社会主義都市ニューヨークの誕生
社会主義市長マムダニ氏はなぜ選ばれたのか
グローバル資本主義の首都ニューヨークの市長に、急進左派の!?民主社会主義者、ゾーラン・マムダニ氏が就任へ!生活苦の労働者・若者の支持を集める背景や氏の人物像、家賃凍結/公共バスや子供保育の無償化/市所有スーパーマーケットの展開/富裕層・大企業増税等の政策を解剖し、他都市やワシントン政治への影響を展望。
矢作弘 著
| 体裁 | 四六判・188頁 |
|---|---|
| 定価 | 本体2200円+税 |
| 発行日 | 2026-01-01 |
| 装丁 | 美馬智 |
| ISBN | 9784761529574 |
| GCODE | 5731 |
| 販売状況 | 予約受付中 (店頭発売:2025年12月26日頃) |
序 ●なぜ今、社会主義市長がニューヨークに?
社会主義者、イスラム教徒、若者──異例づくしのNY市長
既得権益に抗う生粋のヒューマニスト
ニューヨークをアフォーダブルに──労働者・若者の心を掴んだ公約
“マムダニ現象”が予感させる進歩主義の到来
10万人の若者ボランティアと戦い抜いた選挙戦
「何かを起こすこと」に参加したい新世代たち
COLUMN 「民主社会主義」?
1章 ●社会主義への土壌
過剰な「場所の商品化」に苦しむ労働者と若者
「スーパー」の域に達したジェントリフィケーション
喧伝された“街区の格上げ”と闘争の始まり
「ディストピアのニューヨーク」と〈I♡ NY!〉運動
市政と不動産業者の結託
激変したダンボ
ビッグテックの台頭で決定的に追い込まれた労働者家庭
整った舞台で飛躍するアメリカ民主社会主義者(DSA)
「ジェントリフィケーションへの闘士」を自認するDSAの州議会議員たち
パワーエリートによる「クールな消費文化」の裏側で
象徴的な事件となったAmazon撃退運動
「場所の商品化」を急かすジェントリフィケーションの本性
官製ジェントリフィケーションと「大きな政府」
大きな政府 ⇨ 小さな政府 ⇨ 大きな政府
半世紀に6代の市長が残した「遺産」と「宿題」
デイビッド・ディンキンズ──扱い損ねた騒動が現在の「政治資産」に
エドワード・コッチ──民間依存の都市再生への傾倒
ルドルフ・ジュリアーニ──警察力で「安全になったニューヨーク」を演出
マイケル・ブルームバーグ──規制緩和と大規模都市開発で目指した「贅沢都市」
ビル・デブラシオ──リベラル派の期待を背負いつつも苦戦
エリック・アダムス──醜態続きの反面教師
そして〈聞く耳〉を持つ人としてのマムダニへ
COLUMN 市長ディンキンズの「秘話」
COLUMN ジェントリフィケーションと小説・カルチャー
2章 ●なぜ社会主義者になったのか?
ヒューマニズムの洗礼を受けたエリートセレブ
エリート社会主義者を育てた家庭環境
「ウルトラセレブ」でヒューマニストの両親
母は著名な映像作家──インド生まれの俊才
父はコロンビア大学教授──植民地主義批判で名声
崖の上に暮らし、崖の下との格差を知った少年時代
「特権階級に属している」という皮膚感覚
アフリカからマンハッタンへ──政治に目覚めた高校・大学生活
今に至る「宿題」を得た住宅コンサルタント時代
ラップダンサーとしての顔
祖母はストリートチルドレンの救済活動家
アメリカ人になる──社会主義政治家への道
市民権を取得しアメリカ民主社会主義者(DSA)に参加
ニューヨーク州議会下院議員選への立候補
衣装から読み解く政治スタイル
妻は売れっ子のアニメ作家──パレスチナに寄り添う
COLUMN セレブに生まれ育つことへの「負い目」
3章 ●アフォーダブルなニューヨークを取り戻す
ミレニアル/Z世代、労働者家族から熱烈に支持される政策メニュー
アフォーダブルな都市とは
ニューヨークの暮らしは高すぎる!
