耐震木造技術の近現代史

西澤英和 著

内容紹介

伝統木造家屋は激震に耐える! 先人は苛酷な震災に遭遇する度に、修理を通して耐震技術を蓄積してきた。果たして、近現代の日本は伝統木造の英知を活かせているだろうか?繰り返される在来木造の大被害、その要因を木造耐震化の歴史を振り返って明らかにし、地震国日本が培ってきた伝統木造技術の復権を論じる渾身の一冊。

体 裁 A5・432頁・定価 本体6000円+税
ISBN 978-4-7615-4093-7
発行日 2018/03/01
装 丁 上野かおる


目次著者紹介あとがき

序章 わが国の耐震構造の原点

1 震災と構造技術
2 伝統木造と在来木造
3 在来木造の定義
4 兵庫県南部地震の木造被害を考える
4・1 伝統木造はあったのか?
4・2 兵庫県南部地震の木造被害を振り返って
4・3 直下地震での木造建築の被害例
4・4 直下型地震特有の被害と原因──「ホゾ抜け」について

古代・中世から文明開化へ

第1章 和風木造と洋風木造

1 構造からみた洋風と和風木造
1・1 和風木造の現状
1・2 消えつつある和風木造の背景
1・3 洋風と和風木造の仕組みの違い
1・4 和風木造住宅と洋風木造住宅
1・5 洋風の伝統木造について
1・6 西洋の伝統的土壁について

2 古建築の構造技法
2・1 民家の軸組
2・2 茅葺屋根の仕組み
2・3 古代の社寺建築のサス組
2・4 古代の社寺建築の大釘
◇1 頭貫と柱の結合大釘
◇2 国宝薬師寺東塔の大釘
◇3 古代釘について
◇4 古代釘と長押について
2・5 古代の筋違
2・6 貫工法について
◇1 貫の導入
◇2 社寺建築の貫構造

江戸末期~明治初期

第2章 耐震研究の黎明──幕末の地震活動

1 地震学事始め
2 安政の大地震
3 安政奈良地震を巡って
4 小田東の木造耐震対策案

明治中期

第3章 濃尾地震後の木造家屋耐震化の機運

1 濃尾地震について
2 震災後の調査活動
3 濃尾地震での木造被害を巡って──和風か洋風か
4 震災後の耐震木造論
4・1 J・コンドルの見解
4・2 『地震』にみる横河民輔の見解
4・3 米国建築師、伊藤為吉について
4・4 『日本建築構造改良法』の見解
◇1 安全建築鉄具の提案
◇2 水害地適用地震耐家屋
◇3 四つの標本家屋
4・5 『地震家屋』にみる佐藤勇造の見解
◇1 被害率評価の概要
◇2 耐震建築一三カ条について
◇3 土蔵の耐震性について
◇4 火の見櫓の耐震性を巡って
◇5 洋風木造の耐震性と伝統家屋の耐震化の方策
◇6 耐震家屋試験盤の考案
5 佐藤勇造と伊藤為吉を巡って

