太子堂・住民参加のまちづくり 暮らしがあるからまちなのだ!

梅津政之輔 著

内容紹介

30余年、ワークショップやまち歩き、協議会方式など参加型まちづくりの最先端を切り開いてきた世田谷区太子堂の地元リーダーによる書き下ろし。今なお続くトップダウン、ハード先行の大規模整備と比べ、早く、安く安全性を高め、コミュニティの絆も強めてきた太子堂の経験と、そこから生まれた思想を伝える渾身の一冊。


推薦します!

解題:井上赫郎、延藤安弘、五十嵐敬喜
推薦:卯月盛夫、木下勇、小磯盟四郎、西村幸夫
林泰義、原昭夫、寺内義典、中林一樹
森反章夫、吉川仁


体 裁 四六・208頁・定価 本体1900円+税
ISBN 978-4-7615-1346-7
発行日 2015/02/15
装 丁 KOTO DESIGN Inc. 山本剛史


目次著者紹介まえがきあとがき書評イベントレポート
はじめに

1章 参加のまちづくり事始め

(1)行政、住民ともに模索のスタート
(2)民主主義の小さな実験室

2章 まちは生きもの進化するもの

(1)時代とともに移ろう太子堂
(2)まちの姿は“動的平衡”
(3)定向進化するまちの姿
(4)まちのホリスティック・ケア

3章 参加のまちづくりの試行錯誤

(1)まちづくりに唯一解はない
(2)時間と忍耐はまちづくりの必要コスト
(3)ハードとソフトの防災まちづくり
(4)参加のまちづくりの潮流
(5)新住民と旧住民の“和諧”まちづくり

4章 まちづくりにワークショップ初導入

(1)手始めに“まち歩き”と学習会
(2)“きつねまつり”でオリエンテーリング
(3)ポケットパーク第一号“とんぼ広場”
(4)“せせらぎ”の流れる烏山川緑道再生計画
・東京都、烏山川緑道の下に下水本管
・せせらぎ計画反対住民との話合い
(5)住民合意の法定「地区計画」策定
(6)ワークショップで“楽働クラブ”誕生
・住民自主企画のワークショップ開催
・花植えから公園管理など広がる活動

5章 対立を乗り越えるために

(1)“三太通り”拡幅計画の「共同宣言」
・協議会、沿道会議の開催を提案
・沿道住民と世田谷区が合意した協定締結
(2)地域にしこりを残した道路事業
(3)“くらしのみち研究会”の提案
・国立小児病院跡地利用の検討
・国交省に「くらしのみち」指定を申請
(4)生きていた行政の「道橋政策」
・時間経過で住民意識に変化
・分裂した三宿地区の協議会
(5)赤いネオン広告塔の騒色公害
・管理費軽減策の広告塔設置
・公共的色彩として問われた赤いネオン

6章 鳥の眼と虫の眼のまちづくり

(1)美しいまちづくりの評価
(2)庶民のまち太子堂の「真面目(しんめんもく)」
(3)まちの景観、風景、生活景
(4)対話による新しい価値観の創造
(5)住民から“まちづくり人”への脱皮
(6)住民と行政とのまちづくり共進化
・自治体職員に期待される「大役人」
・まちの「真面目(しんめんもく)」を五感で感じる
(7)まちづくり、地方の時代への道
・世田谷区の独立宣言
・東京都の上位計画に反発
(8)「偕生き」(ともいき)のまちづくり
・片利共生を招かないために
(9)まちづくりの世論と輿論
・倚(よ)りかからない自律した判断を
(10)新しい時代につなげるまちづくり
・少子高齢化と首都圏一極集中への対応
・まちづくりにもグローバル化の視点

あとがき
解題
  • 太子堂の住民参加の防災まちづくり—井上赫郎((株)まちつくり研究所代表)
  • 「梅津」思想を未来につなぐ—五十嵐 敬喜(法政大学名誉教授)
  • 自他ともに育みあうコミュニティ創造—延藤 安弘(NPO法人まちの縁側育くみ隊代表理事)

