江戸東京の路地
内容紹介
歴史が集積した路地空間の表情と魅力を探る
歓楽街、門前町、市場、抜け道、行き止まり…。地形やかつての都市構造の痕跡を残しながら、歴史の流れの中で変遷してきた東京の路地。成長する都市の隙間の佇まいは、往時の人々の生活が甦ってくるようである。時代や成り立ちによって様々な表情を持つ路地空間を読み解き、実際に潜り込んで体感しながら、その魅力に迫る。
体 裁 A5変・176頁・定価 本体1900円+税
ISBN 978-4-7615-1215-6
発行日 2006-08-30
装 丁 CRATER Design Works
序論─路地とは何か
境界としての隙間空間
賑わいのある空間
プライベートな場
1章 江戸時代―路地空間の原型の誕生
1・1 江戸の都市空間と路地
(1)マクロな視点からの江戸
(2)遊びのための路地
遊廓と芝居街
寺社門前と路地
(3)生活のための路地
江戸庶民の生活の拠点としての路地
町人地をつくりだす空間の仕組み
1・2 江戸町人地の仕組みと路地─日本橋、京橋
(1)日本橋
通り土間と路地
現在の日本橋の路地─江戸の痕跡を探って
(2)京橋
井字型街区と船入堀
京橋に潜む江戸の路地
1・3 現在に生き続ける江戸の路地構造─佃、本郷菊坂、下谷・根岸
(1)佃
時代に迎合しない佃の歴史
路地をつくりだす空間の仕組み
島という特殊条件が江戸の路地空間を伝える
(2)本郷の菊坂
菊坂の町のつくられ方
谷地に潜む江戸の路地構造
江戸回帰する屋敷街のプロセス
(3)下谷・根岸
林立するマンションに見る昔の面影
街道筋に残る江戸の構造
背景に田園を持つ街道沿いの町人地
裏の農道に展開する近代の路地
2章 明治・大正期―ネットワーク化する路地の進化
2・1 明治・大正の都市空間と路地
東京都心部の西洋化
周縁に潜むヴァナキュラー
2・2 ネットワークする路地の創造─煉瓦街の銀座
近代路地の空間マジック
路地を利用する人たち
煉瓦街のI型路地を歩く
2・3 囲い込み空間路地へ誘う神楽坂の妙─江戸の遊興の系譜を辿る近代の路地
石畳の路地がもてなす花柳界の町並み
坂道から引き込まれた空間の演出手法
路地を愛する元気な町の人たち
2・4 埋立地の路地リバイバル─月島
近代に継承された江戸の路地の味
ビルが建ち並ぶ現在の月島
2・5 坂が取り持つ路地の縁─谷中・根津・千駄木
異なる文化を一体化する
台地の道から延びる路地と坂道
凝縮された路地の多様性
町人地の路地が谷根千の一員となる
3章 昭和初期―路地空間の多様化
3・1 昭和初期の都市空間と路地
江戸の山の手・下町の再編
ターミナル駅周辺の活況
3・2 L字型路地─銀座
宝童稲荷のある路地
角地を占める近代建築と路地の変化
3・3 囲い込み空間の路地─渋谷百軒店
江戸の遊び空間の定番を再現
勧工場を模した巨大商業空間から、盛り場への転身
3・4 築地場外市場
門前の寺町から路地を巡らす場外市場に
小割された店の間を縫う路地空間の面白さ
伸縮する路地
3・5 農道から派生する路地─京島
畦道が商店街の通りに
戦災で焼け残った街の風情と路地の趣
3・6 屋敷の中で蘇生した路地─麻布
丘と谷がつくる軸性と迷路性
パッケージ化された組屋敷に見る路地
門をくぐると路地
隙間の路地に入り込み、谷間に潜む街へ
4章 戦後―組み合わせ路地の迷宮化
4・1 戦後の都市空間と路地
火の海からの出発した闇市の合理性
郊外地に張り巡らされたラビリンス空間
4・2 小路化する路地─生活路地から賑わい路地へ
進化する銀座の路地
土地が分割されてできた路地
T路地の誕生
4・3 路地に変化した農道─下北沢
地形に鉄道という近代のレイヤーを重ねる
農道がベースとなる街の構造
街がすべて路地であることの将来性
4・4 阿佐ヶ谷・パールセンター
