子どもが道草できるまちづくり
内容紹介
交通事故、大気汚染、肥満、自立への悪影響。クルマ社会は子どもを危険にさらしている。クルマ優先が前提の従来の対策・教育では根本的な解決に繋がらない。安心な通学路、子どもの遊び空間を取り戻すことで、子どももまちも豊かに育つ。人間優先社会に転換する具体的な政策・事例も交え、通学環境と子どもの安全を問い直す。
体 裁 四六・224頁・定価 本体2000円+税
ISBN 978-4-7615-2463-0
発行日 2009/07/10
装 丁 KOTO DESIGN Inc.
はじめに──道を子どもたちに返そう 仙田 満
序 通学路はどんな場なのか 椎名文彦
1 伝統を受け継ぐ通学路
2 学校に通じる道
3 形成力を秘めた道
4 通学路での子どもの歩き
第Ⅰ部 劣化した通学環境
第1章 クルマ優先社会と通学路 今井博之
1 なぜ道草ができなくなったのか
2 モータリゼーションが子どもの命を奪ってきた
3 子どもが遊べる空間は100分の1に
4 子どものための「道」
第2章 クルマ社会が子どもにもたらす害 今井博之
1 大気汚染・騒音・地球温暖化
2 肥満
3 子どもの交通事故の現状
第3章 遊びの喪失と発達への影響 今井博之
1 子どもにとって遊びとは
2 道遊びの意義─チューリヒ・スタディ
3 「子どもにやさしい道」の提言
Column1 デルフト宣言 今井博之
第4章 「安全・安心」フィーバーに巻き込まれる子ども 水月昭道
1 「安全・安心」のフィーバーとどう向き合うか
2 監視社会と子どもの行動
3 岐路に立つ「通学路」
第Ⅱ部 失われつつある「道草」
第5章 子どもの遊びの質の変化 木下 勇
1 地域の変化と子ども
2 道草・道と子どもの成長
3 遊び場の四世代の変化
4 子ども道・猫道
第6章 現代の道草ウォッチング 水月昭道
1 ある初夏の日に体験した道草
2 道草の意義
3 どんな通学路が「いい道」なのか
第Ⅲ部 社会は通学路をどう扱ってきたか
第7章 学校と通学対策 椎名文彦
1 事故防止を抱えた道
2 通学対策が内包する課題
3 通学対策の要件
4 通学路の再生は脱クルマから
第8章 交通教育と交通施設による安全確保 久保健太
1 「安全」を確保しなければならない場としての「通学」路
2 「教育」による交通事故防止の時代
3 「施設」による交通事故防止の時代
4 「道路分化」による交通事故防止と道草の復活
Column2 交通「事件」被害者の経験から 佐藤清志
第9章 これまでに行われてきた面的対策 寺内義典
1 面的対策の経緯とこれから
2 欧米における面的な交通安全対策
3 日本における面的な交通安全対策
4 面的な交通安全対策の成果と課題
Column3 偽の「青」信号─分離信号の必要性 佐藤清志
第10章 クルマ依存社会からの脱却 谷口綾子
1 モビリティ・マネジメントの取り組み
2 学校教育におけるモビリティ・マネジメント
第Ⅳ部 通学路を子どもの手に
第11章 子どもの参画で子どもにやさしいまちづくりを 木下 勇
1 子ども参画の重要性
2 子どもにやさしい都市
3 子ども参画のまちづくり
4 子どもが動いて地域が変わる
Column4 自動車内における子どもの受動喫煙問題と喫煙運転の危険性 鈴木一之
第12章 アクションプラン──提言と実践 木下 勇、久保健太、椎名文彦
1 アクションプランへの提言
2 学校から遊び場を広げる
3 「道路分化」への展望
4 各地の実践例
おわりに─シンポジウムを開催するまで 足立礼子
道を子どもたちに返そう
仙田 満
道はそもそも子どものもの
