バリアフリーが街を変える

は じ め に


 一九九二年四月に設立されたバリアフリーデザイン研究会も二〇〇一年四月で一〇年目を迎える。この会の理念は、バリアフリーに関する社会貢献と研究である。それにしても、この会の活動がここまでよく続いたと思う。
 現在の会員数は約一六〇人であるが、会員は、医療、福祉、障害者、建築、行政、主婦、学生等で構成される、異業種による組織は、さまざまな価値観、理念、思想の人々の集まりである。時には、研究会の方針や事業計画について、激論や反論もあり、絶えず葛藤がみられた。
 設立時に会長として私が宣言したのは、各自が所属の人間としてでなく、個人としての参加をもとめたことである。しかも政治や主義を持ち込まないことをお願いした。しかし、会員として参加する人の中には、政治や利権を持ち込もうとする動きがないではなかった。同時に、外部の団体や一部の人からの圧力があったし、これからもあるであろう。
 入退会が自由なこの組織の参加者は、自然と市民社会への支援活動を中心にまとまりを固めていった。さまざまな立場の市民が協力するには、もはや政治や主義は必要でなく、なによりも声を出せない市民の側に立って支援することの一貫性がなくてはならないものであったことを、今、振り返って思っている。
 設立のきっかけは、医療・保健・福祉・リハビリテーションの関係者でつくる「在宅老人のケアを考える会」と建築士会青年部「高齢者問題研究会」による住宅改善の交流であった。その中で住宅のバリアフリーをともに考える異業種の組織が必要だという動きが起こった。それが一つに結成され、今日に至っている。
 今回の本の中で経過や活動を詳細に書いてあるので、内容はそちらに任せるとして、現在の活動は、住宅バリアフリー改善相談をはじめ、公共施設のバリアフリーアドバイス、交通問題を中心としたまちづくりまで拡大している。そのための啓発活動としては、市民向けシンポジウム、パネル展、バリアフリーテキストの作成、優秀建築物の表彰、設計競技、調査研究と学会発表、署名活動、行政との意見交換など、様々な提言を継続している。
 私がバリアフリーに関係する研究をはじめたのは、大学院の研究テーマで「盲・ろう・養護学校の寄宿舎の建築計画に関する研究」が最初であり、すでに四半世紀を過ぎている。これほどまでにバリアフリーが社会現象になるとは、そのころは考えてもいなかった。日本の急激な高齢社会化と当事者の権利意識とともに高まってきたノーマライゼーションの必要性が、このようなバリアフリー化の動きになったのかもしれない。
 このような社会の動きのなか一九九〇年からのバブル経済の崩壊とともに、社会構造やシステムの綻びが顕在化してきた。政治のモラルハザード、行政機構の制度疲労、深刻な教育問題、家族関係の希薄化、金融機構の破綻、連続する大規模災害や重大事故、異常な不特定多数を対象にする凶悪犯罪、まさに世紀末の閉塞感が充満した。そのような中で市民が自分たちのことを自分たちでやろうとする動きが見えてきた。その一つに活発化したボランティア活動がある。市民による社会貢献活動である非営利活動(NPO)の法人化においては、特定非営利活動法が施行され、一年目ですでに一〇〇〇を超えるNPO法人ができた。
 バリアフリーデザイン研究会は、このような時期に誕生し、活動内容は、正にNPO活動であった。現在、本研究会をどのような形で法人化するか会員の中で議論されている。
 この会が、継続するだけでなく、発展的な事業を展開してこられたのも、会員の理解と支援、幹事の献身的な努力、資金難の中で諦めを知らない事務局の経営力と企画力に負うところがあまりにも大きい。これまでいくつもの障壁に会員の誰もが疲れがなかったといえば嘘になる。今でも離合集散を繰り返し、今後もあるだろう。しかし、これまでを振り返ると、会員の驚くべき進歩を目の当たりにした。私もこの会の存在や仲間にどれだけ精神的に支えられてきたかは、言い尽くせない。深く感謝している。この活動をしなければ知り合えない多くの人に会え、様々な組織と協力でき、情報を交換し、ともに発展できることを実感した。これは、仕事関係だけでは得られない喜びであった。ネットワークは北海道をはじめ全国的になっている。

 今回の本の中で、本研究会関係者は、過激なサバイバル・プロセスを展開している。
 序章の森重康彦氏は、リハビリテーションが専門なのにあらゆる分野に対し、持論を咆哮している。それは、社会システムの不条理に対し的確な檄を飛ばしその病理をリハビリしようとしている。
 第一章の村上博氏は、バリアフリーに対する障害者の視点を社会全体における市民の視点へとノーマライズした。その肉声が聞ける。
 第二章では、丸山力氏の登場だ。危険を顧みず、学会や専門家だけでなく、社会の固定概念や慣習に反論し続けている。その一つが「ノンステップ教」である。読者にもこのパーソナリティを分析してほしい。
 第三章は、本研究会事務局の原動力である白木力氏だ。多くの社会的バリアを冷静に分析し、戦略を練り、冒険的実践を行なう。その判断力や企画力は、直感か天性のものか。
 第四章は、本多孝氏である。ジャーナリストの立場を忘れたかのように、本気で公共交通試(私)論を実践しようと戦略を立てて止まない。
 この本の活動内容が、これから市民による社会貢献活動やNPO活動を行なう人に僅かでも参考になれば幸いである。

 最後にADA(障害のあるアメリカ人法)を持つバリアフリー先進地アメリカのリチャード・スカフ氏の言葉で締めたい。彼は、一九七九年に事故で脊髄損傷になり、車いす生活者になった。現在、サンフランシスコ市の建築検査官としてバリアフリー問題を担当している専門官である。
 日本に比べADAで障害者が差別を受けないように法整備されたアメリカでも、彼は建築家や行政マンにバリアフリーを教育し、その必要性を徹底的に理解してもらうようにしている。アーティストの中には、造形の自由を主張しバリアフリーに協力しない人がいるそうである。いまでもアメリカ人の誰もがバリアフリーに賛同しているとは限らないそうだ。彼から直接聞いた言葉では、「バリアフリーの浸透には、ファイアーとアゲインストが必要だ」が強く印象に残った。すなわち、バリアフリーについては、まだ多くの無理解が存在する。それに負けない熱く燃えるハートと徹底的な対抗措置が必要だということであった。そのパワーに圧倒された。
 バリアフリーデザイン研究会においても、このような強靭な意志と粘り強い活動により、今後も社会に情報を提供し、貢献し続けられればと願っている。


 

 2001年2月  

 バリアフリーデザイン研究会会長 西島衛治

  • もくじ
  • 著者紹介
  • 書評
  • メインページ

    学芸ホーム頁に戻る