福祉と住宅をつなぐ
内容紹介
高齢化・人口減少・生活困窮と自治体の役割
超高齢化・人口減少・生活困窮にどう立ち向かうか。著者は建築のバリアフリー化、市営住宅の福祉拠点への再編、居宅介護サービスの推進、市営住宅や空き家を活かした居住支援を、住宅と福祉部局をつないで切り拓いた。課題先進都市・大牟田の鍵はここにある。その実践から自治体職員だからこそできる地方再生が見えてくる。
体 裁 四六・224頁・定価 本体2000円+税
ISBN 978-4-7615-1375-7
発行日 2021-06-10
装 丁 見増勇介・永戸栄大(ym design)
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高橋紘士(東京通信大学 教授・高齢者住宅財団 前理事長)
児玉善郎(日本福祉大学 学長)
山口健太郎(近畿大学建築学部 教授)
石井敏(東北工業大学建築学部 教授)
大原一興(横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院 教授)
志賀勉(九州大学大学院人間環境学研究院 准教授)
三浦研(京都大学大学院工学研究科建築学専攻 教授)
井上由起子(日本社会事業大学専門職大学院 教授)
大月敏雄(東京大学大学院工学系研究科建築学専攻 教授)
白川泰之(日本大学文理学部社会福祉学科 教授)
[順不同]
刊行によせて 超高齢化と現場で向き合った自治体職員の物語 園田眞理子
はじめに ― 住宅は暮らしを包む風呂敷である
第1章 自宅で住み続けられるために ―バリアフリー住宅施策の推進
1・1 設計事務所での失敗とバリアフリーとの出会い
1・2 バリアフリー実践活動の始まり
1・3 「市民協働」による住宅施策の推進
1・4 官民協働・多職種連携による住まい・まちづくりネットワークの設立
1・5 バリアフリー住宅士養成講習会にいたった背景
1・6 バリアフリー住宅士養成講習会の特徴
1・7 バリアフリーの推進から学んだもの
1・8 2005(H17)年度バリアフリー化推進功労者表彰
第2章 市営住宅を使い尽くせ ―団地を活用した地域の福祉拠点づくり
2・1 市営住宅の建替とコミュニティ再生―新地東ひまわり団地での取り組み
2・2 福祉施設ではなく、「コンビニでいいのだ」への反証
2・3 市営住宅に福祉施設を併設させる意味
2・4 入居者のコミュニティ再構築を始める
2・5 入居者の意識変革に再チャレンジ
2・6 「タテ」のつながりと「地域」という「ヨコ(面)」のつながりを結ぶ拠点
第3章 24時間365日の安心環境の実現 ―地域密着型サービスの推進
3・1 満点は要らない……。走りながら考える
3・2 私の宝物となったさまざまな人との出会い
3・3 小規模多機能型居宅介護と地域密着型サービス
3・4 小規模多機能型居宅介護は地域の大切な資源
3・5 小規模多機能ケアの質を高めるための組織づくり
3・6 認知症SOSネットワーク模擬訓練と地域づくり
第4章 多様な住民のために手を尽くせ ―市営住宅と居住支援
4・1 二つのミッションとガラパゴス化した職場環境
4・2 市営住宅は福祉の宝庫!
