まちづくり協議会とまちづくり提案
内容紹介
10年の実践から運営や支援のあり方を示す
まちづくり協議会が、地区の意思をまとめ、行政に提案するにはどうすればよいか。地区の範囲はどうすべきか。意思決定の正当性はどう担保しうるか。小さな協議会が叢生し、ハードな市街地整備から景観づくりまで、80余ものまちづくり提案を繰り返した神戸長田駅北区東部の実践から、生きているシステムとしての協議会を考える。
体 裁 A5・256頁・定価 本体2800円+税
ISBN 978-4-7615-2369-5
発行日 2005-08-30
装 丁 上野 かおる
まえがき
第Ⅰ部 まちづくりとは何か
第1章 まちづくりと都市計画
1・1 現場から現れた「地区協議会まちづくり」の形
1・2 まちづくりと都市計画との連携
第2章 まちづくりを支援する技術
2・1 協議会に対する行政、コンサルタントの支援
2・2 「まちづくり提案」への計画技術
2・3 協議会での現象をどう理解し、どう対応すべきか
第Ⅱ部 まちづくり協議会活動の実際
第3章 区画整理の計画決定から始まったまちづくり──2段階都市計画決定方式
3・1 新長田駅北地区東部とは
3・2 新長田駅北地区の土地区画整理事業
第4章 まちづくり協議会活動のプロセス──部分組織から地区のまちづくり組織へ
4・1 まちづくり協議会の性格・しくみ
4・2 まちづくり組織の展開
4・3 まちづくり提案の展開とターニング・ポイント
第5章 まちづくり提案と市街地形成──多階層の提案による漸進的計画策定プロセス
5・1 地域形成の枠組みと協議会活動のプロセス
5・2 条里プランを原型とした市街地の特徴
5・3 市街地整備計画の形成プロセス
5・4 公共施設のデザイン
5・5 市街地整備計画システム
第6章 まちづくり協議会手法による共同建替
──柔軟性と自律性を持つ共同建替適地という考え方
6・1 当地区の住宅再建
6・2 土地利用適地と共同建替適地
6・3 共同建替のプロセス
6・4 市街地再生における共同建替の狙いと評価
6・5 共同建替適地の機能と制度対応
第7章 まちづくり協議会による地域活性化──産業ビジョン提案と地域産業の変動
7・1 内発的な産業ビジョンづくりの目的
7・2 「産業観光計画」の取組み(平成7~13年)
7・3 地域産業の変動
7・4 「2次・産業観光計画」の取組み(平成13~16年)
7・5 まちづくり協議会による地域活性化の意義と課題
第8章 景観形成の自律的なルールづくり──いえなみ基準の策定と運用
8・1 一般市街地での景観づくり
8・2 景観形成市民協定「いえなみ基準」の策定プロセス
8・3 「いえなみ基準」の内容と助成支援
8・4 「いえなみ基準」の自主管理・運用
8・5 自律的なルールづくりの機能と制度対応
第9章 まちづくり支援のあり方──ボトムアップのプロセスを実現した条件と要因
9・1 ボトムアップのプロセスをつくった条件
9・2 ボトムアップのプロセスをつくった要因
〈補〉新長田駅北地区東部の人口と世帯の状況
第Ⅲ部 まちづくりシステムを探る
第10章 複雑系としてまちづくり協議会を捉える
10・1 生きているシステムを読み解く学問―複雑系との出会い
10・2 まちづくり協議会という現象を読み解く
10・3 「部分組織」の重要性
10・4 協議会活動における諸現象
第11章 まちづくりによる市街地整備の体系化をめざして
11・1 従来手法と異なるまちづくり手法の特徴
11・2 まちづくり計画技術の体系化
11・3 まちづくり条例等の重要性
あとがき
参考文献
神戸市地区計画及びまちづくり協定等に関する条例/神戸市都市景観条例(抜粋)
阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)の復興まちづくりは、わが国の都市計画のターニング・ポイントとなった。震災復興まちづくりが今日の都市計画に及ぼした影響や意義について、特に次の三つをあげておきたいと思う。
一つめは、震災復興でみられた住民主導のまちづくりが、今日では「まちづくりは都市計画の第二の柱となりつつある」といわれるように、都市計画を変える流れを作り出したこと。
