神戸の震災復興事業
内容紹介
阪神・淡路大震災から、10年前後の歳月を経て都市計画事業による復興による「防災モデル都市」が立ち現れた。その事業の核となった2段階都市計画とまちづくり協議会によるまちづくり提案について、行政マンとして事業を推進した著者が、客観資料と各事業担当者、協議会関係者の証言も踏まえて初めて震災復興過程を総合的に纏めた。
東日本大震災の復興事業にも参考になる一冊。
体 裁 A5・220頁・定価 本体2700円+税
ISBN 978-4-7615-2517-0
発行日 2011/09/15
装 丁 コシダアート
第1章 遅れた政府の初動体制と既存制度による震災復興政策
1-1 阪神・淡路大震災の発生
1-2 政府の危機管理対応
1 震災発生当日の政府の行動
2 震災発生当日の政府の対応
1-3 設置されなかった内閣総理大臣直轄の「危機管理本部」
1-4 従来の法制度の活用による震災復興政策
第2章 自治体の行政課題としての創造的な震災復興事業
2-1 大規模被災地域の出現
2-2 密集市街地での大規模被災の原因
1 大規模火災の原因
2 老朽木造住宅の被災
2-3 震災復興事業の課題
1 基盤未整備な住宅密集市街地形成の背景
2 基盤整備地区と未整備地区の被災状況の比較
3 震災の被災経験を活かした創造的復興事業の必要性
第3章 2段階都市計画による震災復興都市計画の形成
3-1 震災復興事業の基本方針
1 国との事前協議へ
2 建築基準法第84条による建築制限
3 震災復興事業の骨格となる基本方針の決定
4 「神戸市復興計画」の策定と震災復興事業の調整
5 神戸市の「震災復興市街地・住宅緊急整備の基本方針」の発表
3-2 2段階都市計画の仕組み
1 建築制限期間と住民参加のジレンマ
2 既存制度の応用による「2段階都市計画」の新手法
3 第2段階の都市計画までの建築制限の継続
4 2段階都市計画のモデル事例の住民参加手法
5 都市計画決定告示までの日程
6 2段階都市計画の効果 ── 住民参加による計画過程の導入
3-3 第1段階の都市計画案の策定と発表
1 「創造的復興」事業の目標としての「防災モデル都市」の設定
2 創造的復興事業に適合した面的整備事業
3 震災復興都市計画内容の発表
3-4 「被災市街地復興特別措置法」の施行と意義
1 「被災市街地復興特別措置法」の制定と施行
2 「被災市街地復興特別措置法」の施行日の意義
3 2年間の建築制限の意義
3-5 第1段階の都市計画の決定
1 第1段階の都市計画の案の内容
2 防災空地確保のための近隣公園の都市計画決定
3 住民からの意見書と都市計画審議会の付帯意見
4 第1段階の都市計画決定の帰結
(補論)「2段階都市計画」の呼称と性格規定について
第4章 震災復興事業における「まちづくり協議会」の役割
4-1 第2段階の都市計画における「まちづくり協議会」の役割
1 行政側が想定した「まちづくり協議会」結成の呼びかけ
2 まちづくり協議会の組織化要請に対する住民側の対応
3 震災前のまちづくり協議会の存在意義
4-2 まちづくり協議会の設立と活動
1 まちづくり協議会の設立
2 動き出したまちづくり協議会活動
4-3 まちづくり協議会の制度基盤としての神戸市まちづくり条例
1 まちづくりのプロセスを示した条例
2 条例における「まちづくり提案」の意義
3 まちづくり協議会の性格と役割
4 まちづくり協議会の認定
第5章 震災復興土地区画整理事業の実施過程
5-1 「まちづくり構想」作成への課題
5-2 まちの復興の将来像
1 まちの将来像のイメージ
2 安全な市街地への具体的な課題
5-3 都市計画公園の変更
1 第1段階の都市計画決定施設の変更の模索
2 近隣公園の都市計画変更までの過程
3 防災公園の整備の意義と評価
5-4 都市計画道路の変更
1 都市計画道路の変更の可能性
2 森南地区における都市計画道路の変更
5-5 被災者負担軽減の仕組み
1 減歩率緩和政策の背景
2 減歩率を緩和するための土地区画整理事業のノウハウ
3 国庫補助金による被災自治体の財政負担の軽減