明治中期~末期

第4章 震災予防調査会の活動

1 わが国初の地震研究機関“震災予防調査会”の創設と木造家屋の耐震研究
1・1 濃尾地震前夜
1・2 耐震研究の世論形成
1・3 地震研究機関の創設への世論
1・4 菊池大麓の建議と震災予防調査会の創設
1・5 福澤諭吉と菊池大麓
2 震災予防調査会における耐震木造の研究
2・1 震災予防調査会の研究方針について
2・2 人為地震台について
2・3 耐震研究施設の整備事業
2・4 辰野金吾の耐震煉瓦造建物
2・5 水平・上下二方向の人為地震台
◇人為地震台のメカニズム
2・6 人為地震台の試験建屋
3 大型の耐震架構モデル“木造耐震建築雛形”について
3・1 鳥居について
3・2 棟門について
3・3 日本家屋について
3・4 洋風家屋について
4 世界初の大型振動台“人為地震台”を巡って
4・1 人為地震台の製作
4・2 木造家屋の耐震研究の推移
4・3 人為地震台の稼働について
4・4 当初の振動台の性能について
4・5 人為地震台の改修について
4・6 煉瓦造耐震建屋と人為地震台試験施設の変遷
◇明治中期の帝国大学理科大学の施設拡充について
4・7 大森式地震計を巡って
4・8 耐震煉瓦造建築のその後
5 日清戦争期の地震災害と木造家屋耐震論
5・1 震災予防調査会での耐震木造家屋の研究動向
5・2 東京地震と庄内地震
5・3 野口の震災復旧調査
5・4 中村太助の接合法
5・5 地業の改善
5・6 捨算盤地業について
5・7 木造家屋の耐震対策を巡って
◇1 曽根達蔵の見解
◇2 野口孫市の見解
5・8 野口孫市と坂静雄の貫理論
◇1 坂静雄の貫の研究──国宝法隆寺金堂壁画保存を巡って
◇2 野口の貫理論
6 耐震木造校舎の試案“耐震雛形”を考える
6・1 義務教育制度と木造校舎建設
6・2 学校教育の近代化の歩み
6・3 文部大臣官房会計課建築掛と各種の学校建築規則
6・4 小学校建築図案について
◇1 通達の背景
◇2 構造方説明概略の概要
◇3 附図について
6・5 東京地震と「学校建築上震災予防方」
6・6 三島通良の学校建築研究
6・7 「学校建築図説明及設計大要」について
6・8 洋風と和風の窓開口について
◇1 上げ下げ窓
◇2 引き違い戸
6・9 震災予防調査会と文部省会計課建築掛の関与
7 各種の耐震木造建築の試案について“耐震木造雛形”を考える
7・1 耐震木造雛形のその後
7・2 震災予防調査会創設時の研究計画と成果
7・3 庄内地震後の耐震家屋木造雛形
◇1 町家一棟改良構造仕様について
◇2 農家改良構造仕様について
7・4 改良日本風木造家屋の建設
◇1 根室の耐震標本家屋
◇2 深川猿江の耐震標本家屋
7・5 野口孫市の日本風住宅改良構造仕様
◇1 伝統木造に対する基本姿勢
◇2 日本風住宅改良構造仕様について
8 再び伊藤為吉を巡って
8・1 造家学会との関わり
8・2 耐震煉瓦造との関わり
8・3 帝国大学工科大学での耐震木造の研究
◇1 研究従事の時期について
◇2 震災予防調査会嘱託員の時期について
8・4 金物接合批判
8・5 耐震的鉄具──ボルト接合雛形の構造実験の顛末
8・6 わが国初の大型構造実験
8・7 ボルト接合の改善策
8・8 伊藤の耐震木造工法──新式大工工法を考える
◇1 敷土台と床束なし工法──基礎免震の提唱
◇2 滑り支承について
◇3 火打木を用いた切組
8・9 伝統木造への回帰
9 世界初の“人為地震台実験”を巡って
9・1 完成した人為地震台と振動実験の本格化
9・2 J・ミルンと大森房吉の世界初の振動実験
9・3 人為地震台を用いた煉瓦造柱の振動実験
◇1 振動実験システムについて
◇2 煉瓦造試験の概要
◇3 等一耐震力曲線について
9・4 等一耐震力曲線の応用
◇1 耐震煉瓦構造への適用について
◇2 東京タワーと磐城無線送信塔
◇3 伝統木造構造物にみる等一耐震力曲線
9・5 大森式地震計と振動計測装置のアナロジー

大正~昭和(戦前・戦後)

第5章 激震に耐える木造建築

1 地震活動期を迎えて──木造家屋の耐震法令史
1・1 近年の直下型地震での木造家屋の被害率
1・2 耐震強度と法令
1・3 市街地建築物法の時代
◇1 当初の市街地建築物法施行規則
◇2 市街地建築物法施行規則の大改正
◇3 施行規則の見直し
◇4 室戸台風の被害と終局設計理論の展開
1・4 戦時建築規則について
◇1 木造建築の戦時統制について
◇2 積載荷重の見直し
◇3 許容応力度の変遷
1・5 戦後の建築基準について
◇1 建築規格3001号
◇2 建築基準法の構造規定とその背景
2 柱の太さを考える
2・1 屋根の荷重と柱の太さ
2・2 物法施行規則第五三条について
2・3 改正物法施行規則第五三条と建築基準法施行令第四三条
2・4 細い柱の構造リスク
2・5 二乗則・三乗則・四乗則
◇1 軸方向力に対する強さ
◇2 曲げモーメントに対する強さ
◇3 曲げに対する剛性
◇4 コストを考えると
2・6 「太めの柱」と「貫」「鴨居」のすすめ
2・7 「金物接合」のアキレス腱
3 土台と基礎の緊結を考える
3・1 伝統木造建築の移動現象
3・2 初の加速度型地震計の開発と地震加速度の実相
3・3 地震動の破壊力を巡って
3・4 基礎移動に関する戦前のコンセンサス
◇真島健三郎の柔構造建築
3・5 佐野利器・武藤清の免震基礎論
3・6 高い基礎と低い基礎
◇アンカーボルトの義務化について
3・7 戦前の基礎免震木造システムの評価
4 伝統木造家屋の耐久性を考える
4・1 川村清一の見解
4・2 聴竹居を訪れて
5 伝統木造建築の復権を目指して

