民家 最後の声を聞く

藤木良明 著

内容紹介

民家は滅びようとしている。文化財として形が残され、あるいは空間が利活用されることはあっても、社会や家族が変容したため生活の器として住み継がれることは容易ではない。本書は民家が生きていた最後の時期に、民家を訪ね、空間と人々の生き様を丹念に追い続けた著者による記録。民家が私たちに語りかける声が聞こえる!

体 裁 四六・280頁・定価 本体2300円+税
ISBN 978-4-7615-2672-6
発行日 2018/04/10
装 丁 KOTO DESIGN inc. 山本剛史


目次著者紹介はじめにあとがき書評イベント

1 千年家

皆河の千年家……旧古井家
家の霊力
箱木千年家

2 花祭の家

花祭の空間
花祭の次第
花太夫の家…森下家
北設楽地方に残る茅屋根……熊谷家

3 合掌造りの家

木谷の大家族制
荻町の合掌集落
合掌造りの構造
荻町の保存運動

4 昔語りの家

人と馬の親和
家の神々
遠野の旧家 …… 旧千葉家
曲り家の完成経過が判る旧工藤家

5 学問の家

宣長の生い立ちと思想
宣長の家・鈴屋

6 大屋根の家

自然のなかに溶け込んだ……松下家
近代を感じさせる……堀内家
本棟造りの分布

7 豪農の家

外部の構成
屋内の構成と意匠

8 兜造りの家

多層民家の立地
屋根の変容
庄内萱師の清野基美さんのこと

9 蘇生する家

大平の歴史
集落の特色
屋根と外観
保存への歩み
NPO法人の認証から解散へ

10 紙漉きの家

内野要吉さんのこと
内野さんの家
屋根屋の朝次さんの話
発見された埼玉県最古の民家
秩父の屋根職人

11 枝郷の家

無人化、観光地化、そして荒廃
自給自足農を目指して
秋田県の茅屋根家屋
秋田の茅屋根と茅手

12 中門造りの家

新屋敷……星家
推定復原と創建年
山間の水引集落
茅屋根支援NPO法人の設立
茅屋根補修への助成再開

13 消える家

年貢が免除されていた古屋敷村
保存を考える会の設立
田んぼを見下ろす超高層マンション

あとがき

藤木良明

1941 年 三重県生まれ、博士(工学)、 一級建築士。
一級建築士事務所㈱スペースユニオン主宰、愛知産業大学造形学部教授、日本イコモス国内委員会理事等を歴任。
40 年余りかけ各地の民家を訪ねるとともに、福島県奥会津の水引集落の茅屋根を支援するNPO 法人山村集落再生
塾を立ち上げ、10 年間活動。
現在、近江八幡市の江戸中後期の町家に居住。

今、古民家が静かなブームを迎えているとされる。民家がホテルやゲストハウス、カフェに転用されたり、店舗として再生されたりしている例は全国いたるところで見られる。逆の言い方をすると、これは民家の空き家化と住まいとしての終焉を暗示している。

近世という時代区分の幅を広げて明治期までに建てられた住居が、町家、農家を含めてどれほど残っているのか正確な数を知らないが、この数年、急速に空き家化が進行し、解体されたり、空き家のまま放置され倒壊したりしたものが目立ってきた。とりわけ茅屋根家屋にその現象が著しい。

文化財の指定建物は、国または自治体の文化遺産として末永く保存することを目的としているから安易に解体されることはないが、その維持の様態には変化が生じている。昭和末年ころまでは文化財指定を受けた後も生活住居として維持されている家が少なからずあった。しかし近年は、所有者の高齢化、死亡によって住まいとしての役割を終え、管理または所有が自治体に委譲されたものが少なくない。文化財指定を受けた民家においても生活住居として維持していくことが容易ではない現実を迎えているのである。また、国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けたものでも、ほとんどの家が空き家になっている地区もある。その一方、白川郷荻町の合掌造り集落のように外国人を含む多くの観光客が訪れ、集落の生活基盤が以前とはまったく変容したところも少なくない。

かつて民家は「庶民の家」と言われ、そこに住む人たちの生活、風土、歴史、時代などを反映して、多様な生活の総括的な意味合いを包含していた。しかし現在は生活のさまざまな局面で画一化が進行し、民家という言葉が持っていた総括性、多義性はどこか茫洋となり、ましてや住み手が居なくなった民家では家の本来の姿が見えないものになっている。
このような時代の転換期にあって、民家は現代の私たちに何を語りかけているのかを考えてみたくなった。実は私は四〇年余り前から民家を見て歩き、重要文化財に指定された家を含めてお住まいの方々から家にまつわるいろいろなお話を聞かせていただいた。民家が地方ごとに持つ形態の美しさに驚かされもした。当時、民家にお住まいであった人たちからのお話を基にしてかつて民家が何であったのかを問い直すことは、どうやら私の世代を最後としてできなくなりそうだし、それを書き残しておく必要があると考えたのである。加えて、私は福島県奥会津にある茅屋根集落の支援にかかわってきたのでその経験から得たことや、巷間にあまり知られず茅屋根家屋の保存活動が行われてきた事例をいくつか紹介し、それらが現在どのような状態を迎えているかを述べることで現代から何が失われ、そして何を見失ってはいけないのかを問い直してみたいと考えた。

私は民家の研究者ではなく建築の設計に携わってきた実務家である。したがって本書は民家に関するさまざまな既往の成果を参照しながら私の関心のおもむくままに書いた論考と思っていただきたい。本書からこの時代の大きな転換のなかでかつて民家が持っていた多義性、豊穣さの意味を何か一つでも汲み取って頂ければそれにすぎることはない。