子どもたちの遊び空間には六つの原空間があると私は考えている。その中で主幹的なスペースとして、自然スペース、オープンスペース、道スペースを挙げる。かつて日本の子どもたちにとって、遊び空間の主役は道であった。19世紀後半に来日した外国人の日記や紀行文をもとにして著された渡辺京二氏の『逝きし世の面影』という本の中では、外国人が、日本の子どもたちが道で遊びほうける様(さま)に感嘆し、それを暖かく見守る人々の姿に驚いている。渡辺氏は「子どもの楽園」としてその章をおこしている。1924年、造園学者の大屋霊城が日本で最初に行った大阪での子どもの遊び環境調査でも「子どもたちはほとんど道で遊んでいた」と報告されていた。
1960年代半ばから道は子どもの遊び場でなくなった
その道が子どもたちの遊び場でなくなったのは1960年代半ばである。自動車交通が子どもたちの遊び場としての道を奪ったのである。道で遊ぶことは法律によって禁止された。それまで、子どもたちの多くの遊び場のネットワークの機能を道が担ってきた。小川も空地も山も広場も公園も、すべての子どもたちの遊び場は、道という遊び場によって有機的につながれてきた。ところが道は遊んではいけないものとなったため、子どもたちはその遊び空間を一気に失ってしまう。道によってつながっていた多様な遊び場、遊び空間にアクセスしにくくなってしまった。その結果、1970年代半ばでは、遊び空間が大都市で20分の1、小都市でも10分の1に減少してしまった。それに代わるべき公園はというと、もともと日本は公的な空間、即ち公園というスペースが世界に比較して少ない。道を奪われたことによって、子どもたちは新たな遊びのツールとして出てきたテレビに向かい、外遊び時間は1960年代半ばを境に少なくなり、内遊び時間が逆転して増えていった。
コミュニティ道路はなぜ進展しなかったのか
1970年代に入って歩車共存型の道路であるオランダのボンエルフ型の街路が紹介され、コミュニティ道路として事業化されたが、残念なことに、その後の都市への進展は遅れ、相変わらず車の交通の方が、人が楽しく歩くことよりも優先されている。今やコミュニティ道路という考え方さえ知られなくなってしまった。車中心主義の道づくりは、現在も日本の多くの都市に蔓延している。幹線道路はやむを得ないにしろ、細い街路をはじめ、生活道路には、車の進入制限、スピード制限、ハンプやボラードの設置など、やるべきことは多くあるのに進んでいないのは、住民自体がまだまだ車中心的な都市の考え方に支配されているからだ。
道が子どものもの、すなわち人間を主役にするものでなければ、都市は復活できない
道が依然として自動車中心であり続けるということは、子どもたちが安心して遊ぶことができず、またお年寄りが路傍で休むこともできないということであって、地域の活性化も防犯上の安全性の確保もできない状況をさらに拡大してしまう。都市にとって最も重要なことは、道という公的な空間が安全で気持ちよく、歩いていて楽しいものでなければならないことである。子どもたちは道という空間を通して、子どもたちだけでなく、大人と交わり、様々なことを学ぶのである。道は子どもたちにとって社会性を学ぶ場でもあるのだ。
地域の再生は道の再生に他ならない
子どもたちにとっても住民にとっても、道が再生され、多くの人や子どもたちが楽しく歩き、ジョギングし、遊び回れることによって、初めて地域も再生される。道は都市の廊下であり、都市の居間であるべきなのだ。いま、道は人々のものになっていない。自動車という、凶器にもなり得るもののためになってしまっている。道を人々に、子どもたちに返すことによって地域も再生できる。ヨーロッパの諸都市で実践されていることが、そしてつい40年前には日本でも実践できていたことが、なぜできないのだろうか。私たちは行政だけでなく、人々の意識を変える努力を続ける必要がある。
シンポジウムを開催するまで
足立礼子
2007年の4月29日午後、横浜の開港記念会館ホールにおいて、子ども環境学会横浜大会の特別シンポジウム「道草のできるまちづくり―車社会から子どもを守る」が開かれた。その企画の背景や本書とのつながりをお伝えしたい。
子どもに冷たいクルマ社会を憂慮
