事例で読み解く 海外旅行クレーム予防読本

はじめに

 旅行会社の企画実施するいわゆるパッケージツアーの参加者の旅行後の満足度は概して高い。それは、参加する旅行者がツアーを楽しみ良い思い出を残したいという強い気持ちがあること、企画実施する旅行会社が大手・中小を問わず自社のパッケージツアーの品質管理への取り組みが生命線と考えているからである。
 しかし、旅行は目に見えず、手に取ることができず、事前に体験できない無形の商品であり、返品もできない商品である。旅行商品は、季節や天候、またサプライヤー(旅行素材供給者)であるホテル・旅館や航空会社、鉄道会社、バス会社、観光施設などの事情や対応などさまざまな要素が、旅行者の満足度を大きく左右するという特性を持っている。とくに海外パッケージツアーにおいて言語や文化、習慣、食事などの違いがさらに大きな要素となってくる。
 海外旅行は、多くの旅行者が気軽に出かける時代となったとはいえ、決して安価なものではない。また、海外情報が容易に入手でき、その動機、目的が多様化、個性化しているなかで、旅行者の思い描く旅のイメージとの間にギャップが生じることがある。海外ゆえに少々のことは我慢して旅を楽しもうという思いの半面、ちょっとしたことで不満が生じ、大きなクレームとなってしまうことも少なくない。
 クレームの起こる場面は、当然のことながら旅行中がもっとも多いが、それらのクレームは旅行中に解決されることも数多くある。そこで解決されないもの、さらに帰国後に気がついたことなどが旅行後に大きなクレームとなって発生する。まれに、旅行の出発前に発生することもある。
 クレームの発生原因はまさに多様である。パンフレット記載内容との相違、つまり欠陥商品であったり、ホテルや飛行機への不満、現地旅行会社の手配ミス、販売員のミスインフォメーションや添乗員やガイドの不十分な対応のこともある。現地での不測の事態や実際の事件に巻き込まれることもある。なかには旅行者自身の誤解、思い込み、我儘が起因となることもある。近年の消費者保護を一番とする潮流は、消費者の権利意識を高めていき、とりあえず気になった不満は申し入れるという傾向が生まれてきている。
 いずれにしても、旅行会社や実際に旅行者と対応する添乗員や現地スタッフにとっても予想のつかないトラブルは常に存在する。旅行会社がどんなに頑張っても旅行後のクレームはなくなることはないかもしれない。
 このような消費者優位の時代に旅行会社は逃げることなく消費者と正対することが求められている。それは、クレームに対し顧客の立場に立って的確に対応することも重要だが、そのまえに、一つのクレームも創り出さない商品品質管理、販売体制、添乗業務などの斡旋体制、アフターフォローの仕組みをつくることが最大の課題である。
 クレームは顧客からの最大の贈り物とも言われ、商品改善や業務改善に直結する旅行会社にとってはとても重要なもので、その対応は顧客の維持拡大に必要不可欠な日常活動である。しかし、クレームは、旅行の企画造成現場、旅行の販売現場にとっても、実際に旅行現場で顧客に対応した添乗員やガイドにとっても、けっして誇れるものではない。できるだけ早く、できれば大ごとにせずに解決したい出来事であり、それらが外部に伝わることは少ない。
 社内でクレームを共有する仕組みをつくっている旅行会社は数多いが、企画造成現場、販売の現場、添乗やガイドの現場で顧客と日々接しているスタッフは案外、クレームに関する知識や情報を持っていないようである。そもそもが、オープンに多くの人に伝える類の事柄ではないという性質のものであり、クレームの量やクレームの内容はその旅行会社の信頼にも係わるものだからである。
 そこで、さまざまな場面で実際に起きた海外旅行に関するクレームと旅行会社の対応をもとに創作したエピソードを綴ることにした。さらに、旅行者、旅行会社のそれぞれの立場から少し距離を置いて、クレーム予防方法を念頭に入れた辛口コメントを付けた。また、そのクレームとなった事象だけでなく、その背景となったそれぞれの旅行者の姿かたちや旅の動機や目的、さらに海外の観光地、観光スポットで楽しみ、感動している旅の風景も、限られた紙幅のなかではあるが描いてみた。実際に海外パッケージツアーに参加した旅行者の視線で、あるいは同行している添乗員やガイドの視線で、企画造成した旅行会社やそれを販売した旅行会社スタッフの視線で、さまざまな「事件」と向き合ってぜひ一緒に考えてもらいたい。
 本書は、海外旅行に関するクレームの対応に関する法的見解やノウハウを伝える解説本ではない。事例を通し、クレーム自体をなくす、または減少させることを目的とした予防対策本である。クレームを事前に防ごうという旅行会社の思いは、必ず新たなもっともっと魅力のあるパッケージツアーを誕生させるはずだし、必ず顧客がもっと安心して気持ちよく購入する販売シーンを創り出すはずだし、旅行中にマニュアル化されたサービス以上のホスピタリティを生みだすはずである。
 海外旅行に係わる企画造成しているスタッフ、販売しているスタッフ、旅行者を斡旋し同行している国内外のスタッフはもちろん、将来観光の世界を目指して観光を学ぶ大学生・専門学校生、国内でとくにインバウンドに係わる観光サービスを提供している人々にも気軽に読んでいただき、一緒に考えていただけたら幸いである。
 本書は、旅行業界出身であり西武文理大学教員の先輩でもある共著者の菅生洋先生の旅行クレーム処理に対する深い知識と長年の実践経験により出版にいたったものである。また、法的チェックをお願いし、快く引き受けていただいた法学者である西武文理大学の和知惠一教授に御礼申し上げる。最後に、出版企画段階から編集にいたるまでさまざまな助言をいただいた学芸出版社の前田裕資社長に紙面を借りて改めて感謝いたしたい。
 2016年1月
 安田亘宏