藤木良明

本書の冒頭に書いた古井家の最後の住み手のかずゑさんが亡くなり、「千年家公園」として整備された後に再訪したとき、私は住み手をなくすと家はこんなにも変わるものかと大きな驚きを禁じえなかった。旧古井家がわが国に残る民家の初期遺構としての価値が大きいとしても、公園化された旧古井家からはかずゑさんが住んでおられたときに感じたなんとも言葉にしがたい安堵感が消え失せていた。このことは自治体の公園の片隅などに移築保存されている茅屋根民家を見るときも同じで、保存家屋の解説をいくら読んでもそこから生きた家の姿を思い描くのは容易でない。私はそんな思いから心にとまったいくつかの民家を語ることによって生きた家の姿を探りたいと考えてこの書を起したのであるが、取り上げた家々をどこまで生きた家として語り得たかには忸怩たるものがある。また、本書の終盤で紹介した茅屋根集落の保存に関しては、茅屋根を支える茅職人さんたちのことを含めて決して明るいとは言えない将来像しか提示することができなかった。

前者にあって民家研究を専門にする読者には情緒論に思われたかもしれないし、後者では民家を愛し、今なお民家の保存運動に尽力している方たちに暗澹たる思いを抱かせたかもしれない。しかしながら私はこの書で民家の様式論を語るつもりはなかったし、近年流行の古民家再生や活用事例を紹介する気はまったくなかった。民家は私の専門領域ではないし、古民家の再生や活用事例は全体状況からするとたまの機縁に恵まれたものが多く、成功例が他に影響を及ぼす要素は少ないというのが私の認識であった。むしろ、民家の専門外のところで民家の持つ意味を考え直し、そしてその滅びゆく現状を見るところから、現在の我々の日常から何が失われ、何をなくしてはならないかを考えようとしたのである。
ギリシャの映画監督アンゲロプロスは「経済というものさしが、政治も倫理も美学もすべてのことを決めてしまう」と語っているが、経済がすべてを決めてしまう壁の向こうへ私たちはどうしたら出ることができるのだろうか。私たちの前に立ちはだかるこの頑強な壁の扉を開ける術を、今、私は見えないが、民家を考えることから、そして長い時間をかけて培われた人と家と地域とのかかわりを見直してみることから何ものかが静かに生まれてくるのを期待するのである。

思い返せば本書をまとめるに当たってこの四十数年の間にほんとうに大勢の方々のお世話になった。故人となられた方も少なくないが、貴重なお話をお聞かせいただいた方々、ご厚情をいただいた方々のお名前を思い起こすままに記して感謝のこころをお伝えしたい。

古井かずゑ、森下武之、熊谷臣代、伊藤勝文、新谷とき子、松本継太、千葉哲雄、吉田悦之、御堂島サキ、松下虎夫、清野基美、渋谷幸雄、羽場崎清人、内野要吉、坂田朝次、吉田辰己、吉田千津代、宮崎義彦、木村友治、大高孝雄、風間崇、桜庭文男、安部久夫、田上正典、佐藤喜一、水野彦、星義秋、星義勝、渡部龍一、角田厚、星良榮、阿久津正人、小勝政一、河原田宗興、成田剛、星郁夫、堀江篤郎、五十嵐恵子、齋藤真朗、渡部はるえ(敬称略)

なお、図版のうち私が実測調査して作成したもの以外は、出典を明記したうえで本書の割付に合わせて私自身が作成し直したものを掲載させていただいた。可能な限り元図を忠実に再現したつもりでいるが縮尺を小さくし、一部を省略しているので疑問をお持ちの場合は原典を確認いただきたい。掲載した平面図の室名は元図に倣って原則としてひらがな表記とした。地域、家によって用途が同じであっても呼称が異なっていることにもご理解いただきたい。

その他、本文中の家名に「旧」を付したものと付していないものがあるが、「旧」を付したものは所有者が自治体などに委譲されたものを示している。

本書は学芸出版社元社長で京町家の再生に尽力された京極迪宏さんに草稿を見ていただき出版への道を拓いていただいた。編集は京極さんの後を継いで社長職にお就きになった前田裕資さんにご多忙を押してご担当いただいた。お二人にこころよりお礼を申し上げます。

また、最後になるが長い付き合いの藤木典子さんにも草稿に目を通してもらい、多くの的確な指摘を貰った。それによって加筆した箇所が少なからずあることを感謝の気持ちとともに補記する。

藤木良明

自著紹介

農業共済新聞(2018.6.13)

全国の中山間地域を歩くと屋根が崩落した家に出会うことが多い。わずかに残った茅屋根で特にそれが目立つ。空き家と思われる家も少なくない。この現象は農山村に限ったことではなく地方の駅前シャッター店舗街とも共通する時代の大きな課題である。

一方、古民家がカフェやゲストハウスに転用されたり、駅前商店街の再生事例がマスコミに紹介されたりしているが、これは一部の成功例で、今、わが国に静かに進行している構造的な空き家化問題を覆い隠すことにもなっている。

私はこんな想いから、かつて民家は何であったのかを考えようとした。私は40数年前から民家を見て歩き、お住まいの人たちから色々なお話を聞かせてもらった。そこでは家は物理的な住まいとしての意味合いだけでなく、家と家族は一体となって集落を構成していた。家は個々の歴史を持ち、その集合がそれぞれに独自性を持った村を形成しているのを知ったのである。

しかし、今、家は個々に分散し、家族も個々に解体した。個と家族、家と家の関係が変容した状態といえる。それに符合してわが国の人口は急激に減少し、2100年には五千万人を下回る可能性も指摘されている。こんな時代の転換期にあって、かつて家は何であったのか、私たちは何を捨て、何を大切にしなければならないかを「民家の最後の声」としてこの著から聞くことを著者として期待している。

藤木良明

出版記念セミナー@京都 18.04.16
(終了しました)