図説 都市空間の構想力
内容紹介
乱雑に見える無名の風景にも意図があり物語がある。それを読み解くことは、すでにそこにある都市空間をより良くしていくための最大の武器となる。丹下健三が開き西村幸夫が率いる東京大学都市デザイン研究室が、10年の歳月を費やしてまとめたデザインの拠り所。建築・都市デザイン、都市計画・まちづくりの出発点となる一冊。
体 裁 B5・184頁・定価 本体3700円+税
ISBN 978-4-7615-3220-8
発行日 2015/09/15
装 丁 上野 かおる
序章 都市空間の構想力とは何か
1 都市空間の構成の背後にある構想力を読み解く
2 構想力を読み解くための六つの視点
1章 大地に構える
1 地形が都市を呼び寄せる
2 地形を生活に取り込む
3 地形が領域を生み出す
2章 街路を配する
1 都市を編み上げる
2 街路を場所として設える
3章 細部に拠る
1 個のうちに全体を込める
2 個を都市に開く
3 細部に都市を纏う
4章 全体を統べる
1 都市に大きな物語を配する
2 小さな物語を重ねて大きな物語を紡ぐ
3 背景に隠された物語に乗ずる
5章 ものごとを動かす
1 地形への特化が行為を固有化する
2 ハレの場を演じる
3 空間の様式が継承を支える
4 構想力が、今を歴史的な時間にする
6章 時を刻む
1 移ろいを映し出す
2 記憶を重ねる
混乱した日本の都市空間
日本の都市は見るからに乱雑で空間は何の脈絡もなくできあがっているようだとしばしば言われる。たしかにどこの駅前に降り立っても同じような商業ビルが出迎えてくれるし、通りの風景にもこれといって固有性が感じられないところがほとんどであると言わざるを得ない。
しかし、振り返ってみると城下町や宿場町など、日本の都市の大半は計画的に建設された都市なので、それらが全く無秩序に生まれてきたわけではない。また、自然発生的に生成した小規模の聚落にしても、山や川、台地や谷地など地形の起伏が非常に細やかな日本において、聚落の立地や道の付け方など、全く無計画に現在に至っているとは考えがたい。さらに日本人の感性においても、八景を愛でるといった伝統や浮世絵に描かれた多くの風景を持つ日本人は、けっして景観の美に鈍感だったわけではない。
ではなぜ、それなりの計画的意図に支えられているはずの日本の都市空間とそれを鑑賞する感性を持った日本人がこのように無秩序に見える都市風景をつくってしまったのか。──それにはいろいろな理由が挙げられる。
第一に、うわものとしての建築物の改変の程度が大きかったため、建築物として表現される地域の個性がなかなか感受できないことがある。戦災や高度成長といった社会背景と建て替え圧力の高い木造建築物といった物理的な要因が相まって、建築物の記憶に乏しい都市風景が生産されていったと言わざるを得ない。
特に、戦後に生まれた住宅などの建築物を商品として売り買いする習慣は、建物の寿命を短くし、いたずらに他と異なる姿形をした住宅を大量に生み出し、地域全体としての調和を生み出すことに成功しなかったと言えるだろう。
第二に、そもそも木造でできた日本の都市は火災に弱く、かつ定期的な手入れが必要なため、変化に寛容であり、むしろ新しく清らかなものを尊重するという文化を育んできたという側面がある。石や煉瓦の文化であれば、建物のどこかに過去の痕跡を探ることは不可能ではないが、木造では多くの場合全てが一からつくり直されるため、過去の継承も容易ではない。
確かに石と煉瓦の建物からなっている都市であれば、都市の歴史は建物に刻まれることによって後世にも容易に読み取れると言えるが、紙と木でできた日本の都市では、建物に頼って都市の経歴を知ることは困難だと言える。
都市構造から見えてくる都市空間の「意図」
しかしながら、都市の建築物という表層に過度にとらわれず、建物を成り立たせている都市の構造というところに一歩踏み込んで、実際の都市空間を目を凝らして見つめ直してみると、わずかな街路の屈曲から大きな都市の軸線まで、様々なスケールにおいて都市空間が形成されてきた「意図」とでも言うべきものを見出すことができる。
とりわけ日本の国土は、あるいは小さな尾根や谷が入り交じり、あるいは海岸線が入り組むなど、細かで豊かな地形的な変化に富んでいる。気候のうえでも豪雪地帯から亜熱帯まで幅広い。さらには台風常襲地もあれば、津波を警戒しなければならないところまで多様である。それぞれの都市や集落は、その立地から細かな街路の線形に至るまで、こうした外部環境との応答の中でその姿かたちが規定されてきたのであるから、そこに都市空間の構想力、ビジョンというものを見出すことができるはずである。
そこまで下降して都市空間を見つめ直すことを通して、都市をデザインするということの初原的な姿に触れることができるのではないか、いやむしろ、日本の都市空間はデザインの「意図」にあふれているのではないか。表層的な乱雑さに目を奪われて、本来、日本の都市空間が持つ豊饒な構想力が見過ごされているのではないか。──これが私たち、東京大学都市デザイン研究室の一つの出発点であった。
ただし、都市にしろ集落にしろ、長い年月の中で多様な変容を蓄積して今日に至っているので、それを読み取るのは容易ではない。一見無個性になってしまったように見える都市を注意深い目と頑強な足とで巡り、地域の人々の声に耳を傾け、ハレとケの生活を体感することを通して、地域理解を深めていく必要がある。そうした経験を経て、目の前にある都市空間が持っている「意図」がある時、意味のあるつながりとして見えてくることになる。
都市デザインの出発点として
