次世代のアメリカの都市づくり


訳者まえがき

  アメリカにおけるコミュニティの発展形態は交通手段の変容とパラレルな関係にあった。第1次世界大戦後の自家用自動車の急速な普及とそれに伴う高速道路ネットワークの整備による郊外化の進行は、都市構造を円環状に都心部と郊外に二分化した。これに伴う都心部からの人口の郊外への流出は、都心部の居住人口の減少だけでなく、都心部のコミュニティの崩壊、居住人口の階層化、治安の悪化、商業活動の衰退、物的環境の劣化など、いわゆる深刻なインナーシティ問題をもたらしたことは改めて指摘する必要もないだろう。
  アメリカにおける郊外化の起源は19世紀初頭であるが、19世紀中頃からの鉄道の発達による郊外(Railroad Suburbs)が出現し、さらに電気の普及による都心と郊外を結ぶ交通手段としての路面電車の登場による古典的郊外住宅地(Streetcar Suburbs)の発展がみられる。しかし、現在みられるような本格的な郊外化は戦後になってからであり、インターステイト・ハイウェイ(州間高速道路)システムの建設を契機とする1950年代後半からの自動車社会の急激な進展は、郊外において画一的な独立住宅群の大量創出を実現した。戦後〈第一の波〉と呼ぶことのできるこの郊外化によるコミュニティの特徴は、経済的、人種的、年齢構成、家族構成における等質性(中産階級の若い白人家族のための郊外)であった。1960年代後半からは、〈第二の波〉と呼ばれる郊外化の新しい動きがみられる。その動きの中心となったのは、大規模ショッピング・センターなどの商業施設の郊外化の動きである。その結果、大都市都心部では商業の衰退と雇用機会の喪失による急激な空洞化が進行し、一方郊外のコミュニティにおいては、郊外居住者の多様化と社会階層等による住み分けがみられるようになる。次いで1980年代に入るとオフィスなど就業の場の郊外化が進み、これを郊外化の〈第三の波〉と呼ぶ。それは、かつてアメリカの大都市が体験した郊外化とは異なる新たな郊外化現象ともいえるものである。ロサンゼルスやワシントンDCの都市郊外に顕著にみられるように、かつては住宅地として都市のスプロール化が進んだ都市近郊の郊外地において、高速道路沿道や高速道路が交差するインターチェンジ周辺に突如出現したオフィスビル群や商業施設の集積は、これまで都市活動の中心であったダウンタウンに匹敵する新たな拠点を形成するようになったのである。こうしたアメリカの大都市圏の構造的変化に着目し、新たな郊外化現象によって生み出された郊外拠点を「エッジ・シティ(周縁都市)」と命名したのは、ワシントン・ポスト紙の記者であるジョエル・ガルーである。ガルーの調査によると、アメリカの大都市の周辺には既に200以上の「エッジ・シティ」が形成されている。ガルーはこうした「エッジ・シティ」を、アメリカの都市居住者の生活のニュー・フロンティアを象徴するものとして位置づけている。しかし、一方で「エッジ・シティ」を新たな都市問題を内包した郊外化現象として、@社会階層、人種、家族構成、ライフスタイル等の均質性、A自家用車への過度の依存と歩行者の軽視、B排他性の高い管理されたコミュニティ、C土地利用における機能の分化・純化の弊害、などの問題を指摘する専門家も多い。
  戦後の〈第一の波〉と呼ばれる郊外化は、〈郊外の庭付き戸建て住宅に住む核家族〉という都市における生活像に対する明確なモデルを生み出した。そして、その生活像を目指すことを〈アメリカン・ドリーム〉と呼んだ。しかし、今そのモデルとそれを具現化した郊外住宅地は、それを維持することが困難な状況に直面している。家族構成はより複雑・多様化し、「ゲイティッド・コミュニティ(ゲート付きコミュニティ)」と呼ばれるように個々の住宅地の治安だけを守ることを優先した結果、コミュニティはますます閉鎖的・排他的になり、さらに車による移動距離や移動時間の増大により都心から郊外へのアクセスも一層困難になってきている。際限のない自動車社会の進行は、郊外における交通渋滞、車の排気ガスによる大気汚染の悪化、都心の活力の低下、さらには、都市の生活者や企業が負担することになるコストの増大をもたらした。過去30年以上にもわたる都市の郊外化と呼ばれるスプロールはその限界に達し、一部の大都市を機能不全に陥らせ、ついには日常生活を向上させるどころか、逆に妨げとなるような環境を生み出すまでに至っている。すなわち、アメリカの大都市は、成長そのもののあり方やその中で達成してきた生活の質をあらゆる観点から問い直さなければならない状況に直面しているのである。
