ジェントリフィケーションの功罪
国内外10事例の多様な実態が示唆する方策
地価急騰による住民や個店の追い出し、公共空間利用者の選別、場所性の喪失…。ジェントリフィケーションは都市の再生・改善ともされる一方、その弊害は深刻化している。功罪両面に焦点を当てながら、国内外10の事例をもとにその多様な実態と対策を分析。都市が急速な変容を避け、より良く成長するための方策を示唆する。
服部圭郎 編著/阿部大輔・黒瀬武史・石原凌河・岩淵丈和 著
| 体裁 | A5判・304頁(カラー口絵14頁) |
|---|---|
| 定価 | 本体2800円+税 |
| 発行日 | 2026-03-15 |
| 装丁 | 北田雄一郎 |
| ISBN | 9784761529659 |
| GCODE | 5736 |
| 販売状況 | 予約受付中 (店頭発売:2026年3月14日頃) |
| ジャンル |
カラー口絵
はじめに(服部)
第1章:ジェントリフィケーションの構図と議論の展開(阿部)
第2章:ケーススタディにみるジェントリフィケーションの諸相
2.1 [アメリカ][追い出し]問題の最先端にある4都市の現状と対策──ニューヨーク、アトランタ、シアトル、デンバー(服部)
2.2 [ライプツィヒ][家賃高騰]縮小から成長へのV字回復とそれに伴うジェントリフィケーション(服部)
2.3 [バルセロナ][観光]オーバーツーリズムによる観光ジェントリフィケーションとその対策①(阿部)
2.4 [京都市][観光]オーバーツーリズムによる観光ジェントリフィケーションとその対策②(阿部)
2.5 [下北沢][商業]地域の魅力の源泉である個店を失わせた再開発──コマーシャル・ジェントリフィケーション(服部)
2.6 [福岡市六本松][商業]リノベーションと人の関係性による創造的な都市再生──ローカルカルチャーと再開発の均衡(岩淵)
2.7 [福岡市大名][商業]都心周縁地区の都市構造が生んだゆるやかな変化(黒瀬)
2.8 [いわき市][復興]震災被災地における再投資・目的地化による地価上昇(石原)
2.9 [豊島区][行政主導]社会的弱者に対する行政の責務──南池袋公園における利用者の選別(服部)
2.10 [ウィーン][抑制]ジェントリフィケーションを抑えることに成功した都市(服部)
第3章:「功」と「罪」を検証する
①「罪」への着目
3.1 住民の追い出し(ディスプレイスメント)(服部)
3.2 観光活動による場所の商品化・生活環境の変容(阿部)
3.3 地域のアイデンティティの喪失(服部)
②「功」への着目
3.4 治安、自治体財政等の改善(服部)
3.5 衰退した都心周縁部再生への寄与(黒瀬)
3.6 災害復興等による地域整備(石原)
第4章:これからの日本のジェントリフィケーションとその対策(服部)
あとがき(服部)
バブルが崩壊し、その地価が長期間低迷した「失われた20年」を経て、日本の都市ではその空間の魅力創出を契機としたジェントリフィケーションが顕在化するようになってきた。そして、このジェントリフィケーションを多くの日本人は「都市再生」の成功の証として諸手を挙げて喜んでいる。それまで、ずっと下がり続けていた地価がようやく上昇したのである。それを喜ぶ気持ちはよく理解できる。
しかし、海外に目を向けるとジェントリフィケーションは都市が抱える大きな問題として位置づけられている。「よいジェントリフィケーションなどない」と声高に主張する都市研究者や住民運動の活動家もいる。随分と悪者扱いだな、と思ったりもするが、それだけ、それがもたらす問題が大きいのであろう。
さて、最近、日本でも開発の当事者が主張するほどジェントリフィケーションはいいことばかりではないな、ということを認識させるような事例がぼつぼつとみられ始めている。観光客が大挙して訪れることになったために宿泊需要が高まり、地価が高騰し、若い住民が家を借りづらくなってしまった京都市、それまで炊き出しをしていた場所をお洒落にし、テイストによって利用者を選別する方針を打ち出し、ホームレスを追い払った豊島区の公園、個店の頑張りで都市空間としての魅力を高めた結果、地主がより高い家賃を負担できるチェーン店をテナントに入れて、個店を追い出している世田谷区の下北沢などである。
本書は、ジェントリフィケーションが悪いと主張することを目的としているわけではない。しかし、ジェントリフィケーションには功罪があり、両方の視点から、それを多面的に分析することで、その現象をよりよく理解する一助となるのではと考え、ジェントリフィケーションの議論がより広まることに資する情報、知見を提供することを目的としている。
(中略)
本書は5人の執筆陣によって担当されている。5人とも都市計画、都市デザインなどを専門とする研究者である。したがって、都市の変容にどうしても関心が集まってしまう。読者によっては経済学的、社会学的な考察をもっと深耕してほしいといった物足りなさを感じるかもしれないが、都市計画の研究分野に絞ってもまだまだ調べなくてはいけないことを取りこぼしていることを実感している。しかし、それらはまた今後の研究課題とし、本書はあくまでジェントリフィケーションというなかなか簡単には捌けない問題の議論を喚起し、促進させるものとして世に問いたいと考えている。多くのご意見、ご批判をいただき、またそれを糧にジェントリフィケーションの理解を深めていきたいと考える次第である。