二つめは、震災復興において「まちづくり協議会」は、住民主体のまちづくり活動の基盤として重要な役割を果たし、今日では「まちづくり協議会」は普通に使われる言葉になったこと。
三つめは、復興まちづくりという特殊な状況が、図らずも「まちづくり」というものの全体のかたちを浮かびあがらせてきたということである。
初めの二つについては、「まちづくり」や「まちづくり協議会」が社会的に認知され、急速にその言葉が広がりつつあるということであるが、その概念の共有化が進んでいない。これを解く鍵は、三つめにあると思っている。
震災復興まちづくりは、震災直後の混乱のため特に初期においては、行政の計画的コントロールが働かなかったこと、復興という一種の強制力が働き平常時に見られない速さで進行したこと、まちづくりの規模が大きいことなど、まちづくりとしては特殊である。しかしこの特殊な状況こそが、まちづくりというものの全体のかたちを浮かび上がらせてきた。まちづくりの概念や体系化を考えるうえで、震災復興まちづくりこそが、格好のモデルであるといってよい。
この本は、平成15年度日本都市計画学会賞(論文賞)を受賞した「新長田駅北地区(東部)震災復興土地区画整理事業における住民主導のまちづくりシステムについての研究」をベースに加筆し、再構成したものである。震災復興まちづくりの典型的地区の一つである新長田駅北地区東部において、10年にわたってまちづくり協議会の現場で支援を行ったまちづくりコンサルタントの目から、まちづくり協議会の活動の実態を記録し、観察を通してまちづくりの概念やまちづくり協議会による計画システムを抽出する試みを行っている。これは上で述べたとおり、一つの特定地区の話にとどまらない「まちづくり」というものの普遍的な解明をめざしたものである。
復興まちづくり、そして今日のまちづくりにおいても、これを象徴する重要なキーワードは「まちづくり協議会」である。「まちづくり協議会」について筆者は三つの見方を持っている。それは「新しい自治のかたち」であり、「常にビジョンを追い続ける創造の場」であり、そしてそれは「生きている」ということである。
まず一つめの「新しい自治のかたち」とはどういうことか。
わが国には中世の惣などにみられるように地区レベルの自治がなかったわけではないが、近代においては国の力が強かった。国から県へと権限の移譲が進められ、今日では県から市町村へと権限を移そうとしているが、まちづくり協議会はそれを先取りした地区レベルでの「自治の新しいかたち」であり、これは歴史的な意義を持つといってもよい。
一般に「まちづくり」といわれているものには、大雑把にいえば、住民等地区の関係するすべての人々が集まって、ものづくりやルールづくりなど関係者の利害を調整しながら行うまちづくりと、テーマを共有する任意の人々が行う、あまり地域の関係者の利害の調整を伴わないまちづくりとに分けられる。ここでいう「まちづくり協議会」は前者である。
神戸市には、震災前から神戸市まちづくり条例(神戸市地区計画及びまちづくり協定に関する条例)に基づきまちづくり協議会の認定を行うしくみがあり、まちづくり協議会は協議会の規約を定め、まちづくりに関する重要な内容については、地区の関係者全員が参加できる総会で議決するという直接民主主義の形態をとってきた。このまちづくり協議会制度こそが復興まちづくりの基盤として、震災直後は神戸市において100を超えるまちづくり協議会ができるなど、復興まちづくりに大きな役割を果たした。このまちづくり協議会制度は、震災復興で有効性が再確認されたということだけでなく、今日のまちづくりに対しても普遍化できるものとして他都市に影響を与えつつある。
二つめの「まちづくり協議会は常にビジョンを追い続ける創造の場」とは、同じ神戸市まちづくり条例に定められている「まちづくり提案」制度と深い関係がある。まちづくり提案制度とは、まちづくり協議会が市長にまちづくり提案をすることができるしくみであり、まちづくり協議会と行政との計画の共有というだけでなく、個々の住民間での計画の共有でもあり、「協働」の根幹を成すツールである。震災前のまちづくり協議会では、まちづくり構想をまちづくり提案するということにとどまっていたものが、例えば新長田駅北地区東部まちづくりでは、まちづくりの進展に合わせてこれまで数十に及ぶまちづくり提案を行うなど、まちづくり条例の活用において進化している。