梅津政之輔さん

太子堂2、3丁目地区まちづくり協議会元副会長。
1930年東京都江東区生まれ。神奈川県立翠嵐高校中退。沖電気工業㈱、(株)化学経済研究所、㈱石油化学新聞社などに勤務。著書に『石油化学工業10年史』(石油化学工業協会)、『日本の化学工業戦後30年のあゆみ』(共著:日本化学工業協会)、『化学製品の実際知識』(共著:東洋経済新報社)など。

世田谷区太子堂2、3丁目地区、この地域で「住民参加の修復型防災まちづくり」を1980年(昭和55)から始めて三十余年になります。

太子堂方式と呼ばれている新しい「住民参加の修復型防災まちづくり」は、再開発事業や土地区画整理事業のようなクリアランス方式とかスクラップ&ビルド方式のように、既存の建物を取り壊して街を再整備する方法ではなく、住民の合意を重視した計画を基に、家の建て替えに合わせて少しずつ街を改善していくいわばリハビリ型、リフォーム型ともいえる街づくりです。

こうした街づくりの事業手法には、当然賛否両論があります。防災を主な課題とする街づくりとしては、成果が見えるまでに時間がかかるため、住民参加の修復型街づくり事業は効率が悪い、実現の見通しが立たない、などといった批判が出ています。

反面、合意形成を重視する太子堂方式を評価する意見もあります。とくに、太子堂のような道路や敷地が狭く、老朽建物が多いのに建て替えが困難な木造住宅密集市街地(略称:木密地域)の再整備には、修復型の事業手法が適しているとの賛意もあります。

たしかに、首都直下地震が30年以内に70%の確率で発生するといった予測を考えると木密地域の防災対策は急がなければなりません。
しかし、大地震が来れば木密地域が危険だと判っている住民も、住み慣れたまちに住みつづけたいと願って行政の強制力をともなう街づくり事業には反対する意見が多く出ます。生活の先行きやコミュニティが破壊されるのではないかとの不安を感じるためで、その点、修復型の防災まちづくりは、住民の理解と合意が得やすいまちづくりの方法だと考えています。

東京都は、木密地域の整備、改善を促進するため、1995年(平成7)に「防災都市づくり推進計画」を策定して、太子堂をはじめ23区内28カ所の木密地域を重点整備地域に指定しました。さらに東京都は、東日本大震災を経験した2011年(平成23)に「木密地域不燃化10年プロジェクト」の実施を決定しました。

この不燃化プロジェクトは、不燃領域率(市街地の「燃えにくさ」を表す指標)が40%以下の木密地域を2020年(平成32)度70%まで引き上げることを目標としていますが、太子堂ではすでに2011年(平成23)度で63%を達成しています。

太子堂の街づくり事業は三十余年もかかっていますが、現行の事業をそのまま進めても70%の目標は達成できると考えています。23区の木密重点整備地域の整備状況を取材した日本経済新聞は、「モクミツは甦るか」と題する連載記事のなかで「太子堂や千住仲町はモクミツ地域の優等生」(2011年11月19日付)と太子堂の防災まちづくりを評価しています。

防災まちづくりとか、安全・安心のまちづくりの成果をどのような基準で評価するかは議論のあるところですが、三十余年も活動を続けていると太子堂のまちづくりは住民参加の先進事例として知名度が高まり、毎年多くの人たちが視察に来られます。

国内の自治体職員、地方議員、まちづくり市民グループ、学者や都市計画の専門家、学生やマスメディアなど顔触れは多彩ですが、海外からも米英をはじめ国情の違う韓国、タイ、台湾、ベトナムなどからの団体視察も多く、グローバル化時代のまちづくり交流の広がりを感じています。
こうした視察団とは、まちを案内した後で意見交換をしていますが、参加者からよく「梅津さんは、なぜ十年も二十年もまちづくり活動を続けているのですか」という質問を受けます。

韓国・順天市から来た職員の一人からは、単刀直入に「まちづくり協議会の役員はいくらお手当てを貰っていますか」と質問されたことがあります。「お手当ては貰っていません。無償の活動です」と答えると「日本では金持ちでないとまちづくりはできませんね」と言われてしまいました。
自分の住んでいるまちの安全性を高める活動は、人のためではなく自分自身の安全を確保するための活動だから無償なのは当然と考えている私は、当初こうした質問がでるのを意外に感じていました。おそらく、外部からは、まちづくり活動を長く続けているのは金銭的メリットなどがあると見られていたのかもしれません。