  一方、多様性、コミュニティ、質素、ヒューマン・スケールといった伝統的な価値が、アメリカの大都市の目指す新しい都市像を支えるものとして再評価されてきている。ここでいう伝統的価値とは、単に旧き良き時代へのノスタルジアではなく、質の高い文化やコミュニティには時代を超えた価値があるという認識に基づくものである。こうした価値観に基づく新しい都市づくり、まちづくりの動きを総称して〈ニューアーバニズム〉と呼んでいる。この新しい都市づくりの考え方は、1991年秋、ヨセミテ国立公園内のホテル「アワニー」において専門家や地方自治体の幹部を集めて開催されたニューアーバニズム会議において、ピーター・カルソープ、アンドレス・デュアニィ、マイケル・コルベットらを含む6人の建築家により起草・提唱された「アワニー原則(The Ahwahnee Principles)」に表現されている。サステイナブルな都市を実現するうえで遵守すべき原則を記した「アワニー原則」では、アメリカの抱える社会問題は、コミュニティの崩壊によってもたらされたものであり、このコミュニティ崩壊の原因は、自動車に過度に依存したエネルギー大量消費型の都市づくりに起因するとしている。彼らはその解決策として、自動車への過度な依存を減らし、生態系に配慮し、そして何よりも人々が自ら居住するコミュニティに対する強い帰属意識と誇りが持てるような都市の創造を提案している。さらに、1996年の第4回会議においては、都心の再生、スプロール化した郊外の真のコミュニティへの再編、自然環境の保全、歩行者と公共交通に配慮したコミュニティ、アクセスしやすい公共空間とコミュニティ施設、多様な近隣地区、広範な市民参加などをうたったニューアーバニズム憲章(Charter of the New Urbanism)を採択している。
  1990年代になって、ピーター・カルソープのTOD(公共交通指向型開発)のコンセプトを含むニューアーバニズムの提案が、アメリカのジャーナリズムに取り上げられるようになった。タイム誌を初めとする多くの雑誌で「ネオ・トラディショナル・プラニング」の特集として取り上げられ、幾つかのテレビ局でも特集として放送された。建築関連のジャーナリズムが積極的に取り上げる前に一般のジャーナリズムが、20世紀の近代都市計画の反省を踏まえ、アメリカの都市計画、都市開発の将来を方向づける動きとして取り上げたのである。ニューアーバニズムの取り組みは今日のアメリカの都市の郊外化(スプロール)がもたらした多くの都市問題を明らかにするとともに、アメリカの伝統的なコミュニティの価値を再発見する試みであった。ニューアーバニズムのコンセプトの一般的特徴としては、@歩行者を優先した自動車への依存を少なくする都市構造、A環境に優しい公共交通システムの導入、B歩行圏内での適度な多様な用途の複合、C地区内のバランスのとれた就住の融合、D多様なニーズに応えた住宅タイプの供給、Eまちのアクティビティ空間としての街路、F自然環境の保護と生態系の保全、G計画プロセスへの住民の参加、などが挙げられる。
  本書は、アンドレス・デュアニィとエリザベス・プラター・ザイバークによる『まちとまちづくりの基本原則(Towns and Town-Making Principles)』とともにニューアーバニズムの初期の活動の理論的な基礎をつくった図書として位置づけられる。ニューアーバニズムを提唱・実践している建築家、都市プランナーは多いが、彼らの発言をみているとその関心は人によりかなり幅があるように思われる。デュアニィに代表される建築家は、フィジカルな伝統的な街並みや形態的なコンテクストへの興味が先行し、その手法はスマート・コードと呼ばれるまちづくりのデザイン・コードとして発展している。『持続可能なコミュニティ(Sustainable Communities)』などの著書でも知られるカルソープらの、環境と共生するまちづくりや都市開発、公共交通手段と歩行者を優先するコミュニティのあり方への関心が、こうしたコンセプトを提唱する契機となっている。
  本書において提唱されている都市づくりのコンセプトであるTOD(公共交通指向型開発)は、ニューアーバニズムの基本理念を体現した都市づくりの主要なコンセプトの一つである。また近年、類似のコンセプトが様々な名称で登場しており、トランジット・ビレッジ、アーバン・ビレッジなどがそれである。これらはその細部や力点の置き方に若干の相違はあるものの、将来的な展望やまちづくりの理念や目的は共通している。TODのコンセプトの背景には、都市の成長をバランスよく誘導し、都市をよりサステイナブルな構造に再編していこうとする将来の都市づくりの戦略がある。
  その戦略としては、第一に、公共交通ネットワークの整備に合わせてよりコンパクトな都市形態とすること、第二に、今では当たり前になっている単一用途の土地利用の形態を、歩行者主体の複合的な近隣住区に転換すること、第三に、私的な空間や車のスケールではなく、公共性のある空間や人間的なスケールを大事にした都市空間や街並みの形成を目指すこと、が挙げられている。TODは、スプロールに代わるものとして、住宅、公園、学校、店舗、公共サービス施設、職場が公共交通機関から歩いて行ける範囲内に配置された近隣地区(Neighborhood)という、伝統的なアメリカのまちが有していたコミュニティの概念を、現在の都市の状況の中で再定義しようとしているといってもよい。また、それは、オープンスペースを保全し、公共交通機関を確保し、自動車交通を削減し、生活者のニーズに応えた取得可能な住宅を供給することにより、新しい時代のニーズに応えた生活の質を実現するための戦略でもある。地域的なスケールで考えると、こうした複合用途の近隣地区を公共交通でネットワーク化することで、肥大・分散化した大都市の秩序を回復しようとしている。
