海域アジアの華人街


おわりに

 アジアの都市と建築に関わりを持ちはじめてから30年近くの年月が過ぎ、やっとここに一冊の本を執筆することができたことは、とても感慨深いものがある。
 私は1977年に青年海外協力隊員としてマレイシアにおもむき、1980年、当地の工業高校建築教員の任務終了を目の前に、これからはこの地域の建築史の研究をしようと考えていた。しかしながら、その後6ヶ月間、インドからギリシャまで旅行してみると、東南アジアにはこの旅先で目にしたような大歴史建築に乏しく、研究の対象と視点を変える必要を痛感した。
 日本に帰ってみると、古代中国とイスラーム建築に関して数名の研究者がいるだけで、アジア建築研究の蓄積は非常に薄かった。しかしながら、京都大学東南アジア研究センター(現同大学東南アジア研究所)の活動に代表されるように、この地域を対象に、歴史地理学、政治経済学、社会人類学、生態学などの学問は大きな盛り上がりを見せており、他分野研究者との対話がこのような学際的な、あるいは地域研究的な手法を都市・建築研究にも適用可能なのではないと気づかせてくれた。そこには大歴史建築はないけれど、他にはないある独特な住環境があり、それは旅行者でも容易に感じとることができるものであろう。これが華人街であり、その研究開始の直接的きっかけとなった。マレイシアに暮らしていた時も、他の周辺諸国を旅行して時にも、華人街はどこでも目に付き、つまらないものと感じていたのが、思い返してみればそれがこの地域の大きな特徴であった。
 実際、研究らしきものを始めるまでに多くの本と人との出会いがあった。最も大きな影響を受けたのは日本近代建築史関連の研究者で、その中で藤森照信先生には魅力的な「野」の視点があって、その後直接出会ってアジア建築研究を後押ししてもらった。また、80年代半ばの学生時代には、同じく学生であった村松伸さん(現東京大学生産技術研究所助教授)や佐藤浩司さん(現国立民族学博物館助教授)らと「アジア居住史研究会」を結成し、関心を持つさまざまな分野の人々と議論することができた。出版界の森田伸子さん(元鹿島出版会)と藤谷充代さん(元学芸出版社)からは多くの執筆の機会をいただいた。
 多くの他分野の研究者からは、共同研究を通して建築史学の強みと弱みを教わった。特に加藤剛先生(京都大学名誉教授、現龍谷大学教授)と深見純生先生(桃山大学教授)とは、1993年から4年間、重点領域研究の「植民地都市の社会史」分科会を運営し、その中で大きな刺激を受けることができた。このような海外を対象にした研究において私が心がけたのは、現地の人に研究の価値を認めてもらい、できるだけ国際的な共同研究にすることであった。アジアを先進国研究者の単なる草刈り場にはしたくなかった。
 そのため、たくさんの人に調査に参加してもらい、特に国内外の若手研究者を育て、種を植えたかった。インドネシアからはヨハネス・ウィドドさん(現シンガポール大学助教授)とデヴィット・スティアディさん(プリタ・ハラパン大学講師)、マレイシアからはホー・チン・シオンさん(マレイシア工科大学助教授)、ドイツからはマイリン・チュアさん(自由ベルリン大学研究員)、台湾からは黄俊銘さん(中原大学教授)、日本国内からは木下光さん(関西大学助教授)、宇高雄志さん(兵庫県立大学助教授)、山田悠未さん(豊橋技術科学大学研究員)らに調査に参加してもらったり、新たに研究対象を広げてもらった。この人たち以外に感謝すべき人をあげればきりがない。
 もう一つ、本研究を実施できたのは、さまざまな基金・団体から経済的支援を受けたからに他ならない。最初に感謝すべきは住宅総合研究財団で、1992年「東南アジアの歴史的街屋に関する研究」に研究助成を、さらに本書の出版にも助成をいただいた。また、トヨタ財団、三菱財団、国際交流基金からも助成をいただいた。
 本書の編集から校正まで、学芸出版社の越智和子さんには大変お世話になった。勤め先のJABEE審査準備のために、遅々として進まない執筆を叱咤激励していただき、航海安全だけではなく、編集校正の世界にも目的地まで無事に導いてくれる「媽祖」がいることを知った。最後に、伝染病にかかり3ヶ月間も隔離されていたことを含め、家族にはとても迷惑をかけた。皆様に再び感謝をして、筆をおくことにする。

2006年2月
泉田英雄