地域主権で始まる 本当の都市計画・まちづくり
内容紹介
機は熟した。根本的変革へ向けた具体的提案
都市計画法・建築基準法・国土利用計画法による「まちづくり」は限界にきている。このままでは20年後に、街は住めなくなり、里は壊れ、文化は消える。こんな法制度では地域主権も持続可能性もありえない。国交省の小手先対応ではもう持たない。機運は熟した。いま変えずに、いつ変えるのか。根本的な変革へ向けた具体的提案。
体 裁 四六・208.0頁・定価 本体1600円+税
ISBN 978-4-7615-1266-8
発行日 2009-12-10
装 丁 前田 俊平
まえがき
序章 なぜ抜本改革が必要か
1 誰が変化を求めているのか? 何が変化を促すのか?
2 これからの人間の生息地(ハビタット)のイメージ
第1章 新都市計画法(68年法)の成立とその評価
1 近代都市計画の成立、68年法まで
2 近代都市計画の前提条件の崩壊
3 都市計画をどう変えるのか―使い捨て時代からの脱却
第2章 都市計画法制改革の提案
1 現行都市計画法制の問題点
2 ハビタットの改善は地域経済の振興に直結する
3 優れたハビタット形成のための制度設計上の基本的考え方
4 制度改革の基本テーマ
5 都市田園計画法と街並み計画法の提案
第3章 街並み計画法の提案
1 街並み計画法はなぜ必要か
2 街並み計画法の基本的考え方
第4章 住まい街づくり政策の再構築
1 住まい街づくりの何が問題なのか
2 国が住まい街づくり政策に介入するべき理由
3 今後の住まい街づくり政策のための基本的な理念―住宅および住宅地を社会的な資産に転化するために必要な視点
4 法定の特別法人としての住宅事業NPO(HNPO)の提案
第5章サステイナビリティーのための補論
1 質の良い住宅都市は生き残れるのか―14年経った幕張ベイタウンの今
2 日本型のコンパクトシティー―庭園都市圏の構築を目ざして
あとがき
2009年1月20日、ワシントンのモールを埋め尽くした二百万人の参列者を前にして、バラック・オバマ大統領の就任式が行なわれた。彼の基本的な主張は「変えよう」(チェンジ)だった。それにアメリカ国民は圧倒的な支持を与えた。
2009年8月30日、日本では総選挙が行なわれ、誰もが予想しなかった政治的な雪崩現象が起きた。それは、単なる自民党から民主党への政権交代ではなく、機能不全に陥り、深い失望感を与えている「現体制」を変えようとする国民の強い意志の表われだった。
実は同じような国民の意志が、自民党小泉純一郎指揮下の郵政選挙でも示され、変化に向けての国民の強い支持の意思表示があった。しかし、口先だけで、実質がともなわず、上辺だけの変化への政策転換が、逆に、国民生活の安定を脅かしていると感じられただけでなく、「旧体制」のさらなる腐敗と停滞が明るみに出てきたので、本当の変化を求める国民の声が、今回の結果として現われた。
世界的に見ても、20世紀型の大きな政府の強いコントロール、大資本、労働組合などの大組織による中央集権的な体制による支配の時代は、すでに1980年代には終わっている。レーガン・サッチャリズムによる政治経済的な構造改革、社会主義国の崩壊がその現われであった。
それに代わるものとしての市場原理主義による過渡期も百年に一度という経済不況を招き、今や新しい体制の構築を求める、ラディカルな変化を前提とする激動の時代を迎えようとしている。
そのうえ人間社会は、差し迫った地球温暖化を自覚し、自然生態系の維持と再生、そのなかにある人間社会の持続性ある発展に向けて、エコロジカルな思想と技術のうえに、従来の生産構造、消費構造を変え、新しい経済運営と新しいライフスタイルを築くことに取り組み始めている。
日本では、さらに人口減少、少子高齢化時代を迎え、高度成長期とは異なる優しい人間関係の再構築と、より濃密な人格の触れ合いが求められ、ケアの思想に裏づけられた成熟した地域社会の再生への努力が避けられなくなってきている。
このような大きな社会変動は、私たちの都市や田園、人間の生息地(ハビタット)にどのような影響を与えていくのだろうか。特に、急速な少子高齢化を迎える日本人のハビタットはどう変っていくのだろうか。どのように変わることが求められているのだろうか。しかし、人々は変えたいと思っているのだろうか、それにできるだけ抵抗したいと思っているのだろうか。大きな「変化」へのうねり、新しい経済運営とライフスタイルが都市や田園の計画、ハビタットの計画に何を要求しているのだろうか。
しかし、1980年に始まった中曽根民活も十分な成果を上げられず、経済は低迷したままだし、政治的な志が萎えたまま地方の荒廃だけが進む30年になってしまった。これに失望して大きな政治的な地殻変動が起こっても、中央の官僚機構に依存し続けて、足腰が弱まってしまっている今の地方政府に何ができるのだろうか。
以上のような問題意識を持ちながら、今まで書き継いできた幾つかの小論文を編集しまとめたのがこの本である。
