知覚を刺激するミュージアム
見て、触って、感じる博物館のつくりかた

はじめに


なぜ、知覚を刺激するミュージアムなのか?

「日本で何割の人が眼鏡やコンタクトレンズを使っていると思いますか?」

 これは、ユーザーとともに課題を発見し解決策を考えるインクルーシブデザイン・ワークショップのウォーミングアップでの定番の質問である。
 私の手元には、日本人の6割近くの人が眼鏡かコンタクトレンズを使用しているというデータがある。その事実をワークショップで披露すると、どよめきが起こる。しかし現実には、視力の強い人はすでに少数派で、視力の弱い人が多数を占めるのが今の日本社会である。
 不思議なことに、視力の弱い人を「視覚障がいを持つ人」とは言わないし、眼鏡も福祉器具ではなくファッションだと思っている。どこに視覚障がいを持つ人と視力の弱い人との境界線があるのだろうか? そこにある境界線が、すなわち「社会的な障がい」であり、多くの人が無意識に設けてしまっている垣根なのである。それは、ある価値観や考え方にしたがって、私たちが基準をつくったがために、その基準に合う、合わないが個人の問題として跳ね返ってきたことにすぎないのである。

 この視点で博物館を考えてみよう。現在の博物館は、視力が弱く、さらに初めての来館で予備知識がない人々を念頭に計画されているだろうか? 文字が小さく読みにくいキャプションや専門用語に消化不良に陥っている来館者はいないだろうか? 視覚障がいを持つ人と視力の弱い人の境界線が曖昧であるように、このような博物館における課題は、一部の障がい者や高齢者だけの課題ではなく、私たちすべてに関わる、文字どおり、ユニバーサルで普遍的な課題である。
 知覚を総合することで弱い感覚をカバーし、他の感覚との相乗効果を生み出す。そうすれば、既存の博物館や美術館の情報伝達手段である、キャプションや解説パネル、音声ガイドや解説モニターを用いて個別的に、展示の説明がされている状態よりももっと直感的に理解でき、さらに楽しい博物館体験が実現できるに違いない。これまで博物館に来られなかった人々も来館し楽しむことができるようになるだろう。

 本書は、そういった思いを持ったメンバーが集まり、ディスカッションを通じて得た知見をもとに生み出されている。ここでは知覚による鑑賞を「ハンズオンを含む各種の感覚に対し多角的・複合的に働きかける鑑賞」と定義し、視覚や聴覚、ハンズオンに個別的に頼るのではなく、広く知覚に訴える総合的な視点からの考察を目的としている。
 当然、「五感という表現ではだめなのか?」という質問が飛んできそうである。もちろん五感は知覚の中に含まれているが、ここであえて「五感」ではなく「知覚」としたのには意味がある。
 知覚は、人間が外部からの刺激によって受けとることのできる感覚とそれによって呼び起こされる記憶と新たな想像とが結びついて得られる現象である。来館者の能動的な課題発見について議論したり、広い視点から従来の鑑賞のあり方を見直そうという、我々のアプローチにぴったりの言葉だったからだ。我々メンバーは皆この言葉に賛同し、それぞれの異なる専門性や立場から考えを展開していった。それが本書である。

 本書は、1章と2章が来館者側、3章から5章が博物館側から見た知覚鑑賞のあり方という構成になっている。まず1章では平井が、ユーザーとともにデザインするインクルーシブデザインから全体の知覚鑑賞のフレームを紹介する。続いて2章では藤が、ユーザー参加型であるインクルーシブデザイン・ワークショップでの多様な来館者の気づきデータベースの事例を紹介する。視点を変えて3章では野林が、国立民族学博物館での人類学分野で培われてきた、異文化社会の理解、すなわち自分とは異なる人間をどう理解するかを、情報の伝達手法という観点から考えた博物館展示の知見を紹介する。4章では真鍋・川窪が、普通の人間の視点では認識しづらい自然事象の可視化について言及し、北九州市立自然史・歴史博物館での自然現象の映像展示を紹介する。最後に5章では三島が、九州大学総合研究博物館におけるアーティストとの活動事例を軸にその取り組みを紹介し、博物館に存在する、言葉では明確に説明しづらい知覚的側面について言及する。これら三つの事例は、人文社会科学系、自然科学系、そして大学博物館という異なる館種から構成されている。
 本書が、次世代のユニバーサルミュージアムを考えるきっかけとして活用されることを期待している。

平井康之