生活景
内容紹介
なぜこんなにも現代の日本の風景は貧しいのか。それは日常の暮らしが滲み出た風景=生活景を見失ったからだと本書は提起する。地域に蓄積された歴史や文化を内包する生活景は、景観の地模様となり、コミュニティを育む媒体ともなる。気づかないまま失いつつある生活景を価値づけ、その可能性を共有する手がかりを提示する。
体 裁 A5・288頁・定価 本体3100円+税
ISBN 978-4-7615-3170-6
発行日 2009/03/30
装 丁 CRATER Design Works
はじめに 〈後藤春彦〉
序 日本の風景の貧困に挑む 〈後藤春彦・小林敬一〉
第Ⅰ部 生活景とは何か 〈後藤春彦〉
1 景観と生活景
2 積層する生活景
3 「生活景」への期待
第Ⅱ部 変わりゆくまちと問われる生活景
第1章 中心市街地の衰退と景観紛争──地方都市の変わりゆく状況 〈浅野聡〉
1 揺れ動く地方都市のまちづくり現場
2 伊賀市における上野天神祭巡行路の高層マンション建設と訴訟
3 松阪市における四五百森の高層マンション建設と反対運動
4 浮かび上がった生活景をめぐる課題
5 景観紛争を契機として再評価された生活景の景観価値
第2章 モザイク状に変化する大都市の生活景──大都市の変わりゆく状況 〈嘉名光市〉
1 変貌する大都市の風景
2 戦前の土地区画整理と長屋による住宅地、阪南
3 下町の地域コミュニティが息づくまち、野田
4 大都市の変わりゆく生活景を俯瞰して
第3章 郊外住宅地の形成と変容する生活景──大都市近郊住宅地の変わりゆく状況 〈北原理雄〉
1 日常生活景へのまなざし
2 検見川の原風景
3 郊外住宅地の誕生と成長
4 変わりゆく生活景
5 郊外住宅地の生活景
第4章 ふるさと景観のゆくえ──集落の変わりゆく状況 〈山中知彦〉
1 都市の先駆けとしての集落
2 生活景を受け継ぐ地域の集落や人々との出会い
3 集落の生活景が誘起する地域多様性の再生
第Ⅲ部 生活景の可能性
第1章 生活景と都市計画・設計 〈小林敬一〉
1 生活景という問いかけ
2 自由な多主体のつくる景観と漸進的アプローチ
3 感覚性能の向上と都市の生命力
4 主体と環境との関わりとふるさとの回復
5 アメニティ豊かな生命都市に向かうための転換
第2章 生活景と環境哲学 〈桑子敏雄〉
1 空間の豊かさとは何か
2 行為としての空間再編
3 風景の喪失と発見
4 空間の概念化とそれを超えるもの
第3章 生活景と経済学 〈丸尾直美〉
1 生活景観と環境アメニティ
2 環境アメニティと生活景の経済学的特性
3 海外で経験した生活景と環境
4 郷里で経験した生活景を育むまちづくり
5 環境アメニティ資産と生活景の管理運営
第4章 生活景と環境認知 〈野中勝利〉
1 生活景と暗黙知
2 生活景と記憶・想像
3 自己表出と交流
第Ⅳ部 生活景の育成手法
第1章 生活景の育み方 〈宇於﨑勝也〉
1 生活景を育む
2 生活景を育み活かす
3 生活景を見いだす
第2章 生活景の発見と読解手法 〈志村秀明〉
1 生活景の読み解き
2 生活景探しワークショップ
3 生活景を表現するツール
4 生活景ワークショップの全体プログラム
第3章 生活景の地図化と協議の手法 〈宮脇勝〉
1 一般的な住宅地の平凡な景観
2 景観資源のマップ化による生活景の顕在化
3 景観基準点となりうる生活景の具体例
4 景観資源マップの作成
5 景観資源マップの景観行政での活用
6 大規模開発や構想づくりにも活用
7 運用上の課題
第4章 生活景の顕彰手法 〈岡田雅代〉
1 景観施策による地域資源の発掘と生活景
2 普及啓発期における生活景の発掘と共有共感を呼び覚ます工夫
3 地域資源を活かした生活景の育み方
第5章 生活景の言語化手法 〈卜部直也・平井宏典〉
1 生活景を美と捉えた町
2 生活景をかたちづくる方法