  このスプロールに取って代わる成長戦略の中核をなすものは、理論上も実践上も歩行者であり、そしてその移動を支える公共交通のネットワークである。歩行者とは、コミュニティの根本的な質を豊かにするための触媒(カタリスト)なのである。歩行者は、日常的な出会いのための場所や機会を創出し、多様な場所と人を実用的に結びつける役割を果たしている。コミュニティの共有の場ともいうべき公園、歩道、ポケット広場、広場は、歩行者という存在なしには、車にとってのただ無用な障害物にすぎない。歩行者とはコミュニティを計るための失われた尺度であり、近隣住区の中心部から周縁部への広がりを決めるうえでの物差しでもある。
  こうした考え方はどれも新しいものではなく、良い意味でアーバニズムの原点へと立ち戻ったものといえる。しかしながらそれは、従来の都市計画を支配してきたコンセプトとは基本的に異なるものである。ニューアーバニズムの基本コンセプトは、その種類や場所に関係なく、複合的であること、公共交通優先であること、歩行者に配慮したものであること、多様であること、と極めて単純明快である。こうしたコンセプトを実現することは、歩行者よりも車を、公共空間より私的空間を、一体的で多様な土地利用より分離された純化型土地利用を優先してきた40余年にわたるアメリカの都市計画の姿勢を逆転させることを意味している。
  本書が出版された後、ニューアーバニズムは、カルソープ等のニューアーバニストと呼ばれるニューアーバニズムを提唱した建築家達の活動の枠を超えて、アメリカの新しい時代の都市計画を巡っての議論の活性化、都市政策の見直し、都市開発のコンセプトなど、アメリカの都市づくりに確実に影響を及ぼしてきている。アメリカ前政権であるクリントン/ゴア政権は、こうしたニューアーバニズムの方向を強く支持し、交通政策においては「総合陸上交通効率化法(ISTEA)」そして「21世紀交通公正法(TEA21)」、そしてまちづくりにおいては一般に「リバブル・コミュニティーズ・イニシアティブ(Livable Communities Initiative)」と呼ばれる連邦政府の施策を推進した。多くの地方自治体は、バランスのとれた都市の発展を推進するための都市の成長管理政策として〈スマート・グロース〉をコンセプトに掲げ、それを実践する具体的な手段としてニューアーバニストが提唱しているまちづくりのルールを計画やゾーニングの中に導入しようとしている。そして、オレゴン州等ではニューアーバニズムの考え方が具体的なプロジェクトの中でも実践に移され、その姿を表している。
  このようにニューアーバニズムの考え方が多くのアメリカの都市において将来のコミュニティの形態に影響を及ぼしていくことは明白であるが、一方で、ニューアーバニストの提唱する都市像を巡っての議論も活発になってきている。その代表的なものが、ニューアーバニストの提唱するプロジェクトは、都市や建物の視覚的な形態の視点に偏っていて、プラニングの視点が弱いという指摘である。このことは民間デベロッパーの住宅地開発において、歴史的様式とコンパクトなタウン感覚の住宅デザインがニューアーバニズムの特徴として扱われ、単に住宅販売のためのマーケティング戦略のモチーフにしか捉えられていないことによく表れている。また、建築デザインに対する保守的な姿勢を巡っての議論も活発である。
  次に、ニューアーバニストの提案している郊外住宅地は、従来の郊外住宅地の計画やデザインを改善するものであっても、結局はスプロールの拡大を正当化するものでしかないのではないかという批判もある。そうした批判に対しては、より広域的な地域レベルでの計画の枠組みの確立と都心部におけるインフィル型都市開発におけるニューアーバニズムの適用が議論されるようになってきている。本書に次いで出版されたカルソープの『広域都市(The Regional City)』はこうした課題に対するニューアーバニズムの考え方を示すもので、土地利用と交通システムを中心に据えた、よりプラニング的なアプローチにシフトしている。
  近年のニューアーバニズムを巡っての議論をみていると、ニューアーバニズムは、既にニューアーバニスト達の手を離れ、持続可能な地域社会づくりを目指した都市再生の中心的なテーマとして幅広い人々によって取り上げられるようになっており、こうした議論と実践の先に、新しい時代の生活像とそれを目指すアメリカン・ドリームの再構築が期待されている。

倉田直道