州下院議員時代の都市政策経験
10万人以上のボランティアと挑んだ選挙戦
バラマキではない「大きな政府」が課題を解決する
丁寧な説明を尽くす政策プラットフォーム
市場が置き去りにしてきた施策を拾い上げる
マムダニが提案する優先政策課題一覧
賃貸住宅の家賃管理/凍結
フリー(無料)バスの迅速な運行
コミュニティ安全局の設置
子供保育の無償化
市所有のグロサリーストアを展開
ニューヨークの、ニューヨークのための住宅政策
悪徳不動産業者と戦う
大企業と最富裕層に対する課税強化
乳幼児のためのベビーバスケット制度
小中高学校の環境の整備/グリーン学校
LGBTQ+の聖域都市に
健康・医療サービスを強化
最低賃金を時給30ドルに引き上げる
デリバリー労働者の権利を守る
スモールビジネスへの支援
図書館を充実する
4章 ●政策への批判と反批判
保守派とリベラル派の熾烈な論争
家賃管理/凍結は市場を混乱させるのか
「市場を撹乱する」という批判
そもそも家賃管理とは何か──家賃安定化住宅と家賃統制住宅
中間所得階層でも入居が難しい「affordable住宅」
マムダニの住宅政策は2本足打法
住宅危機下、家賃管理は全土に急拡大
家賃管理擁護論──「都市の権利」を守れ
住宅行動主義(Housing Activism)が爆発した100年前と酷似
フリーバス──実現の関門となる州政府との綱引き
貧困層の負担になる交通費
推進論者が指摘する副次効果
「財政負担が嵩む」という批判
公共交通は「公共財」
移動への権利に高まる関心
フリーバスに取り組む都市
アルバカーキ(ニューメキシコ州)──社会実験で乗車率が向上
モンゴメリー郡(メリーランド州)──交通渋滞の緩和を目指す
ボストン・シアトル──スーパースター都市でも確かな実績
チャタヌーガ(テネシー州)──環境都市宣言のモデル都市
クロビス(カリフォルニア州)──ピックアップ・サービスの運行も
グリーンズボロー、ローリー、ウインストン・セーラム(ノースカロライナ州)──定額乗り放題スキームの採用
ツーソン(アリゾナ州)──財政の逼迫による苦戦事例
州政府を説得できるかが実現の関門
子供保育の無償化──パイロットプロジェクトで先陣を切る
驚愕するほど高い保育料
民主党も保育料負担の軽減へ
small beginningで突破を図る
保育料の無償化は国内のトレンド
市所有グロサリーストアの展開──〈食料砂漠〉を救う
まだ不透明な経営形態
社会主義のイデオロギー批判は的外れ
保守派からの批判──前提によって変わる議論
市民は支持政党によらず6割前後が支持──反対はわずか22%
賛成派の経済学者からのアドバイス──パイロットプロジェクトで進めよ
賛成派の小売専門家からのアドバイス──マーケティングの視点から
各地の都市政府による挑戦と失敗
成功のカギは科学的経営と官僚主義の排除
富裕層・大企業増税で目指す財源確保──市場主義派から冷評、リベラル左派から称賛
ショックを受けた民主党主流派によるレッテル貼り
マムダニ市政は民主党復活の試金石!?
「市場の論理から外れている」──新自由主義エコノミストが寄せる典型的な批判
中間所得階層への減税を主張する増税批判派
NYは富裕層の居住者を増やせ!──減税による誘致を訴える主張
実は左派以外の歴代市長も主張していた金持ち増税
富裕層は「安い税金」には引っかからない
富裕税を理由に金持ちが逃げ出すことはない
Tax-flightが限定的であることを示す研究
ニューヨーク州の富裕層の動向──やはりTax-flightは起きない
〈増税すると金持ちが逃げ出す説〉にとっての不都合な真実
中間所得階層以下を引き止める──ニューヨークこそ最もCOOLな都市
たとえ逃げてもその地に安住できない
知事、州議会の動向が富裕層/大企業課税の成否を握る
企業も増税では動かない
最低賃金引き上げ──「雇用にダメージがある」は本当か
最低賃金引き上げは雇用を縮小する?
雇用にダメージはないことを示す研究
最低賃金では満足に暮らせない
都市政府に最低賃金を決める権限を!