4 被災者負担の実質的ゼロ化
5 減歩率緩和の結果
5-6 第2段階の都市計画の手続きと決定
1 「まちづくり提案」の提出と受理
2 第2段階の都市計画の決定
第6章 震災復興再開発事業の実施過程
6-1 第1段階の都市計画の位置づけ
1 震災復興市街地再開発事業の第1段階の都市計画
2 「第2種市街地再開発事業」としての都市計画決定
3 新長田駅南地区の大規模再開発事業決定の理由
4 20haの再開発事業区域設定の意義
5 第2段階の都市計画に向けての基本的な方針
6-2 まちづくり協議会の設立と活動
1 震災復興再開発事業地区におけるまちづくり協議会の設立
2 震災復興再開発事業地区における「住民」の特殊性
3 六甲道駅南地区での第2段階の都市計画 ── 1haの防災公園の変更
4 新長田駅南地区での第2段階の都市計画 ── 第2地区の若松公園の変更
6-3 震災復興再開発事業と2段階都市計画
1 2段階都市計画は震災復興再開発事業に適合したプロセス
2 震災復興再開発事業の使命 ── 経済性か生活再建か
第7章 創造的震災復興事業の完成
7-1 第2段階の都市計画決定から事業化そして完成
1 震災復興事業の完成
2 事業化後の新たなまちづくり提案の意義
7-2 まちづくり提案による特徴あるまちづくり
1 せせらぎ
2 シンボルロード・コミュニティロード
3 建物共同化事業 ── 飛び換地手法の活用と共同化事業用地の確保
4 借家人対策としての受皿住宅
5 地区計画制度を活用した建ぺい率の緩和
7-3 安全で安心して暮らせるまちへ
1 住民が戻れてこそ復興
2 持続可能なコンパクトな都市へ
7-4 創造的震災復興事業の成果
1 創造的復興の成果としての「防災モデル都市」の実現
2 創造的震災復興事業の完成の意義
第8章 2段階都市計画と協働のまちづくりの意義
1 「2段階都市計画」の意義 ── 全市的な「都市計画」と地区的な「まちづくり」の調整
2 創造的復興事業における協働のまちづくりの意義
3 被災市街地復興特別措置法による段階型都市計画への提言
中山 久憲(なかやま ひさのり)
その他
著書・共訳
阪神・淡路大震災が発生してから今年で16年の歳月が流れた。未曾有の被害を受けた神戸の被災地では、東部と西部の両副都心の整備などをはじめとして、様々な復興事業が実施され、安全で安心して暮らせる新しいまちとして甦った。震災復興事業は神戸市をはじめ被災した地方公共団体の手により、大規模に被災した18の地区を対象に施行された土地区画整理事業が2010年度末までにすべて完成した。都市再開発事業が施行された6地区の内5つの地区で完成し、残っているのは神戸市内の新長田駅南地区だけとなった。これらの事業が完成した地区では震災による傷跡はまったく見られないところまで復興した。復興後のこれらの地区内では地区内宅地面積に占める道路や公園といった公共用地の割合が4割程度と、従前の1.5~2倍程度に増え、防災性や安全性、日照・通風などの居住性が飛躍的に改善されている。戦災復興事業の施行地区からはずれ、未整備のまま取り残されていたかつての密集市街地が郊外のニュータウン並みの高い水準で甦ったのである。わが国大都市の目下の課題というべき老朽住宅密集市街地の改善を考えようとする際、その1つの手本を示すことができたといってよいであろう。
ここに至るまでの神戸の復興を被災直後誰が予想できたであろうか。復興事業がほぼ終了した今の時点からあらためて振り返ってみると、復興政策の形成と実施にあたって市当局の大局的な政策判断と被災地域住民の復興への熱意が復興事業の推進に大きな影響力を持ったことは疑いのないところであろう。そこで筆者は、この復興がどのようにして成し遂げられたのか、この点を掘り下げて考え、そこから若干の教訓を引き出すことを試みることにした。そのために、復興事業の推進を支えてきた様々な制度的・社会的要因を具体的に分析し、復興を成功に導いた原因やその成果を明らかにすることが必要である。次いで、復興事業の成果を復興政策の目標に掲げられた「安全で安心して暮らせるまち」、すなわち、「防災モデル都市」建設の理念に照らして総合的に評価していくことが求められるであろう。
