ドイツ・縮小時代の都市デザイン
内容紹介
産業の衰退と失業率の増加、大都市・郊外への流出による人口減少は、ドイツにおいても空き家の増加や都市環境の悪化など、深刻な課題をもたらした。そんな現実を受け止め、建物の保全改修と減築・撤去、アイデンティティの再構築、都市のコンパクト化など縮小を前提とした政策で局面を切り抜けたドイツに学ぶべき指針を探る。
体 裁 A5・240頁・定価 本体2600円+税
ISBN 978-4-7615-2620-7
発行日 2016/03/31
装 丁 KOTO DESIGN Inc. 山本剛史
目次
カラー口絵
はじめに
第Ⅰ部 縮小都市とは
第1章 日本の都市・地域の縮小の実態と特徴
1・1 人口減少の実態
1・2 マクロ的な視点から見た人口減少の特徴
第2章 ドイツの都市・地域の縮小の実態と特徴
2・1 旧東ドイツにおける人口減少の実態
2・2 旧東ドイツの人口減少の要因
2・3 旧東ドイツの縮小が及ぼした問題
第3章 旧東ドイツの縮小政策プログラム
3・1 シュタットウンバウ・オスト・プログラム
3・2 その他のプログラム
第Ⅱ部 縮小都市の横顔
第4章 アイゼンヒュッテンシュタット
4・1 概要 ─ ドイツ最初の社会主義の都
4・2 縮小政策 ─ 中心を維持するため周辺から撤退
4・3 成果 ─ 減築で都心部を維持
4・4 都市のサバイバル戦略としての縮小政策
第5章 デッサウ
5・1 概要 ─ バウハウスのある工業都市
5・2 縮小政策 ─ バウハウスのある工業都市
5・3 成果 ─ 市民を巻き込む
第6章 コットブス
6・1 概要 ─ 雇用が激減した工業都市
6・2 縮小政策 ─ 都市構造のコンパクト化
6・3 成果 ─ 都心の魅力向上と空き家率の低減
第7章 ライネフェルデ
7・1 概要 ─ 世界に知られる縮小都市の優等生
7・2 縮小政策 ─ 問題から目をそらさない
7・3 成果 ─ 現実主義になること
第8章 シュヴェリーン
8・1 概要 ─ もっとも人口が少ない州都
8・2 縮小政策 ─ 再生のための空間づくり
8・3 庭園博覧会の活用
8・4 成果 ─ 進展するコンパクト化・
第9章ホイヤスヴェルダ
9・1 概要 ─ 縮小が激しい社会主義の計画都市
9・2 縮小政策 ─ 周縁部を撤去し「核」を残す
9・3 成果 ─ 徹底した減築が再生の道を照らす
第10章 ライプツィヒ
10・1 概要 ─ 過大な期待とその後の失望
10・2 縮小政策 ─ 縮小という事実を認める
10・3 成果 ─ 内科的アプローチで都市を治癒
第11章 ルール地方
11・1 概要 ─ 衰退するかつてのドイツ経済の牽引車
11・2 縮小政策 ─ 新しいイメージの創出
11・3 成果 ─ 新しいアイデンティティの創造
第Ⅲ部 縮小都市の課題と展望
第12章 縮小都市が社会環境に及ぼす影響
12・1 都市構造の再編
12・2 都市機能の再編
12・3 機会の喪失
12・4 アイデンティティの希薄化
第13章 縮小都市が人に与える影響
13・1 合意形成のむずかしさ
13・2 「縮小=マイナス」という先入観
13・3 縮小への不安
13・4 コミュニティの脆弱化
第14章 ドイツから学ぶ縮小の都市デザイン
14・1 都市のコンパクト性の維持
14・2 ハードではなくソフトの社会基盤を充実させる
14・3 地域アイデンティティ・地域文化の強化
14・4 地元に考えさせる ─ 地方分権の勧め
14・5 行政の役割の強化 ─ 市場への介入
14・6 縮小を機会として捉える
14・7 ステークホルダーとの協働を図る
14・8 移民の受け入れ
豊かさの意味を再考し、縮小をデザインする
おわりに
服部圭郎(はっとり けいろう)
1963年に東京都生まれ。東京そしてロスアンジェルスの郊外サウスパサデナ市で育つ。
東京大学工学部を卒業し、カリフォルニア大学環境デザイン学部で修士号を取得。某民間シンクタンクを経て、2003年から明治学院大学経済学部で教鞭を執る。
2009年4月から2010年3月にかけてドイツのドルトムント工科大学客員教授。現在、明治学院大学経済学部教授。
専門は都市計画、地域研究、コミュニティ・デザイン、フィールドスタディ。主な著書に『若者のためのまちづくり』『道路整備事業の大罪』『人間都市クリチバ』『衰退を克服したアメリカ中小都市のまちづくり』『サステイナブルな未来をデザインする知恵』『ブラジルの環境都市を創った日本人: 中村ひとし物語』。共著に『下流同盟』『脱ファスト風土宣言』『都市計画国際用語辞典』『Global Cities Local Streets』など。共訳書に『都市の鍼治療』『オープンスペースを魅力的にする』。技術士(都市・地方計画)。
