歴史を未来につなぐ まちづくり・みちづくり


まえがき

 私は小学生の頃から日本史と船が大好きだった。当時は戦時中であったので、造船技師になろうと思い、理科系を志した。戦後になっても、その惰性で工学部に進み、土木に入り、都市計画を専攻し、城を趣味とした。当時、東京丸ノ内業務街の近代的な高層ビル群が歴史的資産である旧江戸城(現在の皇居)の外濠と石垣と共存し、自動車交通が増大しても、道路と濠からなる幅広い空間が新旧の構造物の間の緩衝帯となっている景観は、私にとって一つの計画目標だった。
  後に、『東京市区改正委員会議事録』を見て、一九〇四年に戦勝祝賀提灯行列の群衆混乱による馬場先門での死傷事件に端を発して、馬場先門通りの拡幅とともに石垣土塁の撤去と外濠埋立ての件が東京市区改正新設計の追加議案として提出された際、幸いにも石黒五十二委員が道路の拡幅は認めるとしても、石垣土塁と外濠は現状のままにしておくことを主張した結果、取り止められて、現在も保存されている事実を知り、賢明な先人の英知と努力に感激した。
  モータリゼーションが進み、全国の都市で道路が拡幅され、沿道の古い建物は改築され、濠は埋められ、歴史的景観は失われていった。歴史的な町並みを保存しようとして、一九七五年、文化財保護法および都市計画法に「伝統的建造物群保存地区(伝建地区)」が制定された。この地区の保全整備を支援するための事業として、一九八二年に建設省(現・国土交通省)は「歴史的地区環境整備街路事業(歴みち事業)」を創設したのであった。ようやく私の考えていた歴史的資産を活かした都市計画が堂々とできると思った。
  ところがその歴みち事業に問題が生じた。その発端は、一九八三年度の萩市堀内地区の歴みち事業調査が実施された時のあるコンサルタントの作業成果の内容に関することであった。その計画提案は堀内地区にあるいくつかの幅員五mばかりの地区道路を道路構造令に合うように六mに拡幅するため、土塀や石垣を少し後退移設しようとする提案であった。その提案を見た文化庁は驚き怒り、文化財の破壊だと建設省に抗議した。
  そもそもこの建設コンサルタントの担当者は、歴みち事業は伝建地区で困っている課題を支援する事業であるので、現在文化財側の予算が少ないため、壊れかかった土塀の復元修復にも苦労している状況を助けることはできないかと考えた。そこで道路構造令の標準幅員に合致しない現道を多少拡幅して土塀や石垣もあわせて移設することにより建設省側の費用で修復すれば、文化財側を支援できるのではないかと考えたらしい。
  これに対して文化庁としては、土塀や石垣を現在地から移設すること、さらに言えば道路の旧幅員を変えること自体が文化財の破壊であり、移設していかにきれいに復元修復しても、文化財としての意義を失ってしまうと考えたため、驚き怒ったのであった。
  日本の都市計画事業は歴史的にみるとき、関東大震災の震災復興事業や戦災復興事業で華々しく成果を上げてきた。また日本の都市計画には歴史的資産を保存修復しようということが従来あまり考えられておらず、一般にスクラップ・アンド・ビルド(Scrap and build)のやり方が当たり前だと考えて進んできた。したがって、この問題発生は文化財側が根本的に重視しているオーセンティシティ(Authenticity)の考えをまったく理解していなかったために生じた食違いであった。ここで、オーセンティシティとは、歴史的資産としての確かさ、偽物でないことといった意味で、材料・デザイン・技術・環境の四つの視点から見ての真実性が確保されていることを重視するものである。
  したがって、このように歴史的資産を取り扱うにあたって、何が大切かという基本的な常識が欠けていると、たとえ善意に基づいた行為であっても、結果として悪意と化し、思ってもいない事態を招くということが分かるであろう。なお、ここで歴史的資産というのは、指定文化財にとどまらず、歴史的地区にあって、歴史を物語る文化的な資源全体を広く表現するものとして用いている。しかし、縦割り行政の中の常識の食違いから、現在でもなお建設省側の常識が文化財側の最重視しているオーセンティシティの考えをまだ十分理解していないため、各地でまだ相変わらずこの種の問題を引き起こしているのは残念である。元来、歴みち事業は歴史的地区において、歴史的資産を保全するために、かつ、現代生活に不可欠な自動車交通や都市の活性化をも図るための調和を考えながら、弾力的なみちづくりを実施して歴史的な空間を重視したまちづくりを意図するものである。そういった点からも、問題を十分理解して、「歴史を未来につなぐまちづくり・みちづくり」を実践してもらうためにも、本書の出版の意義は大きい。
  私たちのグループが「歴みち事業」に関与しだしてから二十余年にもなった。このため、十年前に<CODE NUM=01F6>日本交通計画協会より『歴史のまちのみちづくり─歴史的地区におけるまちづくりの理論と実践』を出版した頃と異なり、数多くの歴史的地区で発生した問題に関して、その対策を具体的に検討して実施し、ようやく一部の工区で一応の解決の成果が示され、基本的な考え方もまとまり、次第に合意されるようになってきた。開発と保存の競合問題も事後の調整で悩んでいた状態から、事前に開発と保全の調和を考えて計画することが可能な状態になってきた。そこで、第五章の実践例では私がグループの何人かと担当し、解決、もしくは解決の方向が確認された事例を具体的に取り上げた。
  しかし、伝建地区等に指定されていなくても、価値を有する歴史的地区は範囲が広く、調査に時間がかかり、財源の問題もあり、市民の理解と合意を要するため、全域の問題の解決には非常に長い年月を要する。このため、現在でもまだ各地で事業は継続されている。また他にも、この種の問題で悩んでいる地区は多く、景観に対する新しい課題も生じてきている。
  本書はこれまでの諸課題について、まちづくりの担当が建設省から国土交通省へと組織変革する中にあって、文化庁との間で、開発と保存の競合する問題を私たちグループが現地で調査・検討・討議した実例研究を通して生み出した考え方や方法を取りまとめた成果である。各章の執筆分担は明記してあるが、関係する内容はグループの中で協議して取りまとめた。なお、「歴みち事業」のそもそもの発案者である松谷春敏氏には特に事業創設時の考え方のメモを、コメントとして掲載させてもらった。
  指定文化財のみならず歴史的資産が重視され、さらに都市景観・文化的景観という新しい課題に直面している今日、都市再生の中で、未来に向けていかに開発と保全の調和を図っていくかは大きな課題である。こういった課題解決のために、本書がこの種の問題を抱えている関係者にとって、多少でも役立てば幸いである。
  各地で問題を解決して、まちづくり・みちづくりを行ってきたが、この間に我々グループの作業に協力していただいた多くの学識経験者・国土交通省(建設省)・文化庁・関係した県市町の関係者の方々に心から感謝する次第である。

2005年12月
 東京大学名誉教授 新谷 洋二