4・3 市営住宅入居者から学んだ居住支援の必要性
4・4 市営住宅のハコモノ管理から脱却し、住宅政策集団へ
4・5 市営住宅指定管理者制度の導入
4・6 建替?で生じた団地敷地の余剰地に福祉施設を誘致?―「ケアタウンたちばな」の整備
4・7 「地域」という「ヨコ(面)」のつながりを結ぶ拠点となった南橘市営住宅
4・8 暮らしを支える複合型福祉拠点のサービス展開と効果
第5章 空き家を居住支援に活かす ―官民協働による居住支援協議会
5・1 居住支援に取り組んだきっかけ
5・2 空き家になった背景と問題点
5・3 居住支援協議会の設立(事務局のあり方)
5・4 居住支援協議会における最初の取り組み(空き家の実態調査)
5・5 空き家活用のモデル事業―地域住民のサロンとして
5・6 住宅確保要配慮者向けの住宅を確保するために
5・7 思わぬ災害で空き家悉皆調査が役に立つ
5・8 住宅確保要配慮者の生活背景や課題に着目する
5・9 連帯保証人不在者への対応と見守り&生活支援
第6章 住宅・福祉部局の連携で2040年を乗り越える
6・1 地域を守り通す自治体職員
6・2 空き家という言葉の背景にあるもの
6・3 居住支援を進めるために庁外のチカラを借りる
6・4 全国の自治体で居住支援が動き始める
6・5 国土交通省の職員がハンズオン支援に乗り出す
6・6 居住支援のニーズは散在している
第7章 自治体職員が変われば地域が変わる
7・1 縦割りの行政組織から、横つなぎの組織へ
7・2 これからの自治体職員に必要な四つの力
7・3 これからの社会で求められる自治体職員像
おわりに ― 一度っきりの人生。小さくまとまらない
はじめに ― 住宅は暮らしを包む風呂敷である
福祉=暮らしと住まい
私は「福祉」を「暮らし」と読み替えるようにしている。「福祉」とは高齢者や障がい者などに対して特別なサービスを提供しているように捉えられがちだが、「暮らし」という言葉に置き換えると、まさにまちづくりと同様に広い意味で解釈することが可能であり、私みたいな建築の専門職でも多職種の一人として、高齢者の暮らしを支援することができる。
住宅というハコは、暮らしを包む風呂敷のようなものである。この風呂敷のなかでさまざまな暮らしが営まれ、そして風呂敷ごとに一人一人の生活が異なるのだ。「暮らし」のなかには、住環境の問題、子育ての問題、環境の問題などがあり、さまざまな人たちが活動している。その個別の活動をいかにして共通言語を用い、横串を通していくかがこれからの課題でもあり、楽しみでもある。まちづくりという言葉は広いからこそ、いろんな人たちをつなぎ合わせる作業が必要であり、そのなかから生じる「折り合い」がまさに「地域」であり、「まちづくり」だろうと考えている。高齢化の問題は、まさに年齢で区切られた概念であり、高齢者=弱者ではなく、知恵(知識)の宝庫として、いつまでも現役であり、自分自身が地域資源であることに気づいていただけることが重要であり、「福祉」を中心に、つまり「暮らし」を中心に考えていくことで、マチが抱えるさまざまな問題解決につながるものだと思っている。
本書には私がそのように考えるようになったきっかけや、そうした思いから積み重ねてきた実践を綴ってみた。人口減少と高齢化の先進地といわれる大牟田市での一公務員の試みにすぎないが、全国のまちづくり、とりわけ住宅政策に関わる人たちに、共感していただけたら、と思う。
大牟田市の概況
大牟田市は、九州のほぼ中央に位置し、石炭産業と共に発展した鉱工業都市であった。人口は1960(S35)年の約20万5千人をピークに、今なお減少に歯止めがかからない状況にあり、2020(R02)年4月現在、住民基本台帳による人口は11万3千人となった。この60年間でおよそ9万人もの人がいなくなった計算になる。高齢化率は36・4%であり、全国平均のおよそ20年以上先を進んでおり、いわゆる高齢先進都市と言われている。
明治期から石炭産業で栄えた大牟田市は、関連する企業の化学工場や発電所などが集積し、県外から多くの会社関係の人たちが集まり、商業が盛んな都市に発展していった。1917(T06)年に市制を施行すると、他の大都市と同様、道路や鉄道に加え、路面電車まで整備された。さらに1949(S24)年、県から市へと保健所が移管され、大牟田市の人口規模では全国的にも珍しい保健所が設置された特例的な市だった。
