々との出会いを大切にし、多くの人達とネットワークをつくり、厚い信頼のもとに恊働で活動を広げた。おおいなる目標を共有する幾つものグループが連携し、知恵を発揮し、難しい状況を切り開いて、町家を再生活用することの素晴らしさを実現してみせたのだ。

市民・住民の意識の変化を背景に、行政の思い切った政策も引き出され、京町家は、いい形で蘇ってきている。老舗も頑張る一方、若手やアーティストがクリエイティブな感性で自己を表現できるインキュベーターの役割も担っている。過去と現代が共存する場としての町家、そして歴史的都市空間。京都発の都市づくりの新たなモデルを、本書は魅力的に示してくれる。

(法政大学デザイン工学部教授/陣内秀信)


担当編集者より

私自身を振り返ってみると、30年前には、町家があるということは当たり前すぎて、それが美しいかどうかなんて考える対象ではなかった。ちょっと知識が入ると、とんでもなく窮屈な世界で、丁稚や奉公人がいじめられていたって感じである。寒くて暗いうえに怨霊が住み着いているに違いなく、早く足抜けしたいという人が多いのも当然すぎるほど当然だと思った。

それが、この15年ほどだろうか、えらく美しく見えてきた。あげく、古ぼけたよれよれのお家でも、現代建築よりは綺麗に見えてしまう。同じものがどうして違って見えるのか? 私だけならともかく、結構そういう人が増えているのは何故か?
十全に、とまでは言わないが、本書を読むと何故か が見えてくる。それは一人一人の心の変化であり、それを誘発した感性あふれる人達の動きだ。そういった変化こそが、制度や計画を越えて、まちづくりの方向性を大きく変えうる力だと見えてくるに違いない。

(Ma)

町家に住むことに憧れをいだいていた。それが叶って実際に暮らしてみると、寒いし暗い。でも、自然を身近に感じられるし、建物が生きている気がした。町家という建物には、魅力的な雰囲気がある。そこにずっとあって、人の暮らしが刻まれて、まちを形成してきたからだろう。

町家は京都だけのものではない。それぞれの地域に、暮らしや仕事を支えてきた住まいがある。

空き家になってしまっても、新しい人がそこで新しいことを始めれば、たちまち町家は活き活きと甦り、私達に発見をもたらしてくれると思う。

維持するのは並大抵のことではないことが、本書からもよくわかる。しかし、町家が取り壊され、マンションと駐車場に変わるたびに、京都の将来像は貧弱になる気がしてならない。

(N)

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