オランダの持続可能な国土・都市づくり
内容紹介
地域環境管理技術と合意形成システムを学ぶ
干拓と治水をルーツとするオランダの空間計画制度や地域づくりには、対等な参加と合意という伝統と、技術偏重ではないソシオクラートの存在、戦略的で柔軟な計画がある。本書はその歴史的経緯から、最新の国土・都市づくり計画、住宅政策、団地再生、自然保護の事例まで学際的な視点から紹介し、その現代的意義を解き明かす。
体 裁 A5・272頁・定価 本体3200円+税
ISBN 978-4-7615-3181-2
発行日 2009-10-30
装 丁 DEVICE DEVEL’OP
はしがき
第1部 国土づくりの歴史
1章 干拓と治水による国土づくり
1・1 低地の国・オランダ
1・2 干拓と治水の方法
1・3 集落コミュニティから都市自治体へ
2章 中世期の都市づくり
2・1 都市づくりのタイポロジー
(1)堤防都市
(2)堤防・ダム都市
(3)海港都市
(4)城塞都市
(5)水面都市
2・2 干拓と治水で培われた文化遺産
(1)計画と合意を重んじる精神的風土
(2)空間形成をコントロールする制度
第2部 膨張過程における都市の成長管理
3章 アムステルダムの都市拡張計画
3・1 都市成長の歴史的背景
(1)シティコアとセンターの形成
(2)3大運河の建設
(3)都市の急成長
3・2 アムステルダムの都市拡張計画案
(1)ファン・ニッフトリック案
(2)カルフ案
3・3 住宅法から始まった空間計画制度
(1)住宅法制定の社会的背景
(2)総合的な住宅法
(3)住宅法から空間計画法へ
3・4 時代区分別の市街地形成
(1)ベルラーヘの南部拡張計画──第1期:系統的成長期
(2)アムステルダム総合拡張計画──第2期:集中的成長期
(3)ニュータウン政策──第3期:計画的分散期
(4)コンパクトシティ策による都市再生──第4期:コンパクトシティ期
3・5 都市再生に向かうアムステルダム
3・6 成長管理を導いた要因
4章 多心型環状都市──ラントスタットにみる成長管理
4・1 国土計画と多心型環状都市──ラントスタットの位置づけ
(1)ラントスタットの特異な形態
(2)ラントスタット計画の背景
(3)西部オランダ委員会報告──ラントスタット・ドクトリンの確立
4・2 国土計画の展開
(1)ラントスタット理念の確認──第1次国土計画
(2)集中的分散策──第2次国土計画
(3)ニュータウン策──第3次国土計画
(4)コンパクトシティ策──第4次国土計画
(5)シティ・リージョンへ──第4次国土計画修正版(VINEX)
(6)デルタ・メトロポリス構想──第5次国土計画
(7)新自由主義路線への傾斜──国土空間戦略
4・3 ラントスタット・ドクトリンの確立
5章 成長管理を支えた空間計画制度の特徴
5・1 EU、国、州、自治体の空間計画制度
(1)EU法とガイドライン
(2)国の計画──中核空間決定と政策文書
(3)州の地域計画──基本計画
(4)自治体の計画──基本計画と土地利用計画
(5)水管理委員会
5・2 3層レベル(国、州、自治体)の相互関係
5・3 協議型プランニング・システム
(1)垂直調整
(2)水平調整
5・4 3つの計画理念
(1)ルール&オーダー
(2)プランニング・ドクトリン
(3)戦略的プランニング
5・5 戦略的プランニングの優位性
(1)プロジェクト・プランと戦略プラン
(2)テクノクラート型プランニングとソシオクラート型プランニング
第3部 持続的発展をめざす挑戦
6章 住宅政策の改革──住宅協会の民営化
6・1 社会住宅の王国
6・2 社会住宅の歴史
(1)社会住宅の始まり
(2)戦後の社会住宅建設
6・3 社会住宅に関する国・自治体・協会の役割
6・4 90年代改革の社会的背景
(1)増大する社会住宅関連支出
(2)住宅不足解消とミスマッチの増大
6・5 改革への道程
(1)ヘルーマメモが方向づけ
(2)持家政策の推進
(3)住宅協会の民営化
(4)社会住宅管理運営令と住宅関連補助令
6・6 新たな課題への挑戦
(1)残余化の進行
(2)総合社会住宅計画の実施
(3)居住地再生計画の展開
6・7 持家化社会への傾斜──2000年新住宅政策
6・8 オランダモデルの行方
7章 ベイルマミーア高層住宅団地の再生計画
7・1 入居後早くも“問題団地”に
7・2 ベイルマミーアの住宅地計画
