イサム・ノグチとモエレ沼公園

川村純一・斉藤浩二 著/戸矢晃一 構成

内容紹介

1988年彫刻家イサム・ノグチが完成を見ずに逝き、続行も危ぶまれたモエレ沼公園計画は17年後に完成した。ゴミの埋立地が「大地の彫刻」に変貌した軌跡を設計統括を担当した建築家とランドスケープデザイナーが明かす。残された僅かな図面を頼りにそのコンセプトは如何に読み解かれ実現されたのか?初めて明らかになるその舞台裏。

体 裁 四六・272頁・定価 本体2400円+税
ISBN 978-4-7615-2558-3
発行日 2013/10/01
装 丁 フジワキデザイン


目次著者紹介まえがきあとがき
まえがき

Chapter1 中止か続行か?──最初の決断

イサムの構想──公園を一つの彫刻に
1988年──計画を白紙から
もう一つのストーリー──イサムと斉藤浩二の出会い
イサム逝く──動き続けるモエレ沼計画

Chapter2 イサムのコンセプトを読む

子どものための空間とは?──七つの遊具広場
大地への眼差し──理解するための努力
イサムの模型と食い違う現実

Chapter3 設計者チームの働き

2000分の1と1分の2──イサムのスケール感
フリーハンドで描かれた〈モエレビーチ〉
契約書の存在
異例の協定書

Chapter4 水辺を創る、山を築く

つくらなかったもの
水辺を創る
山を築く──50メートルの人工山〈モエレ山〉
北海道らしく、イサムらしい植栽
第一次オープン

Chapter5 建築とモニュメント

北国の魅力を見せる〈ガラスのピラミッド〉
最後に完成したモニュメント〈海の噴水〉
だいじな脇役たち

Chapter6 公園をつくり続ける

グランドオープン
変わること、変えてはいけないこと
〈オンファロス〉の不思議な縁

あとがき
モエレ沼公園建設プロジェクト 年表
参考文献

川村 純一:かわむら じゅんいち

建築家。1948年東京都生まれ。モエレ沼公園の設計統括。(株)アーキテクトファイブ代表。1975年イサム・ノグチに会い親交を深める。モエレ沼公園設計監理でグッドデザイン大賞、日本建築学会賞、日本土木学会賞など受賞。(財)イサム・ノグチ日本財団理事

斉藤 浩二:さいとう こうじ

ランドスケープデザイナー。1947年北海道生まれ。モエレ沼公園のランドスケープデザインを担当。(株)キタバ・ランドスケープ代表。モエレ沼公園設計監理でグッドデザイン大賞、日本土木学会賞など受賞。NPO法人モエレ沼公園の活用を考える会事務局長

戸矢 晃一:とや こういち

編集者。1960年、埼玉県生まれ。フリーランスで環境、都市問題、地域、教育、福祉などを中心に、書籍や雑誌の執筆・編集を行っている。

「空がすごく広い。ここにはフォルムが必要です。これは僕のやるべき仕事です」と、彫刻家イサム・ノグチは、長靴に履き替えるとモエレの残雪の中を歩き出しました。1988年3月30日のことです。イサムはその後、三度にわたりモエレを訪れ、自らが半世紀以上前に構想した「彫刻としての公園」を実現するための図面を描き、模型を何度も手直ししました。

ところが、その年の暮れ、ニューヨークの病院でイサムは亡くなってしまいます。残されていたのは数枚の全体図面と模型だけ。私はモエレ沼公園の建設計画はこれで終わりかと思う一方で、なぜか実現の可能性も感じていました。やめてはいけないと思いました。「これはでっかいですよ、ひとりではできません、いいですか」と言ったイサムの声が繰り返し聴こえてきたのです。

宇宙、地球、自然を意識し、人間を愛した彼は、「芸術は人の生活、生存に役に立つこと、芸術を通じて世界の人々が親しくなり理解しあうことができれば存在する意味がある。建築も同じです」と言っていました。イサムは公園を設計するときに、過去から未来へとつながる人類の数万年という「時間」について考える人でした。それは例えば、エジプトのピラミッドやナスカの地上絵のような遺跡の延長線上にあったのです。悠久の時間と空間、その中で何をすべきなのかと考えながら、設計はなされました。

私たち設計チームは、その集大成であるモエレ沼公園の建設を引き継ぐことになったのです。最大の課題は、イサムの考えを貫き、そして市民に愛される公園をどう実現するか、ということでした。