農道と都市計画道路
路地化する商店街と住宅地に派生する路地
成長する商店街とマンション立地
5章 高度成長期以降―回遊を楽しむ路地の創造
5・1 高度成長期から現在に至る都市空間と路地
裏原宿のパッチワークな路地から
街の必要性から空間の道具へ─デパートの地下街から六本木ヒルズへ
5・2 通りをつなぐ路地─渋谷・スペイン坂
路地化する坂の持ち味
異質な空間を回遊する路地
5・3 回遊を高める路地の発想─代官山
時間がつくりだす建築と路地の有機性─内部空間から外部空間へ
場の記憶に同化する建築と路地
5・4 銀座にあるビルの中の路地
戦い、勝ち取った路地
現在の銀座の路地を徘徊する
結 路地論からまちづくりへ
路地が主役となる時代の街の魅力
路地は完了形の空間ではない
銀座の路地に眼差しが向けられたムーブメント
東京流転
子供の頃の原体験が路地を考える切っ掛けになったといえば、多分に大袈裟な話になってしまう。だが近頃、東京の路地を意識して、街を歩き回るようになってから、路地体験が私なりにあったと感じはじめている。
明治生まれの私の祖父や、大正生まれの父親がともに次男であり、江戸時代から住まいがあった四谷の江戸市街の外れから、明治、大正、昭和と、郊外地へと少しずつ移り住むことになる。祖父は四谷に生まれ、父親は池袋にほど近い椎名町で育つ。そして、私が生まれた場所は郊外の中野区宮である。もう半世紀も前のことなので、その頃の記憶が定かではないが、生まれた場所の周辺は、少し歩けば田園風景がまだあったように思う。
最寄りのこじんまりとした駅を降り、数分歩いたところが私の生家であった。今では、当時の様子をうかがい知る面影はあまりない。また、生家といっても、大家の家が隣にあり、大きな敷地の半分に家作が建てられたものだ。その一戸に、両親は住まいはじめる。そして、この場所に私の路地の原体験が詰め込まれている。
門と井戸のある共有空間の原体験
大家の敷地には、南側に母屋が建ち、北側の空地に家作が建てられた。大家の建物の配置からすると、勝手口に当たる場所に門があった。それは、大家の家業が大工であったことも理由としてあげられそうだが、借間住まいには似つかわしくない多少見栄えのする門である。借家人の私たちは、公道からその門をくぐり、中央の空地に入る。広場的な空地を取り巻くように家作の建物が建てられ、その左側の家作の一角に私の住んでいた貸し間があった。玄関が共用で、そこから1階と2階の各戸に振り分けて入るようになっていた。4畳半と台所兼用の3畳間の生活がはじまる。
門から入った空地の奥には井戸があった。物心ついた時には水道が引かれていたと思うが、この井戸もまだ現役であった。飲み水としては保健所から許可されていなかったが、炊事洗濯など飲み水以外は、この井戸水が使われた。中庭は小さい子供の遊び場でもあったし、洗濯物を干す場でもあり、暑い夏は井戸の水を汲み、打ち水をして夕涼みの場にもなった。
大家に気兼ねをする親たちの気持ちをよそに、門を潜り、中庭に入って家に辿り着く行程は、当時どことなく豊かな気持ちにさせられた。自由に遊べる私的な空間があることもたまらなかった。だが、あの中庭的な空間が路地であったのかと、思いあたるまでに半世紀が過ぎたことになる。その間に門や路地のある生活からは疎遠になったことも、理由としてあげられるかもしれない。
今、路地に向けられつつある眼差し
それから半世紀は、路地の奥での生活をしていなかったこともあり、身の回りのことで路地のことを意識せずに過ごしてきた。ただ、路地が気にならなかったわけではない。東京の街を30年以上も徘徊していて、魅力的な路地にもその間、数多く出会っていた。