まちづくり協議会がまちづくり提案を重ねるということは、みんながビジョンを求め続けながら漸進的に計画、実現が行われることであり、この方法は、行政による「予定調和」とは対極的に異なる「開放系の未来」とでもいうべきものである。
また、まちづくり協議会のまちづくり提案は、その時々の住民の関心が計画として織り込まれていくということで、内容は全方位的に広がる。例えば、これまでの行政による土地区画整理事業の多くは、公共施設のデザインや地区計画など、主として制度の枠内にあっての可能性追求であったのに対して、この本で具体的に示すようにまちづくり協議会が主体となるまちづくりでは、みんなで共有し取り組むまちづくりビジョンや地域活性化、共同建替、住民の自主運用による建築のルール、整備後の公共施設の管理や地域の安心安全の取り組みなど、予想を越えた広がりで展開される可能性を持っている。
これは種々の市街地整備事業などにおいてもまちづくり協議会方式を導入することにより、制度で示す内容の枠を越えた整備効果が得られることを示唆している。
三つめの「まちづくり協議会は生きている」とは、まさにまちづくり協議会の特質を示すものである。まちづくり協議会は、生まれ、生き、死ぬという「生きもの」である。
まちづくり協議会活動の内容が発現してまちづくり提案となることから、まちづくり協議会が終われば、協議会方式としての計画づくりや町の進化も望めなくなる。だからまちづくり協議会が活力を持ちながら継続していくことが基本であり条件であるが、これが実に難しい。それはまちづくり協議会が、様々な個人の相互作用で成り立つ「生きているシステム」であるからである。このためまちづくり協議会の始まりやプロセスにおける時々の現象に注意し、これにいかに対応をしていくかが重要となるが、これはこれまでに経験していない新しい世界である。
では、「まちづくり協議会とまちづくり提案」を、言い換えれば「住民主導まちづくりのシステム」を具体事例に基づいてみていこう。
司馬遼太郎氏は「火星人の目と地下(じげ)の人の目」という言葉を遺しています(関川夏央『司馬遼太郎の「かたち」』)。火星人の眼とは、物事を俯瞰的にみるということ、地下の人の目とは、庶民、すなわち権力からほど遠く、ひたむきに生きている人間の視線をいわれているようです。これは、新聞記者に対してこの二つの眼を持たなければならないと語ったもののようですが、これはまちづくりを支援する者にとっても貴重な言葉です。
震災復興まちづくりで、私はこの二つの眼からたいへん多くのことを学ばせてもらえたことに感謝しないわけにはいきません。一つめの眼は、いうまでもなく、新長田駅北地区東部まちづくりの現場からです。もう一つの眼は、震災直後からの専門家ネットワークや学会の先生方や仲間との議論の場からです。筆者が得た知見は、並行して進んだ二つの場での知見のフィードバックから得られたものです。
新長田駅北地区東部のまちづくりが、混沌とした状況から多くの人の力により今日の姿があるように、本書も並行しながら多くの人々の力を得て自然にできあがったように思います。
まちづくり協議会が活動を止めていれば、当地区の今日のまちづくりはなく、もちろん本書も存在しません。10年の歳月にはすでに亡くなられた方や地区外に移転された方もいます。このような状況の中、私生活を犠牲にしながら今日まで一貫してまちづくり協議会のリーダー・役員として苦労してこられた横山祥一さん、野村勝さんをはじめとした多くの人々に深く敬意を表したいと思います。歴史は、このような人々の活動と努力によってつくられていくように思います。
