建築と経営のあいだ 設計事務所の経営戦略をデザインする
内容紹介
全ての設計者におくる、建築業界初の経営書
設計者がお金と経営の知識を持てば、施主との関係を深め、潜在的ニーズを探り出し、当初の要求を上回る付加価値を生み出せる。その経営感覚をもってすれば、住宅はもちろん店舗、公共施設、オフィスまでプロジェクトの種類や地域を選ばず提案力が身に付く。建築を追求しポスト平成の時代を生き抜く設計者に向けた初の経営書。
体 裁 四六・312頁・定価 本体2200円+税
ISBN 978-4-7615-2729-7
発行日 2020/01/30
装 丁 エイトブランディングデザイン
*81ページのビジネスケース詳細は2020年3月頃こちらにアップします。しばらくお待ちください。
プロローグ 建築士に必要な二つの経営戦略論
1章 経営コンサルタント×建築士の誕生
与条件から始めない─未条件を掘り起こす
クライアントの経営を知る─人や組織を思考する方法から
経営コンサルタントの役割
クライアントの経営戦略とマーケティングの体系を知る
お金とは何か──会計とファイナンスの言語
2章 建築と不動産の経営環境のパラダイムシフト
労働人口が減少し、空き家が急増するメカニズム
テクノロジーと建築流通革命を待つ市場
設計事務所モデルの収斂と再分岐
3章 設計事務所に必要な六つの経営力
設計技術だけでは持続できない理由
販路をつくりこむ
経営理念を掲げる本当の意味
お金の仕組みを設計せよ
人と組織をつくる
最終的には仕組み化せよ
4章 新規ビジネス開発とローカルの可能性
「建築と不動産のあいだ」から「都市と地方のあいだ」へ
新規ビジネス開発またはスタートアップ
ケース新しい学びの場、地方ビジネススクールをつくる
地域旅行業という新規ビジネス
プロローグ:建築士に必要な二つの経営戦略論
経営やお金の感性を取り戻す
「建築」の世界から「経営」の世界へ、ようこそ。これからツアーが始まります。いま、その出発ロビーにいます。
これまでとは異なる体系を見聞し、それらを比較し、その矛盾と共通点に気づいた時、建築と経営と、その「あいだ」には、何が見つかるでしょうか。それが本書で明らかになると思います。
この本を手に取られた方は、おそらく建築や住宅の仕事で活躍し、さらに試行錯誤される方、特に建築家や空間デザイナー、またはまちづくりに関わる専門家か、それらを目指す方、そして彼らを教育指導する方々だと思います。なかには設計事務所の経営者やマネージャーとして、一定の成功をおさめられている方、またこれから経営改善を考えている方、そしてこれから独立起業しようとしている方もいらっしゃるでしょう。
「クライアント企業の経営戦略」と「自社の経営戦略」を絡める効果
そんなみなさんに本書をご覧いただけることに、心より感謝を申し上げます。
本書は「建築士のための経営戦略論」です。これはみなさんに設計を依頼するクライアント企業のためと、そしてみなさんの設計事務所経営をアップデートするため、両方に必要となる視点です。「クライアント企業の経営戦略」を分析することと、「自分たちの事務所の経営」を思考することを関連付けることは、相乗効果が高いのです。
さらに経営という分野と、建築的思考は親和性が高く、じつに役に立ちます。それが、私が建築士のみなさんに経営戦略論を思考することを勧める理由です。
企業の大小にかかわらず、企業活動全般において、経営やマネジメントの技術が外せない時代が到来しました。経営環境の加速度的な変化に先回りして、古いシステムをどんどん更新していくために必要なものが、経営技術に他ならないからです。
2000 年以前の人口増加時代にさかのぼると、建築士だけでなく、税理士、弁護士、司法書士といった「士業」は、資格試験に合格し、実務でその専門技能を習得して独立開業すれば、比較的安定して事務所を運営していくことができた、そんな時代もありました。
しかしその成功体験が、現在の士業改革の遅れを生んだことは否めません。そのころの経営戦略とはせいぜい、効率よく集客し、売上を増加させ、社員を効率的に使い、事務所を切り盛りしていくための補助的なテクニックと理解されていたでしょう。
しかし、これからはそうではありません。資格で稼ぐ時代は終わり、「自分たちが実現したいこと」のためにどういう枠組みを使いこなすのか、それが問われる時代に入っています。だから私たち建築関係者にとって経営戦略を考えることは、私たちが、存在意義を賭けて未来にコミットするための、根本的な姿勢なのです。