2026年2月 服部圭郎
『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』という映画が2015年に公開された。これはドキュメンタリー映画の巨匠であるフレデリック・ワイズマン監督の作品である。本書の2章でも触れたように、ジャクソンハイツはニューヨーク市クイーンズ区にある多文化で多様性に富んだ、まさに人種と文化の坩堝のようなネイバーフッドである。そこには世界中から移民が集まり、160以上の言語が話されており、多様な文化、宗教、エスニシティが共存している。
『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』は、この地域の人々の生活に焦点を当て、彼ら・彼女らが日々、直面するさまざまな社会問題を描写している。その社会問題の中でも、特に焦点が当てられたのがジェントリフィケーションである。同地区をビジネス改善地区(BID地区)へと指定しようとする政治的な動きがあった。その指定によってジェントリフィケーションが加速化し、長年ここに住んできた人々や、この場所で商売を営んでいた個店の追い出しにつながることを危惧した住民たちが反対運動を展開する。ビジネス改善地区とは、ある指定された地区内の地主そしてビジネス・オーナーが、その地区を改善するための基金を設立するという制度であり、その目的はその地区を消費者に魅力あるものとし、その不動産の投資価値を高めることである。
筆者はこの映画が東京の下北沢、そして京都の出町柳で上映されたときに、その映画の解説をする仕事を請け負ったことがある。観客の多くは、どうもジェントリフィケーションという社会問題が海外では取り沙汰されており、それは都市開発と関係がありそうなので、その内容をしっかりと知っておくことが必要であろう、という関心を抱いて映画館に足を運んでいたようであった。そして、私がジェントリフィケーションとジャクソンハイツの解説をひと通りして、質問の時間を設けたとき、東京でも京都でも出てきた質問は「ジェントリフィケーションのどこが悪いのですか?」というものであった。もちろん、映画では住民たちが追い出されるかもしれない、という危機意識からビジネス改善地区の指定に反対しているのは理解できていたかと思うのだが、それでも、自分たちが所有する土地の不動産価値を高める行為のどこが悪いのかがピンとこなかったようだ。
同じようなことは、福岡市の吉原住宅(3-5)の社長である吉原勝己氏との話でも持ち上がった。「イメージも悪く、防犯上でも問題があった地区の集合住宅を、一生懸命、その価値を高め、それと同時に周辺イメージもよくすることに成功したら、ジェントリフィケーションだと言われる。そして、それはよくないことだと言われて、驚きました」。
その土地、場所の価値を少しでも高めようとするのは都市政策事業の根幹的な目的である。その土地、場所の価値を下げるような都市政策事業を人々は認めないであろう。そんな事業であれば、やらない方がましである。民間企業であれば尚更だ。さて、しかし、土地や場所の価値を上げることは、地価の上昇、そして家賃の上昇につながる。そして、これらが要因となって人々や個店の追い出しが生じると、それを社会問題として捉えることができる。日本の都市ではバブル期の地価高騰のときに、地上げ屋が暗躍し、地価・家賃高騰といった間接的な追い出しではなく、ほぼ暴力的な追い出しなどが起こっていた。そのような状況に比べると、ジェントリフィケーションなんか可愛いものではないか、との印象を受けるかもしれないが、欧米、特にアメリカでは、ジェントリフィケーションは人種差別問題、社会格差問題と密接につながっている。単なる追い出し以上の社会的な問題を含有している。
このようにジェントリフィケーションは、なかなか複雑で難しい問題を孕んでいる。それは一方的に悪いともいえなければ、潔白ともいえない。そういうジェントリフィケーションの二面性、アンビギュアスな側面を5人の研究メンバーで明らかにしようとチームをつくり、研究を重ねてきた。本書はその研究成果である。結果、調べれば調べるほど、ジェントリフィケーションは都市によって多様な様相を呈し、一般化が難しいことが浮き彫りになってしまった。しかし、それもジェントリフィケーションの実像であろう。1982年にアンドリュー・セイヤーは「ジェントリフィケーションは混乱したコンセプト(Chaotic Concept)」であると指摘した(A.Sayer, 1982)が、それから40年以上経ち、そのエントロピーはさらに増大していると言えるであろう。
本書はその対策に関しても多少は踏み入って、上手くいっている都市としてウィーンを取り上げた。それは市場経済に政府が強力に介入して収めるというアプローチであり、それが上手くいっているということは、ジェントリフィケーションがまさに「市場の失敗」として位置づけられることを示唆している。