あらためて復興まちづくりを振り返ると、神戸市のまちづくりに対する支援体制や施策など、震災前からの蓄積の深さを感じます。都市計画総局都市整備課、区画整理課、地域支援室、工務課、施設課、産業振興局工業課、西部建設事務所、こうべまちづくりセンター、長田区役所などの当地区の担当者は、住民主導まちづくりの支援に大きな努力を払ってこられたと思います。また当地区での私のコンサルタント活動においては、三好庸隆、貴志義昭、平田滋、根津昌彦、森崎輝行、松下慶治の諸氏をはじめ多くの各部門のスペシャリストの参画が大きな力となりました。
協議会における部分組織相互の共振化はもちろんのこと、行政の部分組織、専門家の部分組織、これらの多くの部分組織それぞれが共振化し、その結果として町としての創発と進化があるといってよいと思います。
小林郁雄さんが主宰する阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワークの「きんもくせい」に当地区まちづくりの記録を連載させていただきました。この連載は私的なノートというべきもので、書くことによって混沌とした私の頭の中を整理することに役立ちました。このネットワークが復興まちづくり支援に果たした役割は、たいへん大きかったと思います。
日本都市計画学会や都市環境デザイン会議の鳴海邦碩大阪大学教授をはじめとした先生方による復興まちづくりの後方支援から、コンサルタント活動を進めるうえで多くの示唆を得ることができました。
まえがきでも少しふれましたが、本書は、平成15年3月、大阪市立大学に博士論文として提出した「新長田駅北地区東部震災復興土地区画整理事業における住民主導のまちづくりシステムについての研究」がベースとなっています。この論文は、当時大阪市立大学教授の土井幸平先生(現大東文化大学教授)からのお勧めとたいへん貴重なアドバイスの賜物であり、先生がおられなければ、日の目を見ることはありませんでした。この論文は、平成15年度日本都市計画学会賞(論文賞)に選ばれ、独立行政法人日本学術振興会平成17年度科学研究費補助金(研究成果公開促進費)の交付を受けて、本書として出版することができました。
出版するにあたって、「まちづくり」というものの普遍的な解明であることを鮮明にするため、上の論文に加筆し再構成をしました。本書の構成については学芸出版社の前田裕資さんから多くのアイデアをいただき、担当の越智和子さんにお世話をおかけいたしました。
第7章については、当地区まちづくりの背後で震災後に激動した長田シューズ産業界の状況がなかなか客観的につかめず、最後まで原稿が定まらなかったのですが、神戸市の三谷陽造さんに原稿に眼を通していただき、ご意見をいただいたことが大きな力になりました。
コンサルタント活動や本書の出版には、たいへん多くの方々からご助力をいただいたことをあらためて感じます。感謝の気持ちでいっぱいです。
おわりに私事になりますが、コンサルタント人生に専念できるようにと生活を支えてくれ、また本書の校正においても手伝ってくれた妻純子に感謝します。
2005年7月
久保光弘
『計画行政』((財)統計研究会)Vol.29
「新しい公共」「まちづくり基本条例」「市民協働」などの言葉が、地方行政やコミュニティ政策、まちづくりなどの研究会に出席すると決まり文句のように飛び出してくる。これらの言葉が真に迫ってくるかどうかは、実践の裏づけのあるものかどうかで決まる。と同時に理論的な支柱を必要とすることも事実である。なぜなら、単に現象の流れを追跡したものならルポルタージュでしかないし、その域に達することも至難のわざと言ってもよい。ひところ「まちづくり」に言及する論考に接しても、単にあちこちからかき集めた事例や技法の解説か、耳目を集める都市現象を自らの専門領域から解釈するにとどまるものが多かったような気がする。したがって多くの論考は、普遍性を持ち得ないから、適用の道も閉ざされていたし、その文章の内容についての実際の追跡も検証も十分にできないくらいの主観的な記述のものが多かった。
