なぜイタリアの村は美しく元気なのか
内容紹介
各地に広がる美しい風土と香り高いワイン、ふくよかなチーズ、香ばしく調理された肉や魚…イタリア農村の魅力は実はこの数十年で創られたものだ。村づくりの切掛けとなった四つの出来事と三つの変化を物語ることで、一見バラバラに起こったように見える動きが、地域でいかに一つに紡ぎ上げられ美しく元気な村の再生に繋がったのか、その秘密を解き明かす。
体 裁 四六・240頁・定価 本体2100円+税
ISBN 978-4-7615-2536-1
発行日 2012/08/15
装 丁 上野 かおる
なぜ、イタリアの村は美しく元気なのか
第1部 きっかけとなった四つの動き
第1章 農村観光の普及をめざしたアグリツーリスト協会の誕生
1 急増するアグリツーリズモ
2 冷たい視線の中での誕生
3 複数の農民組織が進めた全国展開
4 スコットランドとフランスから学んだもの
5 観光地型のチロルからトスカーナの農園観光へ
6 誰が農村での休暇を楽しみ始めたか
7 都会の顧客を引きつけたI、Uターン女性の経営
第2章 ローマ市民による反マクドナルドデモとスローフード
1 スローフード運動の誕生
2 有機農業を後押しした品質保証制度
3 原産地呼称制度とエノガストロノミー観光
4 食生活の変化に呼応したブランド農業への変身
第3章 スローライフ志向に応えた地方都市のスローシティ運動
1 スローフードがスローシティに展開したわけ
2 スローな地方小都市の人口が伸びている
3 スローな地方都市が元気なわけ
4 市民が果たした役割
5 衣食住に広がるスローライフ
第4章 オルチャ渓谷の住民による世界遺産の登録
1 厳しくて柔軟な農村部の景観保護
2 始まりは歴史的市街地から
3 農村部に広がった景観計画
4 地元主導の世界遺産登録
5 土地所有者が規制を受け入れたわけ
第2部 村が受け止めた三つの変化
第5章 量から質へのEU農業政策の転換
1 遅れたイタリアの農業と農村
2 戦後の不十分な農地改革がもたらした人々の大脱走
3 欧州経済共同体による自由化と所得補償・価格維持政策
4 所得補償と過剰生産の悪循環を断つデカップリング政策への転換
5 地域資源を豊かにした環境保全のための農地転換政策(セットアサイド)
6 地元で総合化され地域づくりに活かされる農業政策
第6章 マスツーリズムからゆったりを求める大人の観光へ
1 成熟したバカンスは田園に、そしてアグリツーリズモに向う
2 都市観光から農村観光へ力点を移したEUの観光政策
3 ユーロフォリア時代の観光客急増
4 混雑した有名観光地を嫌った国内・EU内の観光客
5 都会人をうまく受入れた農村
第7章 中央からの自立と村づくりの主役の多様化
1 昔ながらに暮らす人と挑戦する人が共生する社会
2 混乱する政治が生んだ地域に自立して生きる政治家
3 農村社会を変えた女性たち
4 農業組合の乱立が生んだ小さなグループの自由な主体性
5 農地が市民のために開かれ、美しく元気な村づくりが始まった
6 イタリアから日本の農業を見る
革新を続けた村人たちの勇気
註、年表
なぜ、イタリアの村は美しく元気なのか
イタリアの農村は美しい。イタリア人は「ベルパエーゼ」(美し国)と呼んで、陽光溢れる海と山、隅々まで耕された農村の美しさと豊かな実りを讃える。数々の歴史都市の壮大な建築群だけでなく、世界文化遺産にも登録されたオルチャ渓谷の農村景観を始め、半島の北から南まで、各地に広がる美しい風土にこそイタリアの魅力があるという。その農村景観はまた、美酒・美食の郷として旅する人々を惹きつける。香り高くこく深いワイン、ふくよかなチーズ、熟成された生ハム、香ばしく調理された肉や魚、歯応えよい野菜に滋味深い果実の数々、加えて穀類・豆類の豊富さに、色も味もとりどりの菓子類が並ぶ。この美味しさがあるから、イタリアの農村の魅力は他の追随を許さない。