筆者は、以上の課題設定のもと、震災復興事業による復興過程を大きく復興政策の形成もしくは復興都市計画の計画段階と実施段階に分けて以下のように検討作業を進めることにした。まず、復興政策の形成段階においては、神戸の復興都市計画手続きにはじめて導入された「2段階都市計画」の新手法が採択されていく過程に着目して、この新手法による事業の対象地区および幹線道路、近隣公園といった大枠の都市計画案が作成され、神戸市と兵庫県の都市計画審議会で復興都市計画として決定されるまでの政策過程を分析する。この分析では、復興政策立案の背景や政策形成のプロセスを明らかにする一方、政策の制約要因としての現実性(feasibility)に着目し、2ヶ月という短期間に大枠の都市計画決定に至った原因の解明を試みる。なお、ここでいう2段階都市計画の枠組みは、従来の都市計画の手続きを、その大枠を決める第1段階と、計画の詳細を定める第2段階の都市計画の2つの手続きに分けて行うという仕組みをとっており、第2段階の都市計画では、住民との協議により必要に応じては大枠の計画すら修正できる余地を作り、ここで最終的な都市計画を実質的に定められるように工夫されている。
次に、復興都市計画の実施段階においては、まず、事業地区の住民で結成されたまちづくりの住民組織であるまちづくり協議会の役割、特にその「まちづくり提案」の意義に着目して、これが住民と行政の協働によるまちづくりをどのように推進できたのか、これを検討する。さらに、このまちづくり活動を通じて市長に提出される提案内容が第2段階の都市計画案作成にどのように取り入れられたのか、この過程を検討する。加えて、その中で、第2段階の都市計画に第1段階の都市計画の変更がどのような協議の過程を経て組み入れられたかを検討する。この検討に際しては、各事業地区における幹線道路や近隣公園の計画に焦点を当てて各事例を比較分析し、その差異を明らかにする。
最後に、以上の検討作業で得られた知見をもとに復興過程を全体として総括し、事業の成果について評価するとともに、被災市街地特別措置法による「段階型」の都市計画に関する提言を試みる。
本書の構成は以下の通りである。第1章と第2章では、政府の震災復興政策の概要と神戸市の震災復興事業の課題と方策を紹介し、第3章の前半部分では、「防災モデル都市」づくりの復興理念のもとに進められた神戸市の復興事業の基本方針の策定、震災復興計画の作成と2段階都市計画手法の採択に至る政策過程を、後半部分で、都市計画審議会にかかるまでの手続きとその決定過程を取り上げて検討した。第4章では、2段階都市計画の実施段階における住民協議の過程において「まちづくり提案」を通じて重要な役割を果たしたまちづくり協議会を取り上げ、その組織過程と活動の実態を検討した。第5章と第6章では、土地区画整理事業および再開発事業の実施の過程を通じて、2段階都市計画が実現していく過程を明らかにするとともに、第1段階の都市計画の変更や地区内住民の費用負担軽減の問題などを中心に検討した。さらに第7章では復興事業を具体的に示しながらその評価を行い、最後に第8章で2段階都市計画による協働のまちづくり事業の全過程を総括し、その成果と意義についてまとめた。
筆者は、本書の執筆を通じて、復興の政策形成における様々な岐路をつなぎ合わせてきたその道筋を明らかにするよう心がける一方、その形成と実施の過程を事例研究といった制約の中でできるだけ一般化して示すよう努めたつもりである。
本書は、震災発生から16年間にわたり震災復興に関連した業務に関わってきた神戸市の多くの職員の一人として、自らの体験をもとに仕上げた成果という性格を一面では持っている。しかし、本書で示された見解は、神戸市市役所を代表するものではないことをあらかじめお断りしておきたい。
2011年7月
中山久憲