このように石炭都市として栄華を誇っていたが、高度経済成長以後、国のエネルギー政策の転換により、石炭産業は急速に斜陽化し、三池炭鉱の衰退と同時に大牟田市も勢いを失っていった。1997(H9)年、三池炭鉱は完全に閉山し、国会でも閉山対策の議論が巻き起こった。マチの衰退を阻止しようと「ネイブルランド」という遊園地をつくり観光による集客事業に取り組むほか、環境リサイクル都市・大牟田を目指すが、いずれもマチの発展のための起爆剤にはならなかった。さらに大牟田市発展の象徴でもある保健所機能は、2020年(R02)年3月、県に返還することが決まった。一方で明るい話題として、2015(H27)年7月、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」がユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録され、大牟田市の「宮原坑」「三池炭鉱専用鉄道敷跡」「三池港」もその構成資産となっている。
このように石炭と共に発展し、「黒ダイヤ」の街として文字どおり輝いていた大牟田市は、日本の産業の牽引者としてその役割を果たしてきた。だが、その輝かしい歴史の影には、戦前戦中の囚人労働や外国人(中国・朝鮮)強制労働などの過酷な重労働の歴史も残る。また1960(S35)年には日本最大の労働争議があり、そうした『負の遺産』があることも忘れてはならない。
以上の大牟田市の歴史を本書の背景として念頭に置いて、お読みいただきたい。
牧嶋誠吾
おわりに―一度っきりの人生。小さくまとまらない
2014(H26)年春、毎年開催される福祉施設の建築視察会でのことだった。知人である大学の先生たちと鹿児島市内から少し離れたところにある温泉施設を訪問した。風呂上がりにオーナーと話していたときに、「職制定年」という耳慣れない話を聞かされる。オーナーは大手民間企業の管理職の経験を持ち、職制定年によって退職され今の施設をつくられたとのことだった。この話を聞き、改めて自分の人生を考えるきっかけとなった。あまり好きではなかった市役所に入庁(当時)したときから、いつか自分で設計事務所かコンサルタントみたいなことをやってみたいと考えていたが、60歳で定年を迎え、その後に事務所等を立ち上げても体力的にも精神的にも厳しいだろうと思い、60歳までのどこかの時点で退職するものと決めていた。こうした考えから、自らを律し、定年である60歳までの時間を圧縮して公務員人生を送ってきたつもりであり、市役所職員としていろんなことにチャレンジしてきた。課長になって6年目を迎え、日々マネジメント業務に明け暮れ、建築が大好きな私にとって市役所という組織が窮屈になってきたこともあり、自ら職制定年を勝手に決め、2016(H28)年5月中旬、51歳で早期退職願を提出した。
退職理由は職制定年の考え方のほかに、入庁以来、私のわがままを快く受け入れてくださり、公私ともに大変お世話になった建築住宅課OBの吉冨重人元課長のご逝去にある。課長就任以降、産休育休の代替職員をなかなか見つけることができず、吉冨氏に再任用職員として市営住宅の営繕業務を手伝って欲しいと嘆願した。それを快く受けていただき、多様な業務に従事してもらっていたが、ある日、自宅で癌が破裂し緊急入院となった。その後入退院を繰り返されたが、熊本地震余震の日(4月14日)に帰らぬ人となったのだ。吉冨氏が課長のとき、私が「福祉部局に異動させてくれ」と申し出たときも快く受け入れていただき、その願いを叶えていただいた恩人である。今の自分があるのは吉冨氏のおかげであると言っても過言ではない。
退職後は事務所を構えて、個々の依頼者に寄り添い、丁寧なモノづくりに関わる一方で、建築行政職がいない小さな市町村のまちづくりや住宅政策などのお手伝いをしたいと思っていた。ところが、退職願を出したその年の11月にご縁があり、今の職場である大牟田市立病院から、「22年目を迎える病院の改修工事と地域包括ケアシステムの推進にチカラを貸してくれ!」との依頼があった。病院という空間が嫌い(怖い)で、何十年と行ったことのない私は10日ほど考えた後、久しぶりに建築の現場に直接携われることに加え、地域包括ケアシステムにおける医療分野を経験することにより、五つの構成要素をすべて体得できると思って引き受けたのだ。