実際、美しい農村は今や重要な観光地でもある。この四半世紀の間に農村で休暇を過ごす習慣がイタリア国民ばかりか外国人観光客にまで広がり、農村観光、いわゆるアグリツーリズモと呼ばれる農家民宿、農家レストランが盛んになった。アグリツーリズモの魅力といえば昔は風景だった。それが今や美酒、美食に尽きるといっていい。美食といえば、イタリア発のスローフード運動は日本に、そして世界中に広がった。それ以前から世界に広がっていたイタリア・レストランは、もはや楽しかったイタリア旅行の思い出に浸る場ではない。次々と発信される新しい食文化に、常に新鮮な驚きを覚える場にもなった。
アグリツーリズモの楽しさは、美しい農村でゆったりと過ごす時間にある。四季折々のイタリアの田園風景は眺め飽きることがない。実際、イタリア人はよく田舎に出かける。私もピサに留学中、シエナの西「ジュンカイオーネ」の別荘によく招いてくれた友人がいた。パーティも足を延ばして田舎の家で開いていた。暑さを避けて1週間滞在したこともある。ローマに移ってからも友人宅、休暇先に友人を訪ねる機会が多い。別荘だけに、海か山があり、観光地でなくとも古城や教会がある。そして、その土地の食材と料理がいつも用意されている。だから私も田舎(カンパーニャ)という言葉にはまず食欲をそそられる。土地ごとに個性的な田園風景の美しさを思えば、舌の先に懐かしいあの味が浮かんでくる。
そんな国に暮らすイタリア人は、バカンスはいうまでもなく、短い休日も田舎で過ごす。早めに引退した友人は、ビツェンツァの郊外に美しく壮大な住宅を建てた。たった2、3日の時間しかない私には、レンタカーで足を延ばすのはちょっと億劫になる。しかし、必ず手厚いもてなしを受ける。ワインと珍しい食材、郷土色豊かな料理で深夜まで過ごす。モスタルダで食べたボッリート(肉の煮物)は忘れられない。家族を伴えば喜びも増す。自然と歴史に触れ、長閑な農村の味と香りに時間を忘れてしまう。
夏には庭にテーブルを持ちだし、昼は木陰で夜は星空の下で皆一緒の長い食事が始まる。春も秋も、イタリアは1年の内8カ月ほど戸外で食事ができる気候である。庭のオーブンで焼くのはピザだけでない。春と秋には採れたての野菜や肉・漁類を調理する。茸もいい。冬には皆が暖炉に集まる。農村の別荘に暖炉は不可欠、だから薪集めに遠来の客も駆り出される。今でもコムーネ(市町村)が森を持たない住民に薪を安く分けてくれる。庭の竃で燻製作りを眺めれば、温めたワインに薪の匂いがよく合って、芳醇な香りに包まれる。そして、暖炉の前で深夜まで人生を語り合う楽しみは、田舎暮らしの醍醐味であろう。
そして朝日は野鳥のさえずりとともに訪れる。夏の白い朝、そして冬の暗い朝、明けきらぬ田園をさまよえば、静けさの中に人はそれぞれに深い想いに浸る。エスプレッソの香りで目覚めた人も、賑やかな朝食に駆り立てられるように農村の1日を始める。長閑に農作業を眺めるのもよし、今夜の食材を吟味するもよし、どこにも出掛けず、日光の下で輝くワイングラスを傾けてもいい。若ければ、広大な麦畑や海沿いの果樹園をドライブ、古代の遺跡や中世の砦で足を止める。知り合いの農家があれば新鮮な山羊のリコッタを求め、漁村では採れたてのウニを味わう。熟年世代のバカンスなのだから、もう人混みに出たくない。今夜も明日も田舎で過ごす。贅沢な別荘がなくとも、今では安くて快適な馴染みのアグリツーリズモで、贅沢な大人の休日を過ごすことができる。私たち日本人も泊まれる。そして、イタリアの村の美しさを堪能することができる。
イタリアの村の魅力は、アグリツーリズモによって観光客にも開かれた。アグリツーリズモは元気な農村の若い農家が経営し、食の魅力はスローフードに参加した農家が支えた。そんな新しい農業が元気な農村を支えている。もちろん観光の国イタリアだから、アグリツーリズモは成長した。さらに世界文化遺産にも登録される風景の数々は、イタリアの景観法制度の成果でもある。
