B級ご当地グルメでまちおこし
成功と失敗の法則

おわりに


 今さらながら私の経歴を少しご紹介させていただきたい。東北大学工学部電子工学科に入学後、理系に向いていないことに気づいて文系就職の活動をして、潟潟Nルートという企業に就職した。最初理系の新卒採用に携わった後、『ビーイング』『とらばーゆ』『ガテン』といった中途採用情報誌事業の営業に配属になったのだが、そこで20代半ばにUIターン事業に関わることになる。振り返ってみると、これが地方の仕事に関わる一番初めのきっかけだったのではないかと思っている。その後、『じゃらん』で西日本担当となり、観光・交流に携わる。31歳でサラリーマンに向かないことに気づき退職。独立後、ヘッドハンターなどを経て、リクルートの地域活性事業部の仕事に外部のプランナーとして関わり、雇用・観光交流の分野でさまざまな企画を手掛けた。雇用の分野ではUIターンなどの定住促進企画やキャリアカウンセリングなどの就職支援事業に関わった。観光交流の分野では、情報発信、調査、キャンペーン企画などに取り組み、近年では、日本で初めてのまち歩き博覧会「長崎さるく博06’」に計画段階の2003年から現・田上長崎市長と共に関わり、開催時には広報アドバイ
ザーを務めた。

 それなりに地域活性化に関わるなかで、常に疑問を持っていたのは、税金の使い方と効果である。民間の営業活動であれば、時間の使い方やお金の使い方を効率よく進めるためにはどのようにしたらよいか、つまり費用対効果を常に考える。一方で行政の取り組みはさまざまに変化をしつつも、効果的な観光施策をいまだに見つけられないでいる印象が強い。観光は団体旅行から個人旅行の時代と言われてかれこれ20年以上になるが、つい最近もある業界関係者向けの講演で同様の話を聞いた。20年たっても同じ課題がある業界が存続していられること自体不可解ではあるが、おそらく団体旅行と個人旅行のニーズの棲み分けが終わっているにもかかわらず、いまだに業界がしっかりとニーズに対応できていないためではないかと思われる。また旅行のメインターゲットは女性と言われて久しいが、自治体などの観光施策の決定のボードにはまだまだ女性の感性を取り込んだものは少ない。地域の魅力を発信するために外部人材を活用することも必要と言われるが、積極的に取り組んでいるところは一握りであり、取り組んだところでも、必ずしも活かしきれていないところもあると聞く。また旅行会社からの出向などをその経歴だけで受け入れ、結果に結びついていない例も同様だ。

 観光協会の事務局長など各地の観光の方針を決めるポジションには、公募型で女性や地域外からの人材を受け入れている一部の地域を除けば、まだまだ旧態依然の体制で、観光が地域にとって重要と言われながら、必ずしも専門性の高い人材を配しているわけではない。旅行会社から人材を受け入れている例もあるが、旅行会社出身者は旅行のプロであっても観光交流のプロであるとは限らない。性別、出身地、出身母体だけで優秀かそうでないかを論ずるつもりはもちろんないが、ただこうした状況の中で、果たしてターゲットに届く地域情報の発信がしっかりできているのか、門外漢となった現在だからこそ疑問を感じてしまう。

 観光に関わる話を聞くと、広域連携、ニューツーリズム、着地型観光など、最近はやりのキーワードも耳にするが、正直なところ有効な観光交流施策というのがどういうものなのか、私自身、答えを見出すことができないでいる。なかでもイベントの開催の目的についてはずっと疑問を感じてきた。数百万円から数千万円の予算をかけ、金額が大きければ大手広告代理店がまとめて持っていき、地元には下請けの仕事が落ちてくる。地元でやっているイベントについても、博覧会形式で一定の期間開催されているものはともかく、1日や2日、一過性のお客様が来ることによる効果というのは果たしてどの程度のものかと感じていた。地元住民向けのイベントも時には観光セクションで実施をしていたり、逆に地元向けのイベントが注目を浴び、観光ツアーが組まれることもある。それぞれやっていること自体に価値はあると思うのだが、イベントが終わると兵どもが夢の跡。イベントの開催が日常的なまちの盛り上がりにつながっている光景を見た記憶は、少なくとも観光に携わっているなかではなかった。

 2003年にご当地グルメの紹介サイトを、2005年に趣味でご当地グルメ専門の食べ歩きブログを始めた。その年の夏ごろから八戸せんべい汁研究所の面々と連絡をとるようになり、12月に初めて出会う。明けた2006年2月の第1回B-1グランプリ八戸大会には観客として参加し、出展者の飲み会にも参加させてもらった。それから緩やかなお付き合いが始まり、同年6月の愛Bリーグ設立総会、翌2007年6月の第2回富士宮大会も観客として参加した。ボランティア的に手伝い始めたのは2008年11月の第3回久留米大会のときからである。

 そしてこの久留米大会以降、愛Bリーグが東京事務局を開設するに伴い東京事務局長を任され、翌2009年4月に事務局長に就任し現在に至っている。地域活性化の仕事に15年以上携わっているが、このB級ご当地グルメによるまちおこしの取り組みは実に画期的で、目から鱗の話にあふれている。そして実際にさまざまな結果につながっている。

 実務の傍ら本書を書き進めてきたが、なにぶん初めての作業であり、多方面に多くのご迷惑をおかけした。予定よりもずいぶんと時間がかかってしまったが、愛Bリーグ加盟団体の成功事例から、手前みそながら今持てるノウハウはすべて書いたと言ってもいいくらい充実した内容になっていると自負している。

 是非地域から日本を元気にする活動の輪が広がり、実際に多くの地域が元気になるために本書を活用してほしいと切に願う。

2011年10月
俵慎一