日本の人口は2004年に1億2778万人(10月1日時点)を記録した後、翌年の同日に戦後、初めて1万9千人ほど減少する。2006年、2007年は13万人ずつ、それぞれ前年度より増加し2008年10月1日時点で1億2808万人を記録。これが、おそらく日本の人口の最高記録であろう。その後、2009年には5万2千人減少、2010年には多少盛り返すが、2011年には前年度に比べて26万人と大幅に減少。さらに2012年には28万人が減少する。2011年以降は、外国人の減少の影響もあるが、人口減少の主要因は自然減であり、いよいよ高齢化による人口減少の時代へと我が国は突入した。
この人口減少という現象は、しかし、日本特有のものでは決してないし、日本が先行しているわけでもない。人口減少は、いわゆる「先進国」と呼ばれている都市・地域において普遍的に見られる現象である。とくに旧東ドイツは、社会体制の変革によって、大幅な人口減少を1990年代に体験した。
本書は、この急激な人口縮小を体験した旧東ドイツの諸都市が、どのようにその現象に対して対策を展開してきたかを紹介するものである。一部の例外的な都市を除いて、ほとんどの都市・地域が人口減少に直面した旧東ドイツであるが、ある都市は積極果敢に、またある都市は茫然自失になりながら連邦政府の政策に受動的に従い、その縮小現象へ対応しようとしている。その自治体ごとの多様な取り組みは、縮小への対策のむずかしさを示唆すると
同時に、その対策の効果の違いを見ることで、ある程度、有効な縮小対策が展望できる。本書はそのような考えから筆者が事例調査をして得られた情報・知見をもとにドイツの縮小対策の整理を試みたものである。
本書の構成
本書は、まず日本の都市の人口縮小の実態を整理する。そして、旧東ドイツの急激なる人口縮小の状況を整理し、その政策なども概観する。次に、ドイツの縮小都市・地域を、旧東ドイツ側から7都市、そして旧西ドイツ側から1地域、合計八つ紹介する。7都市はアイゼンヒュッテンシュタット(ブランデンブルク州)、ライネフェルデ(チューリンゲン州)、コットブス(ブランデンブルク州)、デッサウ(ザクセン・アンハルト州)、シュヴェリーン(メクレンブルク・フォアポンメルン州)、ホイヤスヴェルダ(ザクセン州)、そしてライプツィヒ(ザクセン州)である。ベルリン州を除く、すべての州の都市を事例として取り上げることで、州による違いが見えるようにした。また、ライネフェルデのような優れた成果を出した事例だけでなく、ホイヤスヴェルダのようにいまだに問題を抱えている事例をも取り上げることで、なるべく等身大の旧東ドイツが浮き彫りになるように試みた。旧西ドイツの事例としてはルール地方を取り上げた。
旧東ドイツの人口縮小は社会体制の変革が大きな契機となって始まったが、ルール地方は産業転換が要因となっている。ただし、要因は違っていても、縮小に対する都市計画的なアプローチは類似している。それは、将来を冷静に見据えることで、問題から目を背けないというプラクティカルな姿勢である。そして、これらの事例から得られた情報・知見を踏まえて、縮小都市の課題を提示した。この課題は、日本の縮小都市においても共振するものが多いと推測される。最後に、ドイツから日本が学ぶ縮小の都市デザインとして、筆者なりの提言を幾つか示した。
日本の縮小都市が行うべきこと
日本では人口縮小という「不都合な真実」の前に、慌てふためいているように見える。ある団体が発表した調査結果で、東京区の豊島区は消滅都市の候補にあげられた。そもそも、豊島区が消滅すると予測した時点(豊島区が消滅するのであれば、その前にほとんどの関東圏の都市が「消滅」している)で、その調査がいい加減であると判断すれば良いにもかかわらず、豊島区は慌てて縮小対策に取り組み始めた。人口の縮小はさまざまな課題をこれから我々に提示してくるが、そのような状況に晒された旧東ドイツなどの縮小都市がどのように対応したかを知ることで、今後の日本の都市が縮小現象の対策を講じるうえで参考になる点があるのではないだろうか。
慌てふためいてパニックに陥ることこそが愚かであるし、傷跡を広げることに繋がる。成長や豊かさという意味を再考し、将来のあるべき都市像を再検討する良い機会を我々は与えられているのかもしれない。ドイツの縮小政策の取り組みから学ぶこととは、しっかりと縮小を見据えた将来都市計画を検討し、関係者とコミュニケーションを取り、一丸となって取り組むことである。人口縮小は危機である。しかし、それをしっかりと危機だと認識し、その危機を乗り切るために、関係者が一枚岩になり、エネルギーを集中させること。すべてが成果を出しているわけではないが、ドイツの縮小都市の取り組みは、そのようなメッセージを後発の人口縮小国家である日本に発しているように思える。