それらの小論文は、時々の要請によって書かれたり、自ら書いたりしたものだが、それらを貫く大きな「あらすじ」とその背後にあるイメージが必ずしも明快に伝えられてはいない。そこでまず序章で、単純化、重複を恐れず、私が考えている「あらすじ」を要約する。
この本を読む読者の生活経験によって、問題意識は大きく異なるだろう。市民の歴史感覚が他の都市とは違う京都や、私が比較的良く知っている富山や新潟も、それぞれ非常に違う課題群を背負っている。特に、国際的な資本が投資対象として考えるような経済的なポテンシャルを持っている東京圏の問題は、他の場所とはまったく違う問題の構造を持っていると思える。
ここでは、私は全国的な視野に立って、主として地方の都市と田園を舞台として取り上げたい。複雑で分かりにくい構造を持っている東京の問題も、より分かりやすい地方都市圏の構造を理解し、それに対する処方を考えることによって、解きやすくなると考えるからである。また、地方の都市と田園の再生なしには、東京圏の人々を含め、日本人全体が、心理的にも安定し、落ち着いた、成熟した生活を送ることはできないし、日本が、時間の重みに耐える、アイデンティティーを持った生活文化を持続的に蓄積することはできないと考えているからである。
2009年11月1日
蓑原 敬
「まえがき」にも書いたように、今回の政権交代は、単なる政治的な表層の交代ではなく、自由民主党の政権下では果たせなかった中央集権的な官僚支配の構造の実体にメスを入れる維新的な出来事だと思っている。それが一つの政権で完成するとはとうてい思えないが、口先だけでない地方分権に向かって明らかに新たな一歩が踏み出されたと考えている。
私は、官民の双方の立場で、半世紀に渡って都市計画という仕事に携わってきた。建設省での徒弟時代、海外での学習と経験を踏まえ、本格的に都市計画の仕事に取り組むようになったのは、68年新都市計画法の制定の過程を、当時の建設省住宅局で建築基準法集団規定の担当者として目撃し、さらに都市計画法の大改正を受けた1970年の建築基準法大改正の作業に従事してからである。その当時の住宅局幹部の思いがけない更迭によって、建築基準法を建築物単体の技術基準を扱う建築基準法と集団規定を扱う市街地建築法に分離するという当初の目論見が完全に挫折し、口惜しい思いのなかで法改正作業に従った思い出がある。その直後、都市局(当時)に異動して、改正法に沿って全国の用途地域を塗り替える作業を実質的に指導した経験がある。
その時以来、何とかして都市計画や建築基準法の制度や運用を世界標準に近い近代的なものにできないかと思いながら、語り継ぎ、書き継いではや40年が経過した。
国交省も都市計画法の大改正に乗り出すと言っているが、どうやら形だけでは済みそうにない状況に見える。おりしも、都市計画家協会では都市計画法大改正についての非常に前向きな柳沢提案が出された。私は、何とかこの機会に今まで繰り返し語り、書いてきたことを早急に本にまとめて世に問い、日本の都市計画や建築の集団基準を世界水準に高める一助にしたいと思い、今までもお世話になっている学芸出版社の前田裕資氏に無理なお願いをしてみた。この願いが聞き届けられ、今回の出版に漕ぎ着けられたのは、ひとえに前田氏の尽力によるものである。深く感謝の念を伝えたい。
私に自信を持たせて背中を押し、私をこの本の出版に追いやったのは、都市計画家協会理事の柳沢厚氏である。紙面を借りて感謝の念を伝えたい。また、この本の中味は、過去に私が座長として指揮した委員会などの報告書に、自ら書いた文章を一部修正したうえで再編集したものが多い。これらの委員会は、委員会の委員である先生方の見識と財団やコンサルの技術者たちの採算をまったく度外視した地道な作業なしには成立しなかった。特に、この作業に労を厭わず取り組んでくれた、森記念財団、都市計画設計研究所、都市環境研究所、住宅・都市問題研究所などの諸君に感謝したい。
この本は以上のような成立事情であるため、今まで私が書き溜めてきた文章を急いで編集し整理し直すという作業がベースであり、重複があったり、論理の一貫性がなかったりする部分も多々あると思う。しかし、この提案に対して幅広い、かつ前向きの批判がなされ、都市計画法、建築基準法集団規定、国土利用計画法の再編成に関する激しく、深い議論が展開する一つの材料になれば望外の幸せである。
蓑原 敬
民主党への政権交代は、建築・都市計画の分野でも大きな期待を持って歓迎されている。
これまでの都市計画、建築法制、住宅政策など、いわゆる私たちの暮らしの隅々まで血肉になってしまった中央集権システムを見直す絶好の機会であり、我が国を覆っている閉塞感を打ち破ることができるかどうか、歴史のターニングポイントである。
都市計画の先進地といわれている欧米に追随するのではなく、これまで度々してきたつまみ食いのようなその場しのぎの対応を乗り越えて、我が国の風土を冷静に分析し、海外の先端的な動きを踏まえながら、読み解くことができるのは著者の独壇場である。
