喜多俊之 デザインの探険1969-

喜多俊之 著

内容紹介

イタリアデザイン界に身を置き、その隆盛を自ら体験してきたトップデザイナーが初めてキャリアを振り返り、豊かな暮らしとは、デザインの役割とは何かを綴った。企業やデザイナー、職人の仕事ぶりと、そこに暮らす人々の生活は密接に繋がっていた。戦後日本の住環境に思いを馳せ続けてきた著者のエネルギッシュなエッセイ。

体 裁 四六・192頁・定価 本体1800円+税
ISBN 978-4-7615-1313-9
発行日 2012/12/15
装 丁 奥村 華子


目次著者紹介まえがきあとがき

はじめに

1章 僕とデザインとイタリア

始まりは1冊の辞書
度肝を抜かれたヨーロッパ視察旅行
日本での初仕事はライン管理
ヒットの意味を知る
60年代の日本のライフスタイル

2章 初めて出会う「豊かな暮らし」

一番良いものを見よう
ミラノの中心でレジデンス住まい
親切な街の人たち
知らぬが仏とは、このこと

3章 急成長を支えた暮らしのスピリット

品と格を持つ食文化
住居大革命とリノベーション
暮らしとデザインの変化
主婦たちが牽引するインテリアブーム

4章 メイド・イン・イタリーの登場

なぜミラノが中心地だったのか
強力なメディアの存在
プロフェッショナルたちの台頭
マリオ・ベリーニ
エットーレ・ソットサス
ヴィコ・マジストレッティ
ブルーノ・ムナーリ
アキッレ・カスティリオーニ
アントニオ・チッテリオ
ミラノサローネが果たした役割
「祭」と「振る舞い」の精神
まずは暮らしがデザイン教育の現場

5章 デザインの現場を体で感じる

イタリアで初仕事
そして二度目の独立
家具メーカー、ベルニーニとの仕事
忘れられなかった日本の伝統工芸のこと
カッシーナ社との仕事は10年越し
〈ウインクチェア〉の誕生
〈サルヤマ〉完成までの23年

6章 イタリア式ものづくりマナー

イタリア式企業のブランドマナー
フリーでも仕事ができた理由  発展の陰に職人の技あり
デザインで心が豊かになるということ

7章 豊かな暮らしのためにデザインができること

現代日本の住まい方を考える
100㎡を超えるアジア諸国の住宅
今、暮らしが変われば日本が変わる

あとがき

喜多俊之/1942年大阪市生まれ。1969年より、環境および工業デザイナーとして、日本にとどまらずイタリアを始め、国際的に制作活動を拡げていく。ヨーロッパや日本のメーカーから、家庭日用品、家具、液晶テレビなどの家電、ロボットに至るまで、分野を超え、多くのヒット商品を生む。作品は、ニューヨーク近代美術館、パリ国立近代美術館、ミュンヘン近代美術館など、世界のミュージアムに多くコレクションされている。近年は、大阪芸術大学にて教鞭をとるほか、中国でのRed Star Award審査委員、シンガポール政府のデザインアドバイザーを務めるなど、日本だけでなく、ヨーロッパ、アジアなどで、教育活動にも力を入れている。

1960年の末、突然イタリアに行くことになった。

それはヨーロッパ視察旅行でたまたま通過した北イタリアのミラノで見た人びとの生活の様子が、当時、同じように好景気に沸いていた日本と少し様子が違っていて気になったからだ。

3ヶ月ぐらいの予定でこの街に滞在してみようと決心し、小さな辞書をさげて言葉もわからないまま無謀にも長期滞在を試みた。

すでに工業デザインという、生活の道具などをデザインする仕事に就いていたので、その視点でイタリアの暮らしぶりを見た。現地に滞在し多くのデザインの現場を体験することになった。そのなかで、デザインは単に色・形だけではなく機能性や安全性、経済性、夢など、人びとの豊かな暮らしに直結するものであることを体験することとなった。以来、日本の住空間に対する、何かはっきりとしない問題意識を持ち続けている。日本を飛び出し、彼らの豊かな暮らしに身を置かなければ、きっとこの僕の問題意識が生まれることはなかっただろう。

