具体的な建築
内容紹介
そこらへんから得る、つくるための発見
建材としての植物、地形と既製品ブロックの折り合い、カウンター足元に設置されたビールケース、風に耐えるための小屋のかたち。そこら辺にある小屋・蔵・構築物などを観察すると、そこにはつくるためのヒントが溢れていた。素材、機能、地形、技術、気候風土という5つを切り口に、観察を通して具体的に建築を考える
伊藤 暁 著
著者紹介
体裁 | 四六判・208頁 |
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定価 | 本体2700円+税 |
発行日 | 2023-12-25 |
装丁 | 中野豪雄 |
ISBN | 9784761528768 |
GCODE | 2347 |
販売状況 | 在庫◎ |
ジャンル | 設計手法・建築計画・住居学 |
建築はもちろん、本づくり、デザイン、料理、DIYなど、何かをつくるすべての人に役立つ工夫が詰め込まれています。
内沼晋太郎(ブック・コーディネーター)推薦!
はじめに
1章 素材
◯その場で手に入るものを使う
•タイヤ垣
•材の長さ
•重すぎると動かせない
•植物も建材
•部材から素材へ
•鉄のつっかえ棒
•石積みと単管
•コラム|「絡まり」を見る
•設計事例|WEEK神山
◯材の特性に従う
•左官と面材
•固いものと柔らかいもの
•素材の強度と腐食
◯材の特性を活かす
•石の集水口
•粒度で使い分ける
•竹のバリエーション
•コラム|繰り返して上達する
2章 機能
◯付け足して補う
•車と橋の幅
•既成部材の組み合わせ
•足元を守る
•ビールケースでも十分
•車輪への対応
•設計事例|ほんの庵
◯形態に直結する
•可変の度合いを調整
•コラム|設営・撤収・運搬
•ボールを遮るかたち
•屋根だけの雨水対策
•腰屋根から熱気を抜く
•人の面と雨の面
•設計事例|軽井沢の住宅
•生き物が過ごす小屋
•干物をつくる小屋
•設計事例|筑西の住宅
3章 地形
◯地形に沿わせる
•下屋で調整する
•木造ビニルハウス
•設計事例|菊名の住宅
•造成の労力
•コラム|人力・重機・形態
◯平場をつくる
•懸けづくり
•余白の使われ方
•キメラ
•柱と擁壁
◯衝突を形態化する
•斜面と平面
•設計事例|横浜の住宅
•機能と地形の拮抗
•地形と既製品
•既製品の調整代
•地形の論理と建物の論理
•設計事例|WEEK神山
4章 技術
◯縛る
•素人でも使える接合技術
•仕口加工不要
◯積む
•石垣
•石と芝生
•おとめ石
•組積と横架材
•設計事例|ほんの庵
◯張る
•吊るための選択
•遮るもの
•設計事例|横浜の住宅
◯塗る
•塗装の抽象と具体
◯敷く
•材と施工の精度
◯留める
•固定の原理
•設計事例|久我山の住宅
5章 気候風土
◯外的要因への応答
•地面に近づく
•雪を割る
•雪を遠ざける
•風に耐える
•配置と屋根勾配
•バッファーを設ける
•設計事例|筑西の住宅
•組立・撤去・保管
•風をいなす
◯内部環境を調整する
•外的要因を選ぶ
•越冬する小屋
•設計事例|鹿嶋の住宅
あとがき
2010 年の夏に和歌山県の古座川という町で遭遇した出来事は、今でも強く印象に残っている。その夏、私は友人と古座川を訪れることとなり、滞在中、農家のゴマ収穫を手伝う機会に巡り合った。
夏の日差しが厳しい酷暑のその日、連れて行かれたのはゴマの乾燥が行われているビニルハウスだった。真夏のビニルハウス、想像するだけで汗が噴き出してきそうな場所の一角には、トラックの幌を引っ掛けただけの日除けが設えてあった。たった一枚の幌で覆われたその日陰に足を踏み入れた途端、身体にまとわりついていた熱気が一気に吹き飛ぶような、そのあまりの快適さに私は心底驚かされた。そして幌の下でゴマの実を殻から取り出しながら、この幌が作り出している環境と、その時私が日常的に取り組んでいた建築設計とのちがいに思いを巡らせることとなった。
仮に私が、いつもと同じような方法であの場所を設計していたとしたら、どんなことになっていただろうか。まず、どれくらいの温湿度なら人間が快適に作業可能なのか、具体的な到達目標を設定する。目標が決まったら、それを実現するための設えを検討する。例えば屋根に可動式の日除けパネルを設置して日照を調整できるような機構はどうだろうか。予算があれば電動式にしたい。そうすればなお操作は容易になる。もし予算が厳しければ既成のオーニングも視野に入れた検討が必要になる。既製品は凡庸になりがちなので、色々なメーカーのカタログをめくって極力すっきりした形の製品を探さなければならない。空調機や換気設備を導入すればさらに安定した温度環境が手に入る。空調機などの重量物を吊るすなら、屋根の骨組みは補強が必要だ。頑丈な骨組みを作るのなら、いっそのこと屋根や外壁はビニルではなくガラスにした方が耐久性も気密性も上げることができる・・・。とまあこんな具合に、あらゆる知見を総動員して、できるだけ精密に環境を調整し、確実に目標を実現する仕組みを構築することに尽力していただろう。こうした思考の範囲内に、性能のよくわからないトラックの幌といった類の選択肢は登場しない。