あとがき
耐震年表
註・参考文献

西澤英和(にしざわ・ひでかず)

1951年大阪府生まれ。
京都大学工学研究科博士課程建築学専攻修了。
京都大学工学部講師を経て、現在、関西大学環境都市工学部建築学科教授。
鉄骨構造学と耐震工学を主要テーマに実証的な研究を展開。
歴史的建造物の保存修復や活用のために、社寺建築や煉瓦造の近代建築などの構造強度の評価に関する研究にも力を入れる。
また、文化財建造物の修復保存事業に際して、現地での構造調査や耐震補強手法に関する研究も幅広く実施。

主な著書

『BASICによる建築構造計算Ⅰ・Ⅱ』(共著、学芸出版社)
『鉄骨構造の話』(共著、学芸出版社)
『構造力学』(共著、昭和堂)
『建築学の教科書』(共著、彰国社)
『地震とマンション』(共著、ちくま新書)
など。

木造家屋の耐震性について原稿執筆の話が持ち上がったのは、平成23年3月の東日本大震災から1年ほど経った頃だった。平成7年1月の兵庫県南部地震の甚大な被害に接して以来、多少伝統木造建築の構造についての研究調査や実験に関わってきたので、この機会に“木造家屋の現在”を見つめ直してみようと思った。

ところで、近年伝統木造への関心が高まりつつあるのは喜ばしいが、一方では直下型地震の度に伝統木造には耐震性がないという風評が広まっているのが気になる。

そんななか、平成19年3月の能登半島沖地震直後、宮大工、伝統左官、瓦職、そして鳶職の親方衆と一緒に門前や黒島など激震地域を現地踏査したが、一見大被害と見えても伝統家屋のほとんどは、数日で応急復旧でき、その後数カ月もあれば震災前の姿に復旧することはさして難しくないというのが一致した見立てであった。

昔から伝統木造家屋は地震で被害を受けても、焼けさえしなければ大工棟梁や鳶職の手で復旧されてきたので、今回も当然そうなるだろうと思っていた。だが数カ月後に訪れると由緒ある町並みには更地が広がり、周囲の農地は解体家屋の廃材の山となっているのを見て本当にショックを受けた。

伝統木造家屋は、もともとオーバーホールできるように作られている。そのため、地震で多少損傷しても、無理なく復旧できる。建設機械も技術も格段に進歩した現在では、なおさらである。にもかかわらず、簡単に復旧できる建物までが次々と解体されるという現実を目の当たりにして、日本の木造建築技術は本当に進歩しているのだろうか? 木造建築の技術基盤の崩壊は想像以上に深刻化しているようだ。

こんなこともあって、明治以降現在に至るまでの150年ほどの木造建築の耐震化の流れを今一度たどってみようと考えて、まずは手始めに耐震研究の契機となった明治24年10月の濃尾地震とその後の動きについて調べ始めたのであるが、わからないことは多岐に及んで全貌は一向につかめない。

そのため、明治20年代に身を置いて、当時の人々が何をどう考えたのか? 論説や雑誌、新聞にも目を通しつつ、当時の世相を追体験しようと悪戦苦闘しているうちに、わずか数年を辿るのに、4年以上経ってしまった。この調子ではその後現在に至る100年を俯瞰するのに、優に百年を要するではないか。

建築史学とは無縁の一介の構造研究者が大それたことを考えたものだと観念し、とりあえず明治30年頃までを一区切りとして、あとは駆け足で戦後までを眺めた次第。

最後に、日本人が長い歴史のなかで、営々と培ってきた世界に誇るべき伝統木造建築。それらは、近年耐震性を巡って時にいわれなき批判に耐え忍びつつ、わずかに命脈を保つという誠に心細い状況に陥っている。

しかしながら、伝統木造を工学的な視点から調査し、観測し、実験し、そして解析してみると、その力学的合理性には驚くことばかりである。伝統木造建築は我々建築構造学者にとってまさに無尽蔵の学術的宝庫である。この事実は今回の執筆を通じて、より強固な確信となった。

日本の優れた伝統木造の技術体系を現世代で絶やすことなく、一層発展させるために今我々がなすべきことは多い。今後は、若い人たちがさまざまな視点から、日本建築──特に伝統木造建築の耐震性について考究されんことを大いに期待しつつ、いったん筆を置くことにした。

原稿を纏めるにあたり、多くの方々から有益な御助言を頂きました。末筆ながら厚く御礼申し上げます。

平成29年12月
西澤英和