—
5章 ●マムダニ現象への共鳴と同調
進歩主義都市が連携する時代へ
時代の変化を象徴する「トレンド」へ
進歩主義の若き市長が続々と誕生
ミネアポリス──左派イスラムの若年候補が大健闘
マムダニと重なる出自
リベラル施策の実現に向けて奮闘
社会主義に縁深い歴史を持つ都市
シアトル──リベラル左派の若き女性運動家が当選
スーパースター都市の裏側にある格差と不平等を訴える
15年余りの市民活動で残してきた実績
反トランプが追い風に
スーパースター都市の政治革新
ボストン──マムダニが目指す都市モデルの先行例
初めて尽くしの若き市長
守旧派議員を説得する「プラグマティックな進歩主義者」
シカゴ──市議会との折り合いが悪く道半ば
進歩主義・リベラル左派を標榜する政策の共通点
マムダニが掲げる政策の先行例
「政府の〈かたち〉」の変革を求める大きな声へ
ミルウォーキーの「下水道社会主義」──市民の福祉、教育、住宅、衛生のための行政投資
アメリカ社会主義党が支持を広げた都市
3人の社会主義市長の横顔
学ぶべき真摯な柔軟性
下水道社会主義とは
下水道社会主義の歩み
歴史は韻を踏む──かつての社会主義市長たちとの相似
100年前のニューヨーク州に誕生した小さな社会主義都市
ブリッジポート──縮退都市で掲げられた社会主義の旗
「新鮮で爽やかなカリスマ性のある社会主義者」を待望する時代
豊かな社会主義政党史
20世紀初頭に急成長したアメリカ社会主義党(SPA)
アメリカ各地の都市政治に及ぼした影響
働く家族党──草の根発の民主主義に徹し、社会正義のために戦う
6章 ●ワシントン政治を変えるか?
正義のある社会主義が求める世代交代
マムダニ現象に驚愕する民主党──若者が左派ポピュリズムに路線変更を迫る
「目を覚ませ、民主党!」
動揺する民主党主流派
「正義のある社会主義」に好感を抱く若者たち
しぼむ「アメリカの夢」
政治に関心がないのではなく、現状に失望している
バイデン政権でも活躍した左派ミレニアル世代
〈民主党─ユダヤ〉関係にも変化の兆し
イスラム教徒マムダニを誹謗するユダヤコミュニティも変わる
同じく暮らしの危機に直面するユダヤ人に寄り添う
マムダニを歓迎する若手のビジネスエリートたち
新自由主義論者からの批判に欠ける説得力
不動産ディベロッパーの反マムダニキャンペーン
ミレニアル/Z世代のエリートが求める世代交代
トランプ政権との対決──〈奪い取られる〉側に寄り添って戦う
恫喝するトランプ
生粋のニューヨークっ子、トランプの怒り
「共産主義者だ!」のレッテル貼り
トランプに同調するウォール街出身の富豪財務長官
「トランプこそ、右翼社会主義!」
若者の間で失墜しつつあるトランプ支持
似て非なるポピュリズムで重なる両者
「市民権を剥奪せよ!」に透ける屈辱感と恐怖心
マムダニ、ホワイトハウスを訪問
COLUMN 状況は、民主党幹部の「杞憂」とは別の方向にある!?
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おわりに
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なぜ今、社会主義市長がニューヨークに?
社会主義者、イスラム教徒、若者──異例づくしのNY市長
社会主義者ゾーラン・マムダニが、イスラム教徒、そしてアジア系移民としては初めてニューヨーク市長になった。34歳──130年余のニューヨークの歴史で最も若い市長である。
大統領のドナルド・トランプは、早速、SNSに「そうだよ、アメリカ史の大事件だ!(Yes, this is a big moment in the History of our Country!)」と投稿し、驚きを示した。
かつてフランク・シナトラが「New York New York」で歌ったように、ニューヨークはいつの時代も挑戦し、先頭を走ってきた。常々、世界を揺るがしてきた。その影響力は絶大である。
この半世紀余に、ニューヨーク市長の経験者4人が大統領選挙に立候補するか、立候補を狙った。アメリカでは、ニューヨーク市長は、大統領の次に難しい職業と言われる。それほど高い政治的地位を極めた社会主義者、イスラム教徒──そのいずれも、これまでのアメリカ史にはいなかった。
既得権益に抗う生粋のヒューマニスト
