住まいの文化
内容紹介
女子大の「住文化」「住生活」「住居学」に最適
〈食〉〈寝〉〈季〉〈納〉など住生活の中の身近な話題を起点として、私たちの〈今・ここ〉の生活を見なおすことから、これからの豊かな住生活を考えるためのテキストブック。〈今〉を知るための〈昔〉や〈ここ〉を知るための〈あそこ〉の事例を豊富に掲載している。短大、女子大の住文化、住生活、住居学の教科書に最適の書。
体 裁 A4変・156頁・定価 本体2200円+税
ISBN 978-4-7615-2173-8
発行日 1997/03/20
装 丁 上野 かおる
はじめに
S家の様子
設 10
住まいの観察から始めよう/何も置かない和風住宅/室礼という考え方/忘れられた日本の美意識/西洋の合理主義は日本人になじむか/進化した和風とシツライズム/[コラム・モースが教える日本住宅の特質]
様 16
日本の生活と住まいの様式/あこがれの家で理想の暮らし?/ちぐはぐな生活様式と住宅様式/ステイタスシンボルだった洋風建築/生活様式の洋風化は戦後から/無意味になった「洋風」という言葉/和洋混在つまみ食いの様式/住まう意味から住宅をデザイン/[コラム・日本の住宅様式の流れ]
格 24
和風住宅の間取りの特徴/ハレの空間ケの空間/昔も今も格式主義の家づくり/快適な生活とよそいきの部屋/玄関は武士の顔だった/やっと手に入れた玄関/何を基準にデザインするか/[コラム・浜口ミホの『日本住宅の封建性』]
式 32
イス式の生活・ユカ式の生活/畳のある暮らし/正座の歴史は明治から/洋風の応接間へのあこがれ/本格的なイス式化/スリッパを履く日本人/新しい感覚のユカ式生活へ/イス式とユカ式の長所と短所/ゆったりとくつろげるかたち
境 40
住まいをつくる・境をつくる/窓とは違う日本の間戸/縁側の知恵/壁に耳あり障子に目あり/門と玄関、 どちらが境か/壁で囲まれた現代住宅/気配の感じられる住まい/引き戸の魅力/空間を仕切るしかけ/住生活を豊かにする境の計画
間 48
空間・時間をとらえる感覚「間」/家庭の中心「茶の間」の復活/部屋をつなげて使う「続き間」/起きて半畳寝て一畳/住宅の基準寸法「モデュール」/間取りをグリッドで考える/一尺、 一尺五寸、 二尺/高さの基準/基準となる寸法を見直す/姿を消した「間」たち
季 56
四季感のある住まい/身近に季節を演出する知恵/季節の室礼・行事の室礼/借景・縮景~庭のスタイル/変わってきた緑のデザイン/季語として残った住文化の発掘/[コラム・季語に見る住文化]
伝 62
伝えていきたい先人の心/年中行事を住まいのメンテナンスに/家相ってなに?/床の間のきまりごと/親子同居の住み方の工夫/伝統を現代に生かす「地域でのいろり再興」/[コラム・棟梁・鈴木清秋さんのはなし]
材 70
気候・風土に合った住宅の材料/優れた大工は「適材適所」が上手/日本の文化の源泉・木/断熱性と調湿性のある・土/日本の風景をつくる・瓦/時代とともに変化した・畳/張り替える清々しさ・紙/自然素材の新しい美しさ/材料の開発と可能性を知る/[コラム・からかみ屋のあるじ]
構 80
住まいの構造が語る住み手の意識/地震で倒れた家/地震で倒れなかった家/柱で支えるか、 壁で支えるか/木造規格住宅「ツーバイフォー」/住まいづくりが変わる時/つくることが文化
納 86
狭い日本の家だから「スッキリ」と/温湿度調節のきく「蔵」/「蔵」に代わる「納戸」/押入は工夫次第で便利に/時が経つほどに味の出るたんす/本当に必要なものは何か/収納計画のポイント/タップリ入る衣類の大型収納/使用頻度に合わせたキッチン収納/ほどよくしまい、 ほどよく飾る/[コラム・隠れた空間の利用]
浄 94
水に流してさっぱりする便所・風呂/興味深いトイレの歴史/便所から見る文化、 西洋と東洋/歓迎された便器の洋風化/求められる快適性・インテリア性/日本人独自の入浴法が健全なわけ/銭湯から内風呂へ/お風呂は今、 第二のリビング
寝 102
暮らしに合う「ねぐら」考/ベッドから畳へ、 寝床の歴史/「雑魚寝」の習慣/それぞれが寝室をもつ時代/あなたはベッド派? ふとん派?/日本のベッドは万年床?/夫婦の寝方、 親子の寝方