さて、今回本を書くきっかけとなったのは、奈良県住まいまちづくり課が主催するセミナーでご一緒させていただいた当時明治大学におられた園田眞理子先生からの推薦である。小雨が降る中、猿沢池のほとりを園田先生と会場に向かっていると、「牧嶋さん、本を書いてみたら……」の一言から始まった。私は園田先生が言う相手をきっと間違っているのだと思い、笑って軽く聞き流したのを覚えている。自分の能力は自分自身が一番知っているつもりだった。私には語彙力や文章力など一切なく、私の人生において「本を書く」なんて思ってもみなかったのだ。
こうして、この本を書くご縁をいただき、改めて市役所人生を振り返ることができた。25年間の出来事をいろいろ書いたが、どの出来事をとっても私一人でできるものではない。そこには一緒に汗をかき、アフター5や休日にもかかわらず、ともに行動してくれた仲間がいたからだ。とくに同じ行政の建築技術者の三浦雅善さんや畑田泰広さんの2人の存在があったからだ。加えてその他多くの良き理解者に恵まれたことが取り組みの推進力となったのは間違いない。改めて感謝申し上げたい。そして私の自由奔放な行動を許してくれた妻にも感謝したい。
浅学菲才を顧みず知力をふりしぼって書いた拙本は、公務員を目指そうとしている人や行政組織に入ってみて何か違うぞと思っている人、住宅行政や居住支援に関わっている人、そしてやる気のある自治体職員に読んでいただけたら幸いである。
私の場合、市役所という組織だけに居所を求めず、一歩外に出て住民と同じ目線で話すことで市役所での働き方が変わったと思う。二足の草鞋を履きながら、住民の声に対して真摯に耳を傾けることで、市役所という組織を客観的に見ることができ、それぞれの立場を理解しながら折り合いをつけることの大切さを学んだ。本文中に「不易流行」と書いた。いつまでも変わらない本質的なモノを大切にしながらも、新しい変化を取り入れることである。行政組織はこの流行を嫌う傾向にあり、前例や慣習を盾に新しい変化や価値観を取り入れることの苦手な組織であるが、これからの地方自治では、これまでの価値観が通用しなくなり、今以上に困難を極めると思われる。さらに想定外のことが発生し、否応なしに未知の業務を経験することになるだろう。
役所と住民が敵対しても魅力あるマチとはならない。とりわけさまざまな権限を持っている市役所において、法の番犬は要らない。法の番人が求められる。マチづくりは市役所が与えるものではなく、住民ととともに取り組むものだ。だからこそ住民と一緒にマチの将来ビジョンを描くための協働が求められるのだ。ある民生委員さんが認知症SOSネットワーク模擬訓練の講評で、「一人の百歩より、百人の一歩です」と……。今でも記憶に残る言葉の一つである。
役所というところは教育課程のゴールではない。やり方次第で変わるし、楽しいことや面白いこともたくさんある。一度っきりの人生だからこそ、役所という組織で小さくまとまらず、地域という大きなフィールドで活躍されることを願っている。
最後に、今回発刊する機会をいただき、さまざまなご指導をくださった園田眞理子先生と最後まで辛抱してお付き合いくださった学芸出版社の前田裕資社長には心より感謝申し上げます。
2021年4月
牧嶋誠吾
刊行によせて ― 超高齢化と現場で向き合った自治体職員の物語
ポスト・コロナの時に、日本社会を待ち受けているのは、都市部を中心とした人口の超高齢化とその続きで起きる多死社会の到来、そして究極的には激しい人口減少である。未来とは不確定なはずだか、この予測だけは外れる可能性はほとんどない。しかもやっかいなことに、こうした事態に直面することは、世界的にみても、歴史的にみても前例がない。私たちはまさに未体験ゾーンに突入する。
と、書いてしまうと悲壮感に包み込まれてしまうが、安心していただきたい。そうした世界と時間をすでに経験し、それを乗り越えてきた地域と人たちがいる。本書は、こうした事態の中で、獅子奮迅というよりも、それに真摯に向き合い現場で多くの人や出来事と取っ組み合いながら何とか乗り越えてきた一人の自治体職員による物語である。