3 美の条例と生活景の育み
第Ⅴ部 生活景を育むまちづくり事例
第1章 伊勢河崎──水運景観の喪失から賑わいの復活へ 〈浅野聡〉
1 水運を活かした問屋街としての生活文化が積層する河崎
2 伊勢河崎まちづくり衆と伊勢河崎商人館の誕生
3 商人町をコンセプトにしたまちづくりの実践
4 勢田川をコンセプトにしたまちづくりの実践
5 生活景の再評価と次世代に継承するためのルールづくり
6 次期式年遷宮に向けたまちづくりの展望
第2章 金沢大野──醤油蔵を活用したアートプロジェクト 〈水野雅男〉
1 生活景をつくりだす市民活動
2 醤油の産地、金沢大野
3 身の丈に合った活動目標を探す
4 六つの拠点と回遊する仕掛け
5 空間活用の社会実験
6 協働スタイル
7 組織体制の変遷
8 活動の成果
第3章 象潟──景観保全と農業振興に揺れる島々 〈三宅諭〉
1 多島海の面影を残す象潟
2 天然記念物の島々と農地を守る
3 地域の記憶を伝える生活景─景観保全から開発、そして新しい景観へ
4 住民による島の管理
5 新たな問題に取り組む行政
6 象潟に見る生活景への期待
第4章 世田谷──地域風景資産と景観まちづくり 〈岡田雅代〉
1 普及啓発型からボトムアップ活動型の景観まちづくりへの展開
2 景観まちづくりの活動支援とプラットフォーム
3 地域風景資産を手がかりとした景観まちづくりと生活景
4 地域風景資産の選定と世田谷の生活景創造への構図
第5章 月島──街割に基づき連携が育む生活景 〈志村秀明〉
1 月島の成り立ちと街割
2 月島の生活景
3 まちの変容と路地を存続させる制度
4 生活景を育む住民と市民活動、大学の支援
5 主体と連携に着目した生活景を守り育む方法
むすび 社会関係資本としての生活景 〈後藤春彦〉
1 「生活景」による市民自治の表現
2 社会関係資本としての「生活景」
あとがき 〈後藤春彦〉
日本建築学会には、四半世紀を優に超える景観研究の蓄積がある。そこには、日本の景観をより良いものにしたいという研究者たちの強い願いが込められている。
研究成果は日本各地での景観形成の実践に活用されるとともに、「景観法」の制定という景観行政の根幹を構築するところまで到達した。その結果、歴史都市の街並みなどの景観保全は大きく前進することとなった。しかしながら、それは一定の評価が得られている特徴的な部分空間の保全に限られており、一般市街地などは今後の課題として残されてきた。
我々の活動は、まだ道半ばと言わざるをえない。はっきりとした特定の主題を有する景観が限定された空間内で存在するということは、多くの外来者の視線を受け止める観光の対象となり、ある意味では、テーマパークのように実際の市民生活とは遊離したものとなりがちである。
一方、リアルな日常生活の舞台としての景観は市民の意識の外に置かれたままで、一般的な市街地等の名もなき景観は魅力に乏しいものとなってしまっている。
こうした背景から、90年代の半ばより研究者の関心は、ランドマーク等の象徴的な景観の創出や保全のみならず、景観の地模様となるような生活に根ざした景観価値の発見や解読に向けられている。
そして、研究者たちは、どこにでもあるような一般的な市街地の景観が実はその場所の地域性を表現する上で、とても重要な価値を有するものであることを認識し、日常生活の中で日々享受している「空気」のような身近な存在の景観が、突然、場所の文脈とは異なる開発、たとえば高層マンション等の出現によって失われつつある現状に警鐘を鳴らし始めた。
官製の都市計画から市民主体のまちづくりへの社会背景の大きな変化を受けて、このような生活に根ざした景観を再発見し、これを「生活景」と呼び、市民の共通の意識のもとに置き、あらたな価値づけを与えることを試みるために本書は企画された。