こう考えると、イタリアの美しい村は、第2次世界大戦後の70年弱の歴史の果てに、最近ようやく完成したものである。もちろん村の歴史は古い。しかし、この豊かさと快適さは決して古くはない。アグリツーリズモが始まったのは40年前、増えたのはこの20年ほどだ。地元の食材が豊かになったのもこの20年、そして地方の町や村が元気になったのはここ15年ほどの話である。村々の美しさが守られたのは、80年代に制度化された景観計画が普及してからだし、イタリアらしい元気な農業は欧州連合の農業政策の成果だと言われる。これも60年代から始まった。これらの取組みが総合されたところに、現在の美しい村とアグリツーリズモの成功がある。
農業と食、美しい国土と文化遺産、そして観光の国イタリアが、イタリアらしさをもっとも発揮するのが農村だと語るイタリア人が増えてきた。そのイタリアの農村を紹介する番組は、今やイタリア国内より日本のテレビ番組に多い。それも歴史都市の芸術文化と並んで、農村風景や食文化が頻繁に登場する。ただ、美しいハイビジョン映像でも味や香りは伝わらない。だからデパ地下にはイタリアの美食が溢れている。実際にアグリツーリズモに出掛ける日本人も増えた。イタリアの田舎の魅力は、今では多くの日本人も知っている。
そこで、この本ではイタリアの美しく元気な村づくりの切掛けとなった出来事を一つずつ語っていく。その一つ一つが、美しく元気な村の秘密を解き明かす物語になる。一見、バラバラに起こったように見える出来事は、戦後70年間のイタリアの村づくりを支えた政策を生んできた。
これらの出来事には、私個人が出会ったか、親しい知人からよく聞かされたことから取上げたものもある。また、個別にはそれぞれその要点が日本でも紹介されたものもある。それらを改めて並べてみると、イタリアの村づくりにおける革新の歴史が見えてくる。数多い成功例は、ただ幸運が重なったからではない。大きな転換を経て農業と農村が改革されて、美しく元気な村づくりが進んできたからである。成功の裏に隠された物語を綴ることで、幅広く奥深い村づくりの秘密を解き明かしたい。
一方、日本の農村と農業は今、大きな転換点にある。そんな日本からみると、イタリアの村の物語は遠い彼方のお伽噺と思われるかもしれない。しかし、そこに日本の美しい村の未来が見えるように、私には思える。そうなって欲しい。静岡県西端の三ケ日町(現・浜松市北区)で育ち、今も蜜柑をつくりに通う私は、現在の日本の農村問題の難しさも少しは理解している。同時に秘められた可能性にも気づいている。多くの日本人が憧れる美し国イタリアの魅力を、日本でもぜひ実現したいと願う。イタリアの村づくりを物語ることで、その根底にある大きな流れから日本の村づくりの未来を描きたいと思う。
革新を続けた村人たちの勇気
イタリアの美しく元気な村づくりの転換点をローマ条約に遡ると55年、アグリツーリスト設立が47年前、アグリツーリズモ法とガラッソ法(景観法)制定が27年前、スローフード協会が26年前、そしてオルチャ渓谷の世界遺産登録からも8年が過ぎた。思えば長い道のりだった。
イタリアの田園風景は、今も昔も変わらないように見える。だから、農村社会も変わらずにいると誤解しやすい。しかし、実際には住民も入れ替り、残った人々の生活や生業も大きく変わった。80年代初め私がピサ大学にいた頃と比べると、オルチャ渓谷の村々の建物や風景はあまり変わらない。しかし、集落には洒落たレストランや店が増え、簡単なアスファルト舗装の街路は石畳に変わった。城壁周辺の修景も進み、点在する農家がすっかり美しくなった。実際、アグリツーリズモが増えたのである。
村が美しく元気に変わるためには多大な努力が要った。それも、村々の個別の努力だけでなく、コムーネや県、州政府、そしてEUが対話を重ね、次々と政策を練り続ける共同作業があった。そして、その根底には、急速に変化する世界と向き合い、革新を続ける村人の勇気が必要だったと思う。
