3.11以後の建築

五十嵐太郎・山崎 亮 編著

内容紹介

3.11以後、建築家の役割はどう変わったのか? 岐路に立ち、社会との接点を模索する建築家25人の実践を、旧来の作品・作家主義を脱する試みとして取り上げた。彼らはターニングポイントで何に挑んだのか。復興、エネルギー、使い手との協働、地域資源等をキーワードに写真と書き下ろしエッセイで新しい建築家像を照らす。

体 裁 A5・240頁・定価 本体2200円+税
ISBN 978-4-7615-2580-4
発行日 2014/11/15
装 丁 金子英夫/テンテツキ


目次著者紹介まえがきレポート
巻頭対談

社会と建築家の新しい関係 3.11以後の建築 五十嵐太郎×山崎亮

「3.11 以後の建築」展に寄せて

Chapter 1 みんなの家

伊東豊雄+乾久美子+藤本壮介+平田晃久+畠山直哉|陸前高田「みんなの家」
伊東豊雄|転機となった「みんなの家」と、これからの建築観を語る。

Chapter 2 災害後に活動する

坂茂|モニュメントとしての災害支援
東日本大震災における建築家による復興支援ネットワーク[アーキエイド]|建築家の自律的分散型アプローチによる復興支援活動とネットワークの構築
はりゅうウッドスタジオ|被災地×縦ログ構法。その優位性と可能性を探る。
小野田泰明|復興作業の概要と建築人の役割
PROJECT 1 建築家ボランティアがまちの人たちと一緒につくった災害時のための「逃げ地図」
日建設計ボランティア部×金沢市民

Chapter 3 エネルギーを考える

竹内昌義+馬場正尊+東北芸術工科大学|日本における真のエコ住宅の開発を目指す。
三分一博志|エナジースケープ
山梨知彦+羽鳥達也+石原嘉人+川島範久(日建設計)|快適環境づくりと災害避難に、
同じシミュレーション技術で取り組む。

Chapter 4 使い手とつくる

新居千秋|まちの人や風土と対話しながら、居心地のいい建築をつくる。
工藤和美+藤村龍至+東洋大学ソーシャルデザインスタジオ|縮小を集団で設計する。
青木淳建築計画事務所+エンデザイン|市民と徹底的に関わってつくる、十日町の「まちなかステージ」。
乾久美子|様々なユーザーと一緒に、市民の活動拠点にもなる「駅」をつくる。
PROJECT 2 建築家が市民のアート展を面白く見せることに挑戦した「市民ギャラリートライアル」
Trial 1 403architecture [dajiba]×モダンアート協会展
Trial 2 ドットアーキテクツ×小中学校合同展(中学校美術)
Trial 3 垣内光司×金沢発信アウトサイダーアートvol.7 展

Chapter 5 地域資源を見直す

バスアーキテクツ|「創造的過疎」を楽しむ町の人を資源に、活性化のためのインフラをつくる。
403architecture [dajiba]|403architecture [dajiba]| 浜松という都市のネットワークが、プロジェクトの連鎖を生み出す。
小津誠一+宮下智裕+松田達|金沢都市再編計画 2014
〈都市〉と〈まち〉を繋ぐ。
PROJECT 3 金沢人が大阪のビルマニアと市内の1950~70 年代のビルを調査した「金沢まちビル調査」 BMC(ビルマニアカフェ)×金沢まちビル調査隊

Chapter 6 住まいをひらく

光嶋裕介|地域や仲間のために、ひらかれた自宅をつくる。
成瀬・猪熊建築設計事務所|「シェア」を設計する。
ブルースタジオ|建築家のスタンスで、過去の物語に新たな物語を吹き込む。

Chapter 7 建築家の役割を広げる

西村浩+ワークヴィジョンズ|小さくても楽しいできごとの連鎖で街の新陳代謝を活性化する。
東京R不動産|業界の境界線を踏み越えて、新しい建築家の枠組みをつくる。
トラフ建築設計事務所|「もの」から「空間」を発想する。
岡啓輔|東京の真ん中に、9年がかりでコンクリートビルをセルフビルドする。

