インクルーシブデザイン
社会の課題を解決する参加型デザイン

おわりに


 本書は、デザイン教育や企業における商品開発、イノベーター育成のための方法の一つとして関心が高まりつつある「インクルーシブデザイン」の理念とイギリスにおける実践、さらには日本における広がりを伝えるはじめての書籍である。ここでは、インクルーシブデザインの方法論にとどまらず、さまざまな分野で未来の社会を見据えた小さな実験が各地で行われていることが報告されている。執筆者たちは、文具や医療用品、家具などのプロダクト、病院や美術館などの公共空間や仮設住宅まで、それぞれのモノやサービス、環境が抱える現在進行形の問題と正面から向きあい、問題の立て方から問い直し、社会のしくみを組み替えていくための提案を行っている。

 今、私たちが生きる社会は大変に生きにくい社会である。少子高齢化、グローバル化や市場化、ハイテク化の波は社会構造に大きな影響を及ぼし、経済的な格差、文化の劣化、貧困など、社会のいたるところに矛盾を引き起こしている。さらに大きな災害を経て、自分の生活がいつ崩壊してもおかしくないという“存在のゆらぎ”のなかで、あらためて私たちは自分たちの手で「人間の価値」に根ざした政治や市場、社会のしくみをつくらなければならないと思いはじめている。日本においてインクルーシブデザインへの関心が急速に高まりつつあるのは、現代の課題の多様化と複雑化のなかで、分野を超えて課題を解決するための知恵と方法が切実に求められているからだろう。

 ジュリア・カセム氏は、インクルーシブデザインをはじめとした新しいデザインのあり方として「デザインは、人々が社会参加できる、つまり『インクルージョン』(包摂)するためのツールであって、社会参加できない、つまり『エクスクルージョン』(排除)するものであってはならないという目標がある」と明確に述べる。そこには大量生産、大量消費、大量破棄の時代が長く続き、売れることのみを目的とすることで「この程度でいい」というデザインを生み出してしまったことへの反省がある。それに対してインクルーシブデザインは、脱成長の時代のなかで、もう一度デザインのあり方を問い直し、デザインを社会にとって意味のあるかたちで発展させていこうとする運動でもある。
 日本での運動をリードしてきた1人、平井康之氏は、自身のRCAやIDEOでの経験から、クリエイティビティが生まれ、イノベーションへとつなげるためには、つくりながら考える柔軟性、考えるよりも行動に力点を置く体験型の学びの精神が必要であると言う。その時、そこにいる人と対話し何が生まれるか、その時そこにあるもので何をつくりだせるか、ブリコラージュの思想がインクルーシブデザインの根底には流れている。さらに塩瀬隆之氏は、技術者やデザイナーが対等にユーザーと向きあうことでこそ、前提となるフレームを疑い、フレームの外にある本質的な課題に気づき、自らの経験を超えたものづくりへの革新へと到達することができると言う。
 執筆者たちに共通するのは、権威的な専門家としてではなく、自分自身や専門分野の限界を知りながらも、ユーザーと出会い、その出会いを楽しむことができる新しい専門家たち(プロフェッショナル)である。ユーザーもまた、消費者ではなく、生活者として、デザインに参画し、社会をよりよいものにしていきたいと考え実践する人である。

 多様性のみが多様性を破壊する。現代がはらむ複雑な課題を解決するためには、分野を超えた知が必要であり、イノベーションはそこから生まれる。多様な人が出会い、協働する「人間の価値」に立脚したインクルーシブデザインの実践が、今後ますます各地で広がることを期待したい。そこから生きるに値する未来の社会が生まれるだろう。

2014年3月
財団法人たんぽぽの家理事長 播磨靖夫