創造都市のための観光振興
小さなビジネスを育てるまちづくり

はじめに


 全国の地方都市で観光まちづくりへの関心が高まっている。その背景には、人口減少・高齢化、そして衰退への危機感がある。「都市の生き残りを賭けて、地域の資源を磨き、観光を振興し、交流人口を増やしたい」と言う。しかし、それを口にする人たちの多くは、観光振興の意味が大きく変わっていることに気づいていない。
 従来の観光振興は集客施設や門前の土産物店、飲食・宿泊業、交通・旅行社など、観光関連産業の振興のことだった。道路や駐車場、ホテルやテーマパークが要るという発想すら残っている。しかし今は違う。観光との関わりは町の商業サービス業全体に広がっている。例えば、観光客の消費が土産物よりも飲食・買物消費に転換している。だから、今や観光振興は町の商業サービス全体の向上なくしてはありえない。これに気づいていない地方都市が多い。
 一方、今まで多くの住民は、観光を嫌ってきた。観光は自然環境を脅かし、文化遺産を劣化させ、地域社会を変容させるという。まして、その価値を分かりもしない観光客に媚びてまで、観光を振興するのはイヤだという。だから、住民と観光事業者の昔ながらの対立も一部に残っている。
 しかし最近では観光のスタイルが大きく変わった。例えば、先月イタリアを旅行していた東京の女性が、京都の社寺を巡り、町家再生のイタリア・レストランで京野菜ピッツァを喜ぶ。変わらない京都と、新しい京都のバランスの妙に、現代の京都に暮らす市民と事業者のセンスの良さを感じ、また来たい気にさせる。それは、京都の歴史だけでなく、市民の文化と暮らしの中に生きる歴史と景観への憧憬である。
 その京都市民の多くは、もちろん観光客以上に街の魅力を堪能している。観光客を魅了する優れた食材や工芸品などの商品とサービスは、事業者が提供し、それを支える文化・生活・景観は市民が育てる。そして、自ら率先して楽しんでもいる。そこでは観光客と市民、観光と日常の境界は溶け出している。市民が求めるまちづくりと観光客が求めるまちづくりの方向は一致し始めている。
 現在の日本政府は観光立国を唱え、2009年の政権交代後は「コンクリートから人へ」の転換を進める前原国土交通大臣が、観光庁の予算を大幅に増額した。長年続いた土建国家を廃し、市民と観光客がともに楽しむ魅力ある国土を造ろうとしている。観光政策をハコモノで進めるのでなく、地域の人々の文化力で進める時代が始まりつつある。だから、日本の観光政策は大きな転換点にある。
 一方、イタリアなどEUの都市では、1970年頃から観光政策は大きく変わった。観光を創造的産業の牽引力と捉えた。従来の工業開発ではなく、文化発展を通じて地域の産業経済、社会のリノベーションを進めるための原動力として位置づけていた。京都でも現在、同様の視点から「京都創生」策を立て、文化、景観とともに観光を挙げ、京都の再生を進めている。有形無形の多様な文化遺産を再評価し、商工業者とともに観光まちづくりを進めている。
 しかし国内には、著名な観光地でも停滞するところが多い。観光客が増えない原因は観光地と観光産業の構造改革が遅れ、市民と観光業界に対立が残っているからである。当然ながら、観光客が来るだけでは地域は再生しない。その街の住民・事業者と行政が連携し、観光を生活の質の向上と経済振興に結びつける取組みが要る。だから、環境と観光の対立、観光客と住民、観光事業者や行政と市民の間の不信感を払拭する政策が必要になる。
 この都市政策の遅れが問題である。景観計画などで地域資源のマネジメントができなければ、観光地は衰退する。住民と事業者の参画がなければ、転換した観光市場には対応できない。それができないのは、地元の住民と事業者の望む街の姿と、観光まちづくりの方向を一致させることができない無能な都市計画のせいである。
 この点に気づかない時代遅れの観光事業者や都市政策担当者の陰で、新しい提案で店を始めた新世代事業者がいる。バブル崩壊後の不況の中で社会に出た世代で、ロストジェネレーションと呼ばれ、社会経済と消費者の嗜好が急速に変化する中で、市場のニッチを見出した。彼らは店を美しくし、街を美しくしたいと望み、環境を守ることでビジネスを伸ばそうとする。彼らの多くは地元出身であり、その店は新しいタイプの観光客ばかりか、その街の市民にも愛されている。例えば、京都の町家再生店舗などの若い経営者のことである。このような動きは彦根や長浜、全国の地方都市でも増えてきた。彼らには、観光市場が拡大を続け、楽に稼げた高度経済成長期の成功体験はない。観光客と市民を区別せずに顧客とし、その両者を満足させようとしている。彼らは、観光と商業の境界はもともと意識しない。そして、転換後の観光市場を的確に捉えている。
 しかし、時代遅れの観光事業者は、一見異質に見える彼ら新世代事業者こそが、新時代の主役になるとも気づかず、仲間に入れようとはしない。逆に、僅かに残る昔ながらの観光客だけを見て、自分たちの既得権を主張し、時代遅れの観光政策を続け、少なからぬ公的資金を無駄に費やしている。つまり、新世代事業者の創造性を理解できず、邪魔ばかりしている。
 しかし、これからの観光振興は、彼ら創造的な人材をいかに惹き付けるかの競争である。この本では、京都やフィレンツェなど、観光都市の事例を、様々な統計資料やモニタリングや現地調査から紹介していく。まず、国内の観光市場の大きな変化を踏まえた上で地方都市の観光振興策を語り、さらに具体的に観光の大きなトレンドを京都の観光統計から述べる。より具体的に観光客を惹きつけるものは、文化遺産だけでなく、むしろ街の逸品と個性的な飲食などのサービスにあることを紹介し、市民も観光客もともに楽しむ街に変わった京都・長浜・彦根での過去四半世紀の店舗立地転換のプロセスを説明する。そして、そこで増えた人気の業種を増やす工夫について、その具体的施策、特に町並み景観や交通政策を述べる。最後に、観光まちづくりとは、その街に集まる創造力を秘めた新しい事業者の力であり、これが日本の地方を創造都市に発展させる方途であると提起している。
 つまり、観光客を惹きつけるものは、その町が誇る文化遺産ではなく、むしろ文化財とは縁がないように見える普通の事業者であると思う。それは、彼らを通じてこそ、地域の文化遺産が現在の市民の文化力として発揮されるからである。彼らの創意工夫が観光の発展を担っているからでもある。彼らの成功の要因は、京都やフィレンツェにいたことではなく、そこの文化遺産を活かす上で、優れた創意と工夫を発揮した点にある。だから、彼らを勇気づけ手助けすることは、文化遺産では京都に敵わない地方都市でも直ぐにできる。必要なのは、時代の変化を的確に捉えた発想の転換である。この転換は、今の日本の地方都市に求められている、まちづくりの思想の大きな転換点でもある。