この反省のうえにこの種のカテゴリーの本を紐解く必要を感じているのは、おそらく評者ばかりではあるまい。筆者は「コンサルタント」であることを強調し、その立場にこだわりを持って本書の執筆に情熱を傾けていることがひしひしと伝わってくる。「現場」の重要性、それがもたらす豊富な体験とノウハウを本書にできるだけ詰め込もうという欲求が読者にも伝わってくる。文化人類学者クリフォード・ギアツ流に言えば、「厚い記述」なのだ。筆者は、「コンサルタントは『理想を語るべきではない。基礎的でスタンダードな情報をできるだけ多く提供する』べきだ」という姿勢を貫こうとしている。この抑制のきいた姿勢で本書を執筆しようと心がける。その意図が成功したかどうかは、本書をぜひ手にとって読了してから判断してほしい。本書は日本都市計画学会賞を受賞した論文を土台として執筆され、すでに一定の評価を与えられてもいる。
本書は全体が3部で構成される。第1章ではまちづくりが従来の都市計画とどう違い、どのように補完し合うべきか、その際に行政とコンサルタントはどのようにふるまうべきかの「まちづくりの作法」を一通り概観する。そして、第2章では阪神大震災で最も被害が大きかった地域のひとつ、新長田駅北地区で始まった「まちづくり」のあらましを概観する。第3章では土地区画整理事業にからまる都市計画をハードの基幹施設に関する第1段から住民主導の近隣施設を中心とした第2段の都市計画決定までを「2段階決定方式」というキーワードで説明する。第4章では街づくり協議会の活動プロセスから街づくり提案が作成されるまでを詳細に記述する。第5章では街づくり提案の中身に踏み込む。古代の長田地区に形成されていた条理制にこだわった「協議会主導」の市街地整備計画に焦点を当てる。第6章では長田地区という工業地域、準工業地域、商業地域、近隣商業地域が複雑に絡まりあい、在日外国籍の住民との折り合い、靴メーカーと下請けの問題などを背景にしたうえで、震災後の住宅再建問題に協議会方式が有効かどうかを検証する。第7章では上述した複雑な要因の絡まりあいと産業空洞化、折からの経済低迷化のなかで、地域の活性化の試みと住民間のあるいは住民とビジネスの間の緊張について抑制の効いた記述がなされる。第8章では複雑な線引きがなされた市街地で「景観」を設計し誘導するために、「まちづくりの作法」を介在し、相互の利害調整を紳士協定として成立させること、それを「いえなみ憲章」というぎょうぎょうしいものではなく、もっと住民相互のゆるやかな自発性と自主運営でという願いを込めて住民規範のような「いえなみ基準」と名称変更したエピソードなどを紹介する。第9章では以上で詳述した項目について「まちづくりのあり方」としてまとめている。第10章では筆者の理論的なバックグラウンドの紹介である。「複雑系」でまちづくり協議会の運動を捉えなおそうという試みを軽く触れている。第11章では「まちづくり計画技術」の体系化についての筆者の主張となっている。全体として丁寧なつくりの本といえる。
(中央大学総合政策学部/細野助博)
『建築士』((社)日本建築士会連合会)2006.3
阪神・淡路大震災の復興には、まちづくり協議会が大きな働きをしたことが知られている。確かに震災後、被災地で多くのまちづくり協議会が生まれたが、この制度は震災前から神戸市の条例に基づいて、すでにかなりの地域で活動を開始していた。
この本は、震災直後から、被害のひどかった長田地域のまちづくり協議会のコンサルタントをしていた著者の実践の記録である。震災の記録はたくさんあるが、まちづくり協議会を軸にした、10年にわたる記録は珍しい。
“行政やコンサルタントは、自然な動きに手を添えるものだけ”と謙虚に述べているが、大変な努力の跡がその行間から読み取れる。
その結果、まちづくりの提案だけでなく、景観形成市民協定「いえなみ協定」までに発展している。震災後は、プレファブ住宅の展示場のような町並みになったと嘆く人もいるが、実際にこの町を歩いてみると、あの大変な時期に景観まで考えていたことを知り、改めてこの地域のまちづくり協議会の活動に感動させられた。
震災後のまちづくり協議会は、特殊な状況であったが、著者は客観的に観察し、平常時に置き換えて一般化しようと努力をしている。
この本は、全国のまちづくりに携わっている人には大変参考になる力作である。読んでみると、都市計画学会賞をもらった意味も良くわかった。
