インクルーシブデザイン
社会の課題を解決する参加型デザイン

Introduction to INCLUSIVE DESIGN


今なぜインクルーシブデザインなのか?

 とてもシンプルでポジティブな理由がある。それは、人の寿命が延びたこと、障がい者の居場所がある社会が当たり前になりつつあるということだ。社会、経済、情報技術、そしてライフスタイルからのさまざまな影響を受けながら、私たちの生活に根本的な変化をもたらしつつある。
 そのような社会の多様化を理解しながら、今後を予測して新たな解決策を生み出すことがデザイナーに求められている。ここで重要なことは、多様化が進むなか、これまでとは異なった分野からの期待に応えていくということである。深刻な世界的経済不況を脱するためには、これまで排除されてきた高齢者や障がい者のようなグループが、社会での孤立者や保護の対象者としてではなく、あたかも活動的な消費者やプロデューサーのように暮らせるようになることが必須である。
 政治の分野では、投票する権利だけが民主主義ではないこと、つまり政治的決定によって直接影響を受ける状況にいる人々や、さまざまな環境変化の影響を受ける人々を意思決定に参加させることの重要性が理解されはじめている。

 20 年の歳月を経て、ようやく実用性やモノ本位のニーズの先にある、私たちの生活をかたちづくるデザインの可能性が見えてきた。
 現代社会が多様化するなかで、“未来”を可視化する(方法としての)デザインの重要性が広く認識されるようになった。それは地域から国際的なレベルまで、規模を問わず、人々の間や、地球環境と人々の間のよりよいバランスを“共に”実現していく“未来”だ。

 未来へのビジョンを持った優れた人々に触発されたデザインが増加してきた。それらは国や地域の持つ条件を反映している。ヨーロッパでは「 デザイン・フォー・オール(Design for All)」がスタートした。それは、対立や迫害のない統一されたヨーロッパをつくりたいという思いを反映したもので、目標達成には社会的・経済的な包摂(インクルージョン)が不可欠であった。アメリカでは「ユニバーサルデザイン(Universal Design)」がスタートした。それは、アクセスや移動、経済を営む自由に対する障がい者の熱い思いを反映したものである。ユニバーサルデザインでは市民権運動の目指す内容と類似し、法律や政治レベルで達成することが運動のテーマになった。
 デザイン・フォー・オールとユニバーサルデザインは、障がい者の熱い思いや権利の実現に重点を置き、高齢者の課題は、障がい者の視点から捉えがちであった。それとは対照的に、イギリス発祥の「インクルーシブデザイン(Inclusive Design)」は、高齢化問題に直接向けられた運動であり、イギリスが世界に先駆けてこの流れをつくったわけである。それは、ケンブリッジ大学トリニティカレッジの研究フェローで社会的歴史学者のピーター・ラスレットによって初めて明らかにされた。ラスレットはこの流れを、同じくイギリスに源を持つ産業革命とその影響による社会的・経済的変化につなげて考えた。彼は、この考え方が北欧諸国と日本で急速に普及し、世界に広がると予測した。

 私はピーター・ラスレットと共同で、このような急速に進みつつある社会変革の重要性をデザイン業界とビジネス界へ提唱した。特に高齢者のライフスタイルと価値観の変化という急進的な社会変革が同時に起こっている事実を指摘した。その意図は、デザイン業界や産業界に変化に対して応えるように準備を呼びかけることにあった。商品、システム、サービスのユーザーや消費者が、どのような人々で、彼らの能力、ニーズ、熱い思いが変化しつつあることについて、もっと理解を深めなければならないというのが、私たちのデザイナーとデザイン業界に対するメッセージであった。将来の成功を確実なものとするには、製造業やサービス業、特にそのマーケティング部門やデザイン部門、そして経営者が、同じ認識を共有することが必要だ。それは一言で言えば、増加しつつある重要な高齢者向けの商品やサービスを排除しないようにし、彼らのニーズ、熱い思い、変化するライフスタイルをさらに包含(インクルード)するということである。

