食のまちづくり
内容紹介
スローフードでサステイナブルなまちづくり
地元の食材を生かした食のまちづくりの先進地、福井県小浜市。幼児から高齢者まで対象にした生涯食育、地場産学校給食など、行政主導で始まった活動は市民に広く浸透し、伝統野菜や伝承料理の掘り起し、食材を育む環境の保全、六次産業の起業など、市民が多様な取組みを横断的に実践している。地産地消の地域力の深化に迫る。
体 裁 四六・192.0頁・定価 本体1800円+税
ISBN 978-4-7615-1278-1
発行日 2010-12-10
装 丁 上野かおる
はじめに
1章 食でまちづくり
一地方都市から世界のオバマへ
12地区でも独自のまちづくりに着手
市民が動き始めた
追い風に乗れ
2章 支えあい、学びあうキッズ・キッチン
料理は生きる力を引き出す
親は子どもを信じることを学ぶ
食材が教材になる
支えあい、学びあう食育
3章 地域が支える子どもの食育
伝承料理のへしこづくりに挑戦
技とともに伝承される歴史
咀嚼を通して地場産給食を学ぶ
食育は地域に根ざす
4章 生涯食育という思想
中年男子、厨房に入る
あらゆる世代に食育を
生涯食育を担う人たち
生きる喜びを支える食
5章 スローフードをつくる人たち
食のまちづくりの推進役
スローフードの発信基地
創作料理への挑戦
市内の店に新しい名物料理を
6章 郷土の味を守る人たち
若い人に郷土料理を伝たい
伝統野菜を見直す
すべての努力は一回の食事のために
心を満たす郷土料理
7章 「味の箱舟」は未来に漕ぎ出す
ファーストフードの大洪水
古代のすし・鯖の馴れずし
集落で守り続けた伝統野菜
現代のノアたち
8章 学校給食が地域の絆をつくる
朝市が地域を変えた
学校給食と朝市の相乗効果
校区内地場産給食へ
愛情という心の栄養
9章 海にアマモの森をつくろう
命を育む海の森
人との出会いが生徒を成長させた
高校生が地域を動かした
海から広がる活動の輪
10章 若者は海をめざす
鯖が湧く海
世界最大の水産物輸入大国
漁業を志す若者たち
エチゼンクラゲを商品化
11章 食と農を担う障害者たち
木簡が語る製塩の歴史
障害者をものづくりの担い手に
老人会との協働で天然塩を復活
現代の「御食国」をめざして
12章 地域の食文化を支える調味料
酢に魂を込める
人類最古の調味料
老舗の挑戦は続く
地域の味をつくる調味料
13章 雲城水よ、永遠なれ
名水を生かした銘菓
豊かな湧水の地
100年の歳月が水を育む
人が名水をつくる
14章 農村女性よ、起業せよ!
注文をつけられるお弁当屋さん
何かをやりたい!
