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ポスト・モータリゼーション


あとがき

    本書の第一校が仕上がってしばらくした2001年9月11日、イスラム教原理主義者によるとされる、いわゆる「同時多発テロ」が勃発した。「文明への攻撃(Attack on civilization)」という表現の妥当性は別として、このテロ攻撃は我々の住む社会がどれほど高度な通信・交通システムに依存しているか、そしてそれらのシステムがいかに脆弱であるかを露呈した。

  空運に際しての警備の強化は国境での通関時間の増加をもたらし、カナダ産の部品が北米の自動車プラントへ定時的に空輸されないという事態が生じた。この結果、ジャスト・イン・タイム生産方式(第3章参照)により在庫圧縮してきた米国の自動車生産プロセスは、予想だにしなかった打撃を受けることとなった。交通システムの正常機能が毀損されるとき、その影響は極めて広範にわたりうることをこの事例は示している。さらに米国では、封書による炭疽菌の発送により郵便サービス対する信頼とその機能性が損なわれつつある。

  同時多発テロに関連してビル・ゲイツは、インターネットを支える機能は分散しているためシステムとしてより強靭であると、CNNのインタヴューで述べている。確かにこのテロのような物理的施設に向けての攻撃に対しては強靭であろう。しかしそのインターネットも、ハッカーやウィルスに悩まされ続けていることは周知の通りである。これら事例は、第8章で述べられている「三通」すべてが、システムの円滑な機能を妨げないという社会的共通認識があって初めて正常に機能するものであることを物語っている。極めて緊密に三通システムに依存する現代社会は、人々相互の信頼とシステムの正常な機能に向けての協働に裏づけされて初めて、現代社会として存在しうる。

  しかし我々はこの社会的目標を共有しているであろうか? テロ行為に較べれば極度に些細な事象ではあるが、違法「迷惑」駐停車を始めとする様々な反社会的行為を目にすることは日常茶飯事である。さらに本書で繰り返し述べられているように(第1、6、7、9章)、現在の都市交通問題の多くが都市住民による過度の自動車利用に起因する。自動車利用により交通混雑が悪化し、多数の人命が失われ、汚染物質の排出は増大、公共交通を含むシステムの機能が阻害されるという意味において、自動車利用の増加そのものが反社会的結果をもたらすというパラドックスに陥っている。逆に人々の協働により自動車利用が削減されれば、道路混雑が解消すると同時に公共交通の利用者が増大、サービス水準の向上も可能となり、社会的利得ははるかに増大するであろう。

  個々人の利己的振舞いに対応しうるだけの財源と技術的資源を我々が持ち合わせていないことは、道路建設だけでは都市交通問題を解決することが不可能であったという歴史が物語っている。将来の都市がその住民のより良き生活の舞台であるためには、社会的目標に向けての人々の協働が不可欠である。そのための必要条件の一つは、都市が公共領域の集合体として人々に認識されるということであろう。この認識に基づき、都市空間の形成、使用、維持に関する価値体系を共有する努力が必要とされている。また忘れてならないのは、公共領域が歴史、しきたりなどの形而上的なものをも含む点である。ここで興味深いのが、形而上的公共領域を人為的に創り出そうとする以下の英国の事例である。

  英国サセックスのボルノア・ヴィレッジ(Bolnore Village)は、伝統的な英国風の村(English village)を模した、新たに建設されつつある住区である(注)。写真で見るところ、英国の伝統的家屋が再現されているようだが、土地利用規制のためか道路幅員は極めて広く、両脇には煉瓦で舗装された歩道まであり、「村」よりも「郊外」と呼ぶのがよりふさわしい。実際、郊外から通勤するホワイトカラー層を対象とした住宅開発のように見うけられる。ただ、ボルノア・ヴィレッジは単に800戸の住宅を売るのみではない。この先10年間、建設される住宅に対応した信憑性のある英国風の村の歴史が創られ加速されて綴られる。住宅開発の完了とともに、ボルノア・ヴィレッジは真正のイングリッシュ・ヴィレッジと同様、村の形状、建築様式に対応した、捏造された「歴史」を持つことになる。

  ボルノア・ヴィレッジの歴史の創出は、単なる住宅販売促進のための新機軸とも見なせよう。恐らくはそこに移り住む人々さえも、捏造された歴史をまともに受け止めはしないであろう。しかし、公共領域としての歴史を新規に作り出すという営為がなされるということ自体が、現代都市における公共領域の欠落を象徴的に示し、その重要性を呈示しているといえよう。さらに、工学的に創り出される物理的公共領域のみではなく、形而上的公共領域の重要性に人々が気付き始めたことをこの事例は示唆している。

  この文脈において、近年の「まちづくり」活動の意義が自ずと浮かび上がる。まちづくりの意義は、新たな都市施設が建設される、町並みが整備される、といった物理的創出のみに求められるのではない。その過程において社会的目的と価値体系が共有され、形而上的公共領域が形成されるということが、まちづくりの大きな成果である。物理的にも形而上的にも豊かな公共領域が豊かな生活を支える基盤であり、この基盤創出に向けての永続的努力としてまちづくりが位置づけられる。本書がまちづくりの一助となり、ポスト・モータリゼーション期の豊かな公共領域の創出にいささかなりとも貢献することができれば、我々にとって望外の喜びである。

  本書に収められた章の多くは、平成12年に京都大学で開催されたセミナー、「21世紀の都市と交通〜モータリゼーションの総括と今後の展望〜」で発表された論文を基にしている。セミナーの開催に当たっては阪神高速道路公団の支援をいただいた。巻末の年表は社団法人システム科学研究所、安田幸司氏に、IT用語に関する注は京都大学大学院菊池輝氏に準備いただいた。学芸出版社の前田裕資氏からは本書を取りまとめるに当たっての指針と弛まない支援を、永井美保氏には幾度にもわたった校正に当たって、草稿の精読に基づいた数々の助言をいただいた。本書をこのように纏めることができたのは、これら団体、個人のご助力のおかげである。最後となるが、ここに謹んで感謝の意を表したい。

2001年11月15日
パリの安ホテルで
北村隆一



 注
 注 "Faux past", The Guardian Weekend, October 20 ,2001.