食 110
見えにくくなった食の風景/女性の歴史を語る台所/台所からキッチンへ/庶民の住宅の象徴、 卓袱台/食事のイス式化と団らん/楽しい共食のしかけ
集 118
家の中のコミュニケーションの場/個室・居間への幻想/プライバシーと自分主義/アメリカ住宅のリビングルーム/私たち日本人の団らん/「寅さん」に見るコミュニケーション/気軽に客を迎える習慣
共 126
住まいには隣近所がある/長屋からニュータウンへ/見られるものとしての住まい/共に住むための空間の工夫/共に住むための話し合い/共に住む家族のあり方/高齢化を地域で支える共同住宅/コミュニティとまちづくり
棲 134
地球に棲み、 環境に生かされる/変化に満ちた日本の風土/家の作りようは夏をむねとすべし/地方色豊かな庶民の民家/「便利で快適」の裏側/現代生活と環境破壊/宇宙船地球号に棲む/地球にやさしく棲まう方法/地域に棲む/環境カルテをつくってみよう
出典リスト/さらに学習を広げるための参考図書/見学先リスト
私たちは何気なく日々の生活を送っています。玄関で靴を脱ぎ、畳の部屋では床に座り、風呂では熱いお湯に肩まで浸かります。これはどれも当たり前のこととして、私たちが親しんだやり方です。これらの住生活の様式は日本の住文化として、日本人に共有されたもので、生活をより豊かにするものです。
父母や祖父母といった年長者から昔の話をよく聞きます。ほんの数十年前という、そんなに遠くない昔のことなのに、その違いに随分と驚かされます。その頃と比べると、生活はとても便利で快適になりました。しかしその反面、私たちは多くのものも失ってしまったように思います。古い民家を訪れた時、当時の生活の大変さを感じながらも、そこに心の安らぎや落ち着きを覚え、心の豊かさを感じます。
本書の内容は、住生活の中の身近な話題を起点として、私たちの〈今・ここ〉の生活を見直すことから始まり、豊かな住生活の〈これから・ここ〉を皆さんと一緒に考える構成となっています。そのために、〈今〉を知るための〈昔〉や、〈ここ〉を知るための〈あそこ〉といった、〈今・ここ〉を考える手助けとしてのコラムをたくさん準備しました。
各章は原則として漢字一文字のタイトルとなっています。日本の住まいを考えると、そのエッセンスともいえる精神を表現するいくつかのことばに行き着きます。各章はそれらのことばをキーワードとしてまとめました。そのキーワードはそのまま各章のタイトルになっています。全体の構成は前半に日本の住文化を考える上での重要なキーワードを配し、後半にはより楽しくより豊かに住まうためのキーワードを集めました。
本書は住生活に関する基礎的学習を終えた方々が、より豊かなこれからの住生活を考える上で参考となるよう、住文化という視点で編集されたものですが、これから住生活を学ぼうとする方々や住文化に関心をもっておられる方々にも、楽しく興味をもてる内容となっています。
また本書は、書棚に立っている時のこと、手に取った時のこと、そしてページをパラパラとめくった時のことをも考え、本自体美しく豊かでありたいと考えました。そのため、各章のトビラには豊田育さんに切絵をお願いしました。また内容的には、読者としての立場から編集企画室「群」の赤澤ゆかりさんに、読みやすさ・わかりやすさの点においてたくさんのご助言をいただきました。おかげで素敵な本に仕上がりました。また、学芸出版社の前田裕資さん、古田尚代さんには、研究会のメンバーの住文化に対する熱い思いを受けとめていただき、仕上げの細かい作業も含めて、我慢強く支えてくださいました。
この場を借りて、心よりお礼申し上げます。
著 者
「設」の関連ページの下に設けた小コラムです。
『方丈記』に記された草庵生活
鴨長明の『方丈記』に記された草庵は、ある意味で日本人の住居観と和風住宅の原型を示していて興味深いものがあります。広さわずか四畳半(方丈)で高さ七尺に満たないこの家は、定住することを考えていないため、留金で簡単に組み立てられる、いわばワンルームの仮設住宅でした。構造の簡便さもさることながら、特に面白いのは、草庵にしつらえられた住具の数々です。