綺麗ごとに聞こえるかもしれませんが、私はいつも「太子堂のまちが好きで、このまちに住み続けたいとの思いが50%、あと50%は面白いから続けているのです」と質問に答えています。

まちづくりには、いろいろな人との出会いがあり、まちの歴史やまちづくりに関わる多くの知見が得られる楽しさ、面白さがあります。私とは異なる人生を歩いてきた人の経験や考え方は、自分自身の生き方を考える教訓になりますし、街づくりに関する法制度を学ぶことは、住み続けたいと願って太子堂の将来の姿を描くための糧になるからです。

ともかく、太子堂のまちづくり活動を通して、私のまちづくりに対する考えが深まり、広がってきました。街づくりの門外漢ですが、私が太子堂の活動を通してどの地域のまちづくりも次の五つの視座が必要ではないかと考えるようになりました。

(1)まちは、時代とともに移ろうので、街づくりは動態的な視点で検討すべきこと。

(2)人びとの暮らしがあるから「まち」なのだから、人のイノチ、人と人のつながりを基礎にまちづくりを考えること。

(3)グローバル化時代のまちづくりは、地球的視野を含めて長期的、広域的、総合的視点から深く検討していくこと。

(4)そのまちに住み続けたいと思う人、あるいは新たに住みたいと希望する人たちが、人任せにせず、自分たちで考え、異なる人たちとの対話を積み重ねて問題点を共有し、合意したことをみんなで実践し、その結果を検証していくこと。

(5)まちづくりには、住民の意見、利害の対立が避けられないが、対立を避けるのではなく、話し合いの「ひろば」をつくって住民と行政、それに学者・専門家の協力を得ながら「専門知」と「生活知」を融合させ、時代の変化に適応する創造的な方針・計画づくりをしていくこと。

こうした五つの視座は、私がささやかな暮らしを守り、住み続けたいと願う住民の一人として「建物や道路があるからまちなのではなく、人びとの暮らしがあるからまちなのだ」と主張し、活動してきたなかで少しずつ学んだものです。

これまで、太子堂のまちづくりに関心を持った人たちから、何度も太子堂のまちづくりをまとめて出版するように勧められながら専門家ではないので躊躇してきましたが、私もいつの間にか傘寿(さんじゅ)を超え余命も残り少なくなりました。

このため、まちづくりで学んだことを記録しておくことは、若い世代へ引き継ぐための義務であり、まちづくりを支援、協力してくださった方々への礼儀でもあると考えて筆を執りました。この小冊子が、まちづくりに取り組まれている人たちの少しでもお役に立てれば幸いに存じます。

2014年10月10日
太子堂2、3丁目地区まちづくり協議会
梅津政之輔

〈注〉記述のなかで漢字の「街づくり」は建物や道路などを対象とした都市整備、ひらがなの「まちづくり」はコミュニティづくりなどソフトを含めた総合的なまちづくりを表す言葉として使い分けています。

この小冊子は、太子堂まちづくりのあとを継いでくれる地元の人と行政の担当者に、まちづくりの経過と私がどのような考えで取り組んできたかを理解してもらうために書いたもので、いわば「太子堂まちづくりの引き継ぎ書」です。

後から通読してみると、散漫でくどく、重複が多い文章のため、3、4、5章は太子堂を知らない人には理解しにくい内容ではないかと思います。

今回、学芸出版社から出版することになったので、太子堂を知らない読者にも理解していただける内容に書き直すべきだと考えたのですが、わずかに手直しをしただけで見直しを断念しました。どうか老体の文章とお許しください。

太子堂の三十余年のまちづくりで私が学び、読者のみなさんに伝えたいことは「はじめに」で書いた五つ視座に要約できます。もちろん、今後の時代変化によって見直すことが必要になると思うし、また地域によっては違った視点を加える必要もあると思います。
もう10年ほど前になりますが、あるシンポジュウムのパネラーに招かれたことがあります。その時の司会者だった早稲田大学の佐藤滋教授が「私がまちづくりの研究を始めたころから活動している〝古典的〟な太子堂まちづくり協議会の梅津さんです」と紹介されショックを受け協議会の副会長を辞任しました。