(大海一雄)
『都市問題』((財)東京市政調査会)2005.11
「複雑系」理論で読み解くまちづくり活動
阪神・淡路大震災は都市に多くの悲劇と犠牲をもたらした。現在、復興しつつある神戸のまちは、この多大な犠牲を乗り越えて築き上げられたことを我々は忘れてはならない。
一方、復興に向けられた住民らのエネルギーは、平常時とは比べものにならない規模、密度、スピードで、住民主導のまちづくりを進展し拡大させた。その絶え間ない活動によって、住民主導まちづくりの可能性を世間に知らしめたとともに、その活動組織である「まちづくり協議会」の言葉も一般に定着するに至った。
筆者は、新長田駅北地区東部の震災復興において10年間にわたりまちづくり協議会の現場で支援してきたまちづくりコンサルタントである。本書では、このまちづくり協議会活動の実態の記録、観察を通じて、まちづくりの概念や計画システムの抽出を試み、まちづくり活動の普遍的な解明をめざしている。特筆すべきは、「複雑系」の理論を援用して協議会活動のプロセスの解釈を試みた点にある。
本書は、3部11章から構成されている。第Ⅰ部「まちづくりとは何か」(第1~2章)では、震災復興を通じて筆者の考える「まちづくり」の概念やその支援技術について整理している。第Ⅱ部「まちづくり協議会活動の実際」(第3~9章)では、10年間にわたる新長田駅北地区東部の震災復興まちづくりの実情を、まちづくり組織、市街地整備計画、共同建替、産業復興、景観づくりなど重要トピックスごとに克明に記録している。そして、第Ⅲ部「まちづくりシステムを探る」(第10~11章)で、これらの協議会活動の観察・分析をもとに、まちづくりの計画技術の体系化を試みている。
第1章で、まず筆者は「まちづくり」と「都市計画」の関係について考察している。社会資本・都市環境の整備及び法律による土地・建物の統制が主である「都市計画」に対比し、「まちづくり」とは「地区の改善を持続的に行う住民主体の活動」と定義する。震災後、住民主導のまちづくりが市街地復興の大きな流れとなるなかで、兵庫県は「2段階都市計画決定方式」(*1)を導入する。この新たな計画手法に対して筆者は、広域的・長期的観点からの地域形成の枠組みである「都市計画」と、協議会によるボトムアップの「まちづくり」との連携を可能とする2階層の計画システムの下地を整えたものと評価する。
第2章では、まちづくりの支援技術を整理している。コンサルタントである筆者は、ここで次の問いかけを行う。協議会のまちづくり活動は、生命体のように進化あるいは衰退へと向かうものだ。協議会への支援のあり方も、ある一時点に対応した支援のみならず、「協議会活動のプロセスに着目し、その活動の現象を捉え、いかに対応していくか」を解明すべき課題としなければならないのではないか。
こうした問題提起を踏まえ、第3章から第9章にかけて、新長田駅北地区東部におけるまちづくり協議会活動の軌跡──筆者の言葉を借りれば、まちづくりの「追体験」(203頁)が始まる。
第3章で、震災復興まちづくりの前提となる区画整理事業の概要が、第4章でまちづくり協議会活動の10年間の発展プロセスが解説される。続いて、当地区の特徴的活動である市街地整備計画の提案(第5章)、区画整理との連動による共同建替事業(第6章)、ケミカルシューズ産業の再興を狙った産業復興ビジョンづくり(第7章)、景観形成ルール「いえなみ基準」の策定(第8章)について紹介され、第9章においてこうしたボトムアップのプロセスを支えた条件と要因について整理がなされる。
とくに評者が興味を引かれたのは、第4章のまちづくり協議会活動の発展プロセスである。当初、まちづくり協議会は、身近な街区単位ごとに自然発生的に林立する。震災直後の無政府状態が功を奏し、押し付けでない小規模な自主的組織が次々と発生し、多数のまちづくりリーダーが生まれる。個別協議会ごとに区画整理への提案を積み重ねるうちに、街区を越えた調整の必要から、次第に協議会相互の連携が始まる。まもなく問題意識の共有化が起こり、産業ビジョンや景観づくりへと提案が発展し、地区全体へと活動が拡がっていく。この「部分組織」から「地区全体のまちづくり組織」へ、「事業系協議会」から「ビジョン系協議会」へと進化を遂げていくさまを、現場からの観察ならではの記述で追体験することができる。