農家のおやつで起業
少しの勇気さえあれば
15章 日本の箸のふるさと
日本最大の塗箸の産地
海のきらめきを表現する若狭塗
箸に美を求めて
マイ箸運動の追い風が吹く
おわりに
本書に登場する小浜のおいしい場所リスト
初めてお目にかかったとき、岩崎恒一さんは68歳でした。
岩崎さんはその3年前から集落の農家をまとめ、母校でもある地域の小学校に給食用の野菜を出荷していました。それから3か月後には自宅の車庫に日曜大工で陳列棚をつくり、週に2回、朝市を開いて野菜の直売を始めました。新鮮で安全な野菜が並ぶ朝市はまたたくまに評判になり、常連客ができました。開店を待ちきれずに早朝から行列をつくる人たちは、言葉を尽くして野菜のおいしさを語り、その生産を可能にする集落を賞賛しました。そんな常連客の目を通して、岩崎さんは初めて地域を見つめ直しました。
「私はこの年になるまで、ここがいいところだとか、食べているものがいいものだと思ったことはなかった。お客さんからここがいいところだといわれて初めて、ほんまやなあ、いいところやなあと思い、野菜がおいしいといわれて初めて、ほんまやなあ、おいしいなあと思えるようになった。花が咲いていても何とも思わなかったのに、今はきれいに見えるんですわ」
初めて訪れた小浜のまちで、食のまちづくり課職員だった出口雅浩さんが岩崎さん宅に連れて行ってくれ、岩崎さんが穏やかな声でこの物語を語らなければ、その後、私が小浜市に通い詰めることにはならなかったでしょう。食のまちづくりが岩崎さんの意識を変えたように、岩崎さんの言葉が小浜の食のまちづくりに対する私の意識を変えたのです。
福井県小浜市は、暖流と寒流とがぶつかる豊かな漁場である若狭湾に臨み、背後の山々を越えれば京都に至ります。そこからは奈良までもそう遠くはありません。遠く飛鳥・奈良時代から、小浜を含む若狭地方は豊饒な海がもたらす塩や海産物を朝廷に送る「御食国」でした。21世紀が幕を開けた2000年、小浜市は御食国だった歴史にちなみ、市民の暮らしを豊かに彩る食をまちづくりの中心に据えた総合的な地域振興策を「食のまちづくり」と名づけ、さまざまな施策に着手しました。
その一つが学校給食の校区内生産でした。岩崎さんの住む国富地区では、鳥獣害が少ない丸山区の農家が担当することになり、17世帯の農家のうち13世帯が「少しずつ、できるものから出していこう」と、野菜の供給を始めました。給食用の野菜の種類と量を増やす取り組みが朝市の開催につながり、地区外の客との出会いが岩崎さんの意識を変えたのでした。
岩崎さんが語ったこの言葉に、私は胸を衝かれました。人は68歳になってもこれだけ意識を変えることができるのだという事実に新鮮な驚きを覚えると同時に、行政主導で始まった食のまちづくりがたった1人の市民の意識をこれだけ変えたのなら、それだけでも成果といえるのではないかと確信したのです。
岩崎さんはその後も、小学校との連絡のために電子メールの使い方を習得し、福井県主催の研修に参加して食育を学び、小学校で豆腐づくりや味噌づくりを教えるようになり、大阪府吹田市の市民との交流を開始するなど、どんどん世界を広げていきました。新しい挑戦について語る岩崎さんの話に耳を傾けることは、小浜を訪れる楽しみの一つになりました。
取材を続けているうちに、岩崎さんのように、「食のまちづくり」や市内12地区で始まった「いきいきまちづくり」に参加し、自己実現を図りながら地域づくりに取り組む多くの方々との出会いに恵まれました。また、地域の課題を解決するために自ら決断し、行動に移した方々との出会いもありました。そのなかには、地域でつくり続けてきた伝統野菜や伝承料理を未来に伝えようと発信し始めた人たち、障害者も食のまちづくりに参画しようと天然塩づくりを復活させた人たちがいれば、農村の資源を生かして起業した女性たちも、地域に湧き出す湧水を生かしていくつもの食品を開発した地域団体もあります。
地域に眠る資源に気づき、地域資源を生かすまちづくりを計画し、多くの人を巻き込みながら実現させ、小さな成功を積み重ねることを通して、市民1人1人が生きる喜びを見い出し、地域への誇りを増幅させていきました。そして、それらの活動の総体が小浜を活気のあるまちへと変貌させていきました。行政主導で始まったまちづくりは、いつのまにか市民主導へと変化していったのです。その多様で重層的な地域活動は、たとえ小浜市がその取り組みをゆるめたとしても止むことはなく、むしろ深まり、広がっていくことでしょう。