(1)立地選定
(2)計画理念とハネカム型高層住宅
(3)合意形成を欠いたマスタープランの作成過程
(4)ベイルマミーア計画の概要と特徴
7・3 失敗の連鎖反応
(1)問題が一挙に噴出
(2)住宅嗜好・生活様式とのミスマッチ
(3)計画・デザイン上のミスマッチ
(4)国土計画上のミスマッチ
7・4 再生事業に至る経過
(1)団地再生への道程
(2)緊急対策の限界
(3)抜本的再生への取り組み
(4)再生の基本方針
(5)統合的アプローチの手法
7・5 統合的アプローチによる再生事業
(1)高層住宅の低層住宅への建替え
(2)アムステルダム第2の都心建設
(3) 住民の自立をめざす社会・経済的再生
(4) 管理面での再生と住みやすさの向上
7・6 事業の評価と支援事業
(1)住民の意向調査──満足度は高い
(2)当局の事業評価──おおむね成功
7・7 再生事業支援の国施策
(1)住宅協会の分割と自立
(2)コンパクトシティ策の援用
(3)大都市政策で社会・経済的再生
8章 国土生態系ネットワークによる自然回復計画
8・1 壮大な自然回復プロジェクト
8・2 自然衰退の現状と課題──半減した自然
8・3 3次にわたる自然政策計画の策定
8・4 生態系NETの空間システム
(1)コアエリア
(2)生態系開発エリア
(3)管理エリア
(4)生態系コリドー
(5)バッファゾーン
8・5 生態系NET事業の実施例
(1)工場を撤去して自然を回復
(2)エコブリッジの設置で分断化を防止
(3)デ・フェネンの戦略的プロジェクト
8・6 生態系NETの面積
8・7 生態系NETの多面的機能
8・8 生態系NETの推進体制
(1)計画部門
(2)事業実施部門
8・9 自然エリアの管理
(1)独立行政法人 森林管理事務所(SB)
(2)オランダ自然保護協会(NM)
8・10 生態系NET事業の総括
8・11 生態系NET事業成功の要因
9章 ヘルダースバレ土壌汚染地域の環境再生計画
9・1 国連リオ会議・アジェンダ21
9・2 空間計画と環境計画の統合──ROM計画
(1)土壌汚染対策が出発点
(2)ROMプロジェクトの開始
(3)運営委員会の設置
(4)ステークホルダーそれぞれの立場
9・3 合意形成のプロセス
(1)ステークホルダー別・課題別マトリックス
(2)協議の進め方
(3)調整と意思決定
9・4 再生事業の内容
(1)事業の目標
(2)事業の成果
9・5 教訓とすべきこと
第4部 持続可能性をめざすオランダモデルの行方
10章 20世紀型オランダモデルの到達点
10・1 空間的特質と空間形成3特徴
10・2 オランダモデルを支えたもの
10・3 社会的特質と政策3要素
10・4 政策3要素がいかに生かされたか
10・5 オランダモデルの可能性と限界
11章 21世紀型オランダモデルの模索
11・1 国土政策の転換
11・2 グローバル化に向けた対応
11・3 空間計画法の改正
(1)開発指向への規制緩和
(2)土地利用計画での国と州の権限拡大
11・4 自然政策計画の規制緩和
(1)オランダの農村は変わる
(2)自然とランドスケープの質の確保
11・5 オランダ関係者の評価
11・6 持続可能性の新たな追求
図・写真 出典
参考文献
索引
あとがき
アムステルダム・スキポール空港に向けて飛行機が旋回しながら機首を下げると、眼下一面水に浮かぶ広大な農地が現れる。そこがオランダの大地である。農地はまるでパッチワークのように細かく整然と区画され、そのモチーフをつむぐピースの縫目のように張りめぐらされた溝は、水路へ、さらに運河へと繋がっていく。この風景は明らかに自然の造作ではない。オランダには「神が世界を創ったが、ホランドはオランダ人が造った」という自負にあふれた言葉がある。「神が創った海と池を、オランダ人は地に変えた」 のである。 これを実感させる光景こそが、世界に類を見ない低地オランダの干拓地の俯瞰である。
地上に降り立って列車やバスで市街地を離れると、たちまち水路を刻んだ田園地帯が広がり、平坦な牧草地帯が延々とつづく。市街地がダラダラと区分なく農村地帯を侵食することはなく、市街地と田園地帯とは広い緑地でくっきりと峻別されている。田園では牛や羊が草を食んでいる。片隅には古びた農家、まるで17世紀のオランダ絵画に出てくるような風景である。行けども行けども車窓の風景は変わらず、平らな牧草地や畑、その間を幾筋もの水路が走る単調な景色が延々と続くばかりである。