この復興まちづくりの観察を経て、第Ⅲ部・第10章からは、協議会活動に対する独創的な解析が語られる。「協議会活動での現象をどう理解し、どう対応すべきか」という命題に対して筆者曰く「『まちづくり協議会』の特質を、『複雑系』として捉えてみれば(中略)この疑問がするすると氷解していくのを感じた」。すなわち、まちづくりは部分組織から始まり、まちづくり提案を積み上げるうちに協議会同士の連携が形成され、地区全体の組織化と計画づくりへと進化・発展していく──こうした一連の流れを「複雑系」理論の「自己組織化」(*2)と「創発」(*3)で説明することができるという。そして、自己組織化された「部分組織」をうまく連鎖・ネットワークさせ、「創発」のきっかけとなる「小さな揺らぎ」を共振化させることが、まちづくり活動の持続性につながるのだという。そのため、まちづくりの支援技術も、従来の「計画する」技術から「計画を促す」技術に大きく転換すべきとの提案を行い、本書を締め括っている。
さて、そもそも「複雑系」とは、「多くの要素からなり、部分が全体に、全体が部分に影響しあって複雑に振る舞う系」(三省堂『デイリー新語辞典』)のことをいう。気象、経済、生態系などの現象にみられ、従来の統計手法(多変量解析、回帰曲線等)ではシステムの解析をすることが困難であり、新たな理論構築、高精度の測定技術、コンピュータの活用によってこれらの現象の解明・予測を目指す研究領域である。
本書の試みのように、多くの個人・部分・全体が絶えず相互作用するまちづくり活動を「複雑系」として捉えることは確かに妥当だといえるだろう。無論、「複雑系」を援用したとしても、コンピュータ解析によってまちづくり活動を将来予測することなど、単なる夢想に過ぎない。しかし、コンサルタントや行政が手探りでまちづくりを進め、何が最適な進め方か評価するすべもない現状において、ターニングポイントの兆しとなる「小さな揺らぎ」を的確に捕捉することの重要性など、まちづくり支援技術の一種の「拠り所」を掲げることには成功したといえる。
また、まちづくり活動は、予測不可能なものであり、コンサルタントや行政が恣意的に「予定調和型」へ誘導しようとすると往々にして活動の衰退を招く。まちづくりの大きな可能性を信じて「開放系の未来」を許容すべきであるとの指摘も、本書から得られる大きな示唆である。
本書では、「協議会活動が終わればまちづくりは終わる」とのフレーズがたびたび使われる。ここには、震災から10年を迎え、多くの協議会が解散しまちづくり活動が衰退しつつある現実を見据える筆者の危機感が窺われる。だからこそ、現在でも協議会活動が進化しつつある新長田駅北地区東部の震災復興まちづくりのプロセスに着目し、その継続の仕組みを読み解こうとした。
また、筆者は繰り返し「まちづくりは生きたシステムである」とも語っている。「生きたシステム」の解明に「複雑系」理論を求め、まちづくり活動への援用可能性を論証しようとした。これは、まさに「まちづくりを科学する」試みといえよう。
これまでまちづくりの成功の記録は、まちづくりリーダーやコンサルタントの資質や個性、経験則といったアプローチから理念的に語られてきた側面が多くあった。しかし本書は、「複雑系」理論を援用し、まちづくり活動を継続的に進化させる手法の科学的解明に果敢に挑戦した。ここに本書の大きな意義を見いだすのである。
(東京市政調査会研究室長/三宅博史)
注
*1 2段階都市計画決定方式:第1段階めには根幹的都市施設を都市計画決定し、第2段階めに住民意向を反映させて身近な道路・公園、地区計画等を都市計画決定する方式(本書26頁)。
*2 自己組織化:混沌とした状況の中から自発的に秩序を形成すること(同208頁)。
*3 創発:個や部分の自発性が自己組織化して、全体の高度な秩序を生み出す現象、そして上の階層のシステムが逆に部分に影響力を持つ現象(同208頁)。