東に出した庇の下で薪をたき、南に竹の簀子(すのこ)を敷いて縁側とする。西に仏花を供える棚をつくり、北の隅には障子を隔てて仏画を飾り、その前に経典を置く。これらはちょうど書院造りの床の間や違い棚に相当します。寝床は東側に敷かれています。机に向かうときは、脇息(きょうそく)に肘をかけて円座に座る。つり棚には、和歌の本や往生要集の写本を入れた箱を置き、その横に、琴と琵琶を立てかけておきます。
最低限の限られた身のまわりの品々の中で特に目立つのは、文机や硯(すずり)箱などの文具と三具足(みつぐそく)などの仏具です。これらは長明が陰遁した文化人として携帯すべき必需品であったことがわかります。
ここで紹介された住具は、草庵の質素な生活に欠かせないものですが、たとえ大きな屋敷で生活していても、これ以上のものはあまり必要なかったに違いありません。つまり、当時の人は、四畳半に納まるほどの限られた種類の住具で、十分日常の生活を送ることができたのです。
「設」の最後のページに設けたコラムです。
モースが教える日本住宅の特質
明治十年に生物学の研究のために日本へ渡ってきたエドワード・S・モースは、 大森貝塚の発見者あるいは関東ローム層の命名者としても有名ですが、 民俗学的な興味も旺盛で、 多くの貴重な記録や写真、 民具、 陶磁器のコレクションを残しています。 なかでも、 アメリカの住宅と比較しながら明治の日本家屋の印象を詳細に記述した著書『日本の住まいとその周辺(Japanese Homes and their Surroundings)』(一八八六)は、 現代の日本人が忘れてしまった和風住宅本来の特質を的確に分析していて興味深いものがあります。
以下、 その一部を紹介します。
「レインをはじめ文筆家たちは、 日本の住居にはプライバシーが欠けている、 と述べている。 しかし、 彼らは、 プライバシーは野蛮で不作法な人々の間でのみ必要なことを忘れている。 日本人は、 こういった野蛮な人々の非常に少ない国民であり、 これに対し、 いわゆる文明化された民族、 とりわけイギリス人やアメリカ人の社会の大半は、 このような野蛮な人々の集まりなのである」。 彼が観察対象と同じ視線の高さに立って、 暖かいまなざしを送っていたことは、 この一文で十分に理解できます。
彼はまず「日本の住宅の内部は、 非常に簡潔な構成だ。 これは私たちアメリカ人が慣れ親しんできたインテリアとは、 根本的に違い、 説明しようにも、 適切な言葉がうかんでこない」と断わり、 日本家屋の様子を説明するのにスケッチを多用してこれを補っています。
最初に受けた日本家屋の印象について彼は、 「わが国の住居とくらべて、 こんなになんにもない、 ということは、 私たちからすれば、 これらの日本の家屋を住居とみなすのが、 むずかしくさえなる」と、 塗装もされず家具も満足にない住宅に対して「貧相にみえる」と率直な感想を述べています。 しかし、 何もないと思っていた室内を深く観察していくうちに、 「壁の塗り仕上げと木とが、 完全に調和していること」や控え目な墨で描かれた襖絵などを発見し、 これらの趣向が日本人の深い教養を語りかけていることに感動するのです。
そして、 「家や家具が、 このように簡素だといえば、 家族が部屋のたりないのをがまんしたり、 必要な家具をきりつめたりしているように思われるかもしれない」が、 「実際は、 より快適な生活を送るために、 こうしているのだ」と結論づけます。
「目をゆっくりとやすめるべく、 目につくところには何も置かない徹底したすがすがしさや洗練さが、 日本の室内装飾の大きな特徴」であり、 日本人は「努力して」この単純さとすばらしさを実現しているのだと高く評価し、 部屋を家具やもので埋めつくすことばかりが室内装飾であると思い込んでいるアメリカ人の趣味に対して疑問を投げかけています。
モースが気づいたこの日本的な室内装飾の美意識こそ、 伝統的な室礼の精神そのものであり、 西洋風のインテリアの概念とはまったく異なる、 もう一つの選択肢なのです。
モースはアメリカ人の奢侈(しゃし)を成金趣味的でインテリアの奴隷のようだと皮肉っていますが、 彼が日本の住宅の現状を知ったら一体何と思うでしょうか。
