証言・町並み保存

西村幸夫・埒 正浩 編著

内容紹介

地域から価値を創り出したリーダー達の肉声

彼らがいたから町並みが残ったのだ。破壊の危機に抗し、地域から新しい価値を創り出した、まちづくり第一世代、地域から価値を創り出したリーダー達の肉声をお届けする。小樽・峯山冨美、竹富島・上勢頭芳徳、角館・高橋雄七、函館・村岡武司、石見銀山・松場登美、内子・岡田文淑、妻籠・小林俊彦、足助・小澤庄一。

体 裁 A5変・224頁・定価 本体2400円+税
ISBN 978-4-7615-2413-5
発行日 2007/09/10
装 丁 掛井 浩三


目次著者紹介まえがきあとがき訂正とお詫び

序 「町並み保存運動」由来記

西村幸夫

1 運河と共に生きる
まちは過去・現在・未来に生きる人たちの共同作品

峯山冨美(小樽)

年間八百万人を超える観光客が訪れる小樽。
運河沿いにホテルや観光客向けの店が軒を連ね、若者のはなやいだ声が響く。
しかし、二十年前、この小樽運河の存続を巡って、大きなドラマが展開されたことは、遠い記憶となりつつある。

2 歴史的建築物の再生がまちに生命を与える

村岡武司(函館)

異国情緒の漂う開港都市。
外国貿易と北洋漁業でかつて隆盛を極めた町で、その時々の若者たちによって建物が再生され、輝きを失っていた町にいのちを与えた。

3 歴史の厚みを積み重ね、歴史に寄り添ったまちづくりを

高橋雄七(角館)

みちのくの小京都といわれる秋田県、「角館」。
城下町の町割がそのまま残り、特に武家居住地は 「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けている。この武家屋敷と桜で年間二二〇万人の観光客が訪れる。

4 「売らない」「貸さない」「こわさない」のむらづくり

小林俊彦(妻籠)

木曾の山の中にある中山道の宿場町、南木曾町妻籠。
高度経済成長の真っ只中、町並み保存という言葉がない時代に、木曾の自然を守り、庶民の生活を大切にするビジョンを持ち、住民を説得して歩いた男がいた。

5 本物にこだわる古くて新しいまちづくり

小澤庄一(足助)

過疎の山里で、三十年以上にわたり独創的な発想で古くて新しいまちづくりを牽引してきた男の活動は、仲間に支えられて、着実に実を結んできた。

6 足元の宝を見つめて暮らしをデザインする

松場登美(石見銀山)

世界遺産に登録された石見銀山のふもと『大森町』。
かつて銀の産出で賑わった町は過疎のどん底に。
しかし、過疎のまちから発信するメッセージが、今、豊かな感性を蘇らせてくれている。

7 引き算型のまちづくりと村並み保存

岡田文淑(内子)

歴史的町並みが残る愛媛県内子町。
地域の生き残りをかけて始めた活動は、町並み保存から村並み保存へと広がり、村の価値観を転換して、新たなまちづくりへと進化している。

8 島を美しく守るうつぐみの心

上勢頭芳徳(竹富島)

南海に浮かぶさんご礁の島。
十二年連続人口が増え続ける三二七人の島で、何が起こっているのか。

あとがき

埒 正浩

西村 幸夫〔にしむら ゆきお〕

1952年福岡県生まれ。東京大学工学部都市工学科卒業、同大学院修了。明治大学助手、東京大学助教授を経て、現在、東京大学大学院工学系研究科教授。この間、マサチューセッツ工科大学およびコロンビア大学の客員研究員などを歴任。工学博士。著書に『都市保全計画』(東京大学出版会)『環境保全と景観創造』(鹿島出版会)『都市美』『日本の風景計画』『都市の風景計画』『路地からのまちづくり』(以上、編著、学芸出版社)など。