だからといって、路地が都市計画や街づくりに重要な役割をになうなどとは思わなかったのだが、銀座を研究しはじめた十数年前から路地が気になりはじめた。それは、自分の生まれた場所の懐古ではなく、街にとっての路地の重要性が銀座の研究を進めるにしたがって増殖してきたからである。路地を考えることは、懐古趣味ではなく、街づくりの大切な要素であることに気づかされるようになる。
以前は路地と街づくりの話をからめると、「たかが路地ごときにめくじらをたてるな」という声が聞こえてきたが、今はもうそのような組織だった罵声は聞こえてはこない。彼らも愛用していた魅力的な路地が失われたせいだろうか。
そればかりではなく、変化の兆しを街中で感じる。休みの日など、路地を歩いていると、路地歩きをする人たちが多くなっていることに気づく。全国で路地の魅力に関心が高まり、様々な保存再生の試みがはじまっている。また路地サミットやロジモク研究会など、路地を語り、考え、体験する場が盛況であり、趣味的な関心ばかりではなく、専門家の関心も高くなりつつあるように思える。
本書は江戸東京の路地に焦点をあて、時代ごとにどのような路地が生まれ、あるいは変化してきたかを見ていくことにより、路地の成り立ちと魅力をソフト(人々の営み)とハード(形態)、及び深層に秘める場の履歴から明らかにすることが狙いである。加えて、路地探訪のガイドブックとしても使えるように配慮した。本書を片手に、路地を身体感覚で捉えなおしていただければ幸いである。
岡本哲志
東京の都市形成、及び空間構造を長らく研究してきて、路地のことについて少しまとめておきたいという衝動にかられた。それは数年前のことである。路地の特集を企画し、雑誌『東京人』の鈴木伸子氏に持ち込んだ。そこで「路地とは何か」を自分に問いかけながら、すでに何度か歩いたはずの東京を再び時間をかけて歩くことになった。この本ができる最初の出発点である。
『東京人』の路地特集は、よく売れたと聞く。近年、路地は多くの人にとって気になる存在であるようだ。その後、この雑誌を読んでいただけたことが切っ掛けとなり、「神楽坂路地サミット」に呼ばれ、「東京の路地」と「銀座の路地」の話をすることになった。このサミットでは、東京大学教授の西村幸夫氏を顧問に迎え、路地を都市計画にしっかりと位置付けたいとしていた。その考えに共感する。そして、「神楽坂路地サミット」の会場は立見がでるほどの盛況であった。
これは、日頃からの私の怠慢なのだが、これほど多くの人が熱っぽく路地の話に耳を傾ける姿を想像できなかった。着実に、しかも誠実に、路地が担うべきまちづくりの可能性を察知していることに強い衝撃を受けた。その会場には、学芸出版社の前田裕資氏も来ており、「東京の路地」について一冊の本を書いてほしいと頼まれた。私には驚きであったが、「神楽坂路地サミット」での本物の熱気が少しでも前に進められればと、その場で引き受けさせていただいた。
私自身も、銀座の路地が活性化してもらいたいと、数年前から銀座の方々に話していたところであった。その時名乗りをあげていただけたのが、銀座西四丁目銀友会の町会長であり、天賞堂社長の新本秀章氏である。話を聞くと、松崎煎餅社長の松崎宗仁氏、高橋洋服店社長の高橋純氏をはじめ、町会の方々は、宝童稲荷のある路地をどうにかしたいと長年考え続けてきたという。その時、路地がまちづくりの舞台で活躍できる気運があると感じた。
銀座では、地元企業と美術系大学のコラボレーションが4年前からショーウィンドを介して具体化し、今日に至っていた。銀座の企業と大学は、当初から銀座アート・エクステンション・スクールという運営母体を共同でつくり、親密な関係を育ててきている。今年も多くの学生の作品が銀座のショーウィンドを飾ることになる。