 ケンブリッジ大学エンジニアリング・デザイン・センター( EDC) のジョン・クラークソン教授との共同研究では、イギリスの物理科学研究委員会( EPSRC)の助成をもとに、高齢社会が必要とするインクルーシブデザインを提供する、デザイナーや産業向けの知の拠点を創設した。この研究は、イギリスの他の組織やボランティア団体を包含しながら急速に拡大し、政治的思想や理解に大きな変化をもたらした。この知の拠点は、新しいUK 規格(ブリティッシュスタンダード)であるインクルーシブデザイン・マネジメント( BSXYZ)と、ブリティッシュテレコムがスポンサーとなり作成したデザイナーと企業向けのツールキットに影響を与えた。ブリティッシュテレコムは、すべての組織レベルでインクルーシブデザインを採用した最初のイギリスの大企業である。
 プロセスの初期の段階では、高齢者と障がい者の間の違いについて意識した。特に高齢者は、高齢化に伴って能力にはさまざまな小さい変化が起こり、いつも大きな障がいがある状態ではないことは、高齢者向けの製品やサービスや情報システムとの関わり方において重要である。障がい者の多くは高齢者で、若い世代の障がい者のニーズに焦点を絞るのは、必ずしもデザイン・フォー・オールにつながらない。その代わり、“大多数”とは異なるニーズを持つ社会の多様な人々への深い洞察が必要だ。
 高齢者や障がい者、“特別なニーズ”を持つ人々をすべて合わせると、人口の多くの割合を占めることに気がつく。そのような多くの人々の多様性に向けて効果的なデザインを行うには、全人口における能力の違いや時系列での変化について、かなり理解を深めなければならない。関連するデータ不足を解消するためには膨大な作業が必要になるが、ケンブリッジ大学EDCの研究員が、非常に効果的に作業にあたった。デザイナーや企業が使いやすいようなデータにするには、データの解釈や表現に加え、デザインプロセスについて深く理解する必要があった。その作業の過程で、ユーザーから得られる直接的な経験が有効であることが証明された。

 1991年初頭に、ロンドンのロイヤルカレッジ・オブ・アート(以下、RCA)では、インクルーシブなアプローチによるデザインに必要な考え方を開発し実践を行っている。「デザインエイジ」という、イギリス初のデザインと高齢化についての研究を始めて以来、高齢者と若い大学院の学生デザイナーが共に参加している。デザインエイジの二つの目標は、高齢者をデザインプロセスの中に取り込むことと、これから社会に出ていく若いデザイナーが高齢者の熱い思いやニーズに敏感になるようにすることであった。プログラムのテーマは、デザイナーが、私たちの現在と未来のために負うべき責任と、狭い身のまわりのニーズや好みだけにとどまらない思考を身につけることの大切さを込めて「未来の私たちのためのデザイン」とした。
 デザインエイジは、その成功により初期段階から日本をはじめ世界から関心を集めた。その数年後、長年にわたり日本で障がい者のデザインと啓蒙に取り組んでいたジュリア・カセムに出会った。私と同じように、ジュリアは障がい者の“ために”ではなく“共に”デザインを推進していた。そして彼女は、ごく自然にRCAの私のチームに参加した。

 私たちがRCAにヘレンハムリンセンター・フォー・デザイン(以下、HHCD)を設立できたのは、多大な寄付によるものであった。これによりデザインエイジは、高齢者からすべての人々を対象にしたインクルーシブデザインに進化した。インクルーシブデザインを効果的に進めるためには、「クリティカルユーザー(重要なユーザー)」のニーズや能力やライフスタイルを深く理解する必要がある。クリティカルユーザーとは、対象ユーザー分布カーブの両極に位置する人々である。そのような知識を得る最善の方法は、クリティカルユーザーと共にデザインに取り組むこと、そして可能な限りデザインプロセスへの参加を促すことである。
 この領域は、ジュリアが専門とする分野であり、HHCDで迅速に確立された。またジョン・クラークソン教授との共同研究で、プロダクトやサービスのクリティカルユーザーだけではなく、最先端のプロダクトやサービスの開発に携わるデザインチームやコンサルタントも、私たちが開発していた新しい知識を有するクリティカルユーザーであることがわかった。ジュリアは、とてもうまく二つのグループをつなげる強力なしくみをつくりあげた。ユーザー中心デザインの新たなベンチマークとなった「DBAインクルーシブデザインチャレンジ」がそれで、イギリスに知れ渡ったこのチャレンジを通じて、デザインビジネス協会と活動的なボランティア組織がつながった。
 HHCDへのジュリアの参加と、ジェレミー・マイヤーソン教授の共同ディレクターとしての参加は、日本との結びつき、特にRCA卒業生で九州大学の平井康之准教授との関係を強めることとなった。

 ジュリア・カセムと平井康之をはじめとする本書の執筆陣は、インクルーシブデザインの理念と実践について培った素晴らしい経験、知識を活かして、この本を読みやすく深い洞察に満ちたものにしている。これはインクルーシブデザインを理解する鍵となる本であり、すべての読者に薦める。

ロイヤルカレッジ・オブ・アート名誉教授 ロジャー・コールマン