都市デザインの出発点として、巨大な土木インフラを構想するということも大事であるが、それと同じくらい、いやそれよりもさらに重要なこととして、現在に至る実際の都市空間が保有する空間の質を丁寧に読み解き、これを現代の視点で受け継ぎ、地域と共有し、次代へ向けてその構想を受け継ぐことにあるのではないか。──こうした問題意識を持って全国各地のまちづくりを支援し、調査プロジェクトを進めていく中で、具体的な都市空間の部分部分が保持している空間デザイン上の様々な解法や意図に出会い、それらを読み解くことから地域の個性を抽出する作業を行ってきた。
もとよりそうした作業に終わりはないが、現時点でこれまで携わってきたフィールドから得た都市空間の構想力という視点をひとまず地域にお返ししたいと考えた。こうしたものの見方を多くの方々と共有することによって地域を見る目にゆるやかな包絡線が引かれ、地域を束ねる一つの共通認識が生まれてくることにつながるのではないかと思うからである。多くの場合、都市デザインはこうした共通認識の延長上に思い描かれるべきものである。
そして同時に本書の作業は、私たち都市デザイン研究室が長年行ってきた調査プロジェクトの実践に論理的・学問的支柱をうち立てる作業でもある。
確かに都市デザインの作業はこの時点で終るべき性格のものではない。むしろこの地点はささやかな出発点に過ぎないと言える。このあとにクリエイティビティというジャンプが待っている。時代が変わっているのであるから、過去を越える構想力も必要とされる場面も少なくないだろう。
ただ、少なくとも、原点から正しく出発したならば、どちら向きにどの角度で創造的なジャンプをすべきなのか、そのジャンプは場違いのものではないと言えるのか、などに関してある一定の感覚が共有されると思う。
共同作業の成果として
本書に紹介されている固有の都市空間は、都市デザイン研究室として具体的に関わった場所のほか、個々の執筆者が体験してきたプランナーとしての経験の中で出会った空間である。ただ、それぞれの経験も長期にわたるグループワークの中で蓄積されてきたものも多く、読み取ることができた具体的な空間の意図の多くは個人のものであるというよりも共同作業の結果、共有されることになった共通認識である場合が多い。図面も含め多くのメンバーの集合的な作業の成果として本書がある。調査成果の初出やその時々の作業メンバーの一覧は巻末に記している。
調査にあたり、それぞれの現場で親身になって応対してくださった地元の方々や自治体の担当者にこの場を借りて感謝の意を表したい。また、長期にわたる執筆作業を見守ってくれた学芸出版社の前田裕資社長をはじめとするスタッフの方々にもお礼申し上げる。ありがとうございました。
西村幸夫
都市の作品としての都市デザイナーへ
この都市は誰の作品だろうか。本書を貫くのは、「都市は誰かの作品ではない」が、あえて言えば「都市は様々な時代の様々な人々の意図、企図の蓄積が生み出す共同作品である」という見方であった。したがって私たちの眼に映る都市空間は多様な物語に満ちている。都市デザインは、そうした都市空間の物語を丁寧に読み解き、その続きを描く行為に他ならない。都市デザイナーには、共同作品の作者の一人として他の作者の意図や企図にどう応答したのかが常に問われている。本書はその応答のためのヒント、特に都市空間が発するメッセージを聞き逃さずに感得するための視点を、「都市空間の構想力」という概念を用いて説明してきた。とはいえ、あくまで東京大学都市デザイン研究室がご縁を頂いた都市、まちで見出された現象を整理したに過ぎない。読者の方々一人ひとりが、本書を閉じた後に、それぞれの都市を見つめ直すところから、全てははじまることになる。その結果として見出されるそれぞれの都市ならではの構想力は、その見出されるプロセスも含めて、個々の都市空間、建築空間を情感豊かなものにしてくれるはずだ。志のある建築家やランドスケープアーキテクト、都市計画家には、本書で図解してきた都市空間の構想力を、各自の建築やランドスケープ、都市の計画や設計の際の手がかりとして直接活かしてほしい。同時に、より多くの人に、都市空間の構想力自体を都市から見出すプロセスに参画してほしい。
しかし、一方で「都市は誰の作品か」ではなく、「都市デザイナーは誰の作品か」と問うことの方が、この構想力の本質に迫るように思える。本書を通じて私たちなりに導き出した答えは「都市デザイナーは都市の作品である」ということである。私たちは人生のどこかの時点で「都市」に憧れ、魅了されて都市デザイナーを志し、人生を通じて生活者として様々な「都市」で長い時間を過ごし、訪問者として(そして専門家として)多様性に満ちた「都市」に大きな好奇心と問題意識を持って向き合う中で、どのような都市空間があり得るのか、いや、どのような都市空間があるべきなのかを構想する力を育んできた。私たちが「都市空間の構想力」と呼ぶものは、実際は私たちなりの都市の見方のことであるが、それは都市自体から与えられてきたものではないだろうか。私たち自身が都市に育まれてきたのである。「都市空間の構想力」とは、都市デザイナーを生み出す力のことでもある。都市デザイナーは、都市は誰かの作品ではないということに留まらず、自分自身が都市の作品の一つであるということを自覚してはじめて、都市に対して謙虚になれる。そして、「都市は様々な時代の様々な人々の意図、企図の蓄積が生み出す共同作品である」という見方が、本当に自分のものになるのである。
私たちは本書を通じて、私たちを育ててくれた情感豊かな都市空間への感謝を表現したつもりである。そして、これからもこの眼の前に広がる都市空間が、都市に憧れ、魅せられた都市デザイナーを次々と生み出す母胎であってほしいと願っているし、そのための努力を惜しみたくないと考えている。
中島直人
出版記念まちあるき&トークイベント
『都市空間の構想力』を歩く、語る
15.12.20@東京・本郷
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