PUBLIC DESIGN
新しい公共空間のつくりかた




新しいパブリックをデザインするために。



この本の読み方

 この本は公共空間、そして公共という概念自体を改革する方法を探すために書かれている。すなわち、それは新しいパブリックをデザインすることだ。ここでいうデザインとは形のあるものばかりではない。新しいパブリックを構成していくためのマネジメントやシステムも含まれる。
 パブリックデザインの具体的な方法論を探すため、6人の実践者たちにインタビューをし、パブリックスペースやプロジェクトを実際につくりあげていくプロセスを学ぼうとした。
 さらにそれをできるだけ構造化しようと試みた。本文の所々に出てくるダイアグラムがそれを示している。またインタビューの中で特に重要だと思うフレーズを太字で強調した。その部分を追いかけるだけでも、メッセージのポイントをつかむことができるはずだ。
 まずインタビューの中から浮かび上がってきた、これからの時代に必要なパブリックデザインの六つのキーワードを抽出してみる。

  マネジメント/経営
  オペレーション/運営
  コンセンサス/合意形成
  プランニング/企画設計
  マネタイズ/収益化
  プロモーション/情報発信

 彼らがつくりあげた新しいパブリックスペースはこれらの要素を横断的に結びつけている。そして強固に繋ぎとめる求心力が明快なコンセプトだった。
 次に示すキーワードのダイアグラムを頭の片隅に置きながら読み進めることで、パブリックデザインの全体像が見渡しやすくなるはずだ。


公共空間から考える新しい社会システム

この本を書こうと思った理由
 2013年に『RePUBLIC 公共空間のリノベーション』という本を書いた。その本では規制緩和や社会実験など、さまざまな方法で再生された公共空間の事例や可能かもしれないアイデアを提示し、市民から離れていこうとする公共空間のあり方を問い直そうとした。
 幸いなことに、多くの人が興味を持ってこの本を受け入れてくれた。特に当事者である行政の方々から、問題意識を共有しているという声を数多く聞いた。民間企業やNPOなどの組織の方々からも新しい公共空間への関わり方のヒントとして捉えてもらった。
 具体的に公共空間に関わり、その変化にコミットしようとするとき、次々に新しい課題や壁とぶつかる。より具体的に公共空間についての新しい知識が欲しくなったことが、この本をつくるきっかけだ。

小さな行政と大きな市民力
 僕は基本的に小さな政府、小さな行政に賛成である。現在の財政状況から考えて、今後行政の業務は民間に委ねていくしかない。それは予算面から見ても明らかだ。
 端的な数字を紹介すると、たとえば、2014年の日本の歳入に占める税収は54兆円。それに対し国家予算は95兆円。実に41兆円を国債という借金に頼っているのだ。人口減少が進むなか、税収が画期的に増える見込みはない。一方、高齢者が増え、社会に求められる課題は多様化し、サービスの量も質も向上しなければならなくなる。この矛盾を解消するには行政の仕事をコンパクトにし、今まで公共が担っていた部分の一部を民間、企業やNPOなどの市民団体に委ねていくしかない。パブリックデザインとはそのプロセスのデザインでもある。

適度に儲かる公共空間
 もしかすると、今までの公共空間を巡る最大の呪縛は、そこで営業利益をあげることに対し抵抗が大きいことだったのかもしれない。確かに公金で整備されているので、それを使って民間企業が過大な収益をあげるのは構造的に間違っている。しかし人口も税収も減少していく多くの自治体において、今後過去に整備した公共空間の維持管理は財政的にも人的にも大きな負担になってゆく。それはもう待ったなしの状況だ。
 その公共空間の維持管理を民間企業や組織に委ね、そこからあがる収益の一部を維持に再投資する。運営する側にある程度の活用の自由を与えることで参入の機会を増やしていくべきだろう。

顕在化しない余った公共空間
 しかし現在、日本中の自治体自らがどれぐらいの公共空間を所有し、ランニングコストにどれぐらいの負担が生じているか正確につかんでいるわけではない。一部の先進的な自治体で公共施設白書としてその調査が進んでいるが、それが全国に波及するにはまだ時間がかかるだろう。
 さらに公共空間の民間への賃貸、売却、運営委託などにはかなり煩雑な手続きや住民への説明責任などが問われるため、よほどの覚悟がない限り、そこに踏み込む行政マンは少ない。さまざまな自治体の担当者と会話をするなかで、その状況が伝わってきた。そうした余った公共空間がよりシンプルに社会に流通し、民間の資本やアイデアや人材が向かうしくみをつくらなければいけない。

積み重なり硬直した制度を溶かす
 当たり前ではあるが、法律や制度は性悪説で成り立っている。最低限のやってはならないことを規定することで自由と安全を担保するのが法律だ。人口が急激に増える社会の中で秩序を守るために日本はたくさんの制度をつくってきた。それは成熟した社会への一つの段階であったことは間違いない。しかしいつの間にかそれは堆積し、複雑で重たいものになってしまった。僕らは自らがつくってきた秩序に過剰に縛られている。
 公共空間はそれが最も顕著に表われる場所だ。管理を司る行政機関は安全や秩序を保つために過剰な防衛をしなければならなくなった。社会は曖昧さを許容する冗長性を失い、市民も管理に厳格さを求めるようになってしまった。日本ではこれまで市民が公共空間の管理や運営にコミットしていなかったことに原因があるのかもしれない。
 公共空間の管理はシステム化され、行政やそこから委託を受けた企業が行うものだと、僕らは思い込んではいなかっただろうか。実際、そこは「パブリック」なものなのだから、市民が管理に参加しなければならないはずなのだ。
 行政や管理者も、完全に自分たちの管轄下に置かなければならないという強迫観念にとらわれてきたのではないか。
 こうして管理体制が整いすぎてしまったために、日本中の公共空間で行政も市民もお互いに介入することが難しい構造になっている。僕らがやらなければいけないことは、その硬直した関係性を柔軟にし、秩序のある自由を獲得することだ。