私は1975年4月に神戸市役所に採用され、2010年3月に退職した。この間の35年間、都市計画(24年)、埼玉大学大学院(国内留学)(2年)、土木(3年)、区役所(3年)、港湾(3年)の関連部局で務めてきた。それぞれの業務の内容は都市計画・区画整理およびまちづくりに関するものであった。しかも、最後の16年間は、阪神・淡路大震災の復興の業務に関わってきたので、役所生活の半分が震災関連である。
本書はその意味で私自身が、この16年間に経験してきたことが基盤となっている。本書をまとめるにあたり、その中でも次の3つの期間が重要と考える。その点について若干触れておきたい。
まずは、1994年から3年間の兵庫区役所まちづくり推進課長の時期である。1995年1月17日に阪神・淡路大震災に遭遇し、混乱する被災地の最前線で復旧・復興事業の現場を経験した。その際、大火を被った松本地区の行政主導型復興事業と湊川町1・2丁目地区の住民主体型事業の事業創設期において、被災した住民の方々の苦悶と苦闘の姿を直接自分の目で見、様々な相談に乗らせていただいた。1997年の異動後も、松本地区の中島克元会長や湊川地区の篠原正吉会長とは昵懇にしていただくとともに、事業手法の異なる2地区に準備段階から完成まで直接的あるいは間接的に関わらせていただいた。このことは、その後に私自身が震災復興事業の実務に携わる上での大きな財産になった。また、兵庫区内では震災前から都市改造型の土地区画整理事業が進行中で、上沢地区や浜山地区の事業の進め方を身近に知ることができた。このように区役所では、震災復興事業だけではなく、幅広く震災関連事業の進め方を、住民を支援する立場から、また施行者ではない被災者の立場からも理解する貴重な経験を得ることととなった。
第2は、1997年から4年間の都市計画局計画部まちづくり支援担当主幹の時期である。そこでは、震災復興事業の担い手であった「まちづくり協議会」の活動支援や専門家派遣の業務を担当した。さらに、神戸市まちづくり条例の所管課担当として、条例の役割と意義、震災前からの住民主体のまちづくりの実態、震災復興事業地区の協議会活動との関係を理解することができた。特に協議会組織のリーダーの方々とは、「神戸市まちづくり協議会連絡会」の会議の席上や、連絡会が企画したシンポジウムのパネラー、時には裏方として、真剣に議論することができた。中でも、事務局長として八面六臂の活躍された松本地区の中島会長をはじめ、森南第1地区の奥井明会長、六甲道駅北地区の(故)藪田一彦会長、六甲道駅西地区の若林俊夫会長と池田寔彦副会長(現会長)、鷹取東第1地区の(故)小林伊三郎会長からは、住民と行政の葛藤の現実と厳しさや、協議会運営の難しさを実直に伺うことができた。まさに、震災復興事業を規定した要因を知る上で他では得られない経験を得ることとなった。
第3は、2005年から退職までの5年間で、都市計画総局の土地区画整理部長、市街地整備部長、参与(市街地整備担当)を歴任し、主に震災復興の土地区画整理事業と再開発事業の推進を担当した時期である。震災から10年を経過し、事業としては完成前の局面で、超えなければならない様々な課題に直面した。それには、協議会の方々の協力や、担当職員の努力によって、課題の解決方策を見つけ出して対応することが求められた。その結果、創造的復興を象徴する都市施設や景観形成、そして住民が主体となってまとめたまちづくりの総仕上げなどにも関わることができた。鷹取東第2地区の千歳地区連合協議会(6協議会)の鍋山嘉次会長、新長田駅北地区の東部まちづくり協議会連合会(12協議会)の野村勝(前)会長や、小山象平(現)会長からは、大規模な事業地区で事業化から完成に至る苦渋の選択の経緯や、単位協議会をまとめた連合協議会の運営での創意工夫や局面打開の方策の苦労話を様々な機会でお会いするごとにじっくりと聞かせていただいた。
懇意にしていただいた各会長からの苦労話の中で印象深かったことは、震災発生から完成に至るまで一番変わったのは自分自身であるという味わい深い感想であった。一個人の主張を貫くこともできたが、それでは組織をまとめていけない。組織を分裂させないために、自分の性格や考えをある時には捨てて、自分を変えてでも事業を進める道を選んだとのことであった。こうしたリ-ダーの存在があってこそ、住民主体型の事業が進められたことを痛感することができた。