なんとかして地域の未来を切り開きたいと願う人たちにとって、食を通して自分の能力を地域づくりに生かしている小浜の人たちの事例が少しでも参考になればという思いで、この本をまとめました。もちろん、小浜だけが疲弊する地方都市の例外というわけではありません。中心市街地にはシャッターの降りたままの店も目立ち、郊外の農村部は高齢化し、耕作放棄地も増えています。しかし、食のまちづくりによって自信をつけた市民は、何もしない口実を探すより、自ら動き始めることを選び、着実に成果を上げてきました。この本を手にとってくださった方が、小浜の人たちの勇気にふれ、世界のどこにもない自分の生きる地域を毎日が喜びで満たされる場所に変えていくための小さな行動を起こしていただければ幸いです。
この本は、社団法人農山漁村文化協会が発行する『食農教育』という隔月刊の雑誌に連載した「小浜・食のまちづくり」(2005年9月号から〈2006年9月号を除き〉2007年5月号まで)をもとに、新たに5つの話を加えて1冊にまとめたものです。キッズ・キッチンを中心に2回の予定で始まった短期連載は10回に延長され、およそ1年半にわたって小浜に通う機会を与えられ、たくさんの出会いに恵まれました。
その間、またその後の小浜の食をめぐる動きはいっそう加速され、また多様になっただけでなく、挑戦を恐れない多くの市民が新しい活動を起こしていきました。そのため、本書をまとめるにあたってできるだけ再取材をして連載時の情報を更新し、新しく誕生した事例を加えて、大幅に書き直しました。それでも食をめぐる小浜の活動のすべてを伝えているとはいえません。「いきいきまちづくり」をきっかけに生まれた市内12地区の活動や、市民が自主的に開始した活動は多様で、重層的なものになっています。そうした活動の取材を通して、1人1人の人生のドラマと地域づくりとが重なりあう魅力に心を躍らせながら、深い学びの機会を与えていただきました。
小浜での取材ではたくさんの方々にお力添えをいただきました。出口雅浩さんと奥城直喜さんをはじめ、食のまちづくり課の歴代の担当者に大変お世話になりました。また西野照さんとひかるさんには快適な宿と市内を自由に動き回れる自転車を貸していただき、ときには取材先まで車でご案内いただきました。それぞれの取材先では初めて出会う小浜の伝統野菜の栽培方法や、なれずしなど伝承料理の作り方、定置網のしくみなどを丁寧に教えていただき、あらためて環境から歴史までを含む食の奥深さに思いをめぐらせました。まあ食べてみなさいと、どの取材先でも惜しみなくおいしい食べものを出していただき、おみやげにも持たせていただきました。買わせてくださいと申し出ても、お金を受け取るような人たちではありません。たくさんの人の善意に浴しながら、恩返しができたのかと心もとないかぎりですが、お話しくださった方々の心に寄り添いながら、自分なりに考えたことを文にするよう心がけました。
『食農教育』に連載中には編集長の阿部道彦さんにお世話になりました。食育政策専門員として活躍を続けている中田典子さん、立上げ期に食のまちづくり課長だった農林水産省の高島賢さんには原稿に目を通していただき、適切なご助言をいただきました。そして、この本を生んだ最大の功労者は学芸出版社の宮本裕美さんです。宮本さんの熱意と努力がなければ、出版にこぎつけることはできませんでした。お世話になったすべての方に、心からお礼を申し上げます。
2010年10月
佐藤由美
オバマ大統領の登場で世界が盛り上がった頃、にわかに知名度を増したまちが本書のタイトルでもある食のまちづくりを進める小浜市です。
本書は、オバマフィーバーの表層的な部分ではなく、根底に流れる市民のパワーを市民に寄り添った視点で捉えた良書だと思います。フィーバーを批判する声を私も耳にしましたが、本書ではこう述べられています。「小さな成功を積み重ねることを通して、市民一人一人が生きる喜びを見い出し、地域への誇りを増幅させました。……市民の高揚は一過性のものではない……小浜市民は次の追い風に乗るだろう。外からの風が吹かなければ自ら風を起こすだろう」。小浜市が単に盛り上がっただけではないことを言い当てています。このまちは今年、NHK大河ドラマの舞台の一部として、次の追い風も利用しようとしています。