オランダの地図を広げると、衝撃的な事実が次々と現れてくる。ライン河のデルタ地帯に造られた低地オランダは、何と国土の6分の1を水路や運河の水面が占め、残りの陸地の3分の1が人間が創り出した干拓地なのである。そして国土の半分近くが堤防で囲まれた海抜ゼロメートル地帯にある。かりにもし堤防が切れたら、たちまちその地域が水浸しになるという、オランダは堤防やダムといった生命維持装置によって守られた水防国家なのである。さらに日本の九州ぐらいの広さの国土を鳥瞰すると、これまた驚くべきことに、数多くの都市が一極に集中せず、全国土にほぼ均等に分散して存在している。
そこでは都市と農村が截然と分離され、それぞれの都市は全土に天空の星のように点在し、世界でも珍しい分散型の都市構造を形成している。なかでも北海に面したオランダ西部地域では、反時計周りにアムステルダム、デンハーグ、ロッテルダム、ユトレヒトの4つの大都市が、直径30~50kmの円形の環に沿って数珠のように連なっている。これが馬蹄形をしていることから “縁(ふち)の都市” と呼ばれるラントスタットの都市群である。
これら主要4都市の人口は、 それぞれが40万人から70万人程度の日本でいえば中規模都市に過ぎない。しかも、首都アムステルダムが経済と金融、政治の中心であるハーグが行政と国際機関、ユーロポートのあるロッテルダムが工業と港湾、ドイツから内陸ヨーロッパへの鉄道の結節点であるユトレヒトがサービスとコンベンションの拠点といった具合に、それぞれが都市機能の役割を分担し合い、全体として世界でどこも達成し得なかった多心分散型の環状都市構造を実現している。最近コンパクトシティが注目を浴びているが、オランダはすでにそれを実践してきたのだ。さらに驚くべきことに、環状に連なる都市群ラントスタットの内側にはグリーンハートと呼ばれる広大な緑地がどっかりとその位置を占めている。これが有名な緑の心臓部(以下、グリーンハート)と言われるもので、ラントスタットとグリーンハートを総称してグリーンメトロポリスと呼ばれている。
一般に都市は時代とともに膨張しつづけ、一極集中の傾向を深めていくのが通例である。それがなぜオランダでは分散型が可能となったのか。また都市の拡大膨張を防ぐため、ロンドンやパリのように、都市圏外周部に緑地帯を設けるのが通例なのに、オランダではなぜ内懐深くに大緑地を抱えているのか。なぜオランダのまちや農村は整然としていて美しいのか。そこには人々の強い意志の力からなる “人の手” が働いているに違いない。この事実の探求にかられたのが、1965年初めてのオランダ留学を果たして以来、約半世紀にわたる筆者のオランダ研究の原点となった。
本書では、世界の常識を破るこの不思議な国・オランダの国づくりの秘密を解き明かし、“人の手”なるものの本質を探りあてたい。そして人の手を生み出したオランダの歴史的、文化的背景を探ることで、国土計画や都市計画・まちづくりにおけるオランダのパーフォーマンスのルーツを明らかにしたい。
そのため本書は、第1部 国土づくりの歴史、第2部 膨張過程における都市の成長管理、第3部 持続的発展をめざす挑戦、第4部 持続可能性をめざすオランダモデルの行方の4部構成とした。第1部の1章はオランダ・プランニング思想のルーツとなった干拓と治水がもたらす歴史的・文化的遺産について解明し、2章は中世期における都市づくりのタイポロジーを明らかにする。第2部の3章はアムステルダムの都市拡張計画、4章は多心型環状都市ラントスタットの成長管理、5章は20世紀における空間計画制度について述べている。第3部の6章は住宅協会の民営化による住宅政策の改革、7章は大規模高層住宅団地の再生、8章は国土生態系ネットワーク計画による自然の回復、9章は土壌汚染地域の環境再生など、多分野にわたる注目すべき計画やプロジェクトを克明に分析し、そこに貫かれているオランダのプランニング思想の真髄を示した。第4部の10章は20世紀型オランダモデルを総括し、11章は経済のグローバル化の中で転換を遂げる21世紀型オランダモデルの行方を探っている。