トランプの指摘は正しい。単にアメリカ東海岸の一都市で社会主義政権が発進した、という話ではない。グローバル資本主義のキャピタルが、社会主義者を市長に選出した、という「一大事件」である。
共和党、民主党に激震が走った。
トランプ共和党は、間髪入れず「マムダニの市民権を剥奪し、国外追放する」「逮捕する」「ニューヨーク市に対する連邦政府からの予算補助をストップする」と恫喝した。
民主党は身内に起きた「一大事」に驚愕し、しばし右往左往。やがてマムダニ支持派と拒否派に分裂したが、党内の動揺は収まる気配がない。
マムダニの父(ポストコロニアルを研究するコロンビア大学教授)は、ウガンダからピッツバーグ大学に留学し、学寮暮らしをしたが、当時、非暴力主義運動グループの学生が労働歌「Which side are you on? (君はどちら側に立って戦うのか?)」を歌うのに感銘し、公民権運動に参加して逮捕されたことがある。ケンタッキーの炭鉱労働者が1931年に作詞作曲した歌である。マムダニは若き日の父の体験を聞き、育った。生粋のヒューマニストである。
今度の市長選挙を通してマムダニは、民主党主流派のエスタブリッシュメント・エリートに対し、同じ問い掛け(「どちら側に立つのか?」)をしたのである。
この間、労働者階層は、「エリート主義に走った民主党(労働者を支持基盤にした歴史があった)に裏切られた」と考え、離反した。民主党主流派の政治家たちは、マムダニの問い掛けに己の欺瞞性を暴かれる思いがあったに違いない。マムダニ現象に驚愕した。
民主党を離反した労働者は、トランプのMAGA(Make America Great Again)に居処を見つけ、しばしそこに滞留した。しかし、所詮、それも移り気で流動的である。いつ、また、トランプから離反するかわからない。そのことをトランプはよく知っている。それゆえトランプは、即座にマムダニ攻撃を始めたのである。
ニューヨークをアフォーダブルに──労働者・若者の心を掴んだ公約
マムダニは「Affordable(暮らしやすい)ニューヨーク」の実現を公約して選挙を戦った。中間所得階層以下の労働者家族、そして若者にとって「経済的に余裕のあるニューヨーク」を創る、という約束である。その際、マムダニは、牧師のマーティン・ルーサー・キングが語った言葉(「ハンバーガーを買う余裕がないのに(You can’t afford to buy a hamburger)、ランチの席を確保する権利を得ることにどういう意味があるの?」)を引用し、「家賃を払う余裕がなければ、子供を保育する余裕がなければ、世界都市ニューヨークは、あなたにとってどういう意味があるの?」と暮らしのaffordability(暮らしやすさ)を問い掛けた。
掲げる看板は、「大きな政府」のマムダニノミクス(マムダニの経済政策)である。無料バスを走らせる、子供保育や市立大学の授業料を無償化する、家賃を凍結する……。暮らしのコストに焦点を合わせている。政治が取り組むべき真正面の課題に「暮らし」を置いている。
財源を、荒稼ぎしている大企業/金持ちへの課税強化で確保し、格差と不平等の緩和を目指す。左派ポピュリズムの経済政策である。
ポピュリズムはしばしば排外主義につながるが、マムダニノミクスには、それはない。マムダニはウガンダからの移民である。差別に反対し、平等の実現を訴え、DEI(多様性、公平性、包摂性)の旗を掲げている。ただ、DEIを最前面に打ち出す、という姿勢は取っていない。
“マムダニ現象”が予感させる進歩主義の到来
市長選挙本選直前の2025年9月23日、高級誌のNew Yorkerがマムダニ現象の広がりを捉え、「進歩主義都市の時代が到来か」と問い掛ける記事を書いた。大方、この半世紀は、新自由主義が謳歌された。「小さな政府」が是とされた。都市政府もそれに従った。1970年代半ばにほぼ財政破綻したニューヨークは、そのトップを走った。
しかし、1980年代にジェントリフィケーション(gentrification)が起きた。21世紀には、「スーパー」を冠するほど激しくなった。家賃/店賃が高騰し、中間所得階層以下が暮らすコミュニティから悲鳴や呻き声が上がった。そこに社会主義が芽吹き、育つ素地が培われた。
そしていよいよ流れが変わる。「大きな政府」を唱導するニューヨーク市長が登場した。それに共感し、同調を約束する都市がアメリカ各地に立ち現れている。必ずしも社会主義を標榜してはいないが、リベラル/進歩主義/左派の、若い市長が多数生まれている。