邦訳は上田篤・加藤晃規・柳美代子(一九七九)より引用。
日本の住まいを考えると、そのエッセンスともいえる精神を表現するいくつかのことばに行き着きます。各章はそれらのことばをキーワードとしてまとめました。そのキーワードはそのまま各章のタイトルになっています。
ここでは最初の章「設」を紹介します。
「設」
住まいの観察から始めよう
住まいの実際は、 机の上だけで学べるものではありません。 私たちが一番よく知っている住まいは自宅ですから、 ここではまず、 日本の住まいの現状を知るために、 自分の家の「住具」つまり家具や調度品、 雑貨、 置物、 そのほかもろもろの家族の持ち物と室内の様子をつぶさに観察してみることにします。
S家の様子
前ページの図は、 ある冬の日の朝にSさんの家の中の様子をありのままに記録したものです。 まだ誰も起きてこないうちに書き留めたので、 前夜の家族の暮らしの余韻が残っています。 居間には、 正月以来放ってあったものがあふれ、 何をするにも何を探すにも手間がかかり、 心地良い場所など見当たらなかったということです。 そこで、 家族共用のものと私用のもの、 生活の基本となるものと付加価値的なものに分けて座標系にプロットしてみたのが下の図です。 これを見ると、 家族の共用室にも個人の私物がたくさん持ち込まれ、 居間はあらゆる目的で使われていることがよくわかります。
住まいにあふれる住具の性格
公私の場の区別があいまいで、 まるで住具に埋もれて生活しているようなこうした状況は、 日本の住宅ではよく見かける光景ですが、 これが日本の住まいの特質なのでしょうか。 外国の住まいではどうなのでしょうか。 また、 日本の住まいは、 昔からこのような使われ方をしていたのでしょうか。
何も置かない和風住宅
日本の家を外国の人に説明する時に困るのは、 床の間にせよ障子にせよ、 建物の各部を示す適当な訳語が見つからないことです。 しかし、 デザインの違いよりも先に説明しなければならない重要な点は、 部屋や家具の使い方に西洋とはまったく違った考え方があるということです。
明治時代に生物学の研究をするためにアメリカから来日したエドワード・S・モースは、 日本人の生活様式や住まいにも深い関心を示しておびただしい記録を残しましたが、 西洋的なインテリアの概念ではとうてい説明がつかないために無数のスケッチを描いてこれを補っています。 特に興味深いのは、 彼が日本建築の様式よりもむしろ住文化の本質を理解しようとしていたことです。
最初に彼の目にうつった日本の家は、 部屋の中に立派な家具や調度品が何もないため、 とても貧相に見えたようです。 しかし、 彼は、 部屋の中に何も置かないのは貧しいからではなく、 和室本来の美しさを損なわないために努力してそうしているのだと考えたのです。 実は、 モースの気づいた美意識こそ、 日本住宅特有の室内装飾の考え方であり、 私たち現代人が忘れてしまっている和風本来の住まい方の原点なのです。
図 何も置かない部屋と何も置けない部屋
自分の家の和室に置かれている住具の中で、本来しまっておくべき場所の決まっていないものをリストアップしてみよう。また、過去一年間、放置されたまま使われなかったものも調べてみよう。
室礼(しつらい)という考え方
何もない部屋を用意して、 必要に応じて家具や調度品を持ち込み、 用が済んだらまた元の場所に戻しておく。 部屋の機能を特に固定せず、 空間の転用性を前提とし、 季節や目的に合わせて部屋飾りを変えて柔軟に部屋を使いこなす。 こうした日本独自のインテリアコーディネートの考え方や部屋飾りそのものを「しつらい」と呼び、 「室礼」「設い」「舗設」「鋪設」などの字をあてます。 確かに「室」は「インテリア」であり「礼」は「コーディネート」という意味ですが、 部屋の機能を細分化してそれぞれにふさわしい家具をあらかじめ配置しておく西洋の考え方とは根本的な違いがあります。 ものを置かない主義ともので埋めつくす主義。 このあたりに現代の住宅状況の矛盾を解く鍵がありそうです。