本書の意図するところは、これらいくつかの事例をケース・スタディすることによって、その根底に流れるプランニングの思想と理論を歴史的に探求することにある。優れた空間を形成するプランニング技術は、その国の風土や伝統に根ざした文化的遺産と深く繋がっている。オランダの空間計画の特質は、まさにオランダの文化そのものである干拓と治水に深く根ざしている。言いかえれば、オランダの「優れたプランニングとデザイン」にかかるパーフォーマンスは「合理的で整合性あるプランニング制度」と表裏一体の関係にあること、そのプランニング制度は、持続可能性とか合意形成に対する態度など、その国の「文化や計画思想のエトス」と深く関わっているのである。
オランダは江戸期の鎖国時代でも400年にわたって日本と交流をつづけ、蘭学を通して日本の近代化に大きく貢献してきた国である。今日では「風車とチューリップ」という叙情的風景だけを思い浮かべがちであるが、オランダこそ長い歴史にわたる科学の発達と国づくりの面で日本に影響を与え、世界をリードしてきた国である。本書は、いま再び20世紀以降における先進的なオランダの国づくりを学ぶために「オランダの持続可能な国土・都市づくり」の歴史と現在について書き下ろしたものである。
オランダのプランニングの成果を個別に紹介した事例はいくつか見られるが、オランダ固有の文化や時代的背景を踏まえながら空間計画全体を俯瞰したものは,管見したところ見当たらない。本書がオランダの空間計画を包括的に紹介することによって、今日カオスの状態にある日本の現状を憂い、そこから新しいプランニング理論の創造を目指す多くの市民、行政関係者、専門家、学生の皆さんのお役にたてばと願うものである。
2009年10月
角橋 徹也
日本の公共事業のあり方をめぐり、ほのかに見えてきた希望について記しておきたい。それは近畿圏淀川水系の河川整備計画策定の過程で国交省と学識経験者との間で繰り広げられた激しい論争の中で現れた一つの兆候である。
国土交通省近畿整備局(以下、整備局)は2001年2月、淀川水系にある大戸川(滋賀県大津市)、川上(三重県伊賀市)、丹生(滋賀県余呉町)、天ヶ瀬(京都府宇治市)、余野川(大阪府箕面市)の5つのダムを含めた河川整備計画の策定にあたって、学識経験者の意見を聴くための諮問機関として「淀川水系流域委員会」(以下流域委)を設置した。
先の1988年着工、1995年に運用開始された岐阜県長良川河口堰問題で、住民と世論の厳しい批判をあびた旧建設省(現在の国交省)は、1997年に河川法を改正した。そして河川整備計画策定にあたって、住民参加を保証し、住民との対話を重視する姿勢を明確にした。国交省にとっては、まさに180度の方針転換であった。流域委はこのような主旨に基づいた河川行政の新しいモデルケースとしてスタートしたのである。こうした役割を担った流域委は、委員の人選や会議の運営に自主性を貫いた。会議は、外部組織の「委員候補推薦委員会」が選定した一般公募の住民と専門家委員によって、学際的見地から検討作業が始められた。
流域委は検討を進めるにあたって、河川管理者(整備局)の計画原案提示以前の段階からみんなで議論し、流域委の提言に基づいて河川管理者に計画原案を作成させるという「従来にない審議プロセス」を採用するとともに、会議や資料・議事録等を一般公開する「情報公開と透明性の確保」に徹し、関係者からの「幅広い意見の聴取」を行い、傍聴者発言も許し、流域委自らが審議会の進め方、内容を決定する「自主的な委員会運営」に徹した。従来の官僚主導で閉鎖的な審議方法に比べ極めてオープンなこの方式は、「淀川方式」と名付けられ、後ほど公共事業における意思決定方法のモデルとなった。
この方式を国交省も大筋で許容し、流域委も河川管理者に対応しうるガバナンスを発揮した。ここで重要な役割を果たしたのが、流域委立ち上げ期の国交省の担当者であり、退職後は委員の一般公募で選任され、4代目委員長に就任した元国交省職員の 宮本博司氏であった。宮本氏は旧建設省時代、反対住民と対峙した苦い経験からダム路線を突っ走る国の方針に疑問を抱き、一市民となった後は、日本の公共事業のあり方を転換させるほどの開かれた意思決定システムの確立をめざし、流域委の活動において優れたリーダーシップを発揮した。
このような経過を経て発足した流域委は、発足以来7年間に約600回にわたる審議を重ね、その見解は次第にダム建設に批判的なものとなっていった。しかし、流域委に自主性を委ねたはずの国交省は、この動きに難色を示し始め、両者の考え方の基本的な違いが、次第に鮮明となってきた。
