成熟のための都市再生


書 評
『地域開発』((財)日本地域開発センター)2006.9
 国土開発の取り組みというのは何も近現代に限られたものではない。世界は神がつくったがオランダはオランダ人がつくった、という言葉と同様、日本の国土もまた古くから日本人が自らの手でつくりあげてきたものである。本書はそのような古代から近世までの庶民による国づくりの歴史を紹介している。
 書名にある地文学とは、土地の文(あや)つまり土地の特徴的な構造を読み、土地を解釈する学問である。都市はその場所に偶然に発生したものではなく、平野、盆地、山地、海、川などの地形条件と調和した国づくりが行われた結果生まれたものである。現代の都市構造の発祥を知ることは、現代の国土開発を考える上でも参考になる。
 古代の交通システムや治水事業がどのようなものかを知ることができるだけでも面白いが、それらの背景にある「庶民の神仏への信仰」という視点から議論がなされている点も興味深い。日本の都市史に対する新たな見方を提供してくれる1冊である。

『測量』((社)日本測量協会)2005. 7
  本書は、どれが本題でどれが副題かはっきりしない。『地文学事始─日本人はどのように国土をつくったか─』というタイトルでもいいように思う。読者は、天文学や人文学は御存知であろう。では「地文(ちもん)学」はどうであろうか。わが国では地文学という分野が過去にあったわけではない。実は、上田篤先生を主宰者とした「地文学研究会」というものがあって、これまでにない学問分野を形づくっていこうという意気込みのもとにここ数年間会合がもたれてきた。そのこれまでの成果が本書である。
  「天の文(あや)」である天文学、「人の文(あや)」である人文学があるように、「地の文(あや)」である「地文学」があってもおかしくない。国土というものは単なる自然の土地ではない。「神託」すなわち「神さまの託宣」とは全員で決めることだということばは新鮮に響く。そこに開発や保全という形で人の力が加わって、長い年月をかけて形成されてきたもの─すなわち「地の文(あや)」が刻み込まれているのが国土である。それをどう読みとっていくかは、分野によってアプローチの仕方が違うものだ。本書の12名の著者全員がそれぞれに異分野の研究者だというのが、そのことを如実に物語っている。逆に言うと、多分野の広範な人々の手にならないと、「地文学」は確立され体系化できないということであろう。本書はその「事始(ことはじめ)」とされる。国土に関して「こうもいろいろの見方があるのか」と、興味津々たる本書である。御一読をおすすめしたい。
(今村遼平)
『室内』((株)工作社)2005. 6
  弥生時代の初め、日本の人口はおよそ10万人と推測されている。2千年後の江戸時代には3200万人。人口の伸び率が高いといわれる中国でさえこの2千年間で約60倍だから、320倍というのは、飛躍的な増え方だ。それは単純にいうと、農作物などの生産量が増えたか、国土が拡がったということ。実はその通りなのだと、生活空間学者の上田篤さんは考えた。
  開墾して整地して「日本の土地は日本人がつくった」と上田さん。それも権力者ではなく、庶民が。ではどのようにして作ったのか。それを知ることを、地文(ちもん)学事始と名づけた。地文とは天文(てんもん)、人文(じんもん)と並んで、古く荘子の時代からある言葉で、「地の文(あや)」つまり地形や気候など、土地の特徴のこと。
  建築、土木、歴史、国文学などの専門家たちと研究会を結成し、日本各地の平野や盆地、都市がどのように作られてきたかを調査した。本書はその研究成果をまとめた、異色の一冊である。
(木)