私(足立)の所属する市民活動組織「クルマ社会を問い直」は、交通事故、大気汚染、公共交通の衰退、コミュニティの崩壊などクルマ社会の弊害を問い、改善したいと願って活動しているが、中でも、心身の未熟な子どもが受ける被害は大きな問題の一つととらえている。
本会では、2002年に「クルマ社会と子どもアンケート」調査を行った(対象は全国各地の保育園・幼稚園・小学校の先生、保護者、小学生など。回答数1421人)。その回答からは、子どもが日々クルマの危険にさらされている現状が見えてきた。小学校の先生と保護者の3割は「子どもが事故に遭った、または遭いそうになった体験がある」と答えている。大人は「歩くときはよそ見をするな、白線からはみ出すな」と子どもに自衛を求めているが、回答では、小学生でも自制力や注意力がおぼつかないことが示されていた。道という日常的な空間で、好奇心旺盛で動きたい盛りの子どもたちが、危険と隣り合わせで行動を規制されている現実がある。
そうした状況や、自動車排ガスの汚染、さらにクルマでの「楽ちん個室移動」が増えている現状なども考えると、クルマ社会が子どもの心身に及ぼす影響は計りしれないものがある。アンケートでも多くの大人が、体力の低下や遊び場不足によるストレス増幅、子ども同士の交流の減少などに、クルマ社会の影響が大きいと答えていた。
子ども環境学会で広がった理解の輪
こうした問題を会以外の人々と共有できないかと考えていた頃(2004年)、子どもと遊び場の調査で知られる仙田満さんを発起人とする子ども環境学会が設立されるという話を聞き、さっそく本会も会員に加えていただいた。私たちの趣旨は学会理事の方々の理解を得られ、翌年の東京大会では、本会会員である今井博之さんの推薦した英国の疫学学者イアン・ロバーツさんが招かれ「子どもと交通戦争」と題する基調講演が行われた。また「子どもが事故にあわないまちづくり」の分科会も開かれ、これをきっかけに、分科会のコーディネーターをつとめた学会理事の木下勇さんを代表とする「子どもとコミュニティのための道研究会(略称「こ」みち研)」も発足し、意見交換が少しずつ始まった。
さらに、2007年の横浜大会では特別シンポジウムの枠が与えられた。しかし、クルマの利用が当たり前になっている今、その弊害には「仕方がない」とあきらめに似た反応を示す人が大半で、学会においても関心を寄せる人は少数のようである。そこで、担当者となった木下勇、鈴木一之、佐藤清志、久保健太の各氏と足立(いずれも「こ」みち研メンバー)で、視点を広げてより多くの人が関心を持てるものにしようと考え、浮かんだテーマが「道草のできるまちづくり」である。道草をキーワードとして、子どもにとっての道・まちの役割を考える中でクルマ社会の現状と改善策に目を向けていく、というコンセプトを立てた。
そして5人の方に登壇をお願いした。報告者の水月昭道さんからは、子どもにとっての道草の意義や通学路の現実を、城所哲夫さん(東京大学助教授。横浜市内小学校の元PTA会長でありまちづくり活動実践者)からは、道の役割と地域の道を安全なものにする取り組みを、また上岡直見さんには、クルマ社会がもたらす様々な影響を、谷口綾子さんには、クルマを減らす心理的方策としてのモビリティ・マネジメントを提起していただいた。
コーディネーターの今井博之さんは、道の形態と子どもの安全・成長との関連を提起しながら、それぞれの話を一つの輪にまとめられた。子どもの心身の成長に必要なのは、自らの意思で歩み遊べる良好な大気の日常的な外空間(道草のできる道・まち)であり、そこからコミュニティも育つ。その実現のためにはクルマの利用を減らす努力、その意識の醸成が課題となる、という示唆を与えられたように思う。
今回、上岡さんの発案とご尽力により、このシンポジウムをもとにした本書が作られた。新たに椎名文彦さん、寺内義典さん、また本文中に記した関係者の方々の視点も加えられ、問題の視野がさらに広がった。深く感謝し、本書で出された「難題」をより多くの人々と考えていきたいと願っている。