整備局は洪水をダムと堤防内に封じ込めようとするのに対し、流域委は「どんな洪水が来ても、大きな被害に繋がる破堤を防ぐためにまず堤防強化を」「これからの治水は、川の内側だけでなく外側でも対応できる『流域治水』が必要である。あふれることを想定し、それに備えることが大切」と主張した。整備局が“剛”の「ダム治水型」とすれば、流域委は“柔”の「流域治水型」といえるだろう。ヨーロッパの氾濫水域や河川再自然化に近い流域治水の考え方は、まさに持続可能な河川管理法であるといえる。
このようなやり取りを繰り返した後、2008年4月、流域委が(国が凍結を決定した余野川ダムを除く)「4ダムの建設は不適切」とする考え方をまとめた。これに反発した整備局は2008年6月、ダム建設を盛り込んだ河川整備計画案を発表し、流域委の見解を無視する「見切り発車」をしてしまった。そして国交省は2009年8月、8年間にわたる流域委の活動を中止させた。ダム建設への国民の厳しい批判を受けたことを契機に、河川法を改正してまで新しい方向をまざしたはずの流域委を、“生みの親”である国交省自らが踏み潰してしまったのである。多数の流域委委員やダム行政に批判的な人びとは、あと一歩のところで日本では未曾有な合意形成の一形態が形成されたのにと、急転した事態に憤慨した。
しかし、流域委の努力は(一部ではあるが)報われることになった。河川法に基づき意見を求められた大阪、京都、滋賀、三重の地元四府県知事が結束して大戸川ダム計画についてのみ反対の姿勢を共同で表明したのである。ただし国交省は以前に「大戸川ダムは凍結」と発表していたが、整備計画では「大戸川ダムを整備する」と記述しており、ダムを凍結するのか、あるいは継続していくのか、きわめて曖昧な態度をとっている。
流域委がめざしたものは、1992年リオ会議のメインテーマであった持続可能な開発のあり方を追求する先駆的取り組みであった。概略的には9章で述べたヘルダースバレ地域での環境再生計画策定過程と類似する日本版を目指したものであったといえる。バレ委員会は意思決定権を持つステークホルダーによって構成されていたのに、流域委はそれを持たない審議会ではあったが、会議の運営等の住民参加方式にはかって見られぬ革新的なものがあった。すなわち宮本氏という優れたコーディネーターのもとで、住民参加による民主的な意思決定方式の創造をめざした取組みは、 刮目すべき今日的な意義があったといえる。
流域委は既述のように、長良川河口堰建設に反対する強力な住民運動の成果によって案出されたものであった。それが諫早湾河口堰建設や川辺川ダム建設の反対運動へと全国的に“脱ダム”の世論を広げていった。波紋はさらに広がり、2008年6月佐賀地裁が諫早湾河口堰の常時開門を国に命じる判決を下した。また熊本県相良村に建設予定の川辺川ダム建設に対しても、2008年9月知事が反対を表明した。この流れが近畿4府県知事の大戸川ダム計画反対の意思表示にも繋がった。つづいて八ツ場(やんば)ダム(群馬県)も廃止に向かっている。今後これら一連の動きが相補強し合って、脱ダムの大きなうねりへと発展していく可能性を秘めている。その意味で流域委の果した役割は、今後日本の公共事業における意思決定方法のモデルとして歴史的な意義を持つこととなるだろう。
本書で紹介したさまざまなオランダの事例は、その一つひとつが日本が学ぶべき教訓と示唆に富んだものである。しかし歴史も文化も異なる外国文化の直輸入はそう簡単に根づくものではない。合意形成やプランニング制度などの社会制度についてはとりわけそうである。しかし流域委の実践は、オランダで見られるような優れた意思決定方式の萌芽を示すものであっただけに、日本の公共事業の未来にかすかな曙光を見出しうる画期的な出来事であったといえる。
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本書は、2003年3月神戸大学大学院自然科学研究科から博士(工学)号を授与された論文「オランダの空間計画の特質に関する研究」を基礎にしつつ、いくつかの章を書き加え、かつ論述シナリオの流れを整え、専門用語の解説や図版を追加し、現代の世界と日本にとっての意義などに工夫をこらした専門図書・啓発図書として新たに編成したものである。そしてわが国において、オランダの国土・都市づくりを総合的に著した初めての書であると自負している。
本書の出版に至るまで筆者は、オランダ研究との関わりの中で4度にわたる“チャンス”に恵まれた。
