事例で読み解く 海外旅行クレーム予防読本

あとがき

 日本人の海外旅行者数が1千万人を超えた1990年以降、海外パッケージツアーを企画する旅行会社が飛躍的に増加し、その結果、旅行業界の価格競争への転換が始まった。そして旅行会社は、とくに詳しい知識もない一般の旅行者がパッケージツアーに参加していることを十分に承知していたにもかかわらず、品質管理や旅行者の立場を考えたサービス精神を忘れ、安いほど売れるという考えが先に立った商品企画や販売に邁進していったのである。それによって旅行者は旅行に対する夢を持つ以上に、募集パンフレットの内容どおりだったかどうかのみ気にする風潮が高まり、それが旅行者の自己責任意識を遠のかせ権利意識のみを強めていった。そして、旅行会社の責任となるクレームが増えたのは当然であるが、旅行者側に原因があるクレームも急激に増大するという結果を招いたのである。
 旅行という形のない商品の特殊性から、どれほど高品質の旅行商品であっても、事の大小を別にすればクレームの原因になる出来事が発生するケースがないとは言い切れない。国内旅行であれば自力で解決できるケースは多いと思うが、海外旅行の場合は、風俗や習慣、とくに言葉の違いから些細な問題でもその場で解決できないことがある。元来旅行者は旅を楽しみたいという気持ちを持っている。それゆえに何らかの問題が発生してもその場で解決できれば、こんなことがあるのも海外旅行だからと思って、納得してくれる人が多い。したがって、問題をその場で解決するためには、添乗員、現地ガイド、現地旅行会社やホテルのスタッフ等、旅行に関わるすべての人たちのお客様を思いやる気持ちが欠かせないと言える。
 もちろん、旅行出発前でもクレームは発生することがある。商品企画から手配までの段階でのミス、また、販売員や出発空港での係員のミスインフォメーションなどが考えられる。では、旅行出発までの段階で何のミスもなかったとしたらクレームが発生しないかと言えばそうでもない。
 たとえば、パスポートの有効残存期間の問題である。確かに募集パンフレットには渡航先国に関するパスポートの有効残存期間について記載されている。販売員は、パンフレットの条件書や注意書きをよく読むようにと説明すれば、旅行業法上の説明義務を果たしたことになる。しかし旅行者がそれを読まず、出発空港で有効残存期間不足が発覚し旅行をキャンセルせざるを得なくなったとしたら、やはりクレームに発展するであろう。販売員はたとえ義務ではなくてもパスポートのコピーをもらって確認して欲しい。また、旅行中にケガや病気になったという場合、それがたいしたことではなかったとしても、販売員が帰国後すぐに「おケガのほうは、いかがですか」などのお見舞いの一言を述べれば、その旅行者はロイヤルカスタマーになる可能性がある。しかし言わなければ、あんな冷たい旅行会社は二度と利用しないとなるかもしれない。
 旅は非日常の世界、異文化の世界の体験である。旅行者は夢や感動を期待して旅に出る。その期待が何らかの不愉快な出来事によって裏切られたときに発生するのがクレームである。しかし、そのような出来事があっても、それを補う「何か」があれば、クレームは発生しないのではなかろうか。その「何か」とは、私たち日本人がもっとも得意とする「おもてなし」の心である。「一期一会」の気持ちを常に忘れず、旅行者の一つ先を考えたホスピタリティを発揮することが重要であり、それがクレーム予防へとつながり、ひいてはロイヤルカスタマーの囲い込みにつながると言える。
 なお、本書では資料編として、標準旅行業約款、景表法、消費者契約法に関して、旅行会社ならびに現地旅行会社の社員、添乗員、現地ガイドの方々にとって必要最低限身に付けて欲しい知識として一部抜粋の形で掲載した。同時に観光系の大学生や専門学校生の教科書としても使用できる内容にしている。多くの方々に読んでいただき、クレーム予防方法、ひいてはツーリズム産業のホスピタリティについて考えていただけたら幸いである。
 2016年1月
 菅生 洋