変化の時代でも、サスティナブルな経営をめざす
平成時代、すでに建築業界には多数の構造的な課題が浮き彫りになっていました。
日本では、空き家が歴史上、類を見ない速度で急増していくこと。都心でも従来のやりかたでは、不動産収益事業の収支があわず、建築の企画が成立しないこと。また地方は衰退し、すでにある施設の維持すらも困難であること。そしてつくり手である建築士が多すぎる、と言われていること。
建築士にとっては、どれもモチベーションを下げる内容ですが、果たしてそれらは正しい情報なのでしょうか。またグローバル資本主義経済の影響を受け、日本でも所得の格差が広がることが説かれている中、いったい私たちはだれに貢献すべきなのでしょうか。
そうした時代の空気を敏感に感じる建築士や、教育機関や業界団体の若手は多く、この状況を乗り越えるために、すでに行動を開始しています。本書でも多数紹介しますが、例えば建築士でありながら、事業モデルを積極的に刷新し、設計報酬以外の収入モデルを考案し、活動するイノベーターがいます。
私から見ると、彼らはこれまでの建築士像にくらべて、商売気質というよりも、令和時代の創作活動において、持続可能性を模索している、と理解するほうが自然だと思います。私が経営する創造系不動産という会社の活動を紹介した『建築と不動産のあいだ』(学芸出版社・2015 年)を出版した時、そうしたイノベーターからの反響が大きかったことは、驚きでした。
私たち自身も、「建築と不動産のあいだを追究する」というコンセプトを深掘りしていく先に発見したのは、その建築や不動産の中での営みを整理すること、すなわち「経営戦略を体系化する」ことでした。
そのため、私は会社経営の傍ら、2014 年に経営大学院に再入学しました。すると不思議なことに、大企業や中小企業の経営戦略コンサルティングの業務が増え始めたのです。そして業務の半分が、経営や不動産に関わるコンサルティング業務になった時、建築の新しい可能性に気づき始めました。
私にとって、本書はその試行錯誤の記録とも言えます。おのずと仕事の内容には、実験的な部分も増えました。ただし、経営に関わるすべてをこの1冊で網羅することは、とてもできません。そのため、できるだけ基礎的な「経営理論の体系」を感じられる構成にしつつ、個別の議論では、経営的な正解や結論をさぐるよりも、みなさんの将来に開かれたガイドライン程度に留め、あとはみなさんのクリエイティビティに、バトンをつなぐようなものを目指しました。
また、できるだけページ下段に注釈を増やし、参考になる具体的な活動事例や、経営の参考図書を紹介しました。この『建築と経営のあいだ』をきっかけに、多くの方が、経営論的な切り口で、様々な事象に触れてくだされば幸いです。
建築界の経営者に必要な学習の場
こうした時代に強く求められるのは、教育や学習の質の変化です。私は、建築系の大学・大学院で建築工学とデザインを修め、建築設計事務所に7年勤務し、建築実務と格闘しながら最初に取得した資格は、一級建築士でした。そして地場の不動産会社に転職し、宅地建物取引士やファイナンシャルプランナーといった、資格や技能を身に付ける教育を受けました。
またそうした伝統的な建築系の大学教育や、国家資格を取得するための学校とは別に、新しいビジネスの枠組みや価値観を伝える多数の小規模なスクールが、建築界に興るのを見てきました。それを運営するか、参加する人々も、この状況を乗り越えようとするイノベーターたちです。
さらにこれからは、経営大学院でMBAを取得する人材が台頭するでしょう。文科省は、企業経営の高度な専門性を有する人材育成や人材投資に、産学連携の教育プログラム開発を求めています。政府は経営力を有するグローバル人材や、地方の危機を救う経営思考の人材を増やしたいのです。しかし建築系の学校では、経営の高度人材を育成するプログラムは、不足しています。
多くの建築や住宅に関わる専門家であれば当然、経営上手になりたいと思うでしょう。
建築士であれば、人生を賭けて主宰している事務所を経営的にも成功させ、独自の地位を築くために。そして事務所の売上を増加させ、スタッフを増やし、より自由な設計活動を行うために。そのような建築界の経営者のためにも、こうした経営についての学習の場が、もっと増えて欲しいと思います。