この本は、これまで著者が機会ある毎に警鐘を鳴らしてきたことの要約でもある。
著者には、1968年法の時のつらい思いがあるらしい。結果として、建築基準法と都市計画法の有機的な連携が失敗に終わったという経験が本書の該当する文でも読み込めるのである。ちょっと読み過ぎかもしれないが、日ごろ、著者の謦咳に接している者としての感想である。
著者は、地域主権の主体は県や市町村にあるとするが、私は必ずしも諸手を挙げてその仮説に賛意を表すことができない。自治体職員や自治体組織はこれまでの中央集権的、機関委任事務的な行動パターンが抜け切れていない。是非、著者の期待に自治体職員を始めとする建築・まちづくりの専門家が応えてほしいと思う。
また、「まちづくり」と「都市計画」の二元的な概念操作が議論すべき課題を曖昧にして、日本的に対立を避けて対応を拡散させてきたと指摘している。市民も共感を持って加わることができる統合化に向けての緻密かつ実りある議論が必要であるとする。分かりやすい都市計画であり、建築行政、住宅政策が求められるのである。
私たちは目先の課題に対しても、次世代に向けても確実に転換の舵を切らなくてはならないだろう。本書はこうした都市計画の課題を議論をしていくための必読書になると思う。
(自治体職員/若林祥文)
複数の既往言説を「急いで編集し整理し直」したものであるにも関わらず、著者のこれまでの姿勢が一貫して現行制度の部分的改善ではなく抜本的に「世界標準に近い近代的な」制度を求めるものであるため、本書の主張は明快であり、制度が目指すべき姿の提案の一つとして大きな説得力を持っている。
個人的には第4章を特に興味深く読んだ。住宅政策への今後の期待は大きいが、一方で現在迷走著しい分野であるからだ。都市計画・まちづくりの観点から再構築を論じた本章の論点は今後さらに議論が必要であろう。
本書の提言は多岐に渡り、細部の疑問点をあげつらうのは無意味であるが、ここでは現実への反映を意図した場合の大きな課題を2点ほど挙げてみたい。
まず著者自身が述べているとおり「日常生活に不便はない」現状において、制度抜本改正に世論の追い風が吹いているとは言い難い点である。それなしに行政がリーダーシップを取り先手を打つことは容易ではない。問題顕在化の前にいかに根本的な議論の必要性を浸透させるのか、効果的な道筋は定かではない。次に、制度像が理念に即しているほど、ある種調整を積み重ねてきた現行制度との乖離も大きく、飛び越えるべき谷が広く深い点である。特に「地域主権」の実務的な担い手として基礎自治体の役割はいっそう重くならざるを得ないが、すでに疲弊し、なおのコスト削減の大きな流れの中で、いかに飛び越えられようか。また移行措置は避け得ないが、その設計をうまく行わねば、移行のはずが定常措置として定着し当初の意図を達成できないことは、過去の例にも枚挙に暇がない。著者自身がそもそもこのような問題意識を持ち可能なかぎり切り込んではいるが、まだ大きな課題として残っているように思う。
しかし、これはむしろ提案内容が具体的であるが故に越えるべき課題がより明確になったと評価すべきであろう。いかに谷に落ちずに課題を越えていくかは、実務・学術問わず都市計画に携わる者に課された大きな宿題である。その意味でも最近の議論の高まりに対して一石を投じている書籍である。
(東京工業大学大学院社会理工学研究科助教/中西正彦)
まちづくりのあり方が書かれていますが、これからの議論のベースになると思います。
特に(1)住宅行政の変革が必要です。住環境のあり方、流通システム、社会資産としてのコンセプトについて議論が必要です。(2)街区中心主義、柔軟な協議システムへと制度を変えるべきです。
(元・横浜市都市計画局長/木下眞男)
担当編集者より
選挙直前の建築学会で、「選挙後をどう見るか」と何人かに聞いてみたが、関心がない人が多かった。編集者のなかにも、「選挙がどうあれ」という人もいた。そんなんで良いのだろうか。
究極の住民参加は、選挙である。そこで示された意思に目を向けない議論は無意味だと思う。もちろん反対しても良いのだが、選挙なんて関係ないという感覚は、おかしい。
そんなもどかしい気持ちに答えてくれた蓑原先生に感謝したい。
大急ぎで出したのだが、その間にも世の中は動いていた。
事業仕分けを見ていると「地方でできることは地方で」という考えが目立つが、今のような考え方、法制度のママ、地方に責任を押しつけられては叶わない。では、どうすれば良いかと考えるときに、議論の軸となる大きな枠組みを提示しているのが本書だと思う。
また、不景気というと、やれ財政出動だ、規制緩和だとなるが、いい加減にして欲しい。
では、どうするかというときに、住宅への一人一人の投資が現在の生活の質をあげ、将来の確かな資産となることが見えてくることは確かに鍵だと思う。
制度や現実を知りつつ、あえて声を大にして叫び、カツを入れる著者の思いに是非触れて頂きたい。
(Ma)