感性のモダニズム
ヨーロッパ近代の建築造形をめぐる


あとがき

本書は、1996年からの4年間、大阪ガスの広報誌『ガスニュース』に「モダン・インテリアの誕生」と題して連載した写真と文章とをまとめたものである。その連載には、19世紀後半以降のヨーロッパに登場したインテリア空間を、概ね年代順に現代の感覚から見直そうという狙いがあった。本にまとめるにあたり、インテリアに限るよりは、もう少し広げて建築を考えるものにすれば、よりおもしろくなると判断した。そこで原稿用紙で50枚ほどを加筆した。また単に年代を追うのではなく、特徴的な近代デザインの感覚に則した幾つかの群に分けることで、さらに違った見方ができると考え、全体を6章構成に組み替えた。

大幅な手直しを加えたとはいえ、連載時の性格はやはり残っている。小説と異なり、その都度取り上げた建築作品が、完結して眺めることができ、また読めることも意識して進めた連載であったから、本としての全体の結びつきは、その分だけ弱いかもしれない。私は、近代という大枠の中で、個別の作品の放つそれぞれの表現、それを今の感覚でとらえ直したいという思いが強い。作品一つひとつのポートレートを撮り、そして肖像画としての文章を綴り添える、そんなつもりである。

1988年に『薔薇と幾何学』(平凡社)を書いた。個々の作品を取り上げる手法は本書と同様ながらも、その時は各建築作品を25〜30枚の原稿で書いた。私にとってその分量は一枚の肖像画を油絵で描く、いわば語り尽くすに十分な枚数であった。それに対し今回はキャプションも含め5、6枚である。デッサンに等しい量だろう。だから逆に、作品に感じられるひとつのキラめいた個性だけを選び、強く浮かび上がらせることができたと思う。そうして見え始めた幾つもの個性が、点描画のように、あるいはジグソーパズルのようにいつの日か、モダニズムと題する私なりの一枚の絵を完成させてくれればと願っている。

そうは言っても、これは一冊の本である。どんなに朧げであろうとも、今見えている自分なりのモダニズムの全体像を述べることは、著者としての責務であろう。本書のまとめに、このあとがきの場を借りてその素描を書いておこうと思う。

近代という時代に、注目すべき三つの出来事があったと考える。ひとつは、1865年のモリスによる3種類の壁紙のデザインである。内壁表現の可変性を明らかにした壁紙はその時既に、内部のパーティションの自由をも視野にとらえていた。つまりプランを自律したシステムと考えるその発端になったと思われる。次は、1914年のル・コルビュジエの「ドミノ」発案である。ドミノは構造の自律を打ち出すシステムとして呈示されたが、それ以上に実は、2枚の水平スラブにサンドイッチされた空間のありかそのものを描いていた。それは無限に広がる空の中から一部を切り取ることではじめて成立する、建築空間というもののあり様を図示していたのである。そして三つめは、1926年のグロピウスによるバウハウス校舎の竣工である。グロピウスは、たまたまスラブの端部にカーテンウォールを直留めしたがそのことを隠さず、晒していた。晒し出すことで外壁が内部に後退して立とうが、あるいは外に迫り出そうが、表現は外観のデザイン、内部の要求次第だよということを、宣言したのだった。

モリスによって、まず内壁が自律すべきものと考えられ始める。そしてル・コルビュジエによって構造が自律し、最後にグロピウスが外観の自律を明言した。この三つの出来事が、モダニズムの建築表現の座標軸を定めたと思われる。そこからの振れ幅、座標が、すなわち個々の作品のかけがえのない表現ということになる。だからたとえば、ル・コルビュジエは何故、自らが発想したドミノをむしろ隠すかのように添え積み壁を立てて、ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸の外観をデザインしたのか。ドミノに最も忠実な実施作のひとつに他ならないバルセロナ・パビリオンのイメージを、ミースはバウハウスの工房棟で教鞭をとりながら醸成していったのではないか。リートフェルトは、どうしてシュレーダー邸の張り出した3枚のバルコニーを内部の連続として表現せずに、また内部の空間を、構成してみせることもなく、単一単純な立体としたのか。思うだけでも楽しげな興味が、3本の座標軸からの振れとして表現をとらえると、次々に湧いてくる。

本書が出来上がるまでには、これまで仕事を通して知り合うことのできた、数多くの研究者や建築家の方々から貴重なご教示を賜わった。中でも名古屋大学の片木篤さんとのこの20年来のおつき合いでは、私は建築を見ていく、考えていく姿勢そのものを学ばせていただいたと思っている。モリスの壁紙の一件をはじめ、表現を建築として理解するとはそういうことなのかと、いちからお教えいただいた気がしている。紙上を借りて、厚くお礼申し上げたい。

フリーの建築編集者である繁原稔弘さん。彼はかつて『ガスニュース』の編集長で、私の連載企画を快諾して下さり、それを終えるまで大変なご面倒をおかけした。彼のお力添えなくして本書は出来上がらなかった。学芸出版社の知念靖広さんは、連載を本という体裁にまとめる上で、6章に分ける考えなど私を確かなゴールへと導いてくれた人である。本書は、読むだけでなく、むしろ、写真集として眺めていただけるようにつくってある。そのための写真のセレクションからレイアウトまで、知念さんはお一人でこなされた。頭の下がる思いだ。

私は、近代建築を写真で追い、そして考えようとしている。じっくりと見てはいるが、じっくりと腰をすえて研究しているとはいえない。だから誤った事実認識や間違った解釈が多々あると思われる。読者からの温かなご指摘をお待ちしつつ、本稿を終えたい。

2005年2月
下村純一