原発と建築家
内容紹介
3.11以降、ストレートな物言いでツイッター上の注目を集めてきた著者が、「建築家としてどう関われるか」を問いながら専門家を訪ねたインタビュー集。原子力発電をめぐる建築の歴史、安全の概念、都市と地方の関係を見直し、再生可能エネルギーの技術や制度の可能性を探りながら、関わり、発言することの大切さを確認する。
体 裁 四六・240頁・定価 本体2000円+税
ISBN 978-4-7615-2529-3
発行日 2012/03/10
装 丁 藤脇 慎吾
インタビュー1 松隈 洋
建築家として何を話せるのだろう(2011.11.7)
インタビュー2 後藤 政志
安全を設計するのは誰なのか(2011.11.25)
インタビュー3 佐藤 栄佐久
発電所を受け入れた町になにが起こるのか(2011.12.10)
エッセイ──なぜ、環境的な建築の必要性を感じたのか 竹内昌義
インタビュー4 池田 一昭
「スマートな都市」をイメージしてみる(2011.12.2)
インタビュー5 清水 精太
エネルギーのベストミックスは何か(2011.12.3)
インタビュー6 林 昌宏
再生可能エネルギーは不安定なのか(2011.12.9)
インタビュー7 三浦 秀一
地方でこそ再生可能エネルギーを活かせないか(2011.12.8)
インタビュー8 飯田 哲也
建築家として、何から始められるだろう(2011.12.10)
私は「みかんぐみ」というチームで建築の設計をしながら、山形にある東北芸術工科大学で教えている。東日本大震災では山形市はほとんど被害を受けていないが、震災後の三~四月は新幹線が不通だったため、大学には通えなかった。また、学生には被災地の出身者が多数いて、とても人ごととは思えなかった。そういう状況で、ツイッターからはいろいろな情報が流れてきた。私は、自分の携わる建築とどう関係しているのか、そう思いながら、原発事故に関する情報を選別し発言し続けた。それが学芸出版社の井口夏実さんの目にとまり、この企画がはじまった。
正直、話を頂いたときは躊躇(ちゅうちょ)した。私に原発のことなど書けるだろうか。原発はプラントであって、建築ではない。確かに、建築と同じように、耐震性は求められる。でも、依然として建築ではない。だからか、多くの建築家は原発に関して、ほとんど何も言わない。
多くの建築家は被災地に出向き、ボランティアをしている。住民に寄り添い、阪神淡路大震災から得た知見を活かし、東北でのことを考え、活動をしている。その情熱や思いには頭が下がる。一方、この原A発、国家のエネルギー政策、エネルギーの供給の問題に関しては何も語ることができていない。建築はエネルギーを多くつかう。エネルギーを扱うことは建築家の職能のひとつのはずだ。しかし、多くの建築家にとって、建築の世界の外のことなのだ。
一方、私は建築のエネルギーに関して、すこし自覚的になっていた。大学でエコハウスの研究、設計、建設に関わり、再生可能エネルギーの可能性に気がつき、鎌仲ひとみ監督の『ミツバチの羽音と地球の回転』(山口県祝島に持ち上がった原発建設をめぐる三〇年来の住民による反対運動と、スウェーデンで持続可能な社会を構築する人々の取り組みの、両方を描いたドキュメンタリー映画。全国六〇〇ヶ所以上で上映されている。)で三〇年にわたる祝島の原発反対の運動を知り、それを自らのパワーポイントに組み込み、レクチャーをした矢先に3月11日を迎え、その後の福島第一原発の事故に向き合うことになる。
ただ、このレクチャーの際にも原発に対する発言をするときには、特別なタブーのようなものを感じていた。再生可能エネルギーの話には、微塵も感じないこの感情は何なのだろう。原発に対して、何かを言うことには強烈なイデオロギーを感じてしまう。そういうイデオロギーに与(くみ)したくないという感情だ。しかし、もともと私は特定のイデオロギーなど持ち得ていない。そういう状況で、自分のスタンスをどうとるか、本を書くことでは求められる。そこに躊躇した。
でも、考えるうちにこのことがイデオロギーにみえること自体が問題にすら思えた。原発に関しての発言はイデオロギーの問題ではない。安全の問題、特に技術の問題と理解したほうが良さそうだ。イデオロギーだと考えてしまい、その問題の本質を議論することから遠ざかると、そこで利する誰かがいるように思える。
もし、もっと原発やエネルギーのことをちゃんと知っていて、何らかのアクションを起こせていたら、この事故は防げたのではないか。客観的に考えれば、地球の資源は有限で、世界がある方向に変わろうとしている。でも日本はエネルギーに対して、比較的鷹揚だった。いままで私は無関心だった。むしろ、原発を必要とする社会に、積極的に参加していたかもしれない。そういう無自覚な行動が、将来に問題を残すなら、それは知らなかったと済まされる問題ではない。まだ社会にでて間もない若者ならまだしも、私たちの年代の大人にとっては、何らかの責任がある。エネルギーに無自覚で、あまりにも都合のいい豊かな状態に安住していたことが、事故の遠因になっていやしないかと考え始めている。
そうだとすればやることは自ずと決まってくる。関心を持ち、わかることをわかるように説明し、できることを声にだして言わなくてはいけない。本を書き下ろすほど専門家ではないが、本を書くことで、いろいろな人に直接会って取材ができる。私自身が疑問に思っていることも聞けるかもしれない。そういう好奇心と、なかば自分でどうしたら、声をあげられるかを考えながら、この企画を引き受けることになった。建築家としての職能は、一般の知識人とはちがって、この問題をめぐる具体的な解決方法や方向性を探るのにきっと役に立つはずだ。