しかし、幌をかけただけの日陰は十分に快適だった。それはあまりに軽やかかつ鮮やかで、同時に、自分が普段取り組んでいる「設計的介入」の結果としてもたらされるであろうものが、とても鈍重に思えてしまったのだ。本当にここまでしないと設計したことにならないのだろうか。そもそも、設計とは何を目指して行われるものなのだろうか。私が「性能を把握できない」と除外していたあの幌が実現していた快適さは、設計では実現できないものなのだろうか。考えれば考えるほど、「建築設計」というものの外側に、実は広大で豊潤な世界が広がっていて、自分はその可能性を取りこぼしているのではないかという気がしてならない。それは、とてももったいないことなのではないだろうか。そんな思いを抱きながら街を歩いていると、そこかしこに「トラックの幌」と同じような工夫がなされている様子が目に入るようになってきた。こうしたものたちを観察し、収集し、分析することは、「設計」の可能性を広げてくれるのではないだろうか。それは決して「設計」をいいかげんなものに貶めることはないし、目的を蔑ろにするものでもない。むしろ建築を、より開かれた軽やかなものにしてくれるのではないだろうか。その手がかりを探しながら、私は日々、行く先々で観察を続けている。
「具体的」には「抽象的」という対義語がある。そして、建築を考える際には、抽象的な思考はとても使い勝手がいい。
もちろん、建築物は具体的で物理的な存在である。だが、他のプロダクトのように試作品を作っては壊し、物との格闘を経ながら改良を重ねて精度を上げていく、という設計方法を取ることが難しい。建設工事は一発勝負であり、設計者は、現場に入るまで具体的な事物に直面することができない。だから、設計においては図面や模型、ダイアグラムといった建築物を抽象的に表記するメディアに頼ることになる。また、建築を構成する材料は多岐に渡り、各々に目を向けていたら、なかなか全体像は把握できない。住宅ならまだしも、ちょっとした施設になれば利用者の数も多く、一人ひとりの具体的な人物像は明らかにできない。周りの気象や環境の条件も多様で、微差に目を向けたらキリがない。そういった無限に広がる個別性を一旦カッコに入れて抽象化することで、私たちはその全体像を把握し、利用者をイメージし、「建築」という対象に近づくことができる。このように、建築の設計と抽象的思考は相性が良いのだ。
しかしその便利さ・有効さゆえ、抽象的な思考は時として、建築が「抽象的である」ことを目的と化してしまうことがある。具体的な物体であるはずの建築物を抽象的な存在たらしめようとする挑戦はいたるところで行われているし、それどころか抽象的な造形は現代建築の重要なテーマのひとつになっている。
一方、だからといって建築そのものが抽象的な存在になることはない。建築はあくまでも物理的なモノの集合体であり、設計においても施工においても、その具体性を相手にしなければならない。
2003年から2005年にかけて、aat+ヨコミゾマコト建築設計事務所のスタッフだった私は、富弘美術館新築工事の現場に常駐していた。富弘美術館は、「サークルプランニング」というシングルラインで記述される図式をもとに設計されている、まさに抽象的な思考がそのまま立ち上がったかのような建築である。当時の私にとってそのシングルラインはとても重要なもので、自分の役割は「その抽象的な概念をいかに建築化するか」だと考えていた。そして、そのために必死で取り組んでいたのが、実際に立ち上がる建物をどれだけシングルラインに近づけるか、つまり「いかに建築を抽象化するか」だった。ここに倒錯が潜んでいることに、当時の私は気づいていなかった。「抽象→建築化」と「建築→抽象化」。何が目的で何が手段なのか、あまりにも自然に、真逆なベクトルが同一化していたのだ。
そんな中、私が現場で担っていたのは、膨大な技術的な検討だった。建築を構成する要素には、あらゆるものに寸法があり、厚みがあり、材の特性があり、納まりがあり、その要素同士があちらこちらで激しく衝突しまくる。その衝突をねじ伏せるために具体的なものの特性を理解し、どう構築するかを検討するという作業は、極めて具体的な「物の格闘」に他ならない。しかしその格闘は一発勝負だ。建設工事では繰り返しの検討は許されず、設計時に思い描いた抽象性に向かって建築をシングルラインに近づけることを目指して行われる。その作業は極めてエキサイティングで、最後に仕上げの石膏ボードを張って塗装が始まり、現場からどんどん「線」が消えていく様子を見ながら私は、えも言われぬ達成感を覚えていた。ただ同時に、膨大な物の存在が見えなくなることに一抹の違和感があり、気づけば取り憑かれたように仕上げ工事が始まる前の現場の様子を写真に収めていたのだ。その違和感によって、私は観察に導かれたたように思う。市井に溢れる具体的な事物に、かつて石膏ボードで覆い隠してしまった膨大な物の存在が纏っていた、生々しい魅力を重ねているのかもしれない。
そんな具体的な建築の有り様を求めて、これからも私の観察は続いていくのだろう。
本書は、遅々として進まない私の作業に辛抱強く伴走し続けてくれた編集者、中井希衣子さんの存在無くしては出版に至らなかった。また、デザイナーの中野豪雄氏には私の拙い原稿を美しくまとめ上げ、内容以上に魅力的で伝わりやすいものに仕上げて頂いた。お二人の尽力に、深く感謝申し上げたい。
開催が決まり次第、お知らせします。