この間、イタリア社会全体も変わり、一般のイタリア人の暮らしも大きく変わった。お馴染のパスタやワイン、いつまでも変わらないように見えるイタリアの家族の食生活も実際は大きく変わった。オーガニックやスローフードへ、食材や調理法、食べ方、食べる場の選択、暮らしの変化に伴って食文化も発展してきた。もはや大食漢のイタリア人は少ない。一緒にレストランに出かける都会暮らしのイタリアの友人たちのワインの消費量は確実に減った。その代わり、料理もワインもよく吟味する。だから、支払額は確実に増えた。同様に、家族の様子が変わり、ファッションや住まい、余暇の過ごし方も大きく変わった。だから、変化したイタリア人により沿うようにイタリアの村々が変わったのである。そして気づけば、時間はかかったが、村々の変化の方が都市社会の変化より大きかったのかもしれない。
1 蜜柑畑で考えたこと
一方、日本の風土も美しい。南北に長い多様な風土からは四季折々に質の高い様々な農産物が産出される。また、イタリア以上に水産業が盛んな日本では、魚介類も大きな魅力である。だから、アグリツーリズモは日本の風土に合っていると思う。列島の北から南まで、各地の美しい風土と農山漁村には大きな可能性がある。
農山漁村の景観はまた、美酒・美食の興をそそる。京料理は利尻島の昆布、土佐の鰹節からその日の気温湿度を見て上手に出汁をとって素材の味わいを深める。そして列島各地から芳醇な酒、味噌や醤油の香りとともに、滋味深い米と野菜、海産物や新鮮な肉類が届けられ、美しい器に盛られる。デザートには日本の果物は最高級、他国の追随を許さない。上品な甘さの生菓子と干菓子が競っている。美味しさ求めて食材の産地を訪ねれば、日本のアグリツーリズモの楽しさは広がっていくだろう。
私の実家、三ケ日も食が豊富になった。蜜柑畑の上に浜名湖を見下ろすフランス風のオーベルジュが開業して20年経つ。高価でちょっと行けないが、手頃な鰻や河豚の店が増え、精進料理や湯豆腐の店もある。だから、大きくなった子供たちは美食目的で付いてくる。慣れない蜜柑づくりを始めて6年、脱温州蜜柑化を進め、ネーブルに、はるみ・清見、最近ではタロッコ・オレンジを植えた。野菜はまだ上手に作れないが、柑橘類の香りが自慢の、妻と私専用の小さなアグリツーリズモになった。
毎月通っているものの、実はゆったりとした休暇にはならない。しかし、隣ではUターン、Jターンした地元の先輩たちが落ち着いた時間を過ごしている。東京や名古屋、都会の人たちにとって、日本の農村の魅力は日々高まっていると感じる。
この半世紀、日本人の暮らしも大きく変わった。中でも食生活の変化は特に大きい。ファストフードやファミレスが広がった。しかし、まだ一部の人々ではあるかもしれないが、食の安心安全への関心が高まり、グルメ文化も着実に広がった。日本の食文化は日々高まりを見せ、世界にも受入れられた。地産地消やスローフードは田舎より、むしろ華やかな都会の表舞台でも盛んになり、その新鮮さは輝きを放っている。
また、市民が農に親しみ、近年では農女ブームといって食と農に積極的に関わる若い女性が登場した。定年帰農も続いているが、若い女性の就農が目立つ。まちづくり分野でも農業を話題にすることが多くなった。関連の書籍も次々と出版されている。様々な立場の専門家が、農ある地域づくりに日本の未来を見出そうとしている。
なかでも、わが家と違い、新しい取組みを始める優れた本当の農家の活躍が目立っている。オーガニックを実践し、高い質の産品ゆえに高収入とまでは行かないまでも、人気を集める農家が多い。本来、優秀な日本の農家のこと、常に付加価値の高い農業が生まれている。
2 美しい村をつくるビジョンを描く
もちろん、美しい村づくりには日本でも多大な困難が伴うだろう。自然公園としての環境保護、文化的景観として文化財保護、景観地区として景観法で守ろうという制度ができても、大部分の農村は無関心、まして土地所有者は合意しないだろう。すでに大多数になった都市住民が美しい村づくりを望んでも、実際に農村に暮らす農家の人々の共感は得られない。