以上の3つの期間は、第1の期間が震災復興事業の計画と始動の時期であり、第2の期間がまちづくり提案に基づく事業の最盛期であり、第3の期間は事業の完成期である。まさに、私自身が関わったそれぞれの仕事は性格的にもまったく違うものであるが、それぞれの仕事に事業の流れや進捗を実感しながら一定期間じっくり関わらせていただいたのは幸運であったと思う。
本書では、復興という行政課題の遂行と住民参加を実現する「2段階都市計画」というこれまでに経験のない手法をどのようにして進めたかについて、行政という立場に立って、その解釈や運用を中心に述べてきた。その復興の現場において被災住民の声を代表したのが「まちづくり協議会」であり、ほとんど白紙の状態から試行錯誤しながら運営し、時には苦渋の選択を決断しなければならなかった会長をはじめとするリーダー達の苦闘の活動があってこそ復興が実現できたという面があるのも事実である。それらの個々の活動については、本書では詳細に触れていない。それは、紙面の都合もあるが、すでに事業が終了した際に各地区の記録誌が発刊され、そこで詳しく述べられているため、本書ではそのエッセンスを述べるにとどめ、行間にそれらを含めたつもりである。本書をまとめることができたのも、それぞれの地区の協議会の会長をはじめとするリーダーの方々と本音で語り合えたことにより現場の実態を私なりに理解・把握することができたからではないかと考える。あらためてこの場を借りてお礼を申し上げます。
未曾有の阪神・淡路大震災の被災から立ち上がり、創造的な復興という大きな目標に向かって、多くのアクターが主体的に復興事業に取り組んできた。行政と被災者住民は、当初は意見対立の関係から始まったが、まちづくり協議会という共通の土俵を持つことで話し合いが進められ、政策実施の中で信頼関係が作り出されることによって、創造的な復興が成し遂げられたといえよう。
そして、本書をまとめるにあたり、伊賀俊昭氏(震災発生時に神戸市都市計画局計画部計画課長であり、最終的には都市計画局長を歴任)には、復興都市計画の政策過程に関するインタビューの際に多くの時間を割いていただき、惜しみなくご教示いただいた。
さらに、阪神・淡路大震災の経験を伝承するために、神戸市の職員と退職者で構成する「神戸防災技術者の会」(略称:KTEC)と、神戸学院大学防災社会貢献ユニットの授業を担当する大学・研究機関・行政・マスコミ・NPOなどの多彩なメンバーからなる「防災・社会貢献システム研究会」では、多様な分野にわたる地域や社会との関わり方について学ぶ機会を与えていただいた。加えて、神戸市都市計画総局市街地整備課の多田直人氏、同東灘区役所まちづくり課の森下武治氏には本書の表や図面の作成など熱心に協力いただいた。これらの関係の方々のご好意にお礼申し上げます。
本書の出版にあたって、関東大震災の復興過程を研究された元東京都立大学教授の福岡峻治氏には、本書の準備過程で草稿を丁寧に読んでいただき、貴重な示唆を与えていただきました。また、KTECからは出版助成をしていただきました。あらためてここに、心から感謝の意を表します。そして、学芸出版社にあって、本書刊行の機会を与えていただいた前田裕資氏および編集を担当いただいた森國洋行氏には大変お世話をいただきました。ここに深謝いたします。
最後に、本書執筆中の2011年3月11日に「東日本大震災(東北地方太平洋沖地震、M=9.0)」が発生しました。これまでの経験を遙かに超える津波の破壊力で、東北地方だけではなく北関東にまたがる数百kmにわたる地域に未曾有の被害をもたらしました。犠牲者になられた方々のご冥福をお祈りし、被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。そして、できうる限り早期に復興への道筋が開かれることを祈念いたします。その際に、阪神・淡路大震災の復興への過程をまとめた本書が何らかの形で貢献できるならば、まことに幸いと考えます。
2011年7月
中山久憲