『建設通信新聞』 2005. 5. 19
  国土づくりの在り方が問われている。日本の国土形成がどのような形で進んだかを知り、その歴史的流れから今後の国土づくりを考察している。土地の特徴的な構造を読み、土地を解釈する「地文学(ちもんがく)」の視点を手がかりに、国土の成り立ちを読み解いた意欲作。
  興味深いのは、古代から近世までの国土開発の特徴を、土木工学、建築学、環境デザイン学、造園学、国文学、文化人類学、環境歴史学など各分野の研究者が独自の視点で分析している点だ。
  たとえば、平安京から続く庭園都市はいかに形成されたのか。桓武帝の平安遷都以来、都として政治経済文化の中心地であり続ける中で、膨大な人口の生活と余暇活動の範囲が広がり、鴨川を超え、東山山麓に郊外都市化が進み、結果として都市軸が当初の平安京と比べて大幅に東側に移動、現在の京都が形成された。
  東京遷都後も、京都市民が古都らしさの保全に誇りを持っていた意識が、わが国の景観行政の先鞭を付けた根底にあると説く。双ヶ丘保存問題や京都タワー、京都駅など数多くの景観保全運動が市民の間で盛り上がるのも、そうした「地文」から来ているというのだ。
  東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道の古代7道駅路が現在の高速道路ルートに類似する点を「高速道路の古代回帰」と称するように、国土形成におけるさまざまな地文を分かりやすく読み解いている。
  景観緑3法の制定など国土づくりにおける景観の在り方が見直されている中で、どのように国土が形成されてきたかを改めて考えさせられる一冊だ。

『環境緑化新聞』 2005. 5. 1
  「地文学」ちもんがくとは、聞き馴れぬ言葉である。「大地の模様」(広辞苑)などと解されているが、今日では死語に近い。しかしそれは、「天の文」である天文、「人の文」である人文と並んで「地の文」として、古くから中国にあった。文(あや)とは「色を交錯させて画き出した系統のある模様」(説文)、つまり、文様。編者の上田篤氏によれば、土地の神様を調べる学問だという。英文呼称「The Science of Land Architecture」のほうが、通りよいかもしれない。
  執筆者と「いかにつくられたのか」の場所と専攻を掲げる。実に幅広い学問領域であることが示される。飛鳥・片岡智子(国文学)、奈良盆地・樋口忠彦(景色学)、京都盆地・進士五十八(造園学)、津山盆地・米山俊直(文化人類学)、筑紫平野・中岡儀介(環境デザイン学)、豊後緒方・飯沼賢司(環境歴史学)、東山道・武部健一(土木史学)、甲府盆地・小川紀一朗(砂防学)、今村遼平(地質学)、関東平野・中村良夫(国土史学)、松浦茂樹(同)、濃尾平野・田中充子(建築学)。巻末の鼎談も良い。

『建設オピニオン』(褐嚼ン公論社)2005. 5
  「天文」「天文学」という言葉はよく知られているが、「地文」、「地文学」となると必ずしも知られてはいない。
  「天文」は天―宇宙の「文」(あや―姿、形)を明らかにしようというのに対して、「地文」は地―土地―国土の「文」(あや―姿、形)が形成された背景、歴史を明らかにしようという学問である。
  本書は、地文学を通じて日本人が現在の日本列島という国土をどのように形成してきたかを明らかにしようとするものである。
  地文学の切り口は一様ではない。土木工学はもとより、文学、歴史学、地質学、地理学、宗教学など多様なアプローチで飛鳥地域、甲府盆地、濃尾平野、関東平野、京都盆地、筑紫平野、津山盆地、東山道など各地域、古道などの形成の背景と歴史を明らかにしている。
  たとえば、奈良の飛鳥―明日香地域については、国文学からのアプローチだ。「あすか」が古来から和歌によく詠み込まれた歌枕であることや、そこに「飛ぶ鳥」という枕詞(まくらことば)が使われてきたことから、片岡智子さん(国文学)は、「アスカという地域が海を渡り渡来した鳥によって導かれた先進文化の開花する地域であることを象徴する枕詞であった。そのような枕詞飛ぶ鳥がふさわしいアスカは、数あるアスカの中で実際には大和のアスカに限られることになる」と分析している。
  また、釜無川、御勅使川、笛吹川という急流が流れる甲府盆地については、災害との戦いが政治の大きな目標であったとし、「信玄堤」の河川改修事業と国土開発事業に成功を収めた武田信玄が今も山梨県民の尊敬を集める背景を分析している。
  高度経済成長の過程では、全国を金太郎あめ的に開発する地域開発手法が取り入れられ、そのことが地域の個性を薄めてしまい、結果として地方都市の繁華街が「シャッター通り」化する現象につながったといえまいか。
  日本のそれぞれの各地域―国土が、いかに形成されたかを知ることは、歴史、景観など豊かな地域の再生の基盤につながるのではあるまいか。
(山下靖典)