高村光太郎は、『道程』と題する詩の一節に「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」と書いています。私も若いころは、新しい道を切り拓きたいと気負って仕事をしてきました。しかし、自分の軌跡を振り返ってみると新しい道を切り拓いたと主観的に考えていても、後を歩く人がいなければその道に草が生い茂って消滅していることを数々経験してきました。
佐藤滋教授が、太子堂のまちづくりを〝古典的〟と表現されたのは、住民参加のまちづくりの先進事例と評価されたことばと勝手に解釈しています。もっとも「古典」ということばには、「永く残るべき価値の定まった書」という意味もありますが、太子堂の〝住民参加による修復型防災まちづくり〟は、しょせんガラバゴス島的な独自に進化してきたまちづくりですから普遍的な価値を持っているとは思えません。

戦前、公害の原点と言われた古川財閥の足尾銅山が、官憲の力を借りて農民の反対運動を弾圧したのに対して、住友財閥の支配人・伊庭貞剛(後に総理事)は、別子銅山の精錬所を新居浜から瀬戸内海の四阪島に移し、さらにドイツの技術による脱硫装置を設置して公害問題を解決するなど、企業の社会的責任に徹した経営者でした。

その伊庭貞剛が「事業の進歩発展に最も害するものは、青年の過失ではなくて老人の跋扈である」との言葉を残しています。私も老害を残したくないので、論語に書かれている「七十にして心の欲する所に従い矩(のり)を踰(こ)えず」「隠居して以て其の志をもとめ義を行いて以て其の道に達する」という孔子のことばの心境になりたいと考えました。

しかし、隠居しても私などは「小人閑居(かん きょ)して不善をなす」のことわざのように老化にともなって抑制力がなくなり、ついつい若い人たちの発言に口を挟んで嫌われていますから、傘寿を機に引退宣言をして協議会や学校協議会などの役員を辞任させてもらいました。

そのようなわけで、引き継ぎのために筆を執りましたが、この小冊子が他の地区のまちづくり活動に役立つかどうかは判りません。できれば、太子堂のまちづくりの経験と考え方を参考にして、それぞれの地域住民が自分たちのまちの問題点や将来を話し合える「ひろば」をつくり、独自の新しいまちづくりの道を切り拓いてほしいと願っています。

まちづくりの「ひろば」は、協議会といった組織形態にとらわれず、学者、専門家、行政と住民が「専門知」と「生活知」を融合させながら、時代の変化に適応する創造的なまちづくりを進めて地域の自治力を高めることを目的にした〝話し合いの場〟のことです。

こうした考えは、グローバル化時代に求められている競争と選択と集中の時代に逆行する考え方かもしれませんが、現在の世界的な新自由主義市場経済の行き詰まりから脱却するには、地域のことは地域住民自身が考え、決める力を育てて自治力を高めると同時に、他の地域と連携していく新しい枠組みを確立することが私たちの暮らしをまもる道と考えているからです。

最後に、太子堂のまちづくりを支え、指導してくださった多くの皆さんに感謝いたします。とくに、今回の出版にあたって推薦者になってくださった方、私の拙(つたな)い原稿を読んで出版社の人を拙宅まで連れてきて、いろいろ面倒を見てくださった五十嵐敬喜さん(日本景観学会会長、弁護士、法政大学名誉教授)、井上赫郎さん(㈱まちつくり研究所)、上梓にあたって解題を書いたくださった延藤安弘さん(NPO法人まちの縁側育くみ隊代表幹事・元千葉大学教授)、推薦文のため太子堂を訪ねていただいた山崎亮さん(株式会社studio–L代表、山形芸術工科大学コミュニティデザイン学科学科長)たちにお礼を申し上げます。
また、学芸出版社の前田裕資さん(㈱学芸出版社代表取締役社長)には、営業政策に反する条件をいろいろ注文したので、社内での調整にご苦労をおかけしたと思いますがお許しください。
太子堂2、3丁目地区まちづくり協議会

梅津 政之輔

評 : 木下 勇
(元太子堂2・3丁目まちづくり協議会会員 千葉大学大学院園芸学研究科教授)