創作と経営のシナジー効果
しかし、なかにはそうした考えとはかけ離れ、いまだに建築思考や創作活動と、経営戦略思考は次元が異なり、相容れないものであると捉えている人もいます。また建築士が経営(企業価値やお金、営業)のことを考えるのは非本質的だという考え方もあるでしょう。
「良い建築をつくる」ことが、建築士にとっては間違いなくもっとも重要なテーマです。しかし「良いものをつくっていれば評判や顧客はついてくる」というスタンスは、現代では理にかなっていません。むしろ望まれるのは、その「創作活動と経営戦略が、表裏一体に組み上げられた仕組み」です。
それは顧客や自分のためだけではなく、これからの建築界を担う若いスタッフや学生のためにでもあります。建築界特有の課題として、人材不足や、著作権問題、オープンデスク問題なども、すべて経営学的思考を加えると、解決可能なものばかりです。
本書はそうした、経営思考をする中小規模の建築士事務所が独自の戦略を構築していくための、参考資料になることを目指しました。
一方で残念ながら本書は、みなさんの主力である建築設計技術や、新しい建築表現に関わる情報、建築思想については、いっさい触れません。これからの設計技術はデジタル分野の開拓が加速し、リノベーション領域が拡大しますが、そうした次の時代の建築の主戦場についても、言及しません。そうした意味では、本書はあくまでみなさんの本業にとって、副次的なものに過ぎません。
またインターネットによる業界構造の変化や、インターネットビジネスの今後については分析していますが、自社のWEBページ制作やそのPRをどうすべきかについては書かれていません。それらは、本文中でも紹介される優れた書籍が多々ありますから、そちらを参考にしてください。
そもそも企業を経営することは、根本的で、多面的で、泥臭いものです。それは、多くの読者にとって、初めて目に映る世界観ではないでしょうか。
本書の1章「経営コンサルタント.建築士の誕生」は、建築士事務所の経営を考える前に、まずは顧客、つまり建築設計を依頼するクライアント企業の経営戦略に触れる方法を知ることで、その世界の広がりを感覚的に掴むステップです。また建築設計の「与条件」に対して「未条件」という独特な概念が紹介されていて、みなさんの思考を押し広げる助けになると思います。
2章「建築と不動産の経営環境のパラダイムシフト」では、先ほど述べた建築業界における経営環境の変化を、一つずつ再確認していきましょう。空き家の急増や、建築士の需要と供給、インターネットを介した建築の流通といった、設計事務所の運営に影響を与える外部環境が、どう変化しているのかを概括します。
3章の「設計事務所に必要な六つの経営力」は、いよいよ中小規模の会社経営のための具体的なピースを紹介します。設計技術以外に、販路開拓や営業、経営理念、会計知識、人や組織の分野、そして仕組み化といった、多面的な経営戦略を扱います。
このように、クライアント企業や不動産オーナーの経営分析と、自身の設計事務所の経営思考を重ね合わせることで、見えるものがあるのです。
もう一つの視点《移動》
そして4章ではさらに、「新規ビジネス開発とローカルの可能性」と題して、建築と不動産のあいだを追究した先に発見した、《移動》という概念を紹介します。
なぜかいま、地方が大人気です。田舎の自然、人の距離感、自給自足のくらし、都会では得られない幸福感。そうした営みのリアリティを感じたいという欲求を満たすため、地方出身者にはUターン、また都心の若者には移住、または二拠点居住という選択肢が生まれています。地方側でも、そうした価値観の受け入れが少しずつ始まっているのです。
その背景には、働き手の不満足があります。都心部における就業スタイルや住宅環境、あるいは情報化社会の影響で、ライフスタイルがますます個人化し、社会や職場への帰属意識(いわゆるコミュニティ)の希薄化が進んでいるのです。そして多くの人々が、その状況から離れようとしています。
しかしほとんどの地方は残念ながら、その危機感や、若者からのまなざしに対して、整備が間に合っておらず、いくつかの障壁すらある状況です。この局面を打開するためには地域住民の理解、先駆者の協力、不動産的な準備が必要です。さらに「雇用」を生み、ビジネスとして成功させるプラットフォームが必要ですが、それはどのようにすれば可能でしょうか。