社会を動かす新しいOS
 公共空間の硬直は、今の社会の硬直を象徴しているのではないだろうか。閉鎖的な状況下にある公共空間のOSを開放する時期にきている。パブリックスペースについて考えることは、社会を動かす新しいOSについて考えることにつながっている。まだその姿ははっきりしないけれど、あたかもアップルのiOSが公開されたことによって、一個人から企業までが競うように、自由闊達にアプリケーションを投稿し、社会の共有資産になっていった状況に近い。現在、さまざまな場所でその試行錯誤は始まっている。
 この本をつくるなかで探し求めたのは、まさにそのアプリケーションではなかっただろうか。


パブリックスペースを動かす新しいアプリケーション

6人の実践者たち
 今回、この本でインタビューを行うことにした6人は、空間の主体者であり運営者である。必ずしもリアルな空間ばかりではない。それはプロジェクトであったり、物事を動かすためのシステムである場合もある。共通しているのは、新しいパブリックの概念を具体的な形で提示し、それがしっかり稼働しているというところだ。リアリティを特に重視した。
 ここで、6人のプロフィールを簡単に述べておく。
 木下斉は、経営とマネジメントの手法を用いて民間の力によるまちの再生方法を提示する。
 松本理寿輝は、ゼロから新しい保育園をつくった。まちの保育園と名づけられたその場所は、保育園とまちの間にパン屋&カフェが挟まったユニークな空間だ。
 古田秘馬は、丸の内朝大学、六本木農園など今まではおよそ結びつかなかったモノやコトを出会わせることにより、新しい価値や時間、コミュニケーションを生みだす「プロジェクトデザイン」という職能を切りひらいた。
 小松真実は、小さなロットから音楽CDをリリースできるしくみをつくり、それが地域の再生、被災地の復興などに拡張している。個人が投資という形でプロジェクトにコミットする金融システムをつくった。
 田中陽明は、co-labというクリエイターたちのコラボレーションの実験場をつくり、現在東京の6カ所に展開され、企業とのものづくりやまちづくりに関わるプラットフォームに育っている。
 樋渡啓祐は、武雄市図書館の運営を指定管理者制度によってCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社)に委ねた。TSUTAYAやスターバックス・コーヒーが地方都市の図書館に出現し、大人気となっている。

甘い夢を見ないリアリストによる行動
 彼らに共通しているのは、決して夢想家ではないこと。徹底的な現実主義者/リアリストであるということだ。無責任な夢は見ない。現実に立脚した発想を起点に、決して派手ではなく地道に人々を巻き込みながらプロジェクトを前に進める。ゴールのイメージを大らかに持ってそれに向かって多彩な手段を繰り出す。壁にぶち当たっても迂回しながら新しい道を発見する。したたかで粘り強い。それらが彼らに共通した態度だ。

自分が欲するものから率直に始める
 さらに彼らに共通しているのは、まず小さく確実で、自分の手の届く範囲から始めているということだ。その後大きくなるプロジェクトだったとしても、最初は個人の小さな発想と行動から始まり、だからこそ、そこには強い世界観が宿る。
 次に、個人の願望やニーズを素直に叶えることから始まっているということだ。田中陽明は自分が欲しかったクリエイターの集まる場を自らつくることからスタートし、ミュージシャンだった小松真実はインディペンデントのCDをリリースするための方法論としてファンド運営会社を始めている。市長として図書館を改革した樋渡啓祐でさえ、自分が使いたいと考える図書館をイメージすることから始めている。画期的な空間やシステムは決して抽象的なものではなく、ありそうでなかったものを素直につくることから始まっている。僕らは自分が欲している空間やサービスに対して、いったん既成の常識を離れ、率直になることから始めるべきなのかもしれない。
 そして共通感覚や共通価値を得られやすいイメージを描くことで、そこに多くの人間たちがコミットしたくなる。それによって開放系のプロジェクトが立ち上がり、パブリックスペースが形になる。その場の主役はコミットする利用者であり、立ち上げた彼らはサポートする役回りだ。

現状の枠組みの上に小さな変革を起こす
 インタビューをした6人の誰一人として現代の社会システムを完全に否定している者はいなかった。培われた枠組みの中で自分たちのフィールドを模索し、その硬直した状況に現実的な行動と発想を注入し、新しい変化を起こそうとしている。僕はそのスタンスに共感する。
 樋渡啓祐は「人は自分の想像外のことには拒否反応を起こす」と言っていたが、新しい社会システムは実際の空間や風景で見せることで初めて理解されるのかもしれない。まず小さなピースによってそれを現前化し、イメージとして共有することで次の現実を引き寄せ、参加者を導く。


新しい資本主義のかたち

 この本に登場する6人がつくった空間や方法論を見ていると、そこに新しい資本主義の姿をうっすらと感じることができる。今の社会システムを否定するわけではなく、それに乗っかりながらしたたかに、ポジティブに、プラグマティックに理想を実現していく。
 そして彼らは、その方法論が社会全体で共有されればいいと思っている。他者との差別化やオリジナリティよりも、一般性、汎用性を重視している。マーケットシェア重視の1人勝ちの利益よりも、自分のやるべき領域を明確にし、そのクオリティを高めることに重心を置く。結果だけではなく、プロセスや他者との関わり、プロジェクトが成り立つ物語にこだわっている。それは今までの資本主義の概念を踏襲しつつも、競争原理とは違う何かが働く資本主義だ。
 新しい資本主義がつくる所有と共有の間。そこに僕らのつくるべき世界がある。

馬場正尊