人口減少は日本がこれから直面していくむずかしい課題である。その課題を超克するためにも、ここであげたドイツの事例が、少しでも参考になれば、筆者としてはこれ以上の喜びはない。
服部圭郎
ドイツが人口減少する都市・地域の問題に都市計画的に取り組むという話を筆者が初めて聞いたのは2002年のドイツでの調査研究においてであった。振り返れば、ちょうどシュタットウンバウ・オスト・プログラムを導入する年であり、取材をしたドイツ連邦政府の役人が、熱を込めて説明していた背景も今なら分かるのだが、当時は、ドイツはさすが違うなと感心するだけであった。
ちょうど当時ベルリン工科大学で都市計画を教えていたドイツ人の友人であるフランク・ルースト氏(現在はカッセル大学教授)にこの話をすると、「ドイツの都市計画がそれほど立派かというと疑わしいが、縮小しているという都合の悪い現実をしっかりと直視し、今後も縮小し続けることを客観的に予測し、縮小する都市の計画を策定しようとする姿勢と覚悟。これはドイツの都市計画の評価できる所である」と述べたことも、私の好奇心を刺激し、以後、ドイツの縮小都市を断続的に調査することになる。縮小現象にどのようにドイツが都市計画的にアプローチするかを知ることで、その都市計画のエッセンスが理解できるのではないか、と思われたからである。そして、同様に縮小問題を抱えることになる日本においても、ドイツの縮小に対する考え方、アプローチ、そしてその経験は参考になると考えたからである。
その後、一般財団法人計量計画研究所が主催したシンポジウムでルール大学のウタ・ホーン教授の講演を聞く機会があり、すぐに図々しくも彼女を尋ね、いろいろと旧東ドイツの都市の縮小をめぐる状況を教えてもらい、彼女の紹介でアイゼンヒュッテンシュタット市の職員フランク・ホーヴェスト氏を訪れる。彼はちょうど、アイゼンヒュッテンシュタット市の都市計画で博士論文を執筆中であり、彼を通じて私は多くを学ばせてもらった。
そのようななか、大林財団から研究助成金をいただく機会にも恵まれ、ロストック、コットブスなどの縮小都市の取材を行う機会を得る。その後、縮小都市研究所の若き所長であるフィリップ・オスワルト氏とも知り合うことができた。
そうこうするうちに、2009年4月から2010年3月までは前述した友人のフランク・ルースト氏がドルトムント工科大学に在籍していたこともあり、そこに客員教授で在籍する機会を得た。この期間を利用して、ずいぶんとドイツの縮小都市を廻った。
本書は、前述したルースト教授の言葉を発端に14年近くもの間、こまごまと収集し、または発表してきたドイツの縮小政策がらみの情報を都市計画的見地からまとめたものである。はたして、それが縮小する日本の都市の参考になるかどうかの評価は、読者に委ねるしかないが、「消滅する」と言われてアタフタとする前に、ドイツが通った道を自らの立場に置き換えてシミュレートすることによって、より客観的に状況を捉え、その将来も冷静に展望することができるのではないだろうか。ドイツの縮小都市の「消滅するかもしれない」というプレッシャーは、日本のそれとは比べものにならないほど切迫感をともなっていた。それでも、しっかりと対応できた都市は、人口減少が増加に変転し始めてさえいる。
この本を読んでいただいた読者にはたいへん申し訳ないが、調査内容には必ずしも満足できていない。事実誤認もあるかもしれない。事実誤認等に、もし、気づかれたらご教示いただければたいへん有り難い。それらの間違いはすべて筆者が責任を負うものである。また、本書を執筆するうえでの情報収集において、東京大学都市工学専攻の大学院生福田崚君には多くを手伝ってもらった。彼の優れた情報収集能力によってずいぶんと助けられた。
本書で、私の縮小都市の研究が終わったわけではなく、あくまで通過点である。今後もご指導いただければ幸いである。本書が人口減少に悩む日本の都市(地域)の人々に少しでも参考になれば、筆者としては望外の喜びである。
末筆ではあるが、学芸出版社の前田裕資さんと中木保代さんには心からの御礼を述べたい。本書の企画を最初に学芸出版社に持ち込んだのは2008年である。よくぞ、諦めずに付き合ってくれたものだと改めて感謝する。前田さんの我慢強さと寛容さ、そして中木さんの辛抱がなければ、この本は日の目を見なかったであろう。
2016年2月5日
東京都目黒区八雲の自宅にて