トラムとにぎわいの地方都市
ストラスブールのまちづくり

推薦の言葉

 ストラスブールは、まちづくりの聖地のような都市である。このまちは、トラムによって「ドミノ効果」を引き起こし、都市のイメージを連鎖的に向上させ、まち全体の状況を劇的に変化させることに成功した。「この町はトロットマン市長時代に黒から白のイメージに変わった」と言う市民もいる。本書は、1990年代までは寒くて暗いイメージのあるアルザスの大気汚染と交通渋滞に悩まされていた地方都市が、環境先進都市の知的な明るいまちのブランドイメージを獲得していくまでの現実の物語である。
 このまちの素晴らしい成功事例を確かめるために、世界中から、そして日本から研究者、公務員、政治家、企業、学生、市民などさまざまな職業の人々が、立場は違っても、明瞭な問題意識と憧れを持って、人口26万人のフランスの小地方都市にはるばるやってくる。彼らの疑問はたとえば、なぜストラスブールはこのような美しい都市を実現できたのか、なぜ利害が複雑に絡み合うプロジェクトの合意形成が短時間で可能になったのか、財政問題をどうやって解決したのか、なぜフランスのみならずヨーロッパ各地に同じような都市が誕生しつつあるのか、などである。すでに彼らによって多くの専門的な調査結果が報告されているが、日本でのまちづくりの現状をみると、まだ答えは見つかっていないか、実行までには至っていないようだ。
 まちづくりは言うまでもなく、長い歳月を必要とする総合的作業である。まちの歴史、市民意識、財政、政治、文化、技術、経済など、考慮しなくてはならない要素は多く、しかも状況は年々変化していく。したがって、短期間の視察や調査だけで答えが見つかるはずも無く、まして条件が違いすぎる日本の都市に適用できそうな答えを見つけるのは、たとえ専門家でも簡単ではない。
 藤井さんは通訳として、こうしたストラスブールを訪れる専門家たちの調査、視察、資料収集、官庁・企業訪問、会議、インタビューなどの場に数多く立ち会われてきた。私もまた環境省の地球環境研究総合推進費プロジェクトでお世話になった一人である。私の経験では、彼女は通訳の場で、互いの発言の行間にある意味合いを含めて通訳されるので、話の内容がたとえ技術論であっても、その社会的背景までが付加されて相手に伝えられ、結果として異言語間の情報交換は深く広くなる。ヨーロッパ滞在30年間の彼女にしかできない貴重な情報の変換作業である。そして、多数の日仏専門家間の討論やインタビューの内容は、自然な成り行きとして、個々の専門家以上に中間媒体としての彼女の中に蓄積され、やがて体系化されていったことは想像に難くない。したがってそれぞれの専門分野を越えて、ストラスブールのまちづくりを総合的に語るには、藤井さん以上の適任者は見つからないし、彼女が書くべきなのだ。
 ストラスブールのまちづくりやトラムに関するこれまでの専門的な研究と比べ、本書が際立っているのは一言でいえば「まちづくりの物語性」にある。たとえばアルザスの歴史や文化、コンセルタシオンの詳細な記述、社会階層の融和性、フランス人の生活感などについては、単なるまちづくりの専門家には書けそうにない。本書を書くにあたって、彼女はトラムの立役者であるトロットマン女史をはじめ、歴代の市長や行政マンに直接インタビューして、まちづくり過程の本音を聞き出している。この当事者のリアルな実体験や彼女の綿密な調査が、長いヨーロッパ生活と有能な通訳としての経験によって活かされて、ストラスブールのまちづくりの臨場感あふれる物語ができた。ストラスブールの元トラム局長であるマルク氏は、「まちはどんどん変化していく生き物です。トラムはそのまちの活性化を助ける一つのエレメントなのです」と語っている。生き物としてのまちを、30年かけてまちづくりの聖地にまで育てた秘訣は、一つや二つの政策にあるのではない。トロットマン女史やケラー女史のような強いリーダーシップを備えた政治家の下で、国内交通基本法などの法律、地方自治制度、交通税などの財源制度に支えられて、有能な専門家集団が機能し、市民意識が徐々に進化していく長い物語全体が答えなのだろう。
 本書は綿密なフィールドワークに裏付けられたクロニクル付きのまちづくり専門書であると同時に、読者にストラスブールに行ってみたいと思わせるにちがいない優れたノンフィクションでもある。

京都大学名誉教授 青山 吉