この地方の引力と斥力をベースにして、4章では、いままでの経営思考を活かした、新規ビジネス開発、またはスタートアップの実践の場として、地方を題材とします。まさに現在進行形の開かれた課題として、みなさんと一緒に考えてみましょう。これもいまを生きる建築士にとっては、経営のリアリティとして重要なフィールドです。
私の仕事は、不動産コンサルタントです。不動産コンサルタントというのは、建築と不動産だけでなく、税金や相続や法律などの様々な専門家たちの、つなぎ役のような仕事です。
そうしたたくさんのスペシャリストのあいだの壁は、いまだに課題も可能性も大きいのですが、それをなんとかしようと試行錯誤しているうちに、建築と不動産のあいだの先に、《経営》や《移動》というフィールドが、私の好奇心を捉えました。
そうした過程のため、おそらく本書を読まれると、様々な思考が絡まり合っているように感じると思います。それについては、みなさん自身が実際のビジネスを通じて再編してくださることを、期待しています。
最後に補足ですが、熟慮した結果、本書には建築士と私たち創造系不動産によって生まれた「建築事例」を掲載しませんでした。理解を促す多数の事例紹介よりも、実際にその現場に立った時に、どう考えるべきかの思考を促す、「ビジネスケース」を優先しました。そのケースの答えは、本書に記載すらされていませんが、そうした意図があることを、ご理解ください。
創造系不動産 代表 高橋寿太郎
エピローグ
建築から経営の世界へのツアーのすべてが、これで終了しました。
建築的な思考体系と、経営的なそれを重ね合わせたとき、それらの像の「あいだ」には、何が見つかりましたか。すでにアクションがイメージできた人は、迷わず実行に移してください。創作活動と経営戦略を貫く実証を、楽しみにしています。
またこのツアーのどこかで、もし行き詰まったとしても、気にしないでください。少し言語が違って不慣れだった、それだけのことです。また本書が正しく理解できたとしても、それで経営上手になるかどうかは分かりません。
もっとも正しい経営者像、理想の経営戦略論など、どれだけ探し求めても分かるはずがありません。学べば学ぶほど、そんなものは言い当てられるはずがないのです。しかし今を生きる経営者であれば、精一杯それらを追求したくなります。
そして私も、小さな経営者の一人に過ぎません。そんな私が、このような大それた書籍を上梓することに恐怖心はありました。しかしそれは勇気で打ち破り、これからの若い建築士たちのために、このバトンをつなぎたいと思います。私が解説するまでもなく、本書でご紹介した新しい建築士たちの躍動が、既に始まっているのです。
これを踏み台に、新しい建築的価値を生む人が少しでも増えることを期待しています。そしてベテランは、建築設計業界全体の経営戦略を構築すべく、まとまり始めなければなりません。私たちがいる建築・不動産・デザイン業界には、経営戦略の教育が足りていないのです。
最後に、本書の執筆に際して、多くの方々のご協力を頂きました。ここで御礼に代えさせて頂きます。
まず、創造系不動産スクールの講師を長年お引き受け頂いている、佐久間悠さん、近藤以久恵さん、田中歩さん、佐野彰彦さん、長沼幸充さん、渋谷高陽さん、小村崇さんに、深く御礼を申し上げます。私たちが経営思考のスタンスを維持できているのは、スクールの存在が大きく、その価値は講師の方々に支えられています。
エイトブランディングデザインの西澤明洋さんと、スタッフの渡部孝彦さん、饗庭夏実さんには、前著『建築と不動産のあいだ』に続き、本書の表紙デザインから図版作成に至るまで、ご協力いただきました。
また学芸出版社の井口夏実さんも、同様に前著に続いて前例のないテーマにも関わらず、粘り強くサポートして頂きました。
インターンでは千葉大学大学院の井澤佳織さん、法政大学の小関保波さんには、図版、注釈、索引まで、本当にお世話になりました。そして創造系不動産の甲斐由紀さんには、膨大な情報量をまとめて頂き、大変感謝しています。
またケーススタディとして、本文や注釈などで経営思考を紹介させていただいた、50社を超える企業や建築設計事務所のみなさんには、本書の趣旨をご理解いただき、掲載を快くご了解頂きました。
そして創造系不動産の取り組みに賛同し、仕事を共にさせて頂いている、すべての建築家と、そして創造系不動産で切磋琢磨するメンバーたちに、心から御礼を申し上げます。
高橋寿太郎