編著者紹介

五十嵐太郎(いがらし たろう)

建築史家、建築評論家。
1967年パリ生まれ。1992年東京大学大学院修士課程修了。博士(工学)。現在、東北大学大学院教授。「せんだいスクール・オブ・デザイン」教員を兼任。「あいちトリエンナーレ2013」芸術監督。「第11回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展」日本館展示コミッショナーを務める。「あいちトリエンナーレ2013」で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。『現代日本建築家列伝』(河出書房新社、2011)、『被災地を歩きながら考えたこと』(みすず書房、2011)、『3.11/After』( 監修・LIXIL出版、2012)他、著書多数。

山崎亮(やまざき りょう)

コミュニティデザイナー。
1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院および東京大学大学院修了。博士(工学)。建築・ランドスケープ設計事務所を経て、2005年にstudio-Lを設立。地域の課題を地域に住む人たちが解決するためのコミュニティデザインの手法で、まちづくりのワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、市民参加型のパークマネジメントなどに携わる。「海士町総合振興計画」などでグッドデザイン賞、「親子健康手帳」でキッズデザイン賞などを受賞。『コミュニティデザイン』(学芸出版社、2011/不動産協会賞)他、著書多数。

建築の見えない部分を見る

山崎 2014年11月1日から金沢21世紀美術館で開催の「ジャパン・アーキテクツ」展は2部構成になっていて、「ジャパン・アーキテクツ1945-2010」のほうはフランスのポンピドゥーセンターと共同で、戦後の日本建築の歩みを振り返る展覧会。一方、われわれがゲストキュレーターを務める「3.11以後の建築」展は、東日本大震災以降の最新の建築動向を探る展覧会になっていますが、この2つの切り口は対照的ですごく面白いですよね。

五十嵐 前者は、「フランスから見た、目立つ前衛デザインとしての日本建築」で構成されますから、やはり造形的な面白さが重視されますね。それに対して、後者では、かたちの背後にあるもの、つまり建物や建築家に内包されている社会的な視点、あるいはそのプロセスや物語を見せることが目指されています。それらを集めて並べてみることで、「社会と建築の接点で、今、何が起きているか」ということが見えてくるのではないか、と。この切り口は、日本の建築の現在の動向を示しているというだけでなく、今、岐路に立つ日本の建築界や建築家に対するメッセージでもあると思います。

山崎 これまでのように、施主と建築家の関係だけを大事にしたり深堀りしたりしているだけでは、多くの課題を抱えた今後の日本における建築家の存在感が危うくなるのではないか、ということですよね。

五十嵐 実際、そのことが東日本大震災の後、如実に建築家たちに突き付けられましたからね。3.11が過去の災害と比べて、建築界では突出して多く語られ、注目されたにもかかわらず、行政から建築家たちにほとんど声が掛からず、ものすごいショックを受けた。

山崎 実は1995年の阪神・淡路大震災の時にも同じようなことが起こっていたんですよ。つまり、建築家は立派な建築や華美な空間をつくる人たちで、震災後のように危急の時には思い起こされない対象になってしまっていたのか、復興住宅の設計や復興計画に呼ばれた建築家は少なく、特に関西の若手建築家たちはそのことを問題視していました。そしてその後、「建築家はもっと社会的な存在にならなければならない、バブル時代の建築家イメージを払拭しなければならない」と、自分なりの方法で行動に移した建築家たちが少なからず出ました。そんな彼らの活動を五十嵐さんと僕とで整理し、社会的な存在になろうとする建築家の取り組みを7つの傾向に分類しました。その結果発表の場が、「3.11以後の建築」展なんですよね。

五十嵐 そうですね。もちろん前衛的なデザインは今も世界から評価されていますし、他にもまだいろいろな傾向ややり方があるでしょうが、この7つの切り口が、これからの日本の建築の動向を示唆するものであることは、確かだと思います。

