土木と景観


序 景観法時代の地域と土木のあり方

景観法時代 ── 地域の価値を再定義する
●地域資産としての景観
  「美しい国づくり」が熱心に議論され、公共事業における景観アセスメントの本格導入を迎えた景観法時代のいま、日本全国の市町村、地域は、その土地の風土に根ざした景観、それぞれの土地に固有な歴史や文化を見つめ直す必要に迫られている。地域間競争が先鋭化し、他の都市や地域との比較、あるいは自らの地域の過去や未来の姿を景観として認識することから始め、地域固有の景観づくりのために地域行政は何をすればいいのか、地域住民は何を担うのか、専門家を加えた徹底的な議論が期待される。
  いまここで議論する地域景観は、卓越した自然環境や歴史的な街並みなど、もちろん地域固有の光を観るための観光資源として活用できることに異論はないが、決して観光のための地域景観づくりの必要性を説いているのではない。地域景観は、市民参加によってより本質的な地域の姿となりうる。単に観光や美化のためではなく、生きられる空間づくり、生活の一部としての景観として成立する必要性が地域景観にはある。
  地域を人になぞらえれば、健康な地域の景観は、やはり健康的で美しいのである。健康は多くの人にとってかけがえのない宝であり、資本であり、資産であろう。地域景観は地域にとって健康であることの証明であり、その景観を支える地域資産すべてを現している、と言える。
●景観を支えるインフラストラクチャー
  工学は、「用・強・美」を備えたもの、あるいはシステムを生み出すことを命題としているが、特に土木工学は、規模が大きく耐用年数の長い公共空間をかたちづくり、社会資本を生み出すことが職能とされる。自然との共生を目指し、人びとのための生活空間を生み出すために、土木はインフラストラクチャーを構築してきた。都市基盤、社会基盤施設などと訳されるインフラストラクチャーとは、地形などの自然環境と生活環境の境界部に挿入され、私たちの生活を支える、道路、橋梁、ダム、トンネルなどの構造物や電力、ガス、通信網などのライフライン系のシステムなどを指す。
  人びとが共同生活を営む地域の公共空間は、これらインフラストラクチャーによって支えられており、地域景観の基盤を成しているといってもよいだろう。脆弱な国土に「シビルミニマム」を、と整備を急いだ戦後復興の時代に、経済性と安全性を価値基準とした整備が行われたことは否めない。しかし、景観法時代の現代においては、国土軸を形成するような最上級のインフラストラクチャーではなく、地域景観を支える地域のためのインフラストラクチャーには、その場に適切な規模、予算、適切な(あるいは伝統的規範に則った)ローカルルールのもとにコミュニティの地域資産として造られることが求められている。その際、自ら住まう地域の固有性を認識し、地域資産としての価値を再認識するために、インフラストラクチャーに対して「愛着」を醸成することが可能かが、インフラストラクチャーのデザイン、マネジメントに関わる専門家のなかで注目を浴びている。

土木計画と地域 ── 多様なアプローチ
  景観の重要性に気づき、地域コミュニティが育んできた風土を取り戻すためには、従来のインフラストラクチャー・デザインとマネジメントにおいて、思考の転換が迫られる。
  本書では、公共空間や社会制度、インフラストラクチャーやプロジェクトの計画に携わる、態度行動変容、公共政策、コミュニティ・デザイン、リスクマネジメント、土木史の各分野から、気鋭の実践派研究者が集まり、転換に必要な視点と具体的事例を提示し、景観の名の下に地域資産としてのインフラストラクチャーの可能性を展望する。
  藤井は、人の暮らしぶりと地域景観の関係性を指摘し、コミュニティの意志が景観形成に果たす役割について述べる。秀島は、事例に基づき行政と地域住民との協働の必要性、アセット・マネジメントとしてのインフラストラクチャー管理手法を示す。柴田は、公共事業における市民参加の意義を整理し、参加のデザインがもたらす豊かな可能性を指摘する。横松は、防災的な観点から地域コミュニティを分析し、ソーシャルキャピタルのリスクマネジメントを試みる。田中は、水辺とコミュニティの関わりを歴史的に検証し、地形改変と生活環境形成に関わる土木技術者のデザイン・マネジメント思想について述べる。
  これらの議論は、例えば、景観マネジメントとリスクマネジメントは背反しないのか、健全な社会は美しい景観を呈するのか、風景づくりの主体は誰か、防災文化と景観形成の関係は、など、五名の著述が有機的に重なり合い、健全な地域づくりのための多元的なアプローチを提示する。

インフラストラクチャーのデザインとマネジメント ── 共同のかたち
  ここで、本書の執筆者たちが最も議論を費やしたデザインとマネジメントについて、述べておこう。私たちが相手とする「社会」とは、人と人、人と構造物、人と環境など、様々な対象間に結ばれた無数の見えない「関係性」という糸によって構成されている。この社会と密接に関係した土木のデザインもマネジメントも、何らかのシステムや構造、仕組みなどを「つくる」という点、積極的な働きかけを行う点では一致している。その成果が、「かたち」に多く責任を負っているのか、「人びとの行動」に多く責任を負っているのか、がデザインとマネジメントの違いと言える。両者は、公共空間の現場を扱う際には、ますます密接かつ複雑に絡みあい、それらの有機的な結びつきやコラボレーションの効用は、各章をお読み頂ければ理解して頂ける。
  価値観が多様化し、地域コミュニティが弱体化したと言われる今日、豊かな地域景観の基盤となるインフラストラクチャーを、地域の人びとに愛される、愛着を持たれる存在としてデザイン、あるいはマネジメントできるのか。地域資産となるインフラストラクチャーに必要な、適切な規模や機能、適切なローカルルールとは何か、インフラストラクチャーの管理・運営には地域住民はどのように関与していくべきか、共同のかたちを模索する。
  地域資産としての景観は、つくる景観だけでなく、なる景観、地域コミュニティの暮らしぶりが、リアリティを伴った景観となる。地域の風土に根ざした、先祖伝来の健全なコミュニティを支えるインフラストラクチャーは、何によってかたちづくられるのか。地域の意志、歴史、環境、技術、が地域景観として繋がるデザインとマネジメントのあり方が、いま明らかにされる。

田中尚人