美しい村をつくることが農業と農村の未来を拓く方途であることは、市場を同じくするフランスが早く、イタリアでもやや遅れて農家の人々に理解された。ワイン造りが革新し、オーガニックやスローフードの広がりが、その理解を速めた。彼らの意識の根底では同時に、都市の農村の価値観の転換が起こっていた。イタリアの農村住民には都会に対するコンプレックスはもうない。大都市より地方都市、都市よりも農村によりよい暮らしがあるという価値観が広がっている。
だから、農業が好きだから農業を楽しむ、好きだから創意工夫を重ねて優れた農業に変えようという人が増えた。農業技術や機械の発展を、農業の生産拡大でなく、農産物の高付加価値化と農作業の質的改善、つまりより人間らしい創造性を発揮する農業に変える方向に活かしたからである。好きでも得意でもない、辛いだけの農作業から人々を解放し、創造性が発揮できる仕事を提供すれば、人々はやがて誇りを取り戻していく。
自らの仕事に自信と誇りを持つ人は、仕事場に美しさを求める。創造的な農作業を求める、心から農を愛する人々が集まれば、農村は自ら美しさを取り戻す。だから、美しい村づくりには景観や環境保護のための規制ではなく、農業をする人々が、その創造力を発揮し、社会の期待に応え、国民の尊敬を集める存在になることが必要だろう。農業は食という人間の根幹に関わる本質的な業なのだから、国民の関心は集めやすい。物心両面で豊かな時代なのだから、食への要求はますます高度化している。高まる要求に応えて、農業に携わる人々が、その創造性を発揮する環境は整ってきた。的確に応えるためには、旧来の閉鎖的な農村社会に閉じこもらず、開かれた世界から情報を受入れ、他者と交流する機会を増やす必要がある。しかし、長い間奴隷のような労苦に耐えるだけだった人には、これが難しい。
とはいえ、成熟期を迎えた先進工業国の社会は必然的に変化する。工業化はまず都市社会を変え、時間はかかるが農村社会をも変える。農村では多大な時間と様々な段階を経て、矛盾を一つ一つ克服しながら、やがては都市同様に、あるいは都市以上に豊かな生業と生活の場に発展する。早いか遅いかの違いがあっても、日本でも技術の発展と社会の変化に沿って、より先進国らしい農業と農村の形が見えてくるだろう。そこに美しい村のビジョンを描かなければならない。変化を押しとどめようとする守旧勢力が消える日は遠くない。そのビジョンはやがて実現する。
先進国の優良な農家は付加価値の高い農産物を追求する。高品質農産物は真剣に農業をする人々だけが生産でき、彼らが農業の未来を考えれば環境も景観も大切になり、ブランドとしての美しい村を求める。実際、イタリアやフランスの高級ワインの産地では、葡萄畑は醸造所とともに、精密機械の工場並みに清潔に整理整頓されている。集落の家々の手入れも高級ブティック並みに行き届いている。そして、広場や街路も丁寧に修景される。三ケ日の蜜柑畑も、オルチャ渓谷やサンテミリオンの葡萄畑のように整然とした美しさを備える日が来る。
先進国では市民生活が充足し、その要求は多様化、高度化した。農村の生活水準も高い。だから農業と農村に安心安全で美味しい農産物を求め、村に美しさを求める。日本の現実だけをみれば、この将来像を非現実的だと思う人もいるだろう。しかし、このプロセスがEU諸国ではすでに起こり、やがて日本の農業と農村が辿る道であると私は考えている。この認識を広げることが美しい村をつくるビジョンの前提になる。
3 価値ある農地が文化的景観に
農林水産業に関連する景観は、日本でも文化財となった。その伝統的な景観の歴史的土地利用は保護されなければならない。文化財保護の立場としてはそれでいい。しかし、農林水産業と村づくりの立場にたつと、なぜ保護しなければならないのか、文化的価値だけでは農業を営む人々には説明がつかない。なぜなら、そこは彼らの生業と生活の場で、土地建物はまず彼らの生活を守り、所得を得るためのものだからである。だから、文化的景観、つまり村の美しさの保護が生活と生業を守り、改善する方途であることを示すことが不可欠である。残念ながら、展望を欠いた今の日本の農村では高級ワインの産地のような理解はまだない。
