白井晟一空間読解
内容紹介
生誕100年を迎えた建築家の空間に迫る!
独自の経歴、作風から「モダニズムに背を向けた哲学的建築家」と呼ばれる白井晟一。「白井神話」「難解」「異端」と形容されるその空間を訪ねてきた著者が、残された図面の分析と実空間のディテールにふれながら、新たな白井晟一像を見つけだす作業を本書で試みた。実物と図面など数少ない資料から実像に迫る。
体 裁 四六・176頁・定価 本体1800円+税
ISBN 978-4-7615-1205-7
発行日 2005-09-10
装 丁 上野 かおる
まえがき
1 図面
・最初の製図の時間
・図面という表現
2 地方
・地方と建築家
・高久酒造酒蔵茶室
・奥田邸
・稲住温泉「離れ」
3 「和」
・呉羽の舎
・丹下健三
・茶室空間と庭
・軒裏
・丸削り柱
・天壇
・「哲学的建築」と「異端」
・極限の「和」─善照寺本堂
・吉田五十八
4 正面性
・シンメトリー(左右対称)
・ファサードに込められた意図
・日本の柱
5 「洋」
・西欧と様式
・ル・コルビュジェにおけるギリシャとゴシック
・日本の石の空間
・裂
・組積造―ゴシックの彼方から
・見えない柱─松濤美術館
6 立面と平面
・軒による家形
・平面を読む
・小さい空間から
7 結
・形式への違犯
あとがき/作品一覧/参考文献
白井晟一の設計した建物は、あまりに「哲学的」に語られ、そのため白井の謦咳に接した者にしか理解できないこととして語られて来すぎたのではなかろうか。そのことと白井の建築空間との間には、はるかな距離があるように思う。
また一方で、白井の建物は実物を見た印象によって述べられてきた。もちろん、実物を見ることは大切なことだ。しかしそれだけでは足りない。たとえ実物を見、さらに詳しく調べ、床下、天井裏へ潜り込めたとしても、解体でもしない限り詳細には断面は解らない。設計者の意図はそうしたところにも現れるからだ。解体することは事実上、不可能だ。しかしそれを読みとるひとつの手段がある。図面を読むことだ。
白井は図面を徹底して描いてきた。そればかりではない。建物竣工後、それを主として建築雑誌に発表してきた。つまり作品完成直後に定着された新鮮な図面である。それが残ることになる。哲学も、印象も大切だが、建築の当たり前の言語とも言える設計図を読み解く必要がある。
設計図からつくりあげられた空間、白井を、図面の中に書かれた言葉、あるいは線で表現された形から読みとる必要がある。白井の建物には実物を見ただけでは解らない部分が非常に多いからだ。実物と図面の中に新たな白井晟一が見えてくる。
白井は二十数年前まで活躍していた。近代建築の見直しが現代にまで及んだと言うことだろうか。
白井は異端として批判されていたのか。白井は建築家としては特異な経歴と和洋、古今の建築体験、そして同世代の建築家と同じ長い充電期間をもつ。そしてその間に蓄積された古代からミースまでの建築や造形を抽斗から取り出し、攪拌、熟成し結晶化させて繰り出す建築は、おそらく本人にも典拠の自覚はなかったであろう。ましてや作るプロセスを知らない余人には期待と驚きの連続であった。確かに狂信的な国際建築派から「大壁」、「屋根」だけで批判されるようなことはあったかもしれない。しかし大方の建築家は自らの作風に関わりなく白井の紡ぎ出す建築に憧憬の眼差しを向けていたように思う。
著者は白井自身の言説や語り尽くされた感のある白井論を棚上げし、彼の残した精緻な図面と建築だけを素材にして、さまざまな切り口から白井に迫ろうとする。しかし読者には著者が殆ど確信を得たと見えていても、暗示はするが確答を避ける。
白井も近代建築の枠組みの中にいた。建物の保守や転用を顧慮しない20世紀の近代建築は100年後にはひとつも残っていないだろう。また行き着いた現代が抱える矛盾や徐々に具体化する破滅の筋書きを契機とした、近代の見直しの中で白井も含めて近代建築は、実用としては葬られるだろう。従っていま白井から汲み取るべきは形や空間ではない。
母の公平無私のめしの分配を家族の根拠として住まいを考える設計作法、今を規定する歴史を読み取り明日に向けてつくる姿勢、構想(コンセプト)に部分を従属させず、自分を追い込み下痢をしながらこつこつと部分を拵える設計手順、職人に魂魄を伝えるための精緻で入念な図面作製、機能を超えて建築を気配にまで高める精神力、茶に通ずる亨しの配慮や工夫、などが白井の建築と格闘する姿勢と作法であった。何のことはない、建築家の基本的な設計態度ではないか。ところがこれこそが怯まず基本を実践し、建築として示し続けた白井に学ぶことである。
しかしもの作りは形抜きで形未然に迫ることはできない。ましてや白井は写真や図面だけで形や空間を感得しにくい数少ない建築家の一人である。白井を知らない世代に白井を識らせる格好の手引き書である本書が、第二波の白井詣でを惹起することを望む。
(京町家作事組理事長/梶山秀一郎)
担当編集者から
今回の企画は、たまたま別テーマの草稿を弊社では無理だとお断りするやりとりのなかからでてきたものです。弊社では、建築家論をテーマにとした本はほとんど無いのですが、京都で生まれ亡くなった作家でもあり、今年は生誕100年でもあるということで、発行させていただくことになりました。
そういえば東京渋谷駅での打ち合わせを終えて、帰りの新幹線までの時間余りに訪ねてみたのが、松濤美術館でした。十数年前のことでしたが、当時は白井晟一なる建築家の手になることも知らず、ただ流行とは異なるその空間を歩いていると、不思議な感覚がおそったことを憶えています。そんな異なる空間を体験できるうちに、ぜひこの本をきっかけに新たなファンが増えることを願っています。そういえば××カレッジ(専門学校)の○○先生、何時「びわこ湖北寮」に行くんですか?
(編集子)