対立と真摯に向き合い、対話を重ねて人がつながる、持続可能なまちづくり

まちづくりについて専門家が書いた本は数多いが、住民自身が著したものはそう多くはない。特に単著の本は。この本は地区計画制度が出来た1980年からの、地区単位のまちづくりの過程を住民の生活の視点から語った貴重な本である。西の真野、東の太子堂と、まちづくりの老舗の真野まちづくりとよく比較される、関東におけるまちづくりの歴史に名を知られる太子堂まちづくり。その世田谷区太子堂2・3丁目地区まちづくり協議会のリーダーの梅津政之輔氏が著した、30 年以上のまちづくりの変遷過程を綴ったものである。

地区計画制度とともに、協議会方式まちづくりと普及したまちづくり協議会は地区計画が策定されると解散されてしまう所が少なくないが、30年以上もまちづくり協議会が解散せずに継続していることも珍しい。その意味は本書によく表れている。本書のタイトルに表れているように「暮らしがあるからまちなのだ」と、生活が続くようにまちづくりにも終了はない。

真野まちづくりと異なり、もとは行政主導で地区計画制度の適用として、当時、最も災害の危険度が高い、この太子堂2・3丁目地区で住民参加のまちづくりが始まったのは1980年。行政にとっても住民参加のまちづくりは初めてのこと。地区計画の青写真が先に描かれていたことからの行政対住民の対立に始まり、道路拡幅、建物不燃化を推進したい行政側の論理と、道路の安全と沿道のコミュニケーション、生活文化を大事にする住民側の論理の葛藤は最初から最後まで続いて来た。言葉も行政用語と住民の生活用語のギャップがあり、そんな対立を含みながら、行政と住民の協働が続いてきたのが実際である。いつの間にか住民主導に変わってきたとも言えるが、正確には住民と行政の対話的まちづくりとも言うべき過程である。住民の間でも対立はつきものである。実際のまちづくりはそんな対立の渦にあるが、それが表面化して、解決のための対話を続ける。そこに今は切れてしまっている人と人との関係をつなげる努力がみられる。当の梅津氏もさんざん攻撃の対象にもされてきた。しかし、梅津氏は言う。「地域というのはいろいろな価値観の人がいる、まちづくり協議会はいろいろな価値観があることを知る広場みたいなところ」と。

対立を避け、行政の論理になすがまま事業の終わりがまちづくりの終わりとなり、対立はないかのように水面下に隠れ、それぞれの生活が孤立化した地域と、このように対立を人がつながるきっかけとして丁寧に対話を続ける地域と、どちらが持続可能な社会であろうか。本当はこのような取り組みがいろいろな地域で暮らしを守るために広がってほしい。
太子堂まちづくりは特別な特殊解ではない。梅津氏以外にも立役者はいろいろ居る。それぞれの地域で独自のまちづくりのリーダーシップを発揮する人が出てきてしかるべきである。「時間と忍耐はまちづくりの必要コスト」と氏が本書で語るように、これは30年以上まちづくりに関わってきた一住民が、後継者や他地区に伝えたい気持ちが随所にふんだんに表れている。それゆえに得るものの多いまちづくりの参考書である。


評:乾亨
(立命館大学産業社会学部教授)

自治的地域運営の先駆的にしてきわめて優れた事例

「一人一人の住民が機嫌良く暮らすことができるまちを創らなあかん・守らなあかん」という、住民として当たり前の「想い」から太子堂のまちづくりは(梅津さんの活動は)はじまり、(行政の協力を得て)30年間にわたり、住民の想いに耳を傾け、住民同士で地域のあり方を話し合い、人と人とをつなぎ、ルールをつくり、少しずつ地域を良くする活動を継続してきた。とりわけ、狭隘道路・木造住宅密集という都市計画的課題を抱えた地域において、住民の安心・安全を守るために、人のつながりを育みつつ、住民同士の話し合いを基盤に、道づくりや防災広場づくり、木造住宅の不燃化などに取り組み成果をあげてきた経験は、当事者にしか語り得ない貴重な物語である。