その語り部とは、福岡県大牟田市で30年余自治体職員として活躍してきた牧嶋誠吾さんである。牧嶋さんはニコっとすると〝鶴瓶〟そっくりの笑顔になる。笑福亭鶴瓶をほっそりさせて少し若返らせたようなイメージの人である。だから、難しい話ではない。されど、ぐさっとした本質は突いてくる。
さて、その牧嶋さんだが、のっけから牧嶋語録がどんどん飛び出てくる。「福祉というのは、暮らしのことである」「住宅とは、暮らしを包む風呂敷である」「地域、まちづくりとは、たくさんの人や関係の折り合いをつけることである」等々。これで、本書のタイトルである「福祉と住宅をつなぐ」の意味はご理解いただけると思う。牧嶋さんはもともとは建築技術職の自治体職員であったが、介護保険開始真っ只中の時期に福祉行政も自ら手を上げて経験し、人々の福祉、すなわち暮らしと、その基盤となる住宅をつなぎ、地域そのものを元気にするまちづくりに30年余に渡って携わってきた。その体験の記録とそれを昇華させた知見が本書であり、これをお手本にすれば私たちも超高齢化、多死、人口減少の未曾有の事態に備えることができる。
牧嶋さんが活躍する舞台は、福岡県大牟田市である。大牟田市のことを知らない人でも、盆踊りの定番の「炭坑節」はご存知であろう。「月が出たでた月が出た 三池炭鉱の上に出た あんまり煙突が高いので…」と唄われた三池炭鉱があったのが大牟田市である。舞台装置が大牟田市であることは極めて重要である。
大牟田市は近代国家の曙を告げる都市として誕生し、近代当初から高度経済成長期までの日本の繁栄を支え続けた。しかし、1997年に炭鉱は閉山となり、現在は環境リサイクルや福祉先進都市としての生き残りに賭けている。最盛期の1960年に20・5万人であった人口は今や半減しつつあり、過剰インフラと高齢化、人口減、経済的衰退に直面している。大牟田市は、日本各地の都市でこれから起きることを20、30年ほど先取りしており、今の時代においても最先端都市であることに変わりはない。
その大牟田市で、牧嶋さんが住宅、福祉、まちづくりに関してどこで誰とどのように取り組み、いくつもの難題をどのように乗り越えてきたのかが第1章から第6章まで詳細に語られている。そこに共通するのは、「問題の発見→目的の設定→実行→振返り→より着実な成果→経験の蓄積→(次のステップ)」の一連のプロセスである。コトに臨むに際して、地道ではあるが王道ともいえるこの過程を丁寧に踏むことによって、実質のあるより大きな果実が得られることがわかる。
また、あえて牧嶋流の秘訣は…というと、常に「現場に立つこと」と「現場を変えること」である。新型コロナウィルス感染禍ではからずも露見したが、現代社会は意外なほど脆弱である。その理由の一つに、たとえば、自治体職員が庶民の暮らしの現場を知らなかったり、民間企業でも管理職になるほど現場の事情に疎くなり、専門職といわれる人ほど現場でモノやコトをつくりだす力が希薄になっていることがある。それに対して、現場に立つことと現場力(現実を変える力)で牧嶋さんは立ち向かっている。
もう一つの秘訣は、決して孤軍奮闘しないということである。常に仲間をつくり互いを大切にし、仲間といっしょに楽しんでやる。この仲間とは、単に自治体職員同士ということではなく、専門分野の異なる人たちも頼りになる仲間、バリアフリーを求める住民とその家族がいればその人たちも仲間、地域のおじちゃんやおばちゃん、子どもたちも仲間である。牧嶋流は多くの仲間たちと真に「協働」し、たくさんの汗や涙を流すことでさまざまに入り組む利害関係を乗り越えて目的に向かって進む。
さらに、この本にはもう一つ別の読み解き方がある。それは、住宅政策、福祉政策の30年史として読む方法である。バブル経済真っ盛りの時期から現在までの30年間について、国全体の住宅・福祉政策がどうであったか、それを自治体がどう受けとめ実践したのか、絵に描いた餅的に実行されなかったことを含めて的確に整理されている。また、大所・高所の観点が濃い政策と、現場の地域や庶民の暮らしの関わりや食い違いまでを本書から実感を持って知ることができる。
建築職、福祉職の方、ごく普通の市民の方など、多くの方々に本書をお読みいただければと思う。牧嶋さんの現場力溢れた温かい気持ちがこもるエッセンスに触れることで、私たちの近未来の暮らし、住まい、まちを自分たちの手で変えられるという勇気がもらえる。
2021年4月
園田眞理子