雑誌のNew Yorkerによる先の問い掛けは、この潮流の変化を捉えたものだったのだが、実際のところ前世紀初めのアメリカでは、社会主義都市が各地に誕生したことがあった。それは、当然、「大きな政府」主義だった。
しばしば都市研究の対象になるのが、ミルウォーキー(ウィスコンシン州)の「下水道社会主義」である。「革命」ではなく「改革」と「漸進主義」の旗を掲げた。学校、病院、図書館、公園、高齢者施設など市民の暮らしに直結する都市施設の拡充と改善に力を注いだ。ミルウォーキーの場合、下水道の整備で先行し、それを誇りにしたため、「下水道社会主義」のあだ名をもらうことになった。その多くが遺産として受け継がれ、現在の「ミルウォーキーの〈かたち〉」の骨格になっている。
マムダニ市政は、この「下水道社会主義」から多くの教訓を学ぶことになる。歴史は繰り返さないが韻を踏む。
10万人の若者ボランティアと戦い抜いた選挙戦
市長選挙では、対抗馬が不甲斐なかったことが、マムダニを急浮上させることにつながった。前ニューヨーク州知事のアンドリュー・クオモは、女性スキャンダルを重ねて知事を辞めた。現職のエリック・アダムスは、汚職に塗れて訴追され、トランプに不起訴処分を懇願し、放免される醜態を演じた。それでもクオモは、ビジネスと金持ちから巨額の献金を集めた。そしてマスメディアを使って反マムダニキャンペーンを大々的に展開した。しかし、及ばなかった。
一方のマムダニは、初めからキャンペーン資金がなかった。そのため予備選/本選で10万人の若者ボランティアを集め、160万戸の戸別訪問と電話架けの人海戦術を繰り広げた。真夏日に、候補者がマンハッタンを南北に20km歩き、通行人に語りかけた。
SNSの活用で新境地を開いた。マムダニが市井の人々と気さくにお喋りする風景を撮ってSNSに動画配信した。アメリカには、ニューメディアが選挙の結果を決めてきた歴史がある。フランクリン・ルーズベルトは選挙戦でラジオを使って成功し、ジョン・F・ケネディはテレビを活かし、トランプはSNS(テキスト)の活用に熱心だった。
一方、SNSの動画は、視聴者との距離を縮める。工夫次第で説得力を高めることができる。政治家と市民の間の壁を取り除くのに効果を発揮する。マムダニは、2024年の大統領選挙でトランプに投票した街区に敢えて足を運び、「どのようなaffordabilityの危機を抱えているか」「なぜ、トランプに投票したのか」を丁寧に尋ねることに徹した。その問答をSNSに流した。その時の基本的な姿勢は、〈We have to listen more and lecture less(できるだけ尋ね、説教しない)〉。話し手の立場に立ち、上から目線の問答はしない──だった。それがマムダニに対する信頼度と好感度を高めた。
「何かを起こすこと」に参加したい新世代たち
マムダニノミクスがどこまで実装できるかは、オルバーニ(州政府)とワシントン(連邦政府)の判断に影響される。制度上、州政府の承認が必要な案件がある。州政府や連邦政府からの補助金が削減されれば、政策の推進が難しくなる。
ただし、興味深いことは、マムダニ支持を表明していた人々の65%が、「マムダニが掲げる政策は、大方、実現しないだろう」と考えている、という市民調査がある。それでも彼・彼女らは「絵に書いた餅ではないか!」とは批判しない。既成政党に飽き足らない、嫌気が差している、という人々が、「颯爽と現れた新しい風が〈何か(something)〉を起こすことに参加したい」と思っている。それがマムダニ支持につながったのだが、その反面、「それでもマムダニは、既成の勢力に潰されるかもしれない」と予感している。
「850万人都市をマネジメントするのにミレニアル(1981〜1996年生まれ)は若過ぎる」という批判が民主党の古巣にある。しかし、若くして大統領になったJ.F.ケネディも、バラク・オバマも、同じ批判を浴びた。マムダニ現象は、改めて世代交代を象徴する。
民主党予備選に勝利した翌朝、マムダニは5番街を選挙事務所まで歩いた。「ブラボー!」と握手を求めてくるTシャツ姿の青年、自転車を降りて「君に投票したよ」と語り掛けるニューヨーク・メッツの野球帽を被った中年男性(マムダニはメッツファン)、2階の窓辺から喝采する白髪の女性、クラクションを鳴らすタクシードライバー……人だかりができ、車が渋滞した。まるで大スターの行進だった。