埒 正浩〔らち まさひろ〕

㈱日本海コンサルタント取締役計画本部長。1960年石川県生まれ。東洋大学工学部卒業、金沢大学大学院博士課程修了。博士(工学)、技術士。現在、金沢大学非常勤講師、金沢工業大学非常勤講師、都市環境デザイン会議代表幹事、NPO法人歴町センター大聖寺理事などを務める。著書に『日本の都市環境デザイン2』(共著、建築資料研究社)。

本書に収めた連続インタビューのきっかけは全国町並みゼミだった。町並みゼミとは、NPO法人全国町並み保存連盟が主催して年一度開催される、町並み運動家の全国大会のことである。近年は参加者がますます増加し、官民の情報交換兼懇親イベントという色彩が強まっている。

二〇〇三年九月十九日から三日間の日程で奈良県橿原市今井町で始まった第二十六回全国町並みゼミに、次年度の開催地である石川県加賀市大聖寺のメンバーが大挙して様子見のために参加していた。大幸甚加賀市長をはじめNPO法人歴町センター大聖寺の事務局長で建築家でもある瀬戸達氏やほかの方々と食事を取りながら、来年のゼミのことを話題としているときに、ゼミに全国から町並み運動のそうそうたる活動家が参集するのに、たった三日間の集会のお世話をするだけで、そうした活動家の謦咳に接する機会が少ないのはもったいないということになった。

そこで、事前に日本の町並み運動を主導してきた各地のリーダーのおひとりおひとりから、じっくりと運動の経緯を聞き取るような勉強会をシリーズでやろうという提案を私の方から持ち出したのである。はなしはトントン拍子に進み、翌二〇〇四年の四月二十四日に小樽の峯山冨美さんを招いての第一回西村幸夫町並み塾が開かれることになった。この年はゼミまでに予定通り計四回の町並み塾を開催できた。

同二〇〇四年の九月十七日から三日間、大聖寺で開催された第二十七回全国町並みゼミは、こうした準備の甲斐もあってか大盛況のうちに終わった。そしてその翌年も年四回の町並み塾は継続することとなり、その後もまだやろうということで、二〇〇七年現在、四年目に入っている。本書の共編者である埒正浩氏は毎回の町並み塾の実質的な取り仕切り役として大車輪の活躍をしていただいている(そしてその仲間の吉田真由美さん、ありがとう)。もちろん会場の設定や設営など、数多くの地元の方々の支援をいただいている。共編者、埒正浩氏による巻末のあとがきにお名前を紹介させていただいた(それも全員とはいかなかった。お名前をあげることの出来なかった仲間のみなさん、すみません。そしてありがとう)ので、ここで詳細にわたる謝辞は割愛するが、こうした多くの方々のご尽力によって連続インタビューは毎回盛況を続けてきた。

最初の二年間は加賀市のサポートをいただき、市内のさまざまな歴史的な建造物を会場として、毎回趣向を変えて塾は開催された。七、八十人の参加者の前で、ゲストが一時間程度講演を行い、引き続いてホストである私がさまざまなつっこんだ質問をすることによって、それぞれの地域での町並み保存の神髄に迫ろうというスタイルをとっている。

二年目の二〇〇五年からは会場を加賀市のみならず山中町(現加賀市)や小松市、金沢市、さらには福井県坂井市三国町や大野市の旧市街地などにまで拡げて、北陸の町並みを軸としたまちづくり運動ネットワークという色彩も次第に強くなりつつある。

本書で肉声を紹介している八人は、いずれも町並み保存運動の第一世代というべき巨人である。どなたもかくしゃくとしておられるので、あまり伝説の創業者のように扱うのは不適切かもしれないが、それぞれのリーダーたちが歩んでこられた三十年、四十年、さらには妻籠の場合のように五十年に及ぶ町並み保存運動の足跡から私たちはいまだに多くを学ぶ必要があると思っている。詳細は次節に譲るが、私たちは先達の〈おもい〉を受け継がなければならないのである。