完成までの17年間には様々な問題が起こり、設計や工事のやり直しが何度もありました。景気の低迷による経済上の危機もありました。にもかかわらず、この壮大な計画は継続され、オープンにたどり着いています。その経緯をモエレ沼公園に最初から携わって来た者の責任として記録に残すことにしました。

このプロジェクトを通じて、長く市民に利用され、地域のランドマークとなる公園をつくるとはどういうことなのか、設計者のビジョンの確かさや信念を貫くことの重要さを実感しました。それは私たちと同じように、現代の日本で公共空間や建築物をつくり続けている人たちにとって参考になるのではないかと思います。

本書は、モエレ沼公園建設の設計監理統括者である建築家川村純一と、ランドスケープデザイン全般を担当した地元札幌の斉藤浩二の二人が書いた原稿や記録をもとに、編集者である戸矢晃一が再構成しました。
この四半世紀、イサムと親しかった方々、札幌市や施工者の方々をはじめとするたくさんの方々に助けらました。モエレ沼公園に関わったすべての方々に感謝するとともに、私たちの17年間の歩みのなかから、モエレ沼公園を訪れる人たち、とりわけ子どもたちの未来に通じる何ごとかを感じていただければ、と思います。

2013年9月

川村純一

イサム・ノグチを知らなくても、モエレ沼公園をうんと楽しんでくれたらいいんです。歩きながら、遊びながら、この公園は他と違うな、こんな場所は他にはないな。なぜなんだろうと、考えてくれるだけでいいんです。でも、もしも、この公園がどうやってできたのかという物語を知ったら、楽しみ方がもっともっと増えることでしょう。

イサム・ノグチは天才だと思いますが、彼だけが偉かったのではなく、彼の後を追って大勢の人たちが力を合わせ、世界に誇れるものを創りました。これはすごいことだと思いませんか。若い人たちには、人間って素晴らしいし、生きて行くことは悪くないと感じてもらえれば嬉しいです。

遊具広場が完成する頃、私は「モエレから離れようか」と思いました。イサムの愛弟子たちのなかで疎外感を感じていましたし、市役所のある方から「みんな、モエレのことは嫌だと思っている。イサム・ノグチの名前は口にしないでくれ」と、きつく言われたからです。これ以上関わっていると札幌に居づらくなる。私は、はじめに託された責任は果たした時期だったので、ここで身を引いた方が良いかと迷ったのです。でも、思いとどまりました。

支笏湖畔の温泉で、イサムから「木のことはあなたにお願いします」と言われ「がんばります」と答えたのは私です。長沼町へ出向した山本仁係長から「しっかりやってくれ」と言われていました。何よりも私のスタッフたちは、とても意欲的にこの仕事に取り組んでいました。自分の気持ちを抑えればいい、少しの間我慢すれば必ず理解されるはずだと思い直したのです。

あの時そう思い直し、最後までモエレから離れなくて、本当に良かった。

本書の出版が予定より大幅に遅れたことで、モエレ・ファン・クラブ設立10周年の年に刊行されることになりました。モエレ沼公園が子どもたちの感性を豊かに育てる場所になるために、モエレ・ファン・クラブは遊びイベントやコンサートなどの活動をして来ました。今年から〈サクラの森〉を間伐して丸太からログドラムをつくり、子どもリズムワークショップを開きます。11月にはイサムが札幌に来るきっかけと深い関わりのある彫刻〈オンファロス〉が、モエレ沼公園に移設されます。幸運は、準備する心からやって来ると言いますが、一つのことをやり続ける気持ちにもやって来る、ということを今実感しています。

本の構成上、名前を出せなかった人が大勢いることが辛いです。モエレ沼公園の建設に力を尽くし、取材にも協力して下さった札幌市役所や建設関係の方たち、アーキテクト・ファイブとキタバ・ランドスケープのスタッフたち、そしてモエレ・ファン・クラブの仲間たち、皆さんに心から感謝しています。

最後に、この本を出版するきっかけをつくり、渋滞気味の二人を励ましながら原稿をまとめて下さった戸矢晃一さんに深く頭を下げたいと思います。また、写真や図版が揃わなくて難しかった編集作業をして下さった学芸出版社の井口夏実さんと岩切江津子さんに厚くお礼を申し上げます。

2013年9月

斉藤浩二