2026年11月に中間選挙、州知事選がある。マムダニ現象がさらに高揚し、来夏を越えて持続すれば、知事は〈ニューヨークの要求〉に納得できなくても、大票田に背を向けるのは難しい。すでに州議会の民主党幹部は、マムダニ支持に回っているし、政策に理解を示している。
マムダニ旋風がaffordability政策を勝利に導き、進歩主義都市を増やし、その連携が広がって強化されれば、ワシントン政治を動かす可能性がある。
100年前に社会主義都市が林立した時代には、社会主義者を大統領候補に送り出すほど社会主義都市の連携が大きな影響力を発揮した。進歩主義都市の台頭は、今後、ワシントン政治に対する影響をめぐっても、歴史の韻を踏むことになるのか。興味津々である。
2025年は、ニューヨーク生誕400年の記念すべき年だった。
日本のメディアは「急進左派市長が当選」と報じたが、「急進」とは言い切れないことは、本書を通読してもらえばわかる。マムダニノミクスは、所詮、ヨーロッパの社会民主主義レベルのリベラルである。マムダニが掲げる政策は、国内の州政府や他の都市政府にも多くの類例を見る。マムダニノミクスはそれを拡張、充実する程度の場合が多い。アメリカの保守系メディアが「急進」と形容してマムダニに対して恐怖心を抱かせる術策に誤魔化されてはいけない。
100万票を超える支持票を得て当選した。前州知事クオモ、現職市長アダムズを打破して市長選に勝利したことをめぐっては、3つの要件がうまく働いた。
1)Affordabilityの実現を訴える政策が労働者家族、さらには中間所得階層に属するプロフェッショナルの心に届いた。ニューヨークでは、スーパージェントリフィケーションが引き起こす住宅費の高騰と長引く物価高が、市民の暮らしを直撃している。
マムダニは、クイーンズの古い6階建の家賃管理アパート暮らしだった。家賃が月額2,300ドル。車を持っておらず、地下鉄とバスを移動手段にしていた。一方、クオモは、マンハッタンの月額家賃が7,000ドルの高級アパート暮らし。この家賃格差は、選挙戦を通じて「庶民派 vs. 金持ちの対決」というイメージを固定化させた。そして住宅費の負担に苦しむニューヨークっ子をマムダニ支持に向かわせるのに格好の話題になった。
2)SNSを駆使する選挙戦略が功を奏した。マムダニは市井の人々に「なぜ、トランプに投票したのか?」「暮らしの厳しさは?」を真摯に尋ねることに徹した。その謙虚さは、視聴者の心を動かし、候補者に対する信頼につながった。
また、マムダニ陣営は、ボランティアが大規模な戸別訪問を徹底した。投票日直前の10月最後の週末には、マムダニの支持者13,000人以上が参集する演説会がクイーンズのスタジアムで開かれた。連邦議会議員のサンダース、オカシオ=コルテスが登壇した。演壇者は「トランプ共和党と富豪たちは、選挙をカネで買おうとしている。我々には大衆運動がある」「ニューヨークは売り物のではない(NYC is not for Sale!)」と訴えた。
クオモのキャンペーンは、マムダニ陣営とは対照的だった。マスメディアに巨額を投じ、個人攻撃を含むマムダニ批判のネガティブ広告を流し続けた。投票日が近づき、支持率がアップしないことに苛立ち、クオモ陣営は、人種/宗教差別的な映像をSNSに流した。しかし、民主党支持者から非難のSNS投稿が殺到し、15分で件の映像を削除する、という失態を演じた。結果的に不誠実な政治家のイメージを自演することになった。
3)凄い人である。「敵の本陣」に乗り込み、陣営の大ボスの心を鷲づかみにした。クオモ陣営が民主党予備選に敗退し、本戦に向けて戦略の練り直しを急いでいたタイミングだった。マムダニは、クオモのスーパーPAC(選挙資金集め組織)のトップ(大手不動産ディベロッパーのCEO=最高経営責任者)に電話し、面談の約束を取り付け、オフィス(敵の本陣)を訪ねた。そこでは聞き役に徹し、アドバイスを求め、自説を論じなかった。
同席した大ボスの会社幹部は、「思慮深く、温和、そして愛嬌があった」とNew York Timesの取材に応えていた。マムダニとは2倍ほど年齢が違う大ボスだが、「また、来なさい」と送り出し、実際にマムダニは、後日、再訪した。敢えて敵陣を訪ね、アドバイスを乞う、という行動にはびっくりだが、敵の幹部も一回会うとコロッと参ってしまう、ということだろうか?!