日本の景観が世界に誇れるような美しさを取り戻すためには、市民自治のもとで景観の地模様となる「生活景」を整えていくことが望まれる。これが叶わなくてはわが国の景観はけっして良くはならない。その一方で、持続的で安定していたはずの「生活景」が、今日、危機的な状況におかれていることと、「生活景」にはかけがえのない価値や潜在的な可能性があることについて、多くの市民に深く理解していただきたい。
本書は閉ざされた学問領域の中の学術書にとどまるものではなく、学術成果を市民に開かれたものにしたいとの願いから、日本建築学会都市計画委員会都市景観小委員会を中心に編集刊行されたものである。
日常生活の中から、景観形成に市民一人一人が貢献できるような自発的な行動が生みだされていくことが本書の果実として期待されている。
日本建築学会都市計画委員会都市景観小委員会・主査
後藤春彦
日本建築学会には常置委員会として都市計画委員会(小林英嗣委員長)があり、その中に都市景観小委員会*が位置づけられている。この研究組織は都市計画委員会の中でも古くから存在する老舗の小委員会の一つで、これまでにも研究成果をもとに『景観法と景観まちづくり』(学芸出版社、2005)などを著している。
また、毎年初秋に開催される日本建築学会の大会開催の際には、会場近郊で景観形成に先進的な取り組みをしている都市を訪ねて、地元の市民や研究者、自治体の協力を得ながら、見学会やシンポジウムなども企画している。
小委員会の活動の中核をなすものが、建築学会大会におけるパネルディスカッションや研究協議会である。これまでに、2000年と2003年の建築学会大会において、「生活景」をキーワードに、地域住民の主体的な協働により将来像を描き、それを共有することを目指したまちづくりのプロセスと手法、そのための組織やルールづくり、地域外との交流や支援方法などについて議論を重ねてきた。さらに、2006年度から3年間にわたって「生活景」をテーマに掲げて活動を進めてきた。
本書は約10年間に及ぶ「生活景」に関する研究成果の一端に位置づけられるもので、都市景観小委員会のメンバーに限らず、多くの日本建築学会会員や市民とのディスカッションを通じて得られたものである。
従来、学会活動による共同研究成果は、多くの執筆者の参加のもとにとりまとめられる性格上、資料集や事例集のような体裁になることが多かったが、本書においては、新しい「生活景」という概念を社会に広めていくことを目指して、本書全体を通じて起承転結のあるような編集を進めることを心がけた。そのため、手弁当の作業にもかかわらず編集委員会を何度も開催するとともに執筆者にも数度にわたって修正依頼をするなど、丁寧に内容を育んできたとの印象を持っている。全体の編集には後藤、小林、志村があたり、各部のとりまとめを、浅野(第Ⅱ部)、志村(第Ⅲ部)、宇於(第Ⅳ部)、宮脇(第Ⅴ部)が行った。
日本建築学会編として公刊するにあたり、景観研究の先達である鳴海邦碩・大阪大学名誉教授と西村幸夫・東京大学大学院教授による査読の機会を得た。両氏ともご多忙中にもかかわらずすべての原稿にお目通しをいただき、丁寧なご指導を仰ぐことができた。この場をお借りして、両先生にお礼を申し上げる次第である。
また、多人数の執筆者による著作にありがちな不統一感を危惧したが、この分野の出版を数多く手がけている学芸出版社の前田裕資さんには企画段階から編集段階まで一貫してアドバイスを受け、宮本裕美さんの力添えを得て、上手にまとめていただくことができた。記して感謝の意を表したい。
本書は、「生活景」という新しい景観の見方を社会に広めるとともに、「生活景」の発見や価値づけ、共有するための手がかりを市民に示すものである。これにより、「生活景」が随所に息づくわが国の成熟社会のまちづくりに対して、わずかながらでも寄与できたならば、これにまさる喜びはない。
2009年3月
日本建築学会都市計画委員会都市景観小委員会・主査
後藤春彦