創発まちづくり


和田 崇 編著

内容紹介

つながり・出会いをかたちに変える方法とは

最近のまちづくりでは、傑出したリーダーや行政が主導するのではなく、一人一人の思いや動きを大切にし、それが相互に作用することで大きなうねりやかたちにつながる創発まちづくりの例が少なくない。本書は広島で活躍する7人の専門家による相互作用の場づくりの事例と手法を具体的に紹介し創発につなげる9つの原則を示す。

体 裁 四六・264頁・定価 本体2200円+税
ISBN 978-4-7615-2376-3
発行日 2005-12-30
装 丁 納島 克宗


目次著者紹介あとがき読者レビュー書評

はじめに……和田 崇

第1章 相互作用の場が生み出す創発まちづくり……和田 崇

1 創発まちづくりとは
2 相互作用の場づくりを担う人たち
3 本書の構成──七人の仕掛けと運営

第2章 若者たちの創発──大学と地域の相互作用……川名和美

1 学生とまちづくりの接点
2 起業家精神養成講座
3 まちも教室に
4 草の根産学連携

第3章 SOHOの「あったらいいな」をカタチにする人肌感覚の場づくり……牛来千鶴

1 じっとしていちゃ、何も始まらない!
2 自分らしく、できることからでいい
3 大切なのは、そこにいる一人ひとり
4 やるべきことは、見えてくる

第4章 一緒に種を播き、さわやかな自慢話を咲かす──創発型事務局の挑戦……氏原睦子

1 現場に飛び出した事務局
2 活動を先行し、必要最低限の施設をつくる──一つ目のコンセプト
3 可能なかぎり手づくりで行う──二つ目のコンセプト
4 協働で行う──三つ目のコンセプト
5 あーと村流「創発」のキーワード

第5章 探知創発のまちづくり──相互作用のマネジメント術……吉原俊朗

1 庄原まちなか会議の発足
2 相互作用の場のデザイン
3 庄原まちなか会議にみられる創発

第6章 「ひと」をつなぎ、「まち」をつなぐ──地域連携の仕掛け……和田 崇

1 「くにのかたち」を計画するか、その実体をつくるか
2 ネットワークを活かして「おもい」を具体化する
3 みんなでしまなみ地域を学習する
4 あなたも「しまなみプロデューサー」
5 県境サミット──十年史の編集から見えてくるもの
6 地域連携のこれから

第7章 メディアが創発を後押しできるか──新聞記者とまちづくり……増田泉子

1 都心のまちづくりを考える視点とは
2 特集「ひろしま 都心のあした」
3 まちづくりに貢献できる専門家たち
4 新球場建設からみえてくるもの

第8章 創発をはぐくむ行政へ──官民融合のチャレンジ……重徳和彦

1 「人間」と「ハート」が時代をひらく
2 行政仕事の「なぜ」
3 まちづくりをする公務員の心得

第9章 創発まちづくりの9原則……松波龍一

1 「創発」は何を教えてくれるか
2 “創発まちづくり”の姿勢9原則
3 俯角十五度のまち鎮め

和田 崇(わだ・たかし)……1章、6章

一九六九年広島県東城町(現・庄原市)生まれ。筑波大学第二学群比較文化学類(地理学専攻)を卒業後、一年間の高校教員を経て、地域交流センター入社。二〇〇二年に有限会社地域科学研究所を設立。同社取締役所長。
http://www.enjoy.ne.jp/~rsl/

川名和美(かわな・かずみ)……2章

東京都生まれ。駒澤大学大学院経済学研究科博士課程単位取得修了。現在、広島修道大学商学部助教授。専門は中小企業論で、中小企業の創業と経営、地域経済と中小企業政策、女性企業家、ベンチャー企業経営が主な研究テーマ。
http://comm.r1.shudo-u.ac.jp/~kawana/

牛来千鶴(ごらい・ちづる)……3章

山口県岩国市生まれ。短大卒業後、教科書出版社に就職。結婚出産退職後、六年間の専業主婦業を経て企画会社に勤務。販促プランナーとして八年間の経験を積み一九九九年に独立。二〇〇〇年には自らのSOHO経験を元に「広島SOHO,クラブ」を発足。
http://www.so-so.co.jp/

氏原睦子(うじはら・むつこ)……4章

長野県で育つ。東京の設計事務所にて市民参画による公園や川の設計に携わる。一九九八年広島へ。里山あーと村、そばをテーマにしたまちづくり支援など、現場重視の地域コンサルタントとしての仕事の傍ら、自らもNPO法人の事務局として川の水上交通を軸とした水辺のまちづくり活動を実践。

吉原俊朗(よしはら・としろう)……5章

一九七三年広島県生まれ。一九九八年広島大学大学院工学研究科修了。中国・地域づくり交流会事務局を経て、二〇〇三年二月英国グリニッジ大学大学院アーバンデザイン(マスター)修了。現在、社団法人中国地方総合研究センター地域計画研究部研究員。
http://www.crrc.or.jp/

