おわりに

 東京の都市形成、及び空間構造を長らく研究してきて、路地のことについて少しまとめておきたいという衝動にかられた。それは数年前のことである。路地の特集を企画し、雑誌『東京人』の鈴木伸子氏に持ち込んだ。そこで「路地とは何か」を自分に問いかけながら、すでに何度か歩いたはずの東京を再び時間をかけて歩くことになった。この本ができる最初の出発点である。
 『東京人』の路地特集は、よく売れたと聞く。近年、路地は多くの人にとって気になる存在であるようだ。その後、この雑誌を読んでいただけたことが切っ掛けとなり、「神楽坂路地サミット」に呼ばれ、「東京の路地」と「銀座の路地」の話をすることになった。このサミットでは、東京大学教授の西村幸夫氏を顧問に迎え、路地を都市計画にしっかりと位置付けたいとしていた。その考えに共感する。そして、「神楽坂路地サミット」の会場は立見がでるほどの盛況であった。
 これは、日頃からの私の怠慢なのだが、これほど多くの人が熱っぽく路地の話に耳を傾ける姿を想像できなかった。着実に、しかも誠実に、路地が担うべきまちづくりの可能性を察知していることに強い衝撃を受けた。その会場には、学芸出版社の前田裕資氏も来ており、「東京の路地」について一冊の本を書いてほしいと頼まれた。私には驚きであったが、「神楽坂路地サミット」での本物の熱気が少しでも前に進められればと、その場で引き受けさせていただいた。
 私自身も、銀座の路地が活性化してもらいたいと、数年前から銀座の方々に話していたところであった。その時名乗りをあげていただけたのが、銀座西四丁目銀友会の町会長であり、天賞堂社長の新本秀章氏である。話を聞くと、松崎煎餅社長の松崎宗仁氏、高橋洋服店社長の高橋純氏をはじめ、町会の方々は、宝童稲荷のある路地をどうにかしたいと長年考え続けてきたという。その時、路地がまちづくりの舞台で活躍できる気運があると感じた。
 銀座では、地元企業と美術系大学のコラボレーションが4年前からショーウィンドを介して具体化し、今日に至っていた。銀座の企業と大学は、当初から銀座アート・エクステンション・スクールという運営母体を共同でつくり、親密な関係を育ててきている。今年も多くの学生の作品が銀座のショーウィンドを飾ることになる。
 この流れの一方で、武蔵野美術大学の学長である長尾重武氏をはじめとする4つの美術系大学の先生方(女子美術大学の飯村和道氏、多摩美術大学の岸本章氏、日本大学芸術学部の熊谷廣己氏)が銀座西四丁目銀友会の人たちと関係を持ちながら、大学の建築設計の授業を平成17年春からはじめる動きに発展した。2年目の現在(平成18年春〜夏)は、銀座アート・エクステンション・スクールの主催で、町の方と学生との間で、宝童稲荷神社のある路地をテーマにとても魅力的な関係と動きが一歩進んだかたちで進行しつつある。
 以上の経緯も含め、この本は『東京人』の原稿を骨子としながら、再び「路地とは何か」を自分に問いかけ、大幅に加筆、修正し一冊にまとめたものである。この紙面で皆さんの名前をあげて感謝の気持ちを述べることはできないが、多くの方の路地に対する熱い情熱に後押しされてこの本が完成した感がある。ここに感謝の気持ちをお伝えしたい。
 また、編集を担当していただいた前田裕資氏、中木保代氏にはアグレッシブな編集サポートをしていただいたおかげで、どうにか出版に漕ぎ着けることができた。両氏の熱意と誠意には感謝したい。
 最後に、路地体験の切っ掛けをつくってくれた亡き父と、老いてこれからも元気に人生を過ごしてもらいたい母に礼を述べたい。

岡本 哲志
平成18年7月吉日