「建築家に相談だ」

山崎 先ほど、2つの大震災後、建築家が社会的な役割を担うようになってきたと述べましたが、そもそも建築家は社会の課題を解決するためのアイデアや技術をいっぱい持っている人種だと思うのです。だから社会が建築家を使わないのは実にもったいないことだと思うのですが。

五十嵐 僕もそう思います。特に、建築家が身に付けている、様々な職種の人や雑多なものごとをまとめて最適に機能させる能力、つまりプロデュース能力を使わない手はありません。学問的に見ても古来、建築学には力学や材料、環境やエネルギー、構法、計画や法律、意匠、歴史など、多岐にわたるジャンルの素養が含まれているはずで、さらに教育の場では、口だけではなく、手を動かしてモノをつくり、魅力的に見せるプレゼンテーション力を養います。こうした総合力は、建築という単体のためだけでなく、社会の課題解決のためにも十分に使えるものです。たとえば、レム・コールハースは、設計事務所の他にシンクタンクの組織も設立し、デザインと資本主義社会の動きを連動させる試みをしていますが、建築家は多かれ少なかれ、ひとりでこれができる人種なんですよね。

山崎 僕は五十嵐さんの言うプロデュース力に、「発想力」と「美しく見せる力」も付け加えたいと思います。僕もデザイン分野の出身者なので分かるんですが、「既存のものを適当にアレンジして済ませよう」といった志向性を持つ建築家はあまりいなくて、多くの建築家は何とか他にはないデザインや解決策を見つけて施したいと思うものです。そして小さなことでもいいから独自性を生み出そうと努力する。その独自性を発揮する力に優れているのが建築家だと思うのです。さらには、最後にすべてをちゃんと美しくまとめて見せる力もある。「機能はいいけど、見栄えがしない」「いいことやっているけれど、ダサい」というのはもったいないことですが、建築家は、そうならないための機能性と審美性のバランスをうまく取りまとめる能力を持っていると思います。

五十嵐 だから、社会も生活者も、もっと建築家を利用したほうがいいよと言いたいわけですよね。実際、日本には欧米以上に多くの数の建築家がいて、各地で活動していますからね。

山崎 そう。10年ほど前に「牛乳に相談だ」というCMがあった気がするんですけど、そういう感じですね。何かに困ったら、それが建築関係じゃないと思ってもまずは「建築家に相談だ」って考えてみる。そうなったら、世の中がもっと楽しくなったり、うまく行ったりするんじゃないかなあ。一見、「こんなこと建築に関係ない」と思うようなことでもまずは建築家に相談してみたら、いろいろな側面から検討され、行き届いた答えが返ってくると思うんですけどね。何しろ、広い知識を持っている人たちだから。(つづく/巻頭対談より抜粋)

金沢21世紀美術館で開催されている「3.11以後の建築」展とそのカタログ(以下「3.11以後の建築」とする)の開催刊行記念イベントが昨年12月21日に青山ブックセンター本店で行われた。金沢21世紀美術館キュレーターの鷲田めるろ氏、展覧会ゲストキュレーターの五十嵐太郎氏、展覧会出展者である芳賀沼整氏、そして建築家の浅子佳英氏を迎えて議論が交わされた。

「3.11以後の建築」はそのタイトルから察せられるように、東日本大震災を一つの区切として見えてきた建築の新しい動向を提示している。建築単体を視野として設計に取り組むだけでなく、建築以前の意思決定のプロセスに分け入ってワークショップを積み重ね、コミュニケーションの中から使用者とともにあるべき建築の姿を探りつつ、より広く建築家のなし得ることの領域を押し広げていく建築家の活動の動向がさまざまな事例によって示されている。

おそらく多くの読者にとってこうした建築家の試み自体は既に耳新しいものではなくなっているだろうし、その意義、その必然性も認識されているだろう。「3.11以後の建築」は、そうして生まれた建築そのものに焦点を当てるというよりも、設計のプロセスとそこで開かれた視野に注目して展示を組み立てることで、こうした試みが単なる単発の事例ではなく、既に同時多発的な実践となっている状況を示そうとしている。