ニューヨーク暮らしでトランプファンの富豪として知られるビル・アックマンが「マムダニは信用できない。やっていることは演技だ。嘘を弁ずるのを見ると肌がゾクゾクする」と下劣なコメントをSNSに流していたが、Guardian(Nov. 2, 2025)がこれを取り上げて「ハーバード大学政治学研究所の調べでは、ニューヨークっ子は、マムダニに対してまったく違った印象を持っている。それがマムダニ快走の理由になった」と喝破した。
実際のところ、クオモを支持していた政治家(州議会/市議会議員)が、予備選後、大挙してマムダニ支持に流れた。「マムダニ現象に便乗する」という政治判断があったのだろうが、加えて「直接会って話をしたら好感を持てた」と語る議員が多くいた。投票直前の週末には、元大統領のバラク・オバマが電話し、30分も長話し、マムダニの選挙戦を称賛して「アドバイザーになるので何でも相談して欲しい」と申し出た。
ニューヨークには、ユダヤ系の大きなコミュニティがある。そのため「ユダヤ系アメリカ人の首都」と呼ばれる。マムダニは、ユダヤのシナゴーグ(礼拝堂)を訪ね、ユダヤ系コミュニティを繰り返し巡回した。その寛容さが浸透してユダヤ系組織の間にマムダニ支持が広がった。
スーパーセレブの、ヒューマニズムの両親の下で育ったことが、こうした人間を育てたのか。アフリカからニューヨークに移住し、マンハッタの学校に通うようになったある日、ゾーランは父親に、「マイノリティでいることに疲れる」と話したことがあった。父親の返答は、「私はウガンダではインド人だった。インドではウガンダ人だった。アメリカではその両方。でも、マイノリティだからこそ見える世界がある」。食卓を囲み、両親とそうしたお喋りをしながら育った。
文化批評家のエドワード・サイード(Edward Said)は、ポストコロニアル批判の著書『オリエンタリズム』(1978年、翻訳本がある)を書き、西洋が東洋に対して抱く「神秘主義」「遅れ」「劣った他者」観を指弾したことで知られる。パレスチナ系アメリカ人で、コロンビア大学教授のゾーランの父親とは大学で同僚だった。そのためサイード夫婦は、しばしばマムダニ家を訪ねる機会があった。ゾーラン少年は、サイード夫婦と両親が談笑するのを脇で聞き、サイード夫婦を「おじさん、おばさん」と呼び習わしていたと言われる。
セクハラ疑惑で知事を辞めたクオモ──選挙戦では、トランプに戦い方の教示を求めた、と報じられた。汚職で拘束されるのを恐れてフロリダにトランプを訪ね、執行猶予を懇願した現職のアダムス──選挙戦では、候補者の一本化を狙ったトランプから「サウジアラビア大使にするから選挙から撤退しろ!」と迫られた、と報じられた。老練の2人の政治家は「マムダニは政治経験が乏しい」と指弾したが、マムダニとは人間の格が違った。
若さを発揮し、行動主義である。それが若年層からの支持につながった。「挑戦する」というイメージを定着させることに役立った。
州下院議員時代には、州議会堂前にテントを張り、寝袋に包まって富裕層増税を求める実力行使をしたことがあった。タクシードライバー組合員と議事堂前でハンガーストライキをした時は、2週間後に車椅子で運び出された。ホワイトハウスの前で要求活動に参加し、座り込みのデモをした。
市長選挙に先立ってニューヨークマラソンに参加し、「Eric Adams Raised My Rent!(エリック・アダムスは私の家賃を引き上げた)」と書かれたゼッケンを胸に6時間4分で完走した。凍てつく海辺をスーツ姿で「家賃凍結!」と叫びながら波飛沫を上げて走る映像をSNSに流した。キャンペーンにウィットがあった。
マムダニは柔軟である。マムダニ市政は、戦前の下水道社会主義に多くを学ぶことになる。革命ではなく、革新を求める漸進主義。それには忍耐と辛抱、謙虚な説得が求められる。
掲げるアジェンダについて修正を厭わない。テレビ討論会では、「他に収入源が見つかれば、増税(富裕層/大企業)にこだわらない」と断言。「増税のための増税ではない。affordableな暮らしを実現することが大切なのです」と明言していた。状況に順応し、臨機応変に路線の修正を甘受することに対して「日和見主義」のレッテル貼りをすることはできるが、DSA(アメリカ民主社会主義者)を含めて左派グループからそうした批判の声は聞こえて来ない。むしろマムダニ現象を理解し、DSA自体が運動方針を修正する動きを示した。
下院議員になって間もない時期に、「ニューヨーク市警(NYPD)は人種差別的である」と警察批判をSNSに流したことがあった。選挙戦でその投稿が取り沙汰されるや、マムダニはあっさり「ごめんなさい、認識不足でした。市長になれば、NYPDと協働して市の治安改善に努力します」と謝罪した。非を認めることを躊躇しない。
市政幹部には、選挙キャンペーンで活躍したミレニアルを登用することになる。左派リベラルの俊英が揃っている。しかし、マムダニは、「市庁舎には、これまでの市長の下で働いた優秀な官僚が多くいる。マムダニノミクスに異論がある人材でも、適材適所で重要ポストに抜擢する。喧々諤々の活発な意見交換が大切です」と話している。「行政経験のない若造が30万人の職員をマネジメントできるのか」というクオモなどの批判に対するマムダニの回答である。実際のところ、第一副市長にはデブラシオ時代の副市長を登用することを決めた。