人口約3万人のまちで起こったこの10年の動きを、著者は長年に渡る取材で市民の中に入り込み、つぶさに丁寧に描き出しています。小学校での地場産給食の取組みが大きなうねりとなり広がっていったこと、また、全世代を巻き込んだ食育、すなわち生涯食育が、今なお拡がりをみせつつ実践されていること、環境保全活動をも含め、全国に類のない市民活動がこの小さなまちで起こっていることなど、市民の活動が重層的に広がっていく様子が適確に、また主体的に関わった多くの市民の本音ももらさず、やさしく、思いやりのある文体で紹介されています。食のまちづくりの前線にいた私ですら、いつの間にか本書に引き込まれてしまいました。
日本経済が右肩上がりに成長するステージから脱し、多くのまちが今後の方向性に悩むなか、地域の食や食文化を活かしたまちづくりの可能性を本書は示しています。まちづくりの関係者のみならず、本書をきっかけとして、多くの方々に有益な情報が提供され、市民参画のまちづくりが、日本全体で大きなうねりとなって生じることを期待しています。
(元小浜市食のまちづくり課長(現農林水産省職員)/高島 賢)
勇気をもらえる一冊だ。
「このまちには何もない」と言う市民に「あるもの探しをしよう」と2000年に始まったのが小浜市の食のまちづくりである。これは、小浜市の持つ「御食国」の歴史や今も受け継がれる豊かな自然、固有の食文化に着目し、食を中核としたまちづくりであるが、当時の日本が今ほど「食」というものの重要性や可能性を実感していないなか、相当な勇気が必要だったのではないだろうか。
そう思う私自身も2003年、社会人採用で民間から小浜市の食育専門職員に採用され、かなりの勇気を持って市職員になった。食のまちづくりに魅せられ、夢中で食育の仕事をしてきたこの8年の間に「生涯食育」「義務食育」という言葉も生まれ、小浜ならではの特色ある食育事業が定着している。就学前の子ども全員が参加する「キッズ・キッチン」では、幼児が手のひらの上で上手に豆腐も切るし、堂々と鮮魚を捌く。自分の持つ力に確信を持った子どもは、この先の人生で困難に出会ったとしても「やってみよう」「きっとできる」と逃げることなく越えていくに違いない。全小中学校で地場産学校給食が行われているが、毎日の学校給食が、誰らの手によって、どれほどの時間をかけて作られたものかを知った子どもは、自分が人に愛されていることを実感する。本書で紹介されている小浜の食育事業には、現代の教育、子育てにとって大事なことやヒントがいっぱい詰まっている。
また、食のまちづくりでは、ふつうの市民がどんどん主役になっていった。人はどのようなきっかけで、踏み出す勇気を持つことができるのか。そして、まちづくり活動により人や地域とつながることで、どのように変わり人生を豊かにしていくのか。それらが表情豊かな写真とともにわかりやすく描かれている。
時代に流されることなく、他所を羨むことなく、自分たちの地域を見つめなおすことから始めた小浜市の食のまちづくり。特に若い世代の方々に読んでいただきたい。世の中がどうであっても、自分がいくつであっても、「輝くチャンス」が身近なところにあることに気づく。
まちづくりの本なのに100人近い登場人物の素敵な人生に触れたようで、さわやかな涙が出る場面が多いのは、筆者の温かみと深みのある人柄のせいかもしれない。
(小浜市食育政策専門員/中田典子)
担当編集者より
「食」は生きることの基本、すべての人の暮らしと切り離せないテーマです。実際、この小浜の食のまちづくりには、老若男女あらゆる世代の人々が参加しています。食はそれほど身近で普遍的で、人々を結びつける素材として最適なのです。
小浜の人々は自分たちができることから行動を起こします。はじめは小さく地味に見える活動も、仲間を増やして個々の活動が連鎖して、まちを変えていく大きな力になっていきます。人々が生き生きと輝くことが、まちを輝かせる。それを見事に実現してる小浜のまちづくりを、著者の佐藤さんが長年の取材を通して丁寧に描きだしています。
本書は、当社で出してきた建築・まちづくり分野から一歩踏み出した一冊です。今後も、食や農などこれまで工学分野では扱われてこなかったテーマも横断的に取り入れ、多様な切り口から地域の可能性を考えられる本を出していきます。是非ご一読いただき、ご支援をよろしくお願いいたします。
(MH)