そうした趨勢の起点をとりわけ東日本大震災に見る必然性が議論に登ったが、キュレーター側としては必ずしもそれほど限定的なものではないとの認識が示された。例えば阪神大震災を起点として見ることもあり得ることだということだ。とすればよりおおづかみに捉えればバブル崩壊以降という見立ても成り立つに違いない。今言われるような意味でのワークショップが行われた先行事例としてよく知られる長谷川逸子氏の新潟パフォーミング・アーツ・センター(1998年)を考えてみても、かなり緩やかな変化の曲率の線上において、東日本大震災復興における建築家のさまざまな取り組みに着目して展覧会は構成された、と受け取れば良いのだろう。

逆に東日本大震災をとりわけ意識するならば、なぜここに原発と放射能の問題が見えてこないのかという指摘もあった。建築において直接解決する糸口が見えづらい問題であり展覧会で取り上げ得るほどの事例に乏しいという率直な現実もある一方で、環境問題への対応などから脱原発を意識し指向する事例も展示に含まれてもいた。だがそれでもなおそのような印象が残る理由は、実際に日本の社会が原発について態度を収斂させることのないままになし崩し的に再稼働に向かっている現実の反映なのだろう。

ところでこうしたワークショップ型の民主的な意思決定をともなう建築設計は、建築家が建築のカタチを定める単一の主体であるような建築設計に対して提起されているものだ。いわゆる「建築家」という存在にどことなくつきまとうしっくりこない据わりの悪さを前提として、それとは違うあり方が模索され、その実践の中から新しい建築家の姿が見えてきている、つまるところはそういう意図だろう。だとすれば、ここで意識しておくべきことはこのような据わりの悪さ、拠り所のなさは歴史的なものであるということだ。なにしろ建築家という職能が明治以降欧米から導入されて以来、このような据わりの悪さは常につきまとってきたのだから。「建築家とはなにものなのか」。「なぜ彼らはあんなふうなのか」。「ここで建築家に何が出来るというのだろう」、云々。建築家は社会に対してその主体的な立場を確立しその役割を果たしたいと念願しつつ、「その社会が建築を作る」のリアリズムと否応なく顔を突き合わせてきたのだ。結局のところ「3.11以後」は「3.11以前」の連続であるに違いない。単純化された対比は第一次接近としてはあり得るとしても、その先はさほど見通しが良くないことを覚悟したほうが良いだろう。

いささか自家撞着気味のこうした鬱屈にいくらか救いをもたらしてくれたのは、鷲田めるろ氏が「3.11以後の建築」展構想の発端が他でもない金沢21世紀美術館自体にあったと語ったことであった。金沢21世紀美術館は、地方都市としての金沢市の中心市街地に活気あるコアを生み、観光客を呼び込む重要なコンテンツとなった。建築が社会に何を出来るのか、ということを示すなによりも雄弁な実例として、それが「3.11以後の建築」の問題意識に繋がったのだという。逆にそのような視線から「3.11以後の建築」を読んでみることは、ずいぶん奥行きを変えて課題のありかを考えさせてくれるはずだ。質の高い建築がところを得て生まれ、その街あるいは地域のなかで新しい可能性のプラットフォームとなること。建築家は皆それを願って日夜悪戦苦闘し、その果てに社会はその成果を享受する。「3.11以後の建築」に付されたサブタイトルは「社会と建築家の新しい関係」であるが、古くて新しいこの「関係」こそが問題なのだろう。どのようなアプローチをとるにせよ、ターゲットははっきりしている。そのためにこそワークショップに集う人がいて、共に建築家は模索するのだ。


日埜直彦

1971年生まれ、建築家。日埜建築設計事務所主宰。
共著書に『磯崎新Interviews インタビューズ
白熱講義 これからの日本に都市計画は必要ですか』等


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