3ヶ月の滞在は3年になり、その後日本と行ったり来たりの生活が40年続いている。まるで子供が大きくなっていくように、自分自身が成長してきたこの40年の道のりは、今となっては大変貴重な財産となっている。

イタリア生活で特に関心が深かったのは、周りでの人びとのコミュニケーションの活発さであった。東洋と西洋という違った場所にあって、現在という共通した時間のなかで、1人の東洋人がほぼ白紙から彼らの生活に飛び込んだ。言葉のわからない僕をじつにあたたかく迎え入れてくれたことは、今思い出しても感動的である。誰かれなく親しく接してくれるイタリアの人びとの姿は、私の生まれ育った子供の頃の大阪の人びとの姿にそっくりだった。

この本に書かれている1970年代以降のイタリア、つまり戦後の貧しさを乗り越え、心豊かな暮らしをつくり上げようとした彼らの努力や暮らしぶりは、見かけだけの豊かさではなく「日常の暮らし」こそが生活文化と経済、産業の土壌だということを僕に教えてくれた。それはこれからの日本に大いに参考になるものと思われる。これまで培われてきた私たち日本の伝統文化とそこから生まれるイノベーションの大切さ、デザインこそが私たちの明日への資源として存在するということを伝えたいと思い、つたないながらも1冊の本にまとめた。素晴らしい建築家やクリエイターそしてデザイナーとの出会い、何の分け隔てもなく親切にしてもらった友人や知人を思い出しながら。

イタリアと日本を往復するという生活が40年近く続いている。ここに来て気になることの一つに、日本における日常の生活の様子があった。

特に戦後建てられた2DKや3DKといった狭い集合住宅は、今やもので溢れ納戸と化した様相、そこにはずっと以前の日本のように気軽に友人知人を招いて、自宅で過ごすことが極端に少なくなっている。

高齢化が進むなかで大きな問題となっている在宅介護の問題や、これからの経済・産業における製品のクオリティーの問題、内需拡大をどうするのかといった現実的な話など、それらがこのところ急にクローズアップされてきた感がある。まず、もので溢れた住まいをどうするのか、そのなかで子供たちや高齢者がどう過ごせば良いのか。韓国や中国、シンガポールといった同じアジアの住環境が大きく改善されている現在、日本の住環境はもう放置できない状況となっている。

私はイタリアの暮らしを体験することで、日頃見えにくい日本の生活の断面を、少しでも読み取る努力をしてきた。

デザインという言葉が自然に使われて暮らしの隅々まで行き渡っている社会をつくり上げることは並大抵ではないにも関わらず、北欧の国や他のヨーロッパ諸国がそうであったように、イタリアも戦争の荒廃から短期間のうちに素晴らしい生活文化を再構築した。その姿は私に、デザインとは日常の暮らしに直結したことであり、「日常の暮らし」こそが大切であるということを教えてくれた。

今、アジアを始め世界では、デザインは新たな資源として捉えられている。

イタリアや中国ではデザインは意匠ではなく「設計」として訳されている。その視点はとても重要だ。今や「デザイン」は経済・産業の方向を決める一つの大きなキーワードになっている。

これからの日本にとって重要なことは、世界で一番のものをつくり上げて使いこなし、それを海外への輸出資源とすることである。技術開発と並んでデザインを育てることが、今急がれている。

障子やお盆、風呂敷など、少ない資源で大きな効果を出すことは日本伝統の考え方に由来するもので、魂を込めてものづくりをする日本の職人の信念は、これからもずっと日本の財産であり続けるに違いない。そしてこれらは近代産業にもおいても大変重要である。

素晴らしい花や実のなる作物を育てるためにも、その「土壌」である素敵な暮らしの再生は、最も急がれる大切なことである。

日本の近代史のなかの、ものづくりに携わってきた多くの諸先輩方に習い、自然豊かな日本にしかできない技術で、新しいデザインをこれからもつくっていきたいと願っている。

この本をまとめるにあたり、協力してくださった皆様に感謝いたします。

学芸出版社の井口夏実さんを始め、多くの関係者の皆様に心より御礼申し上げます。