社宅街 企業が育んだ住宅地
内容紹介
近代日本を産業で支えた企業が作った街の姿
日本の近代化を支え、生産機能向上にまい進した企業は、福利施設として住居、娯楽施設、都市基盤等をも整備し、街をつくった。北海道から鹿児島に加え、日本統治時代の樺太、台湾、南洋群島の12事例を取り上げて、先進的な試みに満ち、現代にもひそやかに息づく社宅街の、成立と変容を明らかにする。社宅街データベース付。
社宅研究会 編著
著者紹介
体裁 | A5判・256頁 |
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定価 | 本体3000円+税 |
発行日 | 2009-05-30 |
装丁 | KOTO DESIGN Inc. |
ISBN | 9784761531768 |
GCODE | 5332 |
販売状況 | 在庫×・重版未定 |
ジャンル | 住宅 防災 |
2010(平成22)年度(社)日本都市計画学会 石川奨励賞賞受賞!
第Ⅰ部 近代の企業開発住宅地─社宅街
1章 企業が育み、企業とともに成長する街
1 「社宅」および「社宅街」とその変遷
2 『職工問題資料』から見た社宅の先進性
3 社宅街の類型化
4 社宅の暮らしを支えたもの
2章 社宅を読み解く視点
1 鉱業の社宅
2 紡績業の寄宿舎
3 工業の社宅
4 海外の社宅
第Ⅱ部 社宅街の誕生と展開
1章 苫小牧/カンパニータウン
1 王子製紙の北海道進出とその背景
2 「企業城下町」苫小牧の形成
3 社宅街の変遷
4 社宅
5 社宅街開発による都市生活の享受
6 単一企業都市・苫小牧の現在
2章 鴻之舞/消えた東洋一の金山
1 住友による金山の開発
2 社宅街のうつりかわり
3 人々の暮らしと住友による庇護
3章 釜石/近代製鉄発祥の地
1 社宅開発と更新・分譲
2 社宅の配置
3 社宅の平面構成と変遷
4 釜石製鐡所社宅街の福利施設
5 社宅と釜石市の現在
4章 小坂/記憶をつなぐ鉱山町
1 近代秋田の鉱山事情と小坂鉱山
2 鉱山町小坂の原型とその空間構成
3 鉱山「都市」小坂の形成
4 記憶をつなぐ鉱山町―鉱山町小坂の現在
5章 日立/鉱山町から工業都市へ
1 日立鉱山の社宅街
2 日立製作所の社宅街
3 日立の産業遺産
6章 生野・神子畑・明延/鉱石の道がつなぐ三鉱山
1 近代生野鉱山の広がりと変遷
2 旧銀山町に混じり込む近代の社宅街
3 支山の開発と飛び地的社宅街の建設
4 三鉱山の社宅街の構成
7章 倉敷/大原孫三郎の労働理想主義と寄宿舎の改良
1 倉紡の設立と初期の寄宿舎
2 分散式家族的寄宿舎と御崎社宅の建設
3 万寿工場の新設と田園都市風社宅
4 分散式寄宿舎への回帰
5 職員社宅の建設
6 大原孫三郎の「労働理想主義」と福利施設
7 郊外開発と道路計画
8 企業家の限界と集合式寄宿舎への集約
8章 新居浜/社宅街という生活文化の遺産
1 「文化財」としての社宅街―新居浜の住友山田社宅
2 別子銅山の始まりと展開
3 谷間斜面に建つ東平の社宅街
4 島を埋め尽くす四阪島の社宅街
5 なだらかな傾斜地の新居浜・山田社宅
6 長年の企業活動が空間化した遺産としての社宅街
9章 串木野/「伝統」対「革新」、「島津家」対「三井財閥」
1 薩摩の金山―山ヶ野と芹ヶ野
2 島津家鉱業館と役宅群
3 三井鉱山による再編と社宅群
4 生き続ける鉱山と社宅街
10章 樺太/「内国植民地」の社宅施策
1 施設の構成と配置
2 社宅とその変容
3 僻地での生活を支えた施設
4 樺太における製紙業社宅街の位置づけと足跡
11章 台湾・金瓜石/植民地統治下の社宅
1 金瓜石鉱山を巡る経営者の変遷と増加する鉱夫
2 斜面に展開する社宅街
3 社宅街の生活を支えるさまざまな施設
4 「光復」後の社宅街
5 「黄金博物園区」になった金瓜石鉱山
12章 南洋群島/熱帯気候下の社宅
1 南洋群島を支えた製糖コンツェルン―南洋興発
2 常夏の楽園サイパンの一大RC造社宅街
3 熱帯気候下の社宅と生活
第Ⅲ部 社宅が語る近代日本の住文化
1 実習報文が映し出す生きられた住宅街