経済が停滞しているために、諸外国の都市に比べると深刻なジェントリフィケーション的現象がみられていない日本の都市であるが、それでも再開発をしたい大家が契約更新をすることを拒み、閉店に追いやられた下北沢のジャズバー「レディ・ジェーン」(p.147)などは、まさにジェントリフィケーションの被害者である。同じようにドイツの他の都市と比べれば、それほど家賃が高騰していないライプツィヒにおいて、市民がプロテストをするほどジェントリフィケーションに対して抵抗するのは、レディ・ジェーンと同様にライプツィヒ市民が愛していた醸造所兼音楽クラブが閉店に追いやられたことがひとつの契機であった。これらの店が閉店に追いやられたことは、その街のオーセンティシティも失われたことを意味する。街の貴重な資産を守る、という観点が、その土地の不動産価値を高めることより重要なのではないか、と考える視座が求められるのではないだろうか。都市の価値は不動産の売買金額で決まるわけでは決してない。それは、お金では換算できない、人々の街への思い、人々のネットワークの豊かさ、新しい文化を創造する孵化器的な機能、バラエティに富んだ個店の主人の個性、のようなもので決まる。そのような金銭で測れない都市の豊穣さの価値を広く人々が共有すること、そしてそれらを守りたいという気持ちが、ジェントリフィケーションを抑制する政策を遂行させる原動力になるのではないか。
本書を執筆しようと考えたきっかけは『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』の上映後に人々が私に投げかけた質問であるが、もうひとつの背景には豊島区の南池袋公園のリニューアル事業(2-9)がある。この事業は、公園にたむろしていたホームレスの人たちを追い出し、お洒落な空間を創出することで周辺地区のイメージを改善し、周囲の不動産価値を上げることに成功した。しかし、その公園の利用者は必ずしも地元の豊島区民でない人も多い。テナントとして入っているレストランの入口には英語だけの案内が書かれていた。南池袋に住んでいる人たちの、どれだけが英語の案内をすらすらと読めるのであろうか。豊島区生まれで、豊島区育ちで、今でも本籍が豊島区である筆者は、この英語の案内板に強烈な違和感、地元なのにアウェー感を覚えた。そこには上述した、人々の街への思い、人々のネットワークの豊かさ、新しい文化を創造する孵化器的な機能、バラエティに富んだ個店の主人の個性のようなものが感じられない。公共空間であるのにそこを消費空間のように感じてしまうのは筆者だけではないだろう。これは、行政の手によるジェントリフィケーションであり、それは例えばボストンでもニューヨークでもサンフランシスコでも1950年代にはアーバン・クリアランスという名目で行われ、多くの住民がディスプレイスメントされた。それを批判したのがジェイン・ジェイコブスであり、その後、このようなアーバン・クリアランスは影を潜めていく。本書でも指摘したように、現在のアメリカの都市でも行政がアップゾーニングなどの手法でジェントリフィケーションを促進させたりしているが、行政自らが戦略的に公共空間をリニューアルすることで、ジェントリフィケーションを誘発させるような事例は寡聞にして知らない。もちろん、このような事業を遂行した背景には、増田寛也氏の著書『地方消滅』(中央公論新社、2014)において、豊島区が消滅可能性都市として取り上げられたことでパニックになり、若い女性に豊島区に住んでもらおうという政策意図があったであろうことは容易に想像できる。しかし、この本が出版された2014年から豊島区の人口は増え続けている。これは、同書はその自治体の将来人口をそこの住民の若い女性が産む子どもの出生率から予測しているからであり、他の自治体で子どもを産んだ女性が豊島区に引っ越すということを計算に入れていないからである。対外的なイメージをよくするという政策も自治体には必要であるとは思うが、それは社会的弱者を追い出してまでするようなことではない、と筆者は思う。そのような考えこそがジェントリフィケーションを加速させるし、むしろ、そのような強者に阿(おもね)り、弱者を排除するような自治体にこそ、住みたくないと思われるのではないだろうか。
本書に最後までお付き合いしてくれた読者の方は、この私の考えにそれほど強い抵抗を覚えないのでは、と期待している。日本ではまだ、それほど深刻化していないジェントリフィケーションかもしれないが、それが問いかけるのは、自治体の持つ、人への優しさ、包摂力である。ウィーンほど極端にする必要はないかもしれないが、ある程度、ウィーン的なアプローチから日本の自治体も学ぶことが多いのではないかと思う。
今回の出版にあたっては、学芸出版社様、編集者の神谷彬大様に大変お世話になった。また、龍谷大学の国際社会文化研究所からは出版助成・研究助成をいただき、同研究所叢書第38巻として刊行された。これらの力添えによって本書を世に出せることに関して、心より御礼申し上げる。
2026年2月 服部圭郎
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