オルチャ渓谷では、その文化的景観を守るために、丁寧に歴史的土地利用を調べた。最初は、その意味を理解した人は少なかった。世界文化遺産に登録され、その美しさを愛でる人が増え、増えた観光客がどこよりも高い値段でブルネッロ・ワインを買うようになった。しかし、それは世界遺産を商標として使ったからではない。丁寧に調べた農地には、土壌、微気象、そして歴史的経緯に個性があり、一筆ごとに味の異なるワインを産する。その違いを活かし、優れたブルネッロが醸造される。優れた葡萄畑には価値がある。丁寧に手入れされた優れた畑は、文化的景観として保護する十分な価値がある。
オルチャにはワイン販売所があるだけではない。アグリツーリズモもレストランも増えた。農産加工品が増え、様々な新しく小さなアグリビジネスが広がった。だから、美しい景観は同時に、新しく創造的な若いビジネスを生んだ。そんな人々は、早くから農村の文化的景観の経済効果に気付いていた。町家再生に老舗やブランドショップが要るように、美しい村にはグルメレストラン、ブランド農産物が要る。センスのいい人たちが、地味なオルチャ渓谷の景観をより美しく、魅力的に見せている。美味しさは美しさより理解されやすいらしい。
文化の感じ方は人それぞれ、歴史の感じ方も人によって違う。文化的価値を訴える方法は多様だが、味覚から訴える方法は観光客には効果が大きい。農家以外にも、料理人、建築家やデザイナー、ホテル経営者やガイドなど美しい村には様々な役割を果たす人々がいる。それぞれが村の美しさを理解し、それを美味しさに活かすことで農家が自信と誇りをとりもどし、地域の住民や観光客も豊かになれる。美味しさをめざして、緩やかな連携が起こる。
美しい景観の保護には丁寧な調査・研究と優れたルールづくりが、もちろん必要である。イタリアでも日本でも一般に、農村社会ではルールづくりが難しい。長い歴史の中で、為政者に支配され続けた人々は、自律して自治を担った経験が乏しい。もちろん、今までも利益の分配はしてきた。共同作業も多かった。しかし、その多くが封建的権威によって進められたために、民主的な合意形成にはあまり慣れていない。まして、外から新しい住民が入り、新しいビジネスチャンスが生まれれば、合意はさらに難しくなる。平等な関係でいながら、ある目標を共有化し、それを実現しようというより大きな公益のために皆で負担を分かち合うことは難しい。
歴史都市でも、数名の大地主が大部分の土地を所有していた時代には合意形成は簡単で町並みも整っていた。それが、持家化で多数の人々が所有する現在、合意形成は難しく、ルールは失われ町並みが壊れた。農村でも大地主がいた頃は整然としていた。それが、農地解放で零細自作農が増えたために景観が壊れてきた。
社会の民主化は持家化や農地解放を通じて実現された。我々はこの成果を享受してきた。しかし、我々自身が地主としての責任をもち、集まり協議しつつ、調和のとれた生活空間、優れた生産手段を獲得する能力を持つには至っていない。優れた計画、具体的なルールづくりを導く専門家には、そこに集まる人々が納得して、一緒に元気な未来の暮らしと生業を育て、そのための美しい村並み、町並みを創ろうという意欲を掻き立てる力が要る。そのためには、現状を理解し、より優れた新しい農業を示す能力が欠かせない。
半世紀前にアグリツーリズモを始めたシモーネ侯爵の話を理解した村人は皆無だったという。先見の明が理解された頃には侯爵は去っていた。それは孤独な闘いだっただろう。
4 市民の求める村をつくる