2 社宅が作り出した先進の街
3 「博愛主義」の前提にあった共同体意識
おわりに
社宅街データベース
はじめに
近代日本において企業が開発した社宅街は、業種、年代、運営方式による違いはあるものの、近代産業黎明期から、住宅ストックの乏しい地方において果たした役割は大きく、福利施設*1や都市基盤をともなった開発は当該地方の都市化を促した。そこには「近代」という均質化された都市形成の縮図を垣間みることができる。一方で、日本の近代化を支えた人々の生活をも含んだ歴史遺産として位置づけることも可能である。
本書で対象とする社宅街はすべて第二次産業*2、すなわち鉱工業系企業の管理・経営によるものである。近代日本の鉱工業は、一九世紀の官営工場・鉱山を主体とする繊維業(製糸、紡績、織物)と鉱業(炭鉱と金属鉱山ならびに製錬)に始まり、重工業(機械、造船、鉄鋼)の時代を経て、一九二〇年代には大規模化した化学工業へとシフトしていく。第一次産業の生産品を原材料とし、植民地を含め大きな展開を見せた製糖業と製紙業もまた、近代日本の主要工業である。その担い手の多くは、三井、三菱、住友、古河などの財閥であり、工場あるいは坑口の周囲に社宅を含む福利施設を建設し、包括的な都市をつくりあげた。
これまで第二次産業の遺構は、労働争議や労働災害、公害問題の象徴として、どちらかといえば「負の遺産」と捉えられる傾向にあり、正当な歴史的評価を受けることが少なかった。しかし、近年の近代化遺産に対する意識の高まりとともに、第二次産業の遺構に対する認識が変化しつつある。その一例が、二〇〇七年の石見銀山の世界遺産登録であり、二〇〇八年一二月までに「富岡製糸場と絹産業遺産群」(図1)、「九州・山口の近代化産業遺産群」、「金と銀の島、佐渡」が世界遺産暫定リストに名を連ねている。この他にも北海道空知地域の炭鉱施設、足尾銅山、別子銅山でも福利施設を含んだ世界遺産登録への活動が見られる。文化庁の文化財保護行政では一九九三年以降「近代化遺産」を重要文化財建造物の種別に加え、経済産業省でも二〇〇七年に三三件の「近代化産業遺産」を認定した。
世界に目を向けると、南米チリのシーウェル鉱山町や、イギリスのニューラナーク(綿紡績工場とその労働者用住宅、図2)とソルティア(モデル・ヴィレッジ、図3)、イタリアのクレスピダッダ(綿紡績工場と労働者のための理想郷)などが、カンパニー・タウン(Company Town)、あるいはインダストリアル・ヴィレッジ(industrial village)としての価値を評価され、世界遺産に登録されている。このカンパニー・タウンやインダストリアル・ヴィレッジは、近代の企業経営都市に対する高い認識と横断的な研究蓄積を基に、開発手法、開発形態などから明確に分類されたものである。しかしながら、日本では企業が開発した都市を包括する概念自体が希薄であり、かつ、これまで行われてきた社宅や社宅街に関する研究では、資料的限界から個別の事例報告の域を脱することができず、何らかの指標をもって整理分類するには至っていない。
本書の第Ⅰ部では、鉱工業系企業の社宅を含めた福利施策の展開を辿りつつ、「社宅」および「社宅街」を定義するとともに、産業分野ごとに社宅街を読み解く俯瞰的な視点を提示する。第Ⅱ部では、積極的かつ意図的な社宅街経営を読み取ることのできる日本国内および植民統治時代の外地の一二事例を①企業の事業展開と社宅を含む福利施設充足の経緯、②市街地(社宅街)の形成過程、③建設された社宅を含む福利施設の建築的特徴、④現況の四点に着目して報告する。大都市とは異なる、地方都市における「社宅街」というシステム化された都市形成プロセスの理解につながることを期待したい。
*1 現在では「福利厚生施設」という言葉が一般的であるが、日本近代期に「福利厚生」の語は各種史料にはなく、「福利施設」の表現のみ確認できる。したがって、本書では「福利施設」のみを用いる。
*2 コーリン・クラークによる産業分類では、鉱業は採取業として第一次産業に分類されるが、日本標準産業分類では第二次産業に分類される。本書では後者に従う。
なし
開催が決まり次第、お知らせします。