この流れの一方で、武蔵野美術大学の学長である長尾重武氏をはじめとする4つの美術系大学の先生方(女子美術大学の飯村和道氏、多摩美術大学の岸本章氏、日本大学芸術学部の熊谷廣己氏)が銀座西四丁目銀友会の人たちと関係を持ちながら、大学の建築設計の授業を平成17年春からはじめる動きに発展した。2年目の現在(平成18年春~夏)は、銀座アート・エクステンション・スクールの主催で、町の方と学生との間で、宝童稲荷神社のある路地をテーマにとても魅力的な関係と動きが一歩進んだかたちで進行しつつある。
以上の経緯も含め、この本は『東京人』の原稿を骨子としながら、再び「路地とは何か」を自分に問いかけ、大幅に加筆、修正し一冊にまとめたものである。この紙面で皆さんの名前をあげて感謝の気持ちを述べることはできないが、多くの方の路地に対する熱い情熱に後押しされてこの本が完成した感がある。ここに感謝の気持ちをお伝えしたい。
また、編集を担当していただいた前田裕資氏、中木保代氏にはアグレッシブな編集サポートをしていただいたおかげで、どうにか出版に漕ぎ着けることができた。両氏の熱意と誠意には感謝したい。
最後に、路地体験の切っ掛けをつくってくれた亡き父と、老いてこれからも元気に人生を過ごしてもらいたい母に礼を述べたい。
岡本 哲志
平成18年7月吉日
本書は岡本哲志氏が30年来続けてきた東京の都市形成史の成果を「路地」からの視点でまとめた一冊である。都市形成史をそのままのかたちで世に問うと、えてして堅苦しい都市の通史となりがちであるが、この本は「路地」に着目して、その現在の痕跡から歴史を辿るという方法を意識的にとっているせいか、じつに地面に密着した、かつ歴史を現在から遡及するものとしてとらえる今日的な問題意識に支えられた好著となっている。そのことはこの本の副題「身体感覚で探る場の魅力」という副題からも感じられる。
「身体感覚で」ということはじっさいにまちを歩きながら考えたということだろう。たしかに本書をひもとくと、その豊富な写真(おそらくは著者が直接現場で撮ったであろうもの)と緻密な図面作業(これも著者みずから書き起こしたものであろう)からも、まちの隅々まで足でかせいで、さらにその成果を歴史と重ねて図面化することによって手でも考えて、今日に残された路地の意味と魅力を探ろうとしている姿勢がよくわかる。
なにげない都市の小空間もじっくり観察し、さらに歴史を読み解くことによって豊穣な物語を私たちに投げかけてくれることを教えてくれる貴重な実地演習の書だということもできる。私たちの前に繰り広げられているなにげない風景もその背後には興味の尽きない歴史があるのだ。そしてそのことは今日の風景の中にも読みとれるような刻印を与えている。だからこそ、今日の風景から遡ることによって都市空間の本質に迫るような理解に至ることができるのだということを、本書は教えてくれる。
『江戸東京の路地』が発散する最大の魅力は著者のそうした現代感覚である。大胆な空想まで交えて都市の路地裏を歩き尽くすこと、そのことのなかで都市はさらなる魅力を私たちの前に開いてくれることになるのである。
(東京大学大学院/西村幸夫)
担当編集者より
昔、一度だけ路地に住んだことがある。今から思うと地震や大火事になれば生き残れそうにない下宿だったが、住んでいる間はそんな危機感は露ほどもなく、静けさが何より気に入っていた。
それ以来、日本でも外国でも細い道を見つけるとつい寄り道したくなる。何故だか分からないが、そこでは、からだがゆったりする。
皆さんも本書を片手に是非路地を歩いて、その魅力を堪能していただきたい(ただし、住んでいる方々の迷惑にならないように気をつけましょう)。
(Ma)
京都の路地は私的で踏み込んではいけないような敷居の高さがあるが、東京の路地は多様で誘い込まれる魅力がある。本書を読んで佃や本郷を訪ね、江戸から続く連綿とした歴史に思いを馳せるのもよいだろう。また銀座での路地を活かしたまちづくりの展開は、今後の路地を考える上で示唆を与えてくれるだろう。
(N)