日本人はどのように国土をつくったか


地文学事始―日本人の国づくり

 今日、東京、大阪、名古屋などの大都市のほとんどは「かつては海だった」ということを大抵の日本人は知っている。しかし、では「なぜその海が陸になったのか?」と問われると、多くの人は答えに窮するのではないか。「自然にできたのだ」とか「海水面が下がったからだろう」などといわれるかもしれない。がしかし、自然にできたのなら縄文時代の一万年間にだって自然にできたっていいはずだし、また海水面は2500年前から現在までの間は、多少の変動はあっても、一般的には下がるどころか、逆に上昇してきているのだ。
  そこで「人間がつくったのではないか」ということが考えられる。だが「人間がつくった」とはっきり言い切っている人を、実は私は知らない。そういうことを具体的に書いた本もあまり見かけない。
  しかし、私は「やっぱり人間がつくった」と思う。国土の四分の一は海面下で、あとの四分の一も堤防がないと沈んでしまうというオランダでは「世界は神さまがつくった。オランダはオランダ人がつくった」という俚諺を皆知っている。ところが、日本でも半分ぐらいの人口は昔の海に住んでいるから同じことがいえるのに、そういう意識は国民の間にはまったくない。
  もちろん「人間がつくった」といっても、そこには人間の力だけでなく気候の変動などもあったろう。だが、そのような気候の変動などを読みとって今日のような国土にしたのも、実は人間ではなかったか。「縄文時代の人間にはできなかったが、弥生時代以降の人間にはできた」ということが大切なのだ。変わったのは気候ではなく人間だったのである。
  すると、では弥生時代以降の誰が、いつ、どのようにしてやったのか? つまり「国土開発の歴史」というものは、一体どうなっているのだろう?
  私はこのような「日本の国づくり」を、これまで一人で調べてきた。そして私なりにまとめて、そのいくつかを世に問うた。しかしそれは、思えば悪戦苦闘の連続であった。
  まず、日本の国土は広い。その上、色々変化に富んでいる。それに調べなければならない専門分野は多岐にわたる。私のまったく未知の分野も多々ある。さらに調べてみてわかったことは、江戸時代はともかく、戦国時代、あるいはもっと古い時代になると、各専門分野の資料さえほとんどない。とりわけ庶民の開発記録などになると、まったくゼロに等しい。
  そこで、こういう広域的で、総合的で、かつ、資料のまったく乏しい分野のことを調査研究するにはどうしたらいいのか、そういう方法論はあるのか、そういう学問は何か、と色々考えた。そうしてある時「地文」という言葉に行き当たった。
  「地文」とは聞き慣れない言葉である。しかしそれは、実は「天の文」である天文、「人の文」である人文と並んで「地の文」として、荘子も「郷に吾、之に示すに地文をもってす」(応帝王)といっているように、古くから中国にあった。
  すると「文」とは何だろうか?
  現存する中国の最古の字書の『説文』によれば、文は「色を交錯させて画き出した系統のある模様」とする。つまり「文様」である。
  そこで私ははたと膝を打った。思い当たることがあるのだ。
  私は今まであちこちに書いてきたことだが、日本の縄文土器のあの「縄の文様」は、一本の繊維なら弱いが、綯われて縄となると大石でも持ち上げるほどの威力を発揮する縄の力、いわば「呪力」を描きだしたものではないか、ということであ。割れやすい土器に「縄の呪力」を与えて割れないようにする。つまり縄は「神さま」なのだ。
  すると、縄のような文様あるいはそれを拡大した概念の「文化」ということは、本来「神さま」だったのではないか。「地文」は「土地の神さま」であり、地文学は「土地の神さまを調べる学問」ではないか、と私は考えた。
  確かに、日本だけでなく世界中のどこへ行っても、そこにしばしば人々の生活の中に何千年も息づいてきた信仰を見る。また人間の開発した国土の歴史を調べていくと、いずれの国や地域においても大なり小なり「神さまの存在」を発見する。
  そこで私は思い立って、有志の仲間と語らい、一昨年、京都に「地文学研究会」なるものをつくった。地文学研究会には、歴史学、人類学、国文学、土木学、建築学など多くの分野の研究者が集まった。しかし、相変わらずその方法論で行き悩んだ。
  そこで私は、一般の犯罪捜査と同じように「決定的な物的証拠が得られなければ、たくさんの状況証拠を集めて組み立てよう」と提案した。そうすれば、おぼろげながらでも資料のない社会や国土の状況が見えてくるのではないか。そういう状況証拠の得られるものとして、私は、伝説、神話、歌謡、能、物語、草紙、社寺縁起、勧進帳、口碑、遺跡・遺物の分布、社寺の創建年代と分布、地名、字名、地図、名所図会、絵画、微地形、災害記録、景観などを活用することを提案した。決定的物証が得られなくても、これらの状況証拠をクロスさせて推論しよう、それが地文学的研究方法となるのではないか、ということである。
  本書はまだ未熟であるが、その研究成果の一部である。
  私どもが悩んでいるこういう問題に対して、「多くの方々からご批判をいただき、さらに研究を深めたい」と思い、世に問うこととした。(本書の序章より抜粋)

上田 篤