町の形や暮らしを激変させることなく、できるところから少しずつ良くしていく「修復型まちづくり」は、成果が見えるまでに時間がかかるため、近年、行政内部では評判が芳しくないそうであるが(一気に町の形を変える「クリアランス型」のほうが、効率的)…この本を読めば、「暮らしを守る」という立場で考えた場合、まちづくりは修復型にならざるを得ない、ということも納得できるに違いない。

都市計画的規制まで含めて地域の方向を定め実行していくことは、一般的には行政の任務と思われているが、太子堂では30年も前から(もう一カ所、神戸市の真野地区でも35年前から)、「地域で決定し、地域で実行する」という自治的地域運営をおこなっているという事実に注目してほしい。近年、国も地方自治体も、「参加と協働」の相手として、小地域ごとに地域を代表し地域を運営する「協議会型住民自治組織」を立ち上げていく方向に向かいつつあるが、じつは、「太子堂まちづくり」や「真野まちづくり」は、自治的地域運営の先駆的にしてきわめて優れた事例なのである。その意味において、この本が発信している「住民の暮らしを守る」ために「地域で地域を運営する」というメッセージと経験は、決して「まちづくりの古典」や「昔話」ではなく、個々の住民がむき出しでグローバルな社会に放り出される新自由主義的政策がすすむ今こそ学ぶべきものだと考えている。

地域で暮らす者にとっては「自分たちでできるんだ」と勇気づけられ、まちづくりやコミュニティに携わる自治体職員にとっては、これからのコミュニティ政策を考える上で示唆に富む一冊として強く薦めたい。


評:山崎亮(コミュニティデザイナー)

勇気を与えてくれる歴史

コミュニティデザインの仕事に携わるようになって10年が経つ。仕事のほとんどが行政に呼ばれて始まる。条件を整理してワークショップを開催するのだが、初回はいつも緊張する。参加者のほとんどが「お前は行政側の人間か」という目で私たちを見るからだ。不信感だらけの視線を感じながら住民との対話を繰り返し、批判や横槍を乗り越え、いずれは住民との信頼関係を構築し、結束力を高めることになる。

そうなると今度は、行政の担当者が「お前は住民側の人間か」という目で私たちを見るようになる。住民運動を扇動している人のように見られる。悩ましい変化だ。

常にどちらかの味方であり、どちらかの敵であるかのような立場である。しかし、そんな役割を住民として30年にわたって担い続けた人が太子堂地区にいる。そこには、悩みながら試行錯誤を続けてきたまちづくりの歴史がある。コミュニティデザインに携わる者にとって、太子堂のまちづくりは大きな勇気を与えてくれる歴史だ。


評:銘伝大学都市規画与防災学科客員教授 陳亮全

この出版を応援しましょう

約30数年前、私がまた早稲田大学に留学していたとき、首都圏総合計画研究所のアルバイトで、太子堂の住民参加まちづくり計画に初めて接し、梅津さんを先頭にした住民たちの活動に感動し、梅津さんに大変感服しました。

この太子堂での住民参加まちづくり活動は、後、私が台湾で行った住民参加型環境改善や社区営造など一連行動の原点の一つと言えます。

このたび、梅津さんが長期間で行ったまちづくりでの住民として、そしてそのリーダとしての経験をまとめて、本にしたことは大変貴重な記録であり、住民参加まちづくりの研究、そして、今後のまちづくりと住民参加の地方自治に、大いに参考でき、貢献する著作と信じます。

担当編集者より

梅津さんは本書の「あとがき」で、あるシンポジュウムのパネラーに招かれたおり、その時の司会者だった佐藤滋さんから「私がまちづくりの研究を始めたころから活動している“古典的”な太子堂まちづくり協議会の梅津さんです」と紹介されショックを受け」たと書かれている。
ご本人にはショックだったかもしれないが、私は最高の褒め言葉だと思う。

世の中、流行廃りが激しく、人々の関心は移ろう。なにも本質的な前進がないまま、言葉がカタカナ語に変わり、事例が変わって何か新しくなったような気分になる。その繰り返し。それで本当に良いのだろうか。

そんな流行廃りに惑わされず、時代に応じて変化しながらも、基本を守って漸進してきた太子堂はの当事者による本書を読んでいただき、「継続するとはどういうことか」を考えていただけたらと思う。

(前田)

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