1つ目は、1965年大阪府派遣の海外研修生としてオランダ・ハーグにある社会科学研究所(Institute of Social Studies、ISS)総合計画コースに約半年間留学したことである。社会科学研究所は当時としては珍しい開発学(Development studies)を専門とする社会科学系の教育・研究機関で、本コースの指導教官であったJ. タイセイ教授は1960年と62年の2回にわったって国連阪神都市圏調査団の一員として来日したことのある知日派の学者であった。筆者はタイセイ教授の授業を通してオランダにおいて干拓と治水を通じて計画学が確立され、本書で全面展開した空間計画における優れたパーフォーマンスが達成されたことや、プランニングにおける学際的なアプローチの重要性を学ぶことができた。社会科学研究所に学び、温厚かつ誠実で学識豊かなタイセイ教授の教えを受けたことが、筆者の人生とオランダ研究を決定付ける貴重な経験となった。
2つ目は、還暦も過ぎて人生の先が見えてきた 齢(よわい)64の1998年、一念発起してISSの修士(MA)課程へ再留学したことである。33年ぶりのISSでは約2年間「地方・地域圏プランニング・コース」において開発学を学んだ。ISSは地球環境問題、南北格差問題、貧困問題、ジェンダーなどグローバルな喫緊の課題に果敢に取り組む国際的な大学院大学に発展していた。指導教官のR・ヘルムスング教授から、社会進歩の基本となる「開発」は単に空間計画のみに留まらず、社会学、経済学、統計学、ジェンダーなど多様な学問領域の統合によって達成されること、そのプロセス・プランニングの手法として5章で述べたオランダの空間計画制度や実際のプランニングにおいて採用されるSWOT分析やステークホルダー分析の手法、ならびに戦略的計画において盛り込まれる開発ビジョンや開発戦略の手法について深く学ぶことができた。
3つ目は、2000年神戸大学大学院自然科学科の塩崎賢明教授のもとで博士論文の作成に取りかかったことであり、その過程で塩崎先生から適切な指導を受けることができた。ここでも若い学生に混じって楽しく充実した3年間を過ごすことができた。
4つ目は、学位取得後これまでのオランダ研究の蓄積を一冊の著作にまとめておくべきだと考え、内容の追加取材と新しい情報収集のため、2007年、ロッテルダムにあるエラスムス大学住宅都市開発研究所(Institute for Housing and Urban Studies、 IHS)都市創造総合戦略の管理職クラス対象コース(Executive Course)に短期留学したことである。住宅都市開発研究所ではオランダのプランナーたちが挑戦する最新の都市戦略について集中的に学習し、主任教授のF.ダビッドソン教授からアムステルダムの都市政策や国土政策、持家化社会に向けた住宅政策の急速な転換などについて多くの情報を入手し、本書に反映させることができた。
博士論文から本書執筆までに必要なすべての学問的知見を教授していただいた社会科学研究所の故J. タイセイ先生やR・ヘルムスング先生、神戸大学の塩崎賢明先生、住宅都市開発研究所のF. ダビッドソン先生など多くの先生方の学恩に対して心よりお礼を申し上げたい。
出版にあたっては、最初の社会科学研究所留学時に同窓生であった畏友の三村浩史氏(当時京都大学助教授、現名誉教授)から詳細にわたる指導と助言を賜った。三村先生は敬愛してやまない学兄だが、今回の出版については我がことのように親身になって内容の練り上げや編集方針などに骨身を惜しまぬ協力をいただいた。
その三村氏とともに、学芸出版社の前田裕資氏にもつねに適格な指摘と助言をいただいた。本書の完成に至るまでは、事実上「三村・前田・角橋」のトロイカ体制で作業を進めたといってよいくらいであった。また編集と組版の段階では編集者の三原紀代美氏(DEVICE DEVEL’OP)に大変お世話になった。
本原稿を執筆する段階で、人生のパートナーであり編集者の経歴を持つ角橋佐智子氏には素稿の段階から、文章の筋が通っているか、専門語を出来るだけ少なくし読んでわかりやすいか、などに絞って綿密に原稿を点検してもらった。三村浩史、前田裕資、三原紀代美、角橋佐智子各氏の協力がなければ本書は陽の目を見ることがなかったであろう。ここに心を込めて感謝の意を表したい。
2009年10月
角橋 徹也