連載|建具デザインの手がかり|vol.2 旧猪股邸

 建築設計事務所を主宰しながら、建具専門のメーカー「戸戸」を運営する建築家の藤田雄介さんが、さまざまな建築家による工夫された建具を独自の視点で紹介し、建具、そして境界の可能性を考える連載です。 

vol.2 旧猪股邸(吉田五十八)
明朗性の中の「見えない境界」

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クリックすると大きな画像が開きます(写真はいずれも筆者撮影)

吉田五十八は戦前~戦後を股にかけて活躍した昭和を代表する建築家である。数多くの邸宅をつくりあげてきた中で、「明朗性」をキーワードに数寄屋建築に様々な工夫を取り入れていった。吉田は、数寄屋住宅を「茶室趣味を取り入れた住宅」としたうえで、茶室には特有の「ウルササ」があり、そのため数寄屋住宅は「明朗性に欠け」「近代性に乏しい」住宅であると指摘し、具体的な手法と合わせて明朗性をもたらす必要性を説いた*¹。

この明朗性への意識は、建具においても様々な形であらわれている。例えば、吉田の考案した〈荒組障子〉は、組子の割りを大きくすることで障子の縦横の線を減らしている。元々、組子の大きさは手漉き紙のサイズに合わせていたため、割りは小さかった。しかし荒組障子は、組子のサイズを紙の制約から解放し、組子が減ることでコストも抑えられることから、一般住宅の和室にも普及することになる*²。

旧猪股邸で見られる引き込み戸もまた、明朗性をもとめて考え出された建具だろう。従来の引き違い戸では、全て開いても半分が引き残しになる。対して引き込み戸は、全て壁に納めることで大開口による内外の一体化を実現しつつ、庭の風景をフレーミングする。この住宅の引き込み戸は、障子・ガラス戸・網戸・雨戸が左右それぞれ2枚ずつ用意されており、片面だけで8本の建具がならぶため建具枠と思えない分厚い面が現れる。

しかし、今回改めて旧猪股邸を訪れて気がついたことがある。枠内に面した建具の小口には、板目がしっかり現れているのだ。枠外(戸袋側)に向いた小口にははっきりと見られなかった。吉田は板目を好まず柾目を好んでいたことは知られている*²。例えば、柱のどの面を見ても柾目になるように、板目の面に柾目の板を貼った四方柾の柱をつくる程、柾目への執着心が強かった。吉田であれば、四方柾の框をつくることも考える気がする。しかし、ここでは板目がしっかりと現れている。

あくまで推測だが、吉田は引き込み戸が開いている状態では、木のレールによる敷居・鴨居そして建具小口の板目がつくるフレームにより、境界の存在を浮かび上がらせようとしたのではないだろうか。敷居と鴨居がレールや溝で線が多くなることを踏まえて、柾目ではなくあえて板目の小口を出そうとしたのではないだろうか。建具はそこに無いが、境界が在る状態をつくろうとしたとも考えられる。大開口によって内外はシームレスに繋がっているのだが、その間には見えない境界による場の違いが暗に示されているようだ。

*1 : 吉田五十八「近代数寄屋住宅と明朗性」『建築と社会』1935
*2 : 藤森照信・田野倉徹也『五十八さんの数寄屋』鹿島出版会、2020

事例詳細

旧猪股邸
東京都世田谷区、1967
設計:吉田五十八
詳細:https://www.setagayatm.or.jp/trust/map/pcp/


本連載の一部は、2023年発行予定の書籍に掲載いたします。書籍では、より多くの写真やディテール図面を加え、充実した内容となるよう鋭意制作中です!


著者プロフィール

藤田雄介

1981年兵庫県生まれ。2005年日本大学生産工学部建築工学科卒業。07年東京都市大学大学院工学研究科修了。手塚建築研究所勤務を経て、10年Camp Design inc.設立。おもな作品に「花畑団地27号棟プロジェクト」「柱の間の家」「AKO HAT」などがある。現在、東京都市大学、工学院大学、東京電機大学非常勤講師。明治大学大学院理工学研究科博士後期課程在籍。

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