感性のモダニズム
ヨーロッパ近代の建築造形をめぐる


書 評

『住宅建築』(建築思潮研究所)2005. 7
  前川國男さんは、すでに鬼籍に入り、さらに、今年に入ってわが国のモダニズム建築をリードしてきた丹下健三氏が永い眠りについた。まさに、日本モダニズム建築の終焉、といってもいい。こうした中、この春には、東京・東陽町のギャラリーエークワッドで「竹中工務店設計部の源流──モダニズム16人展」、新橋の松下電工汐留ミュージアムで「文化遺産としてのモダニズム建築 DOCOMOMO 100選」展が相次ぎ開催された。100選は盛況で、会場内でもとりわけ、丹下健三氏の作品の前の人立ちは他に比べひときわ多く、なかなか展示を見られない状況であった(最後のパネルブースを観ていると、隣から「スッゲー」と若い男性の声。「うん? 何を観て?」少し横にずれ、スペースを空けると、また「これいい!」とまた感嘆の声。そこは「モダンを超えて」という付け足しのコーナーで、若者が感激し、つい大きな声が出てしまったのは磯崎新氏の作品と白井晟一氏の建築作品というのは皮肉であったが)。
  さらに、この晩秋から年末にかけては東京藝術大学大学美術館で吉村順三、東京ステーションギャラリーでは「生誕百年 前川國男建築展」が開催される。前川國男、吉村順三をはじめとする日本のモダニズム建築の再評価が進んでいる。
  こうしたモダニズム再評価気運のなかで、ヨーロッパのモダニズム建築を扱った『感性のモダニズム』が出版された。
  本書は、ヨーロッパに現存するモダニズム建築をカラー写真と文章で紹介している。アールヌーボーの影響を受けたラブルーストから北欧のモダニズム・アスプルンドまでを近代デザインの感覚に即し、6章に分けて紹介。ヨーロッパのモダニズム建築を身近にさせてくれる。
  とにかく、写真がいい。例えば、「アムステルダム取引所」。スチール・トラスが生み出す大空間がページ一杯にタチ落ちで掲載されている。ボリューム、空間の大きさを実感できる写真になっている。しかも、鉛直線はひたすら垂直に、水平線も真っ直ぐ。何ミリのレンズでどのように撮ったのか思いを巡らせてしまう。建築写真はこうあって欲しい、という写真の数々。なかには「これ押さえておこう」、というノリで撮っておいたポジもあるだろうが、ディテールにおいても建築に対する愛情が読みとれる。
(小林一郎)

『新建築住宅特集』((株)新建築社)2005. 7
  著者は写真家として、そして研究者として、ヨーロッパの近代建築を長年に渡って追い続けている。本書はその成果のひとつであり、全6章が「しなやかな技術革新」「典雅な直線」「きらめく躍動感」「白い明晰」「色彩願望」「やわらかな光」という魅力的なタイトルのもとに鮮やかに分類された。ここで取り上げられたのは、19世紀後半から20世紀初頭における初期モダニズムの建築、39作品。ハンディな体裁ながら、ほぼすべてが美しいカラー写真により、それぞれの存在を十全に主張する。写真を縫うように綴られた文章も、現地に三脚を構え、濃密な時間を共有した人だけが得られるであろうリアリティに満ちており、楽しいものとなっている。


『新建築』((株)新建築社)2005. 6
  本書は、1996年から4年間、ある企業広報誌に連載された写真と文章をまとめたもの。取り上げられているのは欧州の近代建築であるが、著者の関心が向いているのは、アールヌーヴォーやセセッションといったその黎明期の建築の、特に内部空間に差し込んだ弱い陽光を受けて鈍く光る建築の物質的側面のようである。著者は写真家であり、撮影・選択された写真が自ずとそういう方向性を示している。39の近代建築が情緒性のある6つのテーマが分類され、それぞれに解説を付けながら紹介している。

(C)

『室内』((株)工作社)2005. 6
  写真家であり建築評論家である下村純一さんは、「建築のモダニズムとは何か。そもそも、いつからいつまでをモダニズムの時代とするのか。そして現代は、いまだにそこを拠所としているのか」という問を自らに投げかける。本書の目的は、その検証である。
  ラブルーストとアール・ヌーヴォー、マッキントッシュとワーグナー、ガウディとカタルーニャ・ルネサンス、ル・コルビュジエとインターナショナル・スタイル、リートフェルトと表現主義、アスプルンドと北欧モダニズム。全6章のそれぞれのテーマを追求するために、実際の建築を丹念に訪ね歩く。
  まずその豊富な写真をながめるだけでも、楽しい気分になれる。どの建築にも共通しているのは、豊かなインテリアをもっていることだ。そしてその内部を裏切らない外観。写真でこうなのだから、実際はいかばかりかと思わせる。光と影と、それを取巻く空気の厚さ。材料を選び、細部に渡って目端を効かせる。建築家の才能は、目に見える造形で、目に見えない何ものかをつくりだすこのとなのだと、あらためて思い知らされる。
  いまだに拠所にしているのか、という問に対する答は難しい。しかし、本書に出てくるような建築以上の豊かさを、いまの私達は持っているか、と問われたらそれ以上に返答に窮する。何かに向かって満ちあふれたような、モダニズムを超えるほどの力が、今世紀の建築にあるのか。問は深まるばかりだ。

(油)