侯爵の先見の明は、預言者のように、未来の市民が望むものを見出した点にあったと思う。美しい村で美味しさを楽しみ、ゆったりと過ごす。それは、まず侯爵自身が望むものでもあっただろう。同時に、都会で上辺だけの豊かさ、便利さに満足していた当時の一般の人々が、やがて美しい村を欲するようになると想像ができたのだろう。実際、イタリア人の美酒美食やバカンスへのこだわりは半端ではない。暮らしの質への要求は着実に高まってきた。
飢えの記憶が残る貧困生活から抜け出たばかりの人は貪欲になる。貧しさに苦しんだ反動で守銭奴的行動に走る人も多い。しかし、人間の要求には際限がない。充足してもその先に、より快適で美味しいものを求める。お金では購えない豊かさを欲するようになる。だから人間、いつまでも貪欲な守銭奴ではいられない。豊かになったイタリア国民の要求は、こうして美しい村をつくるエネルギーになった。
美しさや美味しさへの貪欲さでは、日本人もイタリア人に劣らない。多くのイタリア人も、この点に日本人との共通点を見出している。もちろん、儒教や禅宗の影響で質素倹約、贅沢を嫌う人も少なからずいる。でも現在の大きな流れは、華美や虚飾を排した美酒美食、質の高い本物の食のある暮らしを求めるように進んでいると思う。
日本でも、今やより美しく暮らす、よりよく働くことを求める人々が、古い成長モデルを信奉する人々を駆逐しつつある。農業と農村に関わる部分でも、安全な食への関心、美味しい食への貪欲さが変化を進める力になってきた。実際、失われた20年間には、国民の生活を豊かにする分野が伸びた。今後は、環境保護、景観保護、文化芸術、介護、育児など生活の質を改善するための公共投資が増えるだろう。
そこで、どうすれば生活の質が高まるかを農村住民と共に考える必要がある。当面は、鳥獣害対策、生活道路の確保が求められる。しかし、将来の村のあり方を考えれば、減少するだけの村人だけで考えてもだめで、人口の86%以上を占める都市生活者が求める村をつくろうという発想に至るだろう。そのために、都市と農村の交流も各地で盛んになっている。ただ今はまだ、都市民に農村を見せよう、農業を理解してもらおうという段階である。そうしないと対話が始まらないし、交流も生れない。しかし、やがて農村住民が都市民を理解する段階になる。
一方、この日本でも農村の女性が元気になってきた。都会の女性の元気さは言うまでもない。元気余って都会から農村に進出する農女も登場した。ちょっと外れた感じもあるが、このくらいが丁度いいかもしれない。実際、都市と農村の意識はかなり離れている。ようやく女性農業委員が増えてきたという農村の女性化のレベルではなく、現在の日本の都市社会では熱心によりよい生き方を模索する女性が増え、その模索の中に、食とか農という選択、都市にではなく農村に住むという選択が広がっているのである。つまり、農村が女性を必要としている以上に、現代の日本の女性の一部が農村を必要としていると思う。他の分野で起こったように、女性たちが新しく多様なライフスタイルを見出し、社会をその方向に導いているのである。
イタリアのアグリツーリズモには日本人観光客が増えていると述べた。もちろん圧倒的に女性が多い。そもそも、現在日本で観光に出るのは女性が65%、イタリアへいく日本人観光客も大半が女性、そして美酒美食を求めてアグリツーリズモまで足を伸ばすのは、イタリアを熟知した女性客なのである。世界の優れた観光地を知った彼女たちが、少なからぬ影響力で日本の観光地を変えたように、やがては農村も変えると思う。こうして日本は変わっていくのだろう。かくいう私も妻にいわれたから実家で蜜柑をつくっている。
もちろん女性だけではない。農の喜びを感じ始めた市民は多い。日本人はもはや飢えていない。ホンモノの美味しさと村の美しさを求める人々が増えている。時間はかかるかもしれないが、大きな変化が始まりつつある。
2012年5月、三ケ日にて
- イタリア世界遺産物語~人々が愛したスローなまちづくり~講演録
- 出版記念セミナー(2012年8月8日、京都、終了しました)