本書は町並み塾におけるゲストの連続インタビューのうち第一世代の方の貴重な証言に絞って収録することにした。インタビューの順序とは前後することもあるが、北から順に掲載することにした。ゲストの中で最高齢の峯山冨美さんに敬意を表したということもあるが、北のウォール街に始まって亜熱帯の楽園の島で終わる順番にちょっぴりロマンを感じてしまったということもある。これらの証言の前座として、日本における町並み保存運動の由来について簡単な概説を付しておいた。この概説も人を軸に組み立てている。この点もこれまでの歴史的環境保全史にはないユニークな試みといえるかもしれない。

日本は狭い島国といわれるが、こうしてみると南北間の距離はアメリカでいうと、カナダとの国境からテキサス州の最南端までの距離に匹敵する。この間に広大な海域を有しているのだから、日本の多様性もあながち捨てたものでもない。証言の至るところにこうした地域の多様性が顔を覗かせている。ここにもひとつこの国の忘れてはならない固有性があるのだ。

西村 幸夫

本書は、「西村幸夫 町並み塾」におけるゲストの講演と西村先生によるインタビューを基本としている。「町並み塾」は、二〇〇四年に「全国町並みゼミ大聖寺大会」を石川県加賀市で開催する際に、地域にとって一過性のもので終わらせるのではなく、もっと町並み保存を勉強しようという西村先生の発案で始まった。それは、全国における町並み保存活動の草創期の方々の生の声を聞きだし記録にまとめ、町並み保存やまちづくりに対する考え方を学ぶこと、さらに、現在活動している人にとっては、先を照らす光となり、勇気をいただこうということでスタートしたものである。

二〇〇四年にスタートした町並み塾は年四回で、二〇〇六年までに第一期として十二回開催した。現在は、第二期目に入っている。これまでの開催地は北陸の石川県加賀市、小松市、金沢市、福井県坂井市である。番外編で愛知県豊田市足助でも行った。塾は各都市において、NPOやまちづくり協議会等が主体となり、行政や商工会議所、観光協会等のサポートを得ながら開催してきた。今後も継続していきたいと考えており、この北陸での小さな取り組みが全国で活動されている方々に少しでも参考になれば望外の喜びである。

町並み塾は、小樽の峯山冨美さんからスタートしたのであるが、小樽と開催地の加賀市大聖寺瀬越町は、北前船でしっかりと繋がっていた。小樽運河の大家倉庫の大家さんは加賀市出身であるし、町並み塾を開催した竹の浦館は元小学校の建物で、北前船船主の大家家と広海家の寄付により建てられたものである。まさに、町並み塾を介してまちづくりのえにしを感じた。

このインタビューのエッセンスは、「季刊まちづくり」(学芸出版社)に二〇〇四年の五号から十三号にわたり掲載された。本書は、その際に誌面の都合で惜しみながら削った部分も含めて、再編集したものである。編集にあたり、できるだけ生の声を残すことと、読者の理解の手助けとなるように写真や資料を掲載した。

本書の作成にあたり、町並み保存に対する熱い思いを語っていただいた八人のゲストに、まずは感謝を申し上げたい。また、塾の開催地である加賀市では、加賀市やかがPAP財団をはじめ、瀬戸達さん、金沢市では、坂本英之さん、遠藤新さん、本多義忠さん、小松市では、西正次さん、曽田孝志さん、坂井市では、玉森慶三さん、大和久米登さん、豊田市では、鱸雅守さんなど、多くの方々に支援していただいた。本書の小樽と函館の章では、柳田良造さんに協力していただいた。さらに、塾の開催と本書の編集を献身的にサポートしていただいた同僚の吉田真由美さんにも感謝を申し上げたい。最後に学芸出版社の前田裕資氏、クッド研究所の八甫谷邦明氏、小崎晶子氏に出版にあたりお世話になった。改めてお礼を申し上げたい。

二〇〇七年七月
埒 正浩

訂正とお詫び:p.33の「図6 小樽臨港線、運河部分の断面図」の出典の記載が漏れていました。小樽市パンフレットをもとに作図した図です。訂正しお詫び致します。