大きな組織のトップに問われるのは、ビジョンと決断力である。それには年齢は関係ない。現場で行政を実際にマネジメントするのは局長や部長である。したがって大切なことは、スタッフの揃え方である。
資本主義と民主主義の間の互換性が崩れてしまった時代に、資本主義と民主主義のありさまを問い直すマムダニ現象が、ニューヨークで終わらないことに対する期待がある。シアトル、ボストン……などで若い社会主義者/進歩派市長が当選、あるいは再選された。高級誌のNew Yorkerが「(トランプに対決する)進歩派都市連合の時代が到来か」と書き、2026年の中間選挙を控え、知事/連邦上下議会選挙でも、リベラル進歩派の躍進が注目されている。
6章では、ネブラスカ州(工場労働者が富豪の息子の共和党候補と接戦)、メイン州(牡蠣養殖業者が共和党上院現職に対決)などの事例を紹介したが、カリフォルニア州では、連邦下院の重鎮ナンシー・ペロシ(前連邦下院議長)が引退する。DSA所属の連邦下院議員オカシオ=コルテスの参謀を務めたリベラル左派の候補(39歳)に追撃されていたことが引退の理由の1つになった。
選挙直前になっても民主党幹部のマムダニ現象に対する評価は割れていた。連邦上院院内総務のシューマーは、最後までマムダニに対する態度を表明しなかった。連邦下院院内総務のジェフリースは、最終段階でマムダニ支持に回ったが、それでも「民主党の明日がマムダニ現象の方向にあるとは思わない」と語っていた。
集会でマムダニの隣に立ってスピーチしたニューヨーク州知事のホウクルは、「民主党が今のままではよくない。考え直す必要がある」と弁じた。女性大統領候補になったカラマ・ハリスはマムダニを喝采したが、ヒラリー・クリントンはクオモ支持を変えなかった。
民主党が問われていることは、連邦上院議員のサンダースが常々、問いかけている「トップ1%の富豪がアメリカ全体の富の93%を握っている現実にどう立ち向かうのか」である。マムダニは、本選では労働者からアッパーミドル、そして黒人、ヒスパニック、アジア/アラブ系を含めてクオモに圧勝した。この支持層の広がりは、オバマ1期目の熱気に喩えられている。
本書を書くのに、新聞、雑誌、シンクタンクの報告書、学会誌に掲載された論文を読み漁った。特にマムダニにインタビューした後に書かれた新聞や雑誌記事、識者のエッセイなどだが、その筆調が「あぁ、筆者がマムダニに感情移入している」と読み取れるものが多々あった。保守派の論客がマムダニノミクス批判を論じたエッセイでも、「政策は納得できないが、人柄は……」と──書き手がマムダニに心惹かれていることを暗示する言説を、行間に読み取ることができた。
そうした記事/エッセイを読むうちに、それを介して筆者(矢作)自身がマムダニに感情移入するようになった。これまでに多くの本を書いてきたが、こういう気持ちになって執筆したのは初めての経験だった。先方に届かない応援歌を書いている気分でパソコンを叩いた。
マムダニが6月下旬に民主党予備選に勝利したことを受け、本書の執筆に取り掛かかった。これまでアメリカ都市の調査を重ねて書きためた著書や論文が多くあり、それが本書執筆の基礎になったが、慌ただしい作業になった。誤解や理解の不足、寡聞にしてミスした情報があることを危惧している。日々、グローバル都市ニューヨークで起きているニュースを追い、関連の記事/論文を読むことは、「時代の転換」を観察する作業になった。短期間の、急ぎの編集作業を円滑にこなして下さった松本優真さんに感謝!
ニューヨーク湾に立つ「自由の女神」像は、祖国で虐げられた移民を「自由の国アメリカ」が受け入れることを誓うシンボルである。2026年は建立140年の記念年。そのニューヨークで育った移民一世が新しい市長になった。しかし、その同じ街で生まれ育った大統領が移民の排斥に血道を上げている。そしていよいよニューヨークは、2人のニューヨーカーが対決するバトルの場になる!?
喝采のうちにスタートしたマムダニ市政のこれからを、そしてニューヨーク州政治、ワシント政治に与える影響を──期待を持ってしばらく熟視したいと思う。選挙に勝利した直後に、早速、政策の実現を後押しする市民運動「Our Time for an Affordable NYC」が組織された。予備選、本選で活躍したボランティア10万人を中心に、マムダニ支援の熱気を持続、拡大することを目指している。
マムダニ現象がさらに深化すれば、投票日直前の集会で演説し、“Mandami、Mandami!”と名前を繰り返し間違えた知事、そして“Zamdami”と名指ししたホワイトハウスの報道官も、「Mamdani」と正確に名前を呼ぶ日が来るに違いない。
晩秋の晴れの日、中国地方の小都市で
矢作 弘
開催が決まり次第、お知らせします。
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