図 『類聚雑要抄』に見られる東三条殿の室礼
忘れられた日本の美意識
住様式として室礼の習慣が確立された歴史は古く、 中世の時代にさかのぼります。 当時の身分の高い人々の住宅は寝殿造りと呼ばれ、 大きな板張りのワンルームにベットに相当する帳台を置き、 必要に応じて衝立(ついたて)や屏風(びょうぶ)、 几帳(きちょう)で仕切って置畳(おきだたみ)や茵(しとね)に座り、 儀式を行ったり遊びに興じたりしました。 また、 廊下を仕切って小部屋をつくり、 そこに便器を置けば便所になり、 浴槽を置けば風呂場にもなりました。 この時代にはまだ障子や襖(ふすま)といった建具も未発達で、 まるで体育館のようなところを簡単に区切って、 そのつど必要なものを持ち込んで使っていたのです。 こうした室礼の習慣は、 和風住宅の形式が確立された武家時代になっても変わらず、 そのまま近代に至りました。
ところが、 明治以降、 とりわけ戦後には住生活の洋風化が進み、 和風の造りをした住まいの中に洋風の家具や耐久消費財が次々と入り込み、 ものの豊かさの陰に日本的な美意識は忘れ去られてしまいました。 同時に、 押入や物置も満足につくれない住宅事情の中で、 かつては家族で共用していたものも人数分用意されるようになり、 家中に私物があふれるようになりました。 本来、 日本住宅の板張りや畳は、 何でも受け入れる白いキャンパスのようなものなので、 強烈な色彩の絵具には抵抗するすべもありませんでした。 畳の部屋にじゅうたんを敷き、 床の間にクリスマスツリーを飾る。 木に竹を継いだような状態のまま、 ものばかりが増えていく。 これが今、 私たちが住んでいる住まいの実態です。
西洋の合理主義は日本人になじむか
個室以外の共用室をLDK(リビング、 ダイニング、 キッチン)という機能に分解するのは、 欧米から取り入れられた合理主義の考え方です。 ところが、 これまでいろいろと試してはみたものの、 どうも私たち日本人は物事の境目をきっちりつけることが苦手のようで、 機能分化には程遠い、 先ほどのS家のような状況を生んでしまったのです。
しかし、 室礼の歴史を振り返ってみると、 一つの空間ですべてが賄えたわけですから、 そこには日本人なりの「合理性」があったはずなのです。 そもそも私たちにとってリビングとダイニングの違いは置かれている家具の形が多少異なっている程度のことで、 机の上が空いていればどちらでアイロンがけをしてもワープロを打ってもいいわけです。 リビングには応接セットを置くものだと決めてかかっている節もありますが、 実際はそこで何をするのかはっきりしたイメージはありません。
ただ、 部屋ごとの明確な機能分化がない代わりに、 かつての住まいには、 持ち込んだものは元に返すという大原則がありました。 ですから、 茶の間の卓袱台(ちゃぶだい)の上では何をやっても許されたのです。 それが戦後の高度経済成長の中で、 消費生活のみを楽しんで物質的豊かさを求めるあまり、 押入にしまえないものを部屋中に置き去りにして、 住生活を豊かにすべく考えられた室礼の本質を曲げてしまったのです。
図 住宅における転用性
自宅で、場合によってさまざまな用途に使われている部屋を探し、その使われ方を時間の流れに沿ったフローチャートにしてみよう。
進化した和風とシツライズム
しかし、 こうした混沌とした状況をすべて受けとめた上で、 これから私たちにできること、 しなければならないことを考える必要があります。
高い住宅価格や慢性的な土地不足といった制約の多い住宅事情の中で小規模な住宅を建設する場合には、 おそらく融通性のある日本的合理主義を学ぶことで、 空間の利用法について有益な示唆を得ることができるでしょう。 そうすれば、 小さな空間であっても十分心理的余裕を生み出すことで豊かさを演出できるはずです。
さらに、 和風の原理の研究から、 見せかけの洋風でもどっちつかずの折衷でもない「進化した和風」とでもいえる新しいコーディネートのあり方や、 ものの豊かさを前提としない、 西洋的なインテリアコーディネートの概念を超えた新たな「シツライズム」を発見することができるかもしれません。