増田泉子(そうだ・いずみこ)……7章

一九六三年広島市生まれ。立命館大学産業社会学部卒業。一九八六年、中国新聞社入社。報道部、岡山支局、文化部、山口支社を経て、二〇〇一年三月から社会・経済グループ記者。著書に『ユニタールアジア太平洋広島事務所開設記念 この星に生まれて』(共著)。

重徳和彦(しげとく・かずひこ)……8章

一九七〇年愛知県生まれ。東京大学法学部卒業。自治省(現・総務省)に入省。二〇〇五年四月から広島県地域振興部地域税財政室長(現職)として合併後の市町の財政運営を応援している。NPO法人青森ITSクラブや広島市内のおやじの会などにも参加。

松波龍一(まつなみ・りゅういち)……9章

一九四七年愛媛県生まれ。東京大学工学部都市工学科卒業。㈱都市環境研究所に二十一年間勤務した後、一九九四年に㈱松波計画事務所を設立。同社代表取締役。著者に『日本の町並みⅡ』(平凡社)、『日本の都市環境デザイン』(建築資料研究社)(いずれも共著)など多数。
http://www.realize.ne.jp/~nami/matsunami/

私は1993年度から10年間、国土計画や地域計画に関わる民間シンクタンクに勤めた後、2002年7月に独立し、現在の会社を設立した。そして、会社案内には、次のような文を載せた。

複雑化した現代の都市・地域社会は、内部作業や委員会等を通じた調査、研究、提言だけでは解決でできない問題が多くなっています。今後は、行政や住民、NPO、専門家など多様な主体との「交流」「共考(共に考えるという意味の造語)」「協働」が必要であり、その総合調整・進行管理を行うコーディネーターが不可欠と考えられます。

これは私がまちづくりに取り組む上の基本的な考え方を示したものであり、私自身がコーディネーターとしての役割を果たしてきたいと考えた。しかし、これを実現するために、小さな私の会社だけでは力不足であり、取り組むテーマ等に応じて、各分野の専門家とチームを組んで対応することが必要であった。

その後、まちづくりの実践に関わる中で、私自身が「交流」「共考」「協働」によるまちづくりのあり方やその手法を整理・体系化したい想いが強くなってきた。それは私自身の考え方を整理するのに役立つとともに、それを発信することで「交流」「共考」「協働」によるまちづくりが進めやすくなるのではないかと考えたからである。この想いを最初に伝えたのは氏原であり、それは2005年1月に瀬戸内しまなみ海道から広島市内へ帰る車中のことであった。瀬戸内の島々とそれらをつなぐ橋、島々の合間にしずむ夕日を見ながら、想いを話し合い、コンサルタントの仕事が一段落する年度初めに改めて話し合おうということにした。

そして、年度が明けた2005年4月、私と氏原は本書の企画を話し合い、広島を活動拠点とする若手の研究者やコンサルタントで「書こう!」ということになった。そして、集まってもらったのが私と氏原の他に、川名と牛来、吉原であった。その後、執筆者を増やそうということになり、増田と重徳も加わった。また、松波も企画に加わることになった。

ところで、本書の構想段階では、私は「…を生み出す、引き起こす」「演出する」などの意味を持つ「プロデュース」をテーマとすることを考えていた。しかし、それぞれが書いた草稿を持ち寄ってディスカッションしたり、本書の出版で大変お世話になった学芸出版社の前田裕資さんと意見を交換したりする過程で、主題を「創発まちづくり」とし、もう一つの主要概念として、「管理」「制御」をイメージする「プロデュース」でなく、「創発」の考え方に近い「ファシリテーション」「コーディネーション」「インキュベーション」などの言葉を包括する日本語として「相互作用」を用いることにした。

このように、提案者である私の企画のいい加減さもあって、出版に至る過程は紆余曲折であったが、共同執筆者や編集者の前田さん、越智さん、知念さんに辛抱強く、かつ積極的に関わってもらうことで、本書を出版することができた。

そして、本書の内容は、それぞれの執筆者がまちづくりの現場で住民やSOHO、学生たちとともに、語り合い、汗を流し、喜びを分かち合ってきた日々の活動があってこそのものである。その意味で、本文中に実名やイニシャルで登場していただいた各地のまちづくり現場のみなさんにも感謝を申し上げたい。

2005年8月
和田 崇

まちづくりには限りない楽しさがある。が、また悩みの種も尽きない。やれ、人がいない、モノがない、先が見えないお金がない。でも本当にそうだろうか、個々のそれぞれがうまくかみ合ってあたらしい価値や動きが生まれていくことが出来ないのだろうか? そんなおもいにこたえてくれるのが本書である。

研究者、プランナーや地域コンサルタント、メディアや行政職などの7人が、それぞれの分野からの視点で広島での実践事例を報告している。若い学生たちのまちを舞台したコミュニティ活動、9年目にしてやっと書いた絵地図での計画性とはなにかという話、まちなか会議での「探知創発のマネジメント」による整理、新聞記者としてどうまちに関わるか、公務員としての素朴な疑問、シロウト感覚など様々だ。ただ、それらを単に「手法」として伝えようとしているのではなく、個々の人間に立ちかえり、これでよいのかと反芻しながら取り組んだ「姿勢」として述べられているところがうれしい。まちは作るものでもあるし、自然に出来るものでもあるが、ひとり一人のおもいがさまざまに繋がって、当初考えてもいなかったようなあたらしいかたちへと変容していく、この創発的な形こそがまちづくりの基本なのだと具体的に説いている。たくさんの示唆に富んだ、ぜひ読んでいただきたい一冊だ。

おわりには、「一、走りながら考えること」に始まる「創発まちづくりの九原則」が挙げられているが、とくべつに難しいことはかかれていない。というよりは、これからまちづくりをやろうとする人、手探りでどうしていこうかと思っている人たちに、こう考えてみようよと語りかける優しさを感じる。仰ぎ見るだけでない、じっくり慈しみをもってまちと人のくらしを見つめる、編者の言う「俯角一五度のまち鎮め」の視点がいま求められているのだと思う。

(社)京都府建築士会まちづくり委員長/山本晶三

担当編集者より

まちづくりといっても、結果を読めないと不安になる。市民参加だ、ワークショップだといっても、どこかで落ち着くところに落ち着くことを期待している。マスタープランじゃない、マスタープログラムだ!などと、いろいろともがいてみても、やっぱり将来像やビジョンに固執し、計画をたてるとか設計図を描くという習性となんとか折り合おうとする。

そんなんじゃダメ、と最初に言ったのはジェーン・ジェイコブスの『アメリカ大都市の死と生』だった。人と人、人と場所が反応しながら、自己組織化されてゆく都市こそ、暮らしやすいと主張した。創発とはそういう相互作用による創造過程に他ならない。

まして「まちづくり」である。もっと人間を信頼するところから始めよう。リーダーだ、プロデューサーだと言わずに、相互作用の場をうまく仕組み、創発を誘発しよう。そうすれば思わぬ成果が必ず得られる。近代主義やシステム合理主義に染まった私には楽天的にすぎて、不安でたまらないが、一皮剥けたまちづくりの組織論としてお読みいただきたい。

(Ma)

“創発”とは頼もしいキーワードです。俯瞰でみると、個々がバラバラに動いているようにみえますが、実際はひとつの秩序をつくりだしています。逆に個のレベルからみると、自分たちのやりたいこと、思い、ミッションを、まわりの巻き込みながら実現させていくことが、大きなうねりに繋がっていきます。本書にある、あつい思いのこもった事例報告は、読むだけで元気になります。読み手のほうにもパワーが伝わってきます。本という媒体もまた、“創発”の仕掛けのひとつなのかもしれません。

(C)

『建築士』((社)日本建築士会連合会)2006.11

本のタイトルの「創発」という言葉を聞いたことがなかった。インターネットで検索してみると次のように紹介されているそうだ。
「局所的な相互作用を持つ、もしくは自立的な要素が多数集まることによって、その総和とは質的に異なる高度で複雑な秩序やシステムが生じる現象のこと。所与の条件からの予測や意図、計画を超えた構造変化や想像が誘発されるという意味で、「創発」と呼ばれる」

この言葉をキーワードとしたまちづくりの実践例を7人の著者がいろんな視点、例えば学生たちの「ビジネスプラン・コンテスト」、広島SOHO、クラブの「人肌」運営方針、里山あーと村の「言い出しっぺの原則」、「探知創発のマネジメント」、しまなみ倶楽部の「この指とまれ方式」、「オンナ・コドモ」の発見、そして行政担当者自らの委員会座長就任などなどを熱心に紹介している。即ち「創発」という概念をまちづくり、とりわけ市民・住民の組織的なまちづくり活動のありかたとして、多くの主体的な個人や団体が集まって、相互に活発な関係を結んだ結果、全体として何か新しいものが生み出される。生み出されたものは個々の人や団体のもつ欲求や論理や能力からは予め予測できなかったようなものであって、それがまた個々の人や団体の行動に影響を与える。このような視点、最初に計画がありきではなく、「手さぐり」の体験のなかから、たどりついた戦略を創発のまちづくりと呼んでいる。トップダウン方式ではない住民主導型のまちづくりの一つの戦略論として提案している。最後に実践事例から得られた結論を創発まちづくりの九原則としてまとめている。

団塊の世代が地域のまちづくりに入るときの心構えのバイブルとしても役立つのでは。その九原則の第一は「走りながら考えること」である。

(大嶌栄三)