この本には結論めいたものはないし、私自身もまだまだ変わり続けるだろう。その変化もこの本の読者と共有できたら幸いである。そう考えながら、様々な専門家の方々へのインタビューを計画するところから、動きだした。
『原発と建築家』いかがでしたか。単なる原発への反対表明としてだけではなく、次への希望も感じながらお読み頂けたら幸いです。ただ、希望を持つだけではなくて、行動しなくてはいけないし、ダメならダメだと言わなくてはいけない。この本があなたにとっての、その一助になれば、筆者としてはうれしい限りです。
さて、最後に少しの紙面があるので、もう少しのおつきあいを。
よくも悪くもインターネットやツイッターがなければ、この本は生まれなかった。とても現代的だと思う。一方で、この一年いろいろ考えるとき、落ち込んだとき、元気を出すとき、いろいろな局面で音楽に助けられた。ぜひ、そのいくつかをここで紹介したい。それこそYou Tubeで検索できるので聴いてみてほしい。
一曲目は忌野清志郎率いるバンド、RCサクセションの『サマータイム・ブルース』である。私は高校の頃から清志郎の『トランジスタラジオ』とかが大好きだった。その頃は、この歌詞のとおり「授業中に居眠りばかりしてたし、あくびばかりしていた」ので、とても人ごととは思えなかった。なんか、高校生の自分がうまくコントロールできない気分やエネルギーがそのまま歌になっている感じが気に入っていたのである。
だけどこの『サマータイム・ブルース』だけは「なんでこんな歌を歌うのかな」と感じてしまうような、反原発ソングなのである。コミカルで心に響く。でも、私は結局、二〇一一年三月一一日まで、その意味をちゃんと理解することができなかった。むしろ、理解できないものを人は遠ざける。私はしばらく彼らの音楽と離れてしまっていた。それに、これらの楽曲は放送禁止になっている。今思えば、清志郎は放送禁止になっても、ちゃんと主義を通していた本物のロックンローラーだったのだ。もし、生きていたら、この事故に関して、何を言うのか聞いてみたい。
紹介する二曲目は『圏内の歌』七尾旅人である。二〇一一年の五月一二日、東北芸術工科大学で行われた〝FUKKOU LIVE〟で七尾旅人が歌った福島の『圏内の歌』。「子供たちだけでもどこか遠くへ逃がしたい」という歌詞は心を打つ。あの時も今も本質的には何も変わっていない。ものすごくなにかしたくてもできなかった時に聞いたので、忘れられない歌となった。『Human ERROR』(FRYING DUTCHMAN)など、他にも印象的な歌が多い。
これらの歌はもちろんインターネットでしか聞けない。そして、いつ削除されるかわからない。日本のマスコミはそれらを許容できないし、聞いてくれる人の数はまだまだ少ない。まだ、インターネットの内部だけだ。ツイッターでの話題はどんどん流れていってしまってとどまらない。だから、どこかで繋ぎ止めておく必要があった。だから、私はこの本を書いたのだと思う。
ここまで読んでくださった方に最後にお願いがあります。ぜひ、家族、友人、まわりの人、テレビしか見ない人、そういう人とぜひ原発の話をしてほしいと思います。そして、この社会が少しでも前に進みますように。
最後に、この本の企画を考え、いろいろ助けてくださった学芸出版社の井口夏実さん、そして家族に感謝したい。
二〇一二年 震災がまだ終わらない早春 東京にて
竹内昌義
建築家であるわれわれは、「フクシマ」後、その罪に加担してきたかもしれないということを充分に反省できているだろうか?『原発と建築家』は「エネルギーに無自覚で、あまりにも都合のいい豊かな状態に安住していたことが、事故の遠因になっていやしないか」と考えた著者竹内昌義氏が、原発問題に関して声をあげ、自身が当然やるべきだと思うことを行い、できるかもしれないことを探して「歴史」「技術」「政治」「自然エネルギー」の専門家たちに話を聞き、それをわれわれに伝え、行動を呼びかけている書物である。
おかしいと気づいたことにはおかしいと言わざるを得ない、そういう正直さが竹内氏の身上だ。普段、氏の語りや表情は常に軽妙でユーモラスだが、同時に透明で鋭利な批評眼が周囲を貫く。ヨット部で自然を自身の体と知で生き、また「みかんぐみ」という設計ユニットで(トップダウンでない)徹底した合議をベースとした手法で設計を展開する氏には、自立し協働する生活市民としての「普通」の感覚が備わっていると言ってよい。そこにあるのは風通しの良さである。
澱み腐臭を放つ原子力ムラの無風の闇がまた日本の普通の幸せに覆い被さろうとしている。原発が全て停まったしばらくの間われわれは少し爽やかな風を感じてはいなかったか?本書に促されて、風を求めて、思いっきり深呼吸できる世界を求めて、われわれは動かなくてはいけない。-子供たちの未来のために-(本書扉の言葉)。
(京都造形芸術大学環境デザイン学科准教授/小野暁彦)
担当編集者より
事故以来、原発について建築家の発言を聞きたいと思っていたので、竹内さんが本の企画を引き受けてくださった時は「ようやく!」と喜んだ(でも企画するまで事故から半年もたってしまったことは反省)。
原発については、思ったり考えたりするだけでなく、発言することが大事だなと、再び動こうとしている原発と、なかなか変わらない状況を見ていて改めて思う。
建築は社会とも政治ともつながっているのだから、そして建築家の構想力はもっと多くの場面で発揮されて欲しいと